どうして自分の説明はわかりにくいのか?これが頭の片隅から離れない。くどくど説明しても時間を浪費するだけなので、短く端的にまとめられないかと苦慮している。とはいえ、自分が話す側から聞く側に回った時を考えれば、解ははっきりしている。
ポイントは、話す相手に対して次のプロセスを推察できるかどうか。そのプロセスとは、
- 「聞き手が”話の内容”を自分(=聞き手)にわかりやすいように置換する」手順であって
- 1.の手順を察知できれば(可能なかぎり)、全体の枠組みのどの位置に立っているのか
をマッピングする。あくまで我流なので正解ではないが、ここまで解を思いつきながらも、具体的な術までは持ち得なかった。そんな課題設定で本書を一読したら、「術」のヒントとなる収穫をもたらしてくれた。
説明が苦手、という人は少なくない。うまくいかないのは、実は説明する当人がよく分かっていないから、だったりする。それに対して「頭がいい人」の多くは、「難しいこと」を「やさしいこと」へと変換して理解している。だからこそ、説明も分かりやすい。
この変換作業を、筆者は「脳内ちゃっかり変換」と称し、その変換にはアナロジーが欠かせないと指摘する。そして、そのアナロジーの仕組みと使い方について詳しく説明している。テーマを絞っている分、文字どおり「わかりやすく」、論点がぶれていない。
ではアナロジー(=analogy)とは何か?アナロジーは類推と訳され、本書では、次の条件を満たすものをアナロジーと呼んでいる。
いっけん似ていないものごと二つ(ベースとターゲット)を、ある部分に着目して、その特徴について「似ている」とみなすこと(そして、それを土台として考えを推し進めること)P.65
例えば、
- 売り上げを増やすためには、広告をたくさん出して、わが社の商品を知ってもらう必要がある。
- しかし、たくさんの広告を出すには、それだけ多くの売り上げがあり利益が出ている必要がある。
といった状態を、「ニワトリが先か、卵が先か」と表現できる。この「ニワトリと卵」がベースであり、上記の「売上と広告」の関係がターゲットとなる。
ベースとは、身近ですでに知っている題材の間で成り立っている関係であり、一方のターゲットは、これから理解したい題材の相互関係を指す。
ここで着目すべき点は、「関係」という言葉であって、「木を見て森を見ず」ではなく、「木を見て森も見る」だ。つまり、理解したい対象の全体を眺めるうえに、個々のつながりも把握する。さらに「その対象と他の対象はどのような関係があるのか」までを押さえる。
これを筆者が次のように述べている。
結局わかるとはどういうことか?私の考えでは何かかが「わかる」とは、ものごとの相互関係が見えている状態だ、ということです。
この相互関係が見えてくれば、おのずとベースとなるアナロジーに何を使えばよいのか判断できるのも納得できる。
ただし、本書を読んでいて疑問がある。それは、
- コミュニケーションのコツを心得ているからアナロジーが使えるのか
- アナロジーを使う能力に長けているからコミュニケーションがスムーズなのか
自分の読解力不足のため、自分で立てたこの相関図の問いに対して答えを明確にできなかった。なぜこの疑問が浮かんだのかというと、以前のエントリー(参照)でふれた
共通言語の会話の前に、「わかってもらう」ためのメタファーを獲得したいけど、それは、「黒山のような人だかり」のような紋切り型じゃなく、「相手にあわせた(比喩的)表現方法」を磨きたいわけで。
「わかってもらうためのメタファー」を意識していたからだ。私の場合、アナロジーではなくメタファーと表現したので厳密には両者の意味は違う。その違いを承知してもらうとすると、「相手にとって関心のあるジャンルの”ベース”」を用いて「わかってもらいたい」というところに、コミュニケーションのツボが含まれているのではないかと愚考している。
では、その関心のあるジャンルを引き出すには、どうすればよいのか。このあたりについては、本書の中の「説明は説得でない」という、わずか2頁足らずしから割いていない小項目にヒントがあるような気がする。
「主テーマから離れた筆者の補足的説明に予想外のひらめきを発見できる」ーここに本から得られる「知」のおもしろさがある。これをアナロジーにするならどう表現するのだろう?