現在の科学の常識が「仮説」であると言われてもピンとこない。とはいえ、本書を読めば「ああ、なるほど、そういうことか」と得心できる。ただし、「基礎」を理解していないと、トリビアルな知識を習得したにすぎないのかもしれないと思い少し寒気がした。科学の仮説だけが「仮説」ではなく、自分の主張も「仮説」である。ややもすれば、その仮説が正しいと錯覚してしまう。そうならないように頭を柔らかくする「もう一人の私」を憑依させる。「99%は仮説だよ」とつぶやく自分が大切だと学んだ。
「最近どうも頭が固くなってきたなぁ」そんなあなたにつける薬は"科学"です。文系理系を問わず、科学のホントの基本を知るだけで、たったそれだけで、あなたの頭はグニャグニャに柔らかくなるかもしれないのです。科学の基本……それは、「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」ということです。思いこみ、常識、前例、先入観、固定観念……そういったものにしばられて身動きがとれなくなっている人っていますよね?[…..]きっと、ものの考え方から世界の見え方まで、すべてがガラリと音を立てて変わるはずですから。『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』
———-飛行機はなぜ飛ぶのか?
もしこの質問を投げかけられたらどう答えるか。科学者なら「"ベルヌーイの定理"で説明できる」と解説する。その定理とは、「空気のスピードが速くなると、その部分の圧力は下がる」という法則である。
しかし、これは仮説であって、実のところ「よくわかっていない」のが本当だ。2年前、アメリカの物理学者と航空力学専門家が、ある著書を発表した。その本には、「これまでの"飛行機が飛ぶしくみ"はデタラメだ」と書かれてあった。この説は一流の科学誌や専門誌にも取り上げられ、一大センセーショナルを巻き起こす。
なぜデタラメかは本書を読めば、「へぇ〜」とうなずける。飛行機の例は、ほんの一例であって、他にも様々な「常識」だといわれる「仮説」が登場する。
- 地震が起こる仕組みはよくわかっていない
- 冥王星は惑星なのか
- アメリカの若者は進化論を信じているか
個人的には、各章の終わりに収録されている「あたまが柔らかくなる仮説」がおもしろい。
- 麻酔はよく効く仮説
- 日本の海岸線は二四〇〇キロメートル仮説
- 意識は続いている仮説
- マイナスイオンはからだにいい仮説
- 世界誕生数秒前仮説
- 百人一首カルタ仮説
- 殺人はこの座標で起きた仮説
上記の仮説に対する筆者の見解は巻末に収録されている。1.に驚いた。「いかに全身麻酔が効くか」「いかに全身麻酔を用いるか」はわかっても(教科書に説明してあっても)、「全身麻酔がなぜ効くか」の仮説は存在していない(局部麻酔のメカニズムは説明できる)。5.は哲学にも登場する仮説だから納得できる。
しかし、読みながらふと感じた。「ここに登場する科学の常識(=仮説)は、わたしには仮説と認識できない。常識を知らないから。スラスラと読むのは虎の尾を踏むことになる。"知っている"か"知らない"かの誤差にすぎない。"知った"ことに満足してはいけない」
この視座に立ったとき、何を読み取らなければならないか。そのヒントが本書に隠されているような気がした。
- 事実はひとつでない
- 時代と場所によって「正しいこと」は変わる
- 仮説を倒すことができるのは仮説だけ
不純な動機で怪しむのではなく、「本当にそれでいいのだろうか」と一歩立ち止まって考想してみる—–このことがいかに必要で、どれだけ大切かを学習できた。
折しも昨日、「マトリックス リローデッド」が放映されていた。「眼前にひろがる現代社会は仮想現実である」という物語が設定されている。大前提の「常識」を否定することによってマトリックスは成立している。登場人物の名前から推察できるように、前作以上にシンボリックというかフィロソフィーな台詞が多いと感じた(日本語吹き替えを信用するならば)。常識を疑った人が到達する知見へと案内してくれるような言葉の固まり、そんなふうに自分の目には映った。
「すべて」を一度ゼロベースで疑うには、ロジカルでフレキシブルな考えが求められる。他方、それを支える「こころ」は一体何だろうか?