「貴方は、言葉を駆使して、自分の歩いてきた道の舗装をされているだけよ」紅子は保呂草を真っ直ぐに見据えて言う。「貴方は、後ろ向きに掃除をしているだけ」
人間は言葉を駆使する。一本造りのように「形」を削り出す人や寄木造りのように「形」を造り出す人がいる。自己評価すれば、昔は、寄木造りでオリジナルを模倣していた。始末の悪いことに、寄木、それ自体すら自分で作ろうとせず、探し回って拾ってきた。いわば偽造品。躰を動かし木を削っていなかった。今も変わらない。だけど、少しでいいから一木造りのように削り出したいと、自分の歩いてきた道の舗装を止めた。後ろ向きに掃除をしなくなった。
ようやく削り方を理解できた。ほんの少し、ごくわずか。その理解も錯覚だろう。
シナプスのように接合されている今、ブラウザの窓に単語を入力すれば簡単にアスファルトが用意されている。アスファルトの上を一瞬で走り抜ける。自分が走ったように振る舞うことも可能だ。門外漢の事象ですら書ける。メールマガジンやブロゴスフィアの中にいる人からアスファルトを拝借して、それを自分の道に舗装し直せば立派な道路になる。その気になれば高速道路も造り出せるだろう。
一木造りや寄木造り、どちらであっても「形」を表さなければならない。「形」を表せない自分に気づき愕然とする。道具を持っていないからだ。万が一、形を想像できて、道具を持っていたとしても、伝えられない。
伝えられるほどの駆使できる言葉を僕は知らない。それでも言葉にして伝えなければならない。どれだけ莫迦と思われても。
Comments
“道を造る” への2件のフィードバック
ありがとうございます。
「道具がなければ、齧りなさい。
どんどん削って散らかして。
舗装は、まず道を作って、後からするもの」
という言葉に奮い立ちました。囓り倒します。
汚れたところをきれいにするのが掃除ですよ。
汚れてしまった・・・・・「しまった」のだからそれは過去。
掃除するのは過去のことだけ。
あなたの前の道を掃除する必要はありません。
どんなに頑張っても未来は掃除できない。
道具がなければ、齧りなさい。
どんどん削って散らかして。
舗装は、まず道を作って、後からするもの。