想像と死者との対話

2013.04.18 晴れ

☆マーレーズ☆ – 太陽と星 でスタート。一日中、聴いていた。声がど真ん中で歌詞はギュンギュンきてサイコー。” 何よりも大事に想える人がいる この世界はそれだけは変わらないさ 空が見える 坂道を駆け上がる 息が切れても 明日の影を追いかけるだろう ” で泣きそうになる。「大事に想える」ってね、想われる側の幸せではなく、想う側の糧なんだ。好きとか嫌いではなく、想う。

“想像ラジオ” いとう せいこう を読み終えて、読み終えても読み終えた感じがしなく、何度も読み返し、何度も涙こらえられず、鼻のさきっぽがツン、まぶたが水分の表面張力に苦心。物語に登場する楽曲をYouTubeで聴いて、いままでと異なった質感が私に刻まれて、この感覚を伝えるとしたら、僕はまだ’それ’を知らないんだなぁ、体験していないんだなぁ、これからもできないかもしれないなぁって思いにふける。

常々、強く感じていることが二つある。人間が授かった能力は、「想像」と「死者との対話」であること。この二つがヒトを人間たらしめると感じる。

ほかの動物が想像する力を持っている、死者との対話している、かどうか知らない。だからヒトを人間たらしめるは人の傲慢だろうけど、そう感じざる得ないほど、「想像」と「死者と対話」はかけがえのない力だ。

便りがあり何気ない日常が認められていて、特別なことが書かれているわけではない。でも、それが僕にとってとてもとても大切であり、そこに刻まれている文字から想像は果てしなくひろがる。どんな気持ちか? どんな表情か?

文字から想像すらなら気をつけなくちゃいけない。人は耳で聞くだけでない。目で聴く、顔で聴く、身体で聴くコトがある。耳だけでなく、目や顔や身体で聞き分ける、否、感じ分ける、かな。

「ふれてよいこと」と「ふれてはならぬこと」を感じ分ける。耳だけで聞き分けるのではない。五感で感じ分け、相手に踏み込めそうな領域を慎重に恐れながら探す。相手が僕に送っている信号を受信できる領域を丁寧につくる。

文字だけだと聞き分けられない、感じ分けられない。「想像」はかけがえのない力であるけれど危険な能力でもある。想像を自己の現実にしてはいけない。想像はいくつもある現実のなかのひとつの物語である。うまく想像できたとき、その想像を「現実」に置き換えてしまう。

想像は、対象のコトやモノや人を頭の片隅にずっと置いておかなければ、うまく想像できない。デスクトップの画面にはりつけた付箋みたいな感じ(笑) あっ、でもこれだと「済」になったらはがされてしまうか。

便りのおかげで実りある一日がもたらされる。実りある一日にするのは自分である。自分であるけれど、自分ではない感覚。あなたとわたしが相対していき、絶対になるようで、相対と絶対のどちらもどうでもよくなり、とにかく「存在」があるとの確信が私の一日を形作る。