MacBook Pro early 2011 に Windows 10 Insider Preview をインストールしてみた。仮想環境は、VMware Fusion 7。
(さらに…)カテゴリー: article
-
潮時
2012.11.21 曇
2006年11月29日の夕方、K10Dを予約していたお店から電話があった。発売日の1日前。「全世界から予想を大幅に上回る注文」があったK10Dは当初の発売日を延期していた。手に入るかどうか。焦りが募り不安の日々。フライングの電話なのにすぐに取りに行きますと行って、家を出た。
はじめて一眼レフを手にしたときのあの瞬間をいまでも覚えている。K10Dのボディを360度から眺め、持ち手を右に左に変え、持ち方に迷い、ファインダをのぞく。小さな窓から見える映像。興奮と未知。
あれから6年、K10Dとレンズ一式を売却する準備をはじめた。いまはネットですべて手続きできる。今週末にはお店の人が査定して、いつか誰かの手元に行ってくれたらといまから願う。
私の力が及ばないと認めなければならないときがある。苦しい体験。できるだけ広く深いと感じられる眺望点から私の努力と能力を眺める。努力していなかったこと、能力がまったく足りなかったこと、比較されること。それらは自身を守ろうとすれば、私を査定される恐怖が身体を蝕む。
だから潮時の判断をためらう。
一方で、自分を放棄したらどうなるだろう? 努力してようがしまいが、能力があろうかなかろうか、そのままいまのままいつもの場所へいつもの時間に訪れる。比較の恐怖を捨て、自己評価を停止し、他者評価を吟味しない。
ひょっとすると幸福かもしれない。わからない。
何があろうが対象から拒絶されるまで、存在を記号化させて対価をもらいつづける。でも、精神と感情がその行為を阻むかなと想像する。プライドとは、その精神と感情に向き合い続ける我と彼の狭間に隠れているのかもしれない。そして、あるとき何かの契機がプライドを呼び覚ます。
プライドは潮時の判断へ関与する。
さらにお金である。生活と切っても切れない物質が私の判断を支配する。
13:30に烏丸五条でKさんと待ち合わせ。紹介していただいた医院へ営業に伺う。16:00前に終了。久しぶりに「京都らしさ」と「医院」を体験した。会計事務所にお世話になっていたときよく体験した。お金をスマートにクレバに受け取られるようになったとき、あるいは渡せるようになったとき、成熟の過程に足を踏み入れられたのではないか。まだ踏み入れていないからこれもまた空想の言語遊戯。
16:00から17:00までKさんへ近況報告。前回紹介してくださったお客さんを相談する。先方は発注してくださっているが、私は正式に承っていない。そんなあいまいな関係のなかで忘年会にお誘いいだき恐縮している。が、そういう場を観察するのも判断材料のひとつだ。
17:30から滋賀県のホテルへ移動。Kさんといっしょにセミナーを受講した。中小企業の経営者や関係者が120名ほど集まり、講師の経営者から「王道の話」を伺い感動した。衒いや奇策はない。すぐに劇的な効果を探したくてもそんなものはない。淡々と「王道」の話を経営者は話し続けた。企業の継続は「王道しかない」と強く実感した。聴講後、短い時間であったがグループに分かれて議論した。
僕の頭は固まっている。凝り固まっている。意固地になっている感すら認識している。そんな僕の頭を壊してもらえるよい機会だった。やっぱり現場は壮絶だ。経営者は強くてしなやかでたくましい。ひとりのつらさをしっかり抱きしめ噛みしめ守らなければならない社員と歩いている。
-
感性を受信してくれる人と過ごす時空
2012.09.13 晴れ
午前中、M社のページ制作。雑務。Amazon.com(co.jpではない)のkindleから”日本語”の書籍を購入してダウンロード。著者の新しい挑戦に敬意。スゴイ。
kindleから購入した書籍をダウンロードしてiPadやiPhoneの端末が自動で同期して、いつでもどこでもkindleを使えるいずれの端末からでも前回読み終えた場所から再開できる。このユーザ体験はすばらしい。心底驚く。
洋書ではあたりまえのコトでも日本語の書籍はまだ実現に至っていない。日本のAmazonでもサービスをスタートさせるとの報道を読んだが交渉が難航しているとも。日本の出版業界は理解してもできない。事情や背景を知らない。理解してもできない、やらない、って構造は出版業界に限らず至る所の組織にころがっていそうだ。
午後から先生のご自宅でMacとTime Capsuleのセッティング。まずはお互い持ち寄った焼き菓子や洋菓子でおやつタイムを過ごす。おいしいモノと感性を受信してもらえる方々と過ごす。嬉しい。
結局おやつたいむは1時間をオーバー。腰はすっかり重くなったけど、ゆっくりはじめる。まずは古いルータからTime Capsuleに設定を移行。Time Capsuleをルータに使うのはちょっとためらわれたけれど、やっぱりスマートなスタイルがよい。
Time Capsuleの設定。MacBook Pro 15inch RetinaとMacBook Pro 15inchの2台をTime Capsuleに接続(MBP 15inch×2なんて、なんて羨ましい!!)。TimeMachineの設定。プリンタを無線LAN経由で接続。2台からテストプリント。テレビの動画配信を確認。最後にWindows PCの接続を確認。すべてOK。
19:00からイタリアレストランで御相伴にあずかる。先生が詳細をFBにアップ。FBにアップされていたピザをはじめ、すべて美味。おいしい。ほろ酔い+設定がうまくいった = 饒舌 の語り口になってしまったのは反省点。ホント、楽しかった。食事しながら先生と奥様に対する僕からの距離感を測定していた。言葉でない部分。肌の感覚や表情、笑い声、手の動かしかた、身ぶり、食事をとりわける仕草、そういった「言葉でない要素」が距離感にとってとても大切だ。とてもとても大事。
それらを意識して認知しようとても膨大な情報量になるから無理だ。どれだけ自然体になって全身で察知するか。それを全身に記憶できるか、と僕は勝手に思っている。それぞれの反応をあとからひとりで反芻したとき、自分の失態や失言、喜びや愉しみなどをフィードバックできる。
帰宅後、興奮さめやらぬ。この興奮のあとにやってくる凹みがコワイ。だからリズムを均衡にゆっくるもどしていく。少し時間はかかりそうだ。
-
下手なインタビューは相手の怒りを買う
2012.07.31 晴れ
[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=QJO3ROT-A4E]
今朝は One Direction – What Makes You Beautiful でスタート。5人組らしいけど、日本ならどんな位置づけなんでしょう。アイドル? 某巨大音楽会社の稼ぎ頭? ついつい「英語」だと夢想してしまいがちですが、自国の座標軸と比較できたらイメージしやすくなるね。
第三十五候、土潤溽暑。陽炎立ち上がり。アスファルトの熱気。いくつかの銷夏法をためしたところで焼け石に水ではあるまいか、とくじけそう。緑ますます濃く、蝉が鳴き始める。蝉も暑かろう、昼に鳴き声は聞こえない。
苦瓜を買いチャンプルで食す。あぐー豚と炒める。食材がそろえば炒めたらよいのでありがたい。フライパンの熱気には閉口するが。味付けはだしとめんつゆ。
午前中、M先生のサイトを制作。少しはやめのランチをすませ正午過ぎに出発。Kさんと営業。また同行してもらった。今回は滋賀の遠方だ。
14:00すぎに拝顔して15:15頃に終了。自分の稚拙なインタビューにため息。もっと深く掘りたかったが、だめだった。掘り出すための最適な質問を思い浮かべられなかった。想定していた質問と定型の質問は投げかけられても、それらが紡いだリアルタイムの回答から重層的に展開できるキーワードや文脈を見つけて質問を繰り出せなければ、良質なインタビューにならない。
今回のインタビューは「お話しを伺った」だけになってしまった。Kさんにも申し訳ない。合間に何度か質問をはさんでフォローしてくださった。フォローしなければならない情況を僕がつくってしまってはダメ、Kさんは観察に徹してもらわないと。あとから観察の結果を伺う。周囲を焦らせている、話に臨場感がなく、停滞しているから傍観者がフォローを入れなければならない。
17:00まえに京都駅に到着。30分ほどお話しして、Kさんは次の会合へ。Kさんの人脈づくりに感服。僕には到底まねできない。Kさんの言動から人脈の価値と威力を痛感する。人脈を形成するために東奔西走する姿をおりにふれ拝見してきた。経営者はKさんがいれば心強いし、安心できるだろう。
大企業や官公庁と違って、人脈の形成に雛形やシステムはない。洗練された「やり方」はない。中小企業や小規模の組織は暗闇の中を自分の感性を頼りに探し回り、自分のスタイルを身につけなければならない。だけど、周りはそう見ない。レールが敷かれていて、レールの上に自分をのせれば、あとはお客さんのもとへ連れて行ってくれて営業できる、と思っている。だからレールが敷かれていないと認識したら、「システムがない」「拠点がない」「組織的な営業ができない」を連呼する。もとより「組織的な営業」は幻想だと思う。
父親が某大手の生命保険会社の営業をやっていた。定年退職してからほんとうの営業の話を聞いたとき、営業の地獄と真髄を知った。紹介やルートセールス、飛び込みでもない営業。ほぼ無から自分の才覚ひとつで「拠点」をつくりあげる営業。売上の中核を担うように拠点を育てる営業。
Kさんはサバイブできる。氏のような仕事のやり方を身につけていらっしゃる方は、才覚と人脈と技術の3つを携えて組織の栄枯盛衰にかかわりなく生き残る。反面、僕の生き残る能力は低い。これからでも遅くないと信じて身につけていかなければならない。
“友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学” ロビン ダンバー がAmazonから到着。ダンパー数のお話し。楽しみ。僕はFacebookで自分から友達申請していない。仕事だと思っているので、Facebookの「使い方」を学ぶためにアカウントを持っている。もともとリアルな友達がいないから、申請してくださった方々だけの友達でおさまっている。極めて少ない数。
Facebookのあちこちのアカウントをうろついて眺めていると、ダンパー数を超えた人が多数いらっしゃる。どうやってタイムラインをコントロールしているか不思議だ。タイムラインをコントロールするための時間も結構必要なんじゃないかと想像したり。
否、そうじゃなくて、仕事じゃなくて、楽しむためなんだから、と想定を書き換える。制御しなくてよい。タイムラインのすべてに応答しなし、目を通していないかもしれない。「いいね!」のキャッチボールが楽しいのかも、とか想像する。仕事の「目線」だけでFacebookを観察していたら仮説はあらぬ方向へ向かっていく。気をつけよう。
-
傍観者
2012.03.29 晴れ
今朝はSalyu – 青空でスタート。あなたを足さないとね私は空っぽ、てとこがお気に入り。空っぽになれるならなりたいなぁ。空白を空白のままにしておけないのが人の性。
昨日に続き胃と頭が痛いので絶食。昨日の夕食から絶食して水分だけ補給。朝食、昼食もたべなかったので三食の絶食。午前中、悶絶。13:00ごろからようやく胃が落ち着いてきた。めちゃくちゃな自己判定の自分だけの療法なんだけど、身体が不調のときは何も食べず水分だけ補給して身体をじっとさせてやすめるようにしている。
14:00からC社のH氏とウェブサイトの打ち合わせ。数個の現象を認識。認識した現象の内容を再生して自己検証してみよう。話題が少し脇道にそれたとき、歯科医院の自説について論じ合う。いまから大学をめざす、あるいは通学してらっしゃるかたは、歯科医院を開業するにあたりゆるやかなリンクを考えてもよいのでないかと思う。ふみこめば資本提携が視野にはいる。業態の進化もある。女性の歯科医師を意図的に増やしている施策についてH氏から伺ったとき、自説を修正した。自分に素直になったとき、医業と経営の分離を勘案してもよいタイプの人もいらっしゃると想像する。
16:30で終了。いっしょに大阪へ。電車のなかで仕事とちがうお話しを伺い胸が痛んだ。偶然は人に激烈な痛みを与える。痛みは肉体のみならず。精神にも及ぶ。不可知論に近い私だけど残酷な仕打ちがあるなと辛かった。祈り。
大阪駅で途中下車。ソフマップでサーバ用のメモリを購入。4GB×2=8GBが3,500円なり。おそろしい時代になりました。FBでふれたが、先日購入したHP製のなんちゃってサーバが22,800円。先日、アップルストア心斎橋からピックアップしてきたMacBook Pro(late 2006)の修理代は40,950円。感慨深いものがあります。
19:00からF先生と打ち合わせ。診療のシステムを再構築。K先生とTさんも参加。素人の私が理解できる内容で助かった。フローチャートを明確にできる手応えあり。あとはドキュメントの作成とツールの整備。ユニークのシステムとは誰がやってきても理解できる環境である。特定の人にだけ通用する排他的なロジックではない。
F先生のおっしゃる環境のお話しが好きだ。
環境を整備しなければ人は能力を進化できない、と僕は思う。(環境の整備に苦心しているのに)こちらが想定しているような進化が見受けられない現象はある。とはいえ環境整備を怠っているのに能力の停滞の原因を当人の技能に置換して他罰的にふるまう傾向が強い、と昨今の世相から感じる。
ユニークのシステム構築は長い時間を費やす。極めて大きい労力を要する。おまけにオリジナルのコンテンツを育てていなければユニークなシステムは生まれない。
21:00に終了。それから4人で食事へ。音について少し盛り上げる。隻手音声や誰もいない森の中で木が折れた音、そして人の声。9年前、はじめてF先生の医院へ訪問したとき、静かな院内に驚いた。いまは少しうるさくなったとおっしゃっていたが、僕は静かだと認識している。ただ、静かでも質感が違う医院はあると思う。
静かにも心地よい、ゆったり、くつろげる、はりつめたなどの静かがあれば、不気味、そわそわさせる、圧がかかる、人をよせつけないなどの静かなどもある。
僕はできるだけ科学を拠り所にして事象を判断したい。でも、上に書いた「音」に対する記述はオカルトと批判されてもしょうがない。自分の場合だと、「音」に対する受け止め方が音を生じさせる環境に対して嫌悪を判定させる。声に対する第一印象と似ている。
なんだかよくわからない察知ってあるんだろうなぁと思う。オカルトだと承知している。
東日本大震災の野蒜駅での悲劇。上下二本の電車の応対は180度違った。どっちが正しかったという問題じゃないと思った。上りの乗客の数名は亡くなり、下りの乗客は全員助かった。これも科学で説明できるはずだ。そう願う一方で、その「分け目」の判断の源泉はなんだかよくわからない身体の知性だと認識している。
そういう矛盾を「音」に対して抱いている。
環境と人は互いに刺激を与えて更新していく。「中にいる」存在の自己産出。「中にいる」存在は外部から観察する視点を所有しにくい。客観に近づく努力は怠らなくても、主観の「境界」を越えられない。
環境を閉じて内部だけ更新させてしまうとドグマに陥りかねない。他方、環境を開くとコントロールできなくなるかもしれない。僕は「中にいる」存在ではなく環境と人の更新を外部から常に観察して「状態」を伝達する傍観者でありたい。
-
MacBook Pro (late 2006) 15inchで外付けSSDを起動させました
MacBook Pro(late 2006) 15inchでSSDを起動ディスクに使いました。内蔵ではなく外付けです。
[構成]
- SSD: 『A-DATA 2.5インチSATA III(6.0Gb/s)接続SSD 60GB SandForce SF-2281コントローラ採用 AS510S3-60GM-C』 A-DATA/エーデータ
- eSATA ExpressCard: Vpower 2ポート eSATA ExpressCard
- OS: 10.7.2
前回は、MacBook Proの起動ディスクをFW800からeSATAへ変更です。
-
軽重
2011.11.26 晴れ
週末の寝坊はSteely DanやIncognitoがお似合い。Steely DanのPeg、Lyricsバージョンで軽めのブランチ。最高。
歩いて大津パルコへ。無印良品でお買い物。生成りの綿ボーダーTシャツを購入。2,980円の10%OFFなり。CoCo壱番屋で遅めのランチ。ライスは200gに減らして辛さは3で。外食が減った。イレギュラーなお付き合いをのぞけば、自らすすんでの外食は、ツキイチのココイチか大阪遠征のインデアンカレーぐらいか。ツキイチの外食でも母親に言えば「贅沢」になるでしょう。
大津パルコ、無印良品とユニクロとg.uとABC MARTは集客力ありそうだけど、それ以外の店舗はどうなんでしょ? ユニークやオリジナルな店舗は撤退している。いれかわってNEW OPENできてるけどね。
スーパーの売場が改装された。使い勝手がとてもよくなった。導線が改善された。通路が広くなった。商品のカテゴリーが整理されて関連商品が一カ所にまとまって買いやすくなった。特に通路が広くなったのはありがたい。周りを気にせず商品を見られる。
物理的に売場面積を広くできない。通路を広げて導線を改善するなら、何かを削らなければならない。決断が求められる。過去のデータから判断する。決断は未来に対して下される意思である。結果はあとから数字になって表れる。
*RICOH GR DIGITAL II *28mm f/2.4 歩道の柵がなければなぁ。この道路を通るといつも感じる。撤去したら危険だから実現不可能な要望。でも撤去されたら風景が変わるだろうなぁ。
殺風景と質素な風景は違う。空白があるとそこに何か埋めたくなる。空白があれば特売品や売り込みたい商品を置きたくなる。ひとつ置けば、二つめも置きたくなる。通路をどんどん狭める。
室内も似ている。物が置いてあるのに殺風景な院内と必要最小限の物しか置いていないのに心地よい空間の差異は、空白のコントロールだ。空白を余白のまま残しておける決断と空白を埋めなければいけない判断。決断と判断のマネジメント。
整理整頓はあるべき場所に必要な分だけあるようにすることじゃないかな。
正法眼蔵随聞記 六 十二 泉大道の云く
正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.362
法に軽重なし。情愛に浅深あり、とある。仏法において物に軽重はない。人間の分別判断と、好き嫌いに深い浅いがある。
執着しない。金玉と瓦や石ころとを等しく見る。これが「壁」だなぁ。この壁を取り除けない、否、はなから取り除く気がない。もう服は充分あるよ、って思っても2,980円の服を買っちゃう。本も読んでしまう。音楽をダウンロードする。それらを生活の潤いだって自己満足させて。
「執着」という概念そのものを自分の中から消し去る。単語としては存在するけれど、自分のなかでの概念としては存在しない、そんな状態を意味するのかなぁって言葉遊びする。
すごいや、やっぱり。
-
多言
2011.11.19 雨
[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=Nv-HdZmmIsE]
今朝はTHE COLLECTORSから”世界を止めて”で1日がスタート。はじめて耳にしたのはFM80.2のヘビーローテーション、1993年。衝撃でした。来年は1月の赤坂BLITZ, 2月の難波BIG CATで楽しませてもらいます。
朝から雨。今日は午後からO先生と打ち合わせ。雨は嫌だ。傘をぞんざいにあつかう人がいるのでこわい。傘が安価になったせいかな。ルールは守るけれどマナーは身につかない、ってフレーズをネットでみかけた。ある意味、正鵠を得ていると思った。他者からしかれたらルールは守れるけど、マナーは自分を律しないと身につかない、と自分のマナーの悪さを観察していてあてはまる。
12:00前の出発まで一仕事。M先生の広告物を制作したいのでまとまった時間を確保したいところ。この場合のまとまった時間って、10日間ほどで、その間は他の仕事を一切やらないし、一切考えない。
14:00から打ち合わせスタート。17:30終了。O歯科医院のアクセスログは、特徴があって他と比較できない。正直、わけがわからない。試行錯誤の解析。例外中の例外ケース。
先生から院内で配布するパンフレットの下地制作を依頼される。なんでだ。最近、ローカル環境の制作を相談される。なんでだ、と訝るし、なるほど、とも頷ける。いまの歯科医院の自由診療を記述しているサイトをいくつか見たら理由は思いつく。
勤務医の先生についてお話を伺い相談を賜る。教育と指導、そして敬意。前者の二つは上下の関係であり、後者は水平の関係と受けとめた。スタッフであるから医院の医療を実現してもらう。収益に貢献してもらう。そのための教育と指導。同時に勤務医の先生は医療人だ。医療人としての敬意を払う。先生のお話は奇を衒わず王道である。言い換えれば王道しかないって思う。
一般の企業の組織でも耳にする話。教育しない、指導しない。でも成績や成果に対して苦言を呈す。
終了後、ロフトで洗口剤のConCool F 100mlとお香の堀川を購入。書店で“失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)” プルーストを購入。
帰りは大阪駅で途中下車。心斎橋から長堀橋へ。くいしんぼ 本店で食事。粉もん禁断症状がピークだったのでモダン焼きを摂取して禁断症状をやわらげる。うまい、うまい。たこの塩焼きにびっくり。なんだ、このぷりぷり感は。これだけ美味いんだからしょうがない、服にまとわりついたニオイはがまんしよう。
ステキなお話と美味しい粉もん。ありがとう。
正法眼蔵随聞記 六 八 真浄の文和尚
正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.351
たとえ仏法のことであろうと人と議論したり言い争ってはいけない。人と言い争うひまがあるなら時を惜しんで学ぶがよい。
六の八は議論の無益を説く。仮に何度も問われてどうしても説かなければならないなら、それすらも三度の問いにたいして一度答えるほどでよいとおっしゃる。そして多言閑語は必要なし。
自分自身が多言であることを認識している人としていない人の差異はどういったふるまいに現れるだろう。私はというと、多言閑語のサンプルである。だらだらしゃべるし無駄話満載。簡潔に最適な分量で伝達する表現は、それ自体が芸術。
自分の皮膚感覚的には、五人以上集まって、一人が何かを話し始めて一分過ぎたら人は聴く意識を急速に低下させているみたいだ。これは仕事での感覚。会議で5分も話せば演説である。プライベートな集まりだとまた違うだろう。
-
悪口
2011.11.18 曇のち夜半雨
[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=d5YWiyrWavs]
今朝はSuperflyからAIN’T NO CRYBABYでお目覚め、一日がスタート。身が引き締まる声。室内の寒さを吹き飛ばす。
第五十七候、金盞香。疲れたら山芋をすりおろして食べる。効くのかどうか知らない。言い伝えを疑わず、儀式みたい。習慣っておもしろい。
Googleで「人格 性格」と入力した。続けて「 違い」が自動的に表示された。親切だ。人格と性格について専門家の解説を聴きたい。人格攻撃というけれど性格攻撃といわない。人格障害はあっても性格障害といわない(私の周りでのお話)。人格は攻撃の対象であり障害を被るが、性格はそうではないらしい。
あなたの長所と短所について教えてください。そう問われたらどう答える? 長所は腹七分目で食べています、短所は禿げてます、と答えよう。そういうことじゃない、おちょくっているのか、と逆鱗に触れる。
長所と短所。ひとつの事実に付随している行動パターンにすぎない、と私は思う。コインの表と裏だ。みんな一枚のコインを持っている。目の前にいる人のコインは私に対してどちらを向けているか? 長所が向けられているときもあれば、短所が向けれられているときもある。
長所と短所は等しい関係だ。そう認識している。なのに長所はプラス、短所はマイナスのイメージを持つ。倫理や常識やらが持ち込まれるからだ。一枚のコインは分けられる。長所は1万円に、短所は1円に。10人中9人は1万円を選ぶ(はず)。
倫理や道徳や常識という価値判断の基準が、長所と短所を優劣と好悪の対象に変えてしまう。愚かなことである。そう理解している。していても、人の短所を垣間見たときのドロッとして湿った気分はコントロールしづらい。あれ、どうして短所と判定してしまうんだろう?
問題が起きる。原因がシステムやプロトコルのエラーではなく、当人の長所と短所だとしたら。はたして問題かな? 問題の原因は当人の言動だと10人中10人が認定する。そして言動の根本は当人の人格か性格に起因しているとしたら、それは問題に設定できるだろうか? くわえて当人自身が己の「行為」と「言葉」について自己認識できていないとしたら? 問題の前提が存在しない。
私にも自分で認識していない長所と欠点がある(はず)。周りの人は見て見ぬふりをしているか、嫌な思いをさせている。運が良ければ誰かが忠告してくださる。それでも認識できずに改善できない「行為」と「言葉」はある。
人の振り見て我が振り直せ。では人の振りが想像を絶していて、理解不能であり想像の埒外だったら、我が振りを直せるだろうか。そんなふうに考える。自分の持っている「短所」のコインが、満場一致の致命的な欠陥だとしたら…….。とてもこわい。だけどそれはあり得るんだ。
16:00前に出発して大阪駅で途中下車。パソコン工房でHDDの価格を見て度肝を抜かれた。世界がリンクしている実感。頼むからいまHDDは壊れないでほしい。ただひたすら祈る。19:00からM先生のミーティング。20:00終了。困惑の連続。
正法眼蔵随聞記 六 七 ふるく云く、君子の力牛に勝れたり
正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.349
悪口をもて人を云ヒ、怒目をもて人を見る事なかれ、とおっしゃる。他者より知識がすぐれていても議論すべきでないし、口ぎたなく人をののしってもいけない。怒った目で人を見てはいけない。
さらに最後の一文にまいった。誤読しているかもしれない。いまの世間の人は財宝をたくさん与えて恩を施しても、怒りをあらわにして口ぎたなく非難すれば必ず手向かう心をおこす、と。非難と悪口は自らの評価をおとしめる。他者にかなりのストレスを与える。
そしてもっとも恐ろしい点は、非難と悪口を言っている自分を私自身が認識していないこと。こう書いていても、自分が悪口を言っている自覚がないと想像しただけでゾッとする。