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  • 試食

    2011.01.17 晴れ

    起床してカーテンをあける。暗闇。時が少しもどった。真っ白の雪。既視感。大晦日へ遡ったみたいな。正月と違うのは人々の様子と格好。黙々と歩く。笑顔は少ない。ゆっくり歩く。ころんだらタイヘンだ。

    F社のサイトを設計する。おぼろげなイメージがわいてきたが、移行というか現在のサイトからの変更が難しいなと思う。どうすればスムーズに一新できるだろう。

    週末のスーパは試食コーナをあちこちに設置している。「入店許可証」を胸につけた方々がピザやソーセージ、パン、粉モンとか作っている。なかでもピザは人気が高い。

    試食の様子を眺める。パターンが浮き上がる。アバウトな雑感。ピザを試食する人はピザを買わない(絶対ではありません)。食べてニッコリ、おしまい。なかには家族の食事なんだろな的アタタカイマナザシを差し上げたくなる。買い物カゴに入れる人は試食をしない(絶対ではありません)。試食のあるなし関わらず買う。比率は8:2の法則と思えるほど。試食のコストは原価に含まれている(はず)。2割の人が8割の人の試食コストを支払っている。おもしろい。8:2の法則は眉に唾を塗るぐらいがほどよいけど、ざっくりしたパターンってそんな感じなのかなとも思う。

    『フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略』 クリス・アンダーソン の一節にある。

    商売で使われる<無料>には多くの意味があり、それを使ういろいろなビジネスモデルがある。無料とうたいながら、本当はそうでないこともある。たとえば、「ひとつ買えば、もうひとつはタダ」というセールス文句は、ふたつ買うと半額になりますという意味だ。「フリー・ギフト(おまけ)つき」は、商品の中におまけのコストも含まれている。「送料無料」は、商品の価格に送料が組み込まれている。

    もしろん、本当に無料のときもあるが、それは新しい経済モデルではない。「無料サンプル」は単純なマーケティングの手段で、商品を紹介すると同時に、サンプルをもらったというわずかな負い目を消費者に抱かせて、商品を買う気にさせることを期待している。

    フリーペーパーを僕は無料で手に入れる。掲載されたお店で何かを食べる。代金はフリーペーパーの広告代を含んでいる。そういうマーケティングがいたるところにある。無料サンプルのコストも同じ。

    類似モデルは有料にもある。スーパーの価格をチェックしたらよくわかる。5%OFFの日の商品は総じて高い。5%OFFの恩恵を実質的に受けられる商品は限られる。

    このサイトでも無料で閲覧してもらっているが、実際にはリンク先のアマゾンのアフィリエイト経由で購入してもらうことや右横の広告をクリックしてもらえることを期待している。

    そしてその広告を出している企業は商品に「クリック代金」を含んでいる。

    価格の中には「見えるもの」と「見えないもの」が含まれている。常々思う。誰かから価格を与えられるのではなく、自ら価格を決定できるようになる、しかもその価格が「絶妙」であれば、仕事したなって気分になる。

    したな、って気分はまだまだ少ない。

  • 集合

    2010.01.05 晴れのち曇り

    07:00すぎに目が覚める。それほど寒くない。結露もひどくない。変な感じだった。このまま寒くないのかなと油断したら10:00頃から寒くなってきた。朝よりも日中が寒く感じた。 変な感じ。

    終日、O先生のサイト制作。シンプルをコンセプトに制作。足したい気持ちをぐっとこらえる。シンプルであればあるほどデザインとルックスが難しい。スカスカになったり、のっぺりしたり。ちょっとアクセントが必要だ。デザインは制作の前のレイヤだから、あともう少し考えなければ。

    13:00頃、クロネコヤマトへ配達をお願いしたついでにイオンの食品売場へ。人が少ない。びっくり。火曜日なのに。火曜市なのに。さては、正月に出費がかさみみなさん買い控えか、いやいや、正月に売れ残りセールでもやったか、と思いを巡らし14:00前にもう一度売場へ。びっくり。人だかり。まるで14:00にイオンへ集合みたいな。なぜ? 理由を知って納得。10年目にして初めて知った事実。みなさんよくご存じで。お買い物上手。

    2010年の領収書を貼るスクラップブックを買おうと文房具売場へ行くと、『コクヨ スクラップブックS A4レザック  ラ-410R』 コクヨ [to Amazon] がない。毎年使っているのでショック。帰宅後、Amazonでチェック。ある。やっぱり。数年来よぎる感覚。価格がわずかに高くてもAmazonで購入した方が便利、という感覚。書籍以外で生活用品や電化製品、PC周辺機器が増えた。クレジットカードは1枚に集約しているから、ポイント換算すれば価格差は気にならない。段ボールが億劫なだけ。イオンや大型書店は危機感を持っていないだろうなぁと観察。持つ必要もないだろうし。

  • 杜撰

    2009.12.17 晴れ

    昨日、12月に入って一番気合いを入れた朝だった、と書いたら間違いだった。今朝だった。というのも間違いで明日の朝かもしれない。寒い。寒さが安定するとよいが、不安定だと躰がつらい。心配だ。何ともなければよいが。

    午前中、F社のページを公開。M社のサイトを改修してアップ準備。夕方にはアップできると見込んで仕上げていく。メールサーバの調子がおかしかったのか、着信が遅かったようだ。関係者各位へ返信でお詫び。

    セブンアンドアイのサイトがネットで話題にのぼっている。新聞は報道していないので深刻だと受け止められていないみたいだ。新聞は事件か事故を報道しても事態を報道できないか、あるいは、技術的な問題を理解できないので報じないか。もし、自分がここのサイトを利用していたら、個人情報を即刻削除する。そして、クレジットカードの利用履歴を数ヶ月ほどちゃんと確認しなければならない。

    ネットの場合、大企業だから大丈夫だ、とか、大企業は大企業の仕事をしている、と判断してはいけない。とても不思議である。おそらくネットのシステムを開発するとき、最優先事項がコスト削減だと想像している。しかも、そのコスト削減は、ひたすら安くとにかく安く開発しろ、というニュアンスのコスト削減である。だから、杜撰なシステムが構築される。時にはベンダの責任はある。今回のセブンアンドアイのサイトはベンダではないと観察している。なにせ内製と宣言しているらしいから。

    あまりに杜撰な管理であり、サイトへの対応だと思う。プロのクラッカがセブンアンドアイのサイトを見つけたら、手間いらずでぶっこぬけるレベルだと思う。極端な反応と理解した前提で書くと、もうこの会社で買い物したくないし、個人情報を記載するような書類を記入したくない。ただし、大企業だから関連会社まで調べて回避するまでできない点は口惜しい。

    不合理な安価と納得の安価、不合理な高価と納得の高価、これらを見極めることは難しい。激安スーパの裏で誰かが亡くなっているなんて想像して買い物しない。それを見極めさせる想像力を求める風潮が現れてきたということか。

  • 制裁

    2009.08.09 雨

    07.08起床。自己覚醒法の効果が薄れてきた。夏季休暇だと一度判断したら脳はモードに突入するのか。それとも念力が足りないのか。おもしろい。まだまだ観察を続けよう。

    台湾を直撃した台風8号の影響で、強い雨と弱い雨が交互にやってきた。今夏は災害が多い。地域、しかも狭い地域に被害が集中する。選挙や狂騒のなかで孤立感が深まらなければよいけど。

    iPhoneで青空文庫を読む。DSより読みやすい。ほぼ乗り換えた。アプリはi文庫を。あと、stanzaもインストールしてる。翻訳や海外の文庫、PDFでも読めるので便利。ネットで調べていると、海外の電子書籍の出版数は、ムーアの法則より速い。日本は携帯小説や携帯向けのエッセーなどは伸びているものの、鈍い。おまけに価格が紙と同じ書籍もある。要因は? 書くのもバカらしい。旧態依然のシステム。

    自分に合わない、期待と違う、好みだったものをかけ離れている、といった理由を自分に言い聞かせて、あるいはそう処理して新しいものを拒否する。認めない。自分で決めこんだ場所に留まりたい。安心できるから。そこから脱出することは難しい。また脱出する必要もない。

  • リース

    2009.07.015 晴れ

    暑い。蝉が鳴き始めた。今日も朝から暑い。汗がじんわり。朝からS社の記事3本を作成してメール。それで午前中は終わった。

    昼食はあんぱん1個。パンを買ったついでに本屋で『僕は秋子に借りがある〈森博嗣自選短編集〉 (講談社文庫 も 28-41)』 森 博嗣『どちらかが魔女〈森博嗣シリーズ短編集〉 (講談社文庫)』 森 博嗣『下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫 う 58-1)』 内田 樹 を購入。下流志向は単行本で読んだけど再読もかねて。前2冊もそれぞれ短編集で読んだしね。まぁ、3冊ともお布施のような感覚。

    お昼にKさんから電話があって近畿圏外のお客様を紹介(正確には紹介じゃない、とこっちは認識)していただいて、さっそく電話。代表不在。夕方へ。

    お昼からS社の別ページを作成。進捗率20%。こりゃぁ、たいへん。あと、O先生の案件をリサーチ。何かよいサイトがないか検索しまくる。

    夕方、もう一度電話。代表から状況を伺う。サイト制作費をリース料に変換したビジネスモデルの話。それを展開して成長している会社からの営業。結構な規模の制作会社。5年総額約150万円。金額は高くないけど(第三者は高いと忠言したらしい)。先方の営業姿勢がアンフェア。代表は疑心暗鬼に。で、こちらへお鉢が。電話であれこれ質問。サイトイメージなし。カタログ的サイトのニュアンス。それでは、リースのビジネスモデルを適用すると、費用対効果は最低と評価。

    結局、こちらがお断りした。あっと、紹介していただいた手前、こちらがピエロになるよう話を持っていき収束へ。Kさんへすぐさま電話して事情を説明。先方への非礼をお詫びした。ほんとにごめんなさい。そのへんは貫き通したいコアなんで。でも、お金と背に腹は代えられないし。うろうろ。ビジネススタイルとビジネスのバランス、に悩む。愚かな悩みだよ、ほんと。もうフリーランスになって5年なのにガキのまま。

    夕食はわけあってカレを食べに行く。二日連続。毎日OK。キーマカレ、とてもうまかった。ナンのでかさに絶句。こいつリアクション芸人ってインド人から思われたかも。

    政治は前回の解散からかなり醗酵した感じ。おいしいのかまずいのか知らない。ほんとに混乱してるのか、混乱しているような印象を報道が与えているのか、相関関係をつかめず。報道OBは民主党系。組織(ちょっと一般のニュアンスと違った)OBは自民党系。もうすぐ投下されるのか、投下されたらカオス理論を楽しめそう。解散したら特権ないし。どこまで手のばすんだろ。

  • 勧懲

    2009.06.16 晴れ夕方雷ちょっとだけ雨

    梅雨はどこにいった。暑い。地熱によって水蒸気が吸い上げられ入道雲が発生しやすい気候。昨日も夕方怪しかった。今日も夕方怪しいらしい(結局、夕方ものすごい雷が鳴った)。

    朝、M先生のWPをアップグレード。無事完了。ほっとした。CMSのバージョンアップは緊張。手順に従えばスムーズだけど、異常が発生したとき原因を特定しづらい。F先生のTypePadの不具合を各員。問題なし。よい感じ。

    F社のアクセスがのびている。セミナ効果。セミナの前後はやっぱりアクセスがのびて、その後、増加傾向になる。連携で相乗効果を生みだす。パンフレットとサイトを同じにしてもシナジーを得られない。それと同じ。

    昼食はパスタ。昼からMacBook Proの環境整備。Express CardからSATAで起動してLeopardへ移行する予定。少しずつ進めよう。Cardは入手済。さて爆速か否か。爆速なら買い替えサイクルが長くなってありがたい。

    E-P1が発表された。すばらしい。技術革新。心意気。こういったイノベーションがユーザの知覚へ刺激を与える。グラフィカルな要素とデザインが尖った逸品。欲しいな。PENTAXのシステムから移行するつもりじゃないけど、セカンドシステムを構築したい。

    勧善懲悪という概念はいつ頃から発生したのだろう。日本特有か、あるいは西洋にもあるのか。アジアは。思考が腐敗したような言説が蠢動し、平等のポジションへ引きずり込む。知る権利を放棄している者にとって知りたくない情報を遮断しにくいようだ。

    もう前半が終了しようとしている。今年は厳しい。続けたいけどいつまでもつか。体力勝負。転換しないと。視点のパラダイム。発想のシフト。自負。自信。謙遜。キャピタリズムとの距離感。

    夕食はかつおのたたき。タマネギとネギ、ショウガとニンニク、ワカメをたっぷり入れた。トマトとキュウリ。最高の食卓。うれしかった。

    夜は『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』 トム・ケリー, Tom Kelley, ジョナサン・リットマン, Jonathan Littman『イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材』 トム ケリー, ジョナサン リットマン を再読。つまみ読み。おもしろい。

  • ヒラリー・クリントンの言葉から地球温暖化が見えてくる

    「地球温暖化は史上最大のビジネスチャンスなのです」

    エタノール推進法案を反対した彼女は、今やエタノールへと飛びつかんばかり。トウモロコシ農家は食料ではなくバイオエタノール燃料として出荷。「儲かるからだよ」と微笑。

  • 同じ仕事をしても賃金は減るよ

    中高年が労組結成 定年後の不安定雇用に団結して対抗へ

    この日加入したのは約20人。都内の印刷会社に勤める男性(59)は再雇用後の賃金は半分程度になる見込み。「同じ仕事を行うのに、賃金の大幅減はおかしい」と憤る。

    「現場」を知りませんから批判するのも卑怯でしょうけど承知の上で。同じ仕事を行うのに、賃金の大幅減はおかしいにしっくりこず。

    前提をかえれば、「新しく提示された賃金が(今までやってきた)同じ仕事の対価」だと考えないのだろうか。そう考える立場の人もいると。で、「対価」と書いた。まっ、「賃金」と「換算」しているわけで。すでにそこに断絶が。これ以上は野暮というもの。

    「団塊」キーワードの商売は健在。書籍は玉石混淆。で、けど、あれです、アレ。団塊が「団塊」を語ると共通項が露わ。主語は「私」の団塊。私たちの困窮や被害だけを訴えて、団塊が先代と後代に与えている影響をカウントせず。

    私は第一次ベビーブームから生まれた第二次ベビーブームの世代。父親に対峙すると、ひとりの親と団塊、プライベートとパブリックな空間。パラドックスが透かし見えてイヤ。父親へのリスペクトと団塊への蹂躙。

    そのパラドックスから学んだの3つ。

    1. 他責せず自責であろう
    2. 世代への責任転嫁を拒絶しよう
    3. 思考停止に震えよう

    このテキスト全体が自己言及の矛盾。それに苦悩する日々。

    団塊格差 (文春新書)

    団塊格差

    団塊漂流―団塊世代は逃げ切ったか (角川oneテーマ21)

    団塊漂流―団塊世代は逃げ切ったか

  • 貧乏は正しい

    貧乏は正しい! (小学館文庫)

    “外”を知る前に、「外があるという現実」を認める作業が先にたつと思う。「認める」があって「知る」がくる。が、ひょっとすると私は”外”を「認めて」も”外”を「知る」ことが永遠にできないのかもしれない—–と自覚してしまうのが私の恐怖。「”知覚する私”を認識する<私>」を無限環に陥らずに設定できるのだろうか。

    つまり、その中で充足している人間は、”外”のことなんか考えない。考えないから分からない。自分とは関係のない”外の発想”で、そこに充足している自分自身を切るなんていう、つまんないことはしない。その内側で充足している人間は、自分を充足させてくれる”内側の基準”でしか物事を考えないんだ。

    […..]

    自分自身の基準に満足して、自分自身を勝手な基準で割り切っても、全然平気でいられる。自分自身にまつわる物事が複雑になって、「自分一人の基準ではもう割り切れない」と思った時、人間ははじめて、その充足している”内側”から出ようとする。内側から出て、慣れない”外側”の心細さに耐えかねて、改めて失われてしまった”内側の安らぎ”というものを、求めたり、再構築したりする。

    しかし、一度”外”というものを知ってしまった人間には、もうかつてのような”自分一人で充足出来ている完全な安らぎ”というものは、訪れない。なぜかといえば、一度”外”に足を踏み出そうとした人間は、もう”外”という、自分とは異質な世界があることを、知ってしまっているからだ。

    臆病な人間は、だから、その”外”というものを知ることによって生まれてしまった。、不安というものをシャットアウトしようとして、内に深く深くこもろうとする。まともな人間は、”内”と”外”との二つある基準の中で、なんとかしてバランスを取ろうとする。落ち着いているのはどっちだろう?落ち着かないのはどっちだろう?

    “内”と”外”との間で、ゆらゆらと揺れながらバランスを取ろうとしている人間の方が、もちろん、落ち着かない。ともすれば揺らごうとする自分を、「危ないんじゃないか?」とも思う。でもしかし、本当に危ないのは、”外”の存在を知っていながら、その”外”を拒絶して、架空の”内”に安定してしまった人間なのだ。

    『貧乏は正しい!』 P.178-179

  • 街場の現代思想

    街場の現代思想 (文春文庫)

    筆者は本ブログに何度もご登場いただいている内田樹先生。先生の著作を最新から処女作へと目下読み漁っている。そして幾度となく読み返している。同一図書を二度、三度程度読むというのは今までもあったが、枕元において焼酎のつまみに何度も読むのはおそらく初めてではないだろうか。

    ただし、”勉強になる””面白い”などと感想できる知性を愚生は備えていない。にもかかわらず、水を飲むように吸収できまいかと蛮勇をふるいページをめくる。が、推して知るべし、門前払いを喰らい、己を痛めつけた痛快さが五臓六腑に染みわたる。そんな知の堆積である(うん?自分でも意味不明な例えになった)。

    「勝ち組・負け組」ならぬ、生まれついての「バカ組・利口組」という、身も蓋もない「新しい階層社会」が出現しつつある!この事態を避けるためには、流動性の高い社会、すなわち「プチ文化資本家」たちが多数を占める「文化的一億総中流化」社会を目指すべき。本書の前半では、「おじさん内田」がそうした社会の「仕組み」を解説、後半では人生相談式で、「街場の常識」を読み解いていく。給与、転職、ワーク・モチベーション、結婚、離婚、言葉遣い・・・。身の回りの根源的な問いが、初めて腑に落ちて納得できる本。

    『街場の現代思想』

    内田先生が執筆している書籍のうち数冊は、ウェブサイトの日記の焼き直しである。本書も前半部分がそれに該当し、毎日読んでいる方なら、一度は目にしていると思う。にもかかわらず色褪せた感じがしないところに引き寄せられる。

    魅了される理由を愚考すると、主題が首尾一貫して「首尾一貫していない」という特徴を挙げられまいか。『街場の現代思想』という書名は、範疇が広すぎて一見なんのことかわからない。内容も多方面に予告なしに東奔西走する。

    察するに何か一つの主題を扱うのではなく、眼前におきる社会現象を、専門のフランス現代思想・映画論・武道論などを駆使して淡々と「思想」していく。加えて批評性を備えたその思想へ到達するための着眼点が構造的だ(と思う、わかんないけど)。

    「文化資本」には、「家庭」において獲得された趣味やマナーと、「学校」において学習して獲得された知識、技能、感性の二種類がある。 家の書斎にあった万巻の書物を読破したとか、毎週家族で弦楽四重奏を楽しんだので絶対音感になってしまっとか、(中略)家のギャラリーでセザンヌや池大雅を見なれて育ったので「なんでも鑑定眼」が身についてしまった・・・・・・などというのは前者である。気がついたら「身についてしまっていた」という意味で、これは「身体化された文化資本」と呼ばれる。同P.18

    では、後者の文化資本とは何か?それは、後天的な努力によって獲得した文化資本であり、学歴・資格・人脈などが該当する。これを「制度化された文化資本」とよぶ。

    (さらに…)