タグ: crisis

  • 語彙を食べて知識をダイエットする

    2013.04.14 晴れ

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=Nv-HdZmmIsE]

    ザ・コレクターズ – 世界を止めて でスタート。関西のライブでこれを聴けるとやっぱり嬉しい。ヘビーローテーションの時代へ一気にトリップして過去とまぐあい、現在の分岐点、「もしも」はどこにあるのかややアンニュイで、箱のなかでビールをぐびぐび。

    それなりに「スペース」はできちゃったけど、自分的にはほどほどスペースあるほうがカラダゆらゆらできるから楽しい。今回のライブもよかったー。

    金曜日に資料が届いたので入力に追われる週末。入力違いに周囲を払って集中する。常時接続人間から常時非接続人間へ、とさえずった。

    さらに………. 常時非接続のなかにいたら、顔から太陽よりも熱そうなものがでるぐらい恥ずかしい言葉が生成されて、それらを捨てたらあかんし、丁寧に育て、心の 抽斗へしまい込み、気持ちの衣替えとあわせて時々ドキドキしながら贈り届けたいんやなって感じたミナミのライブ 、とさえずる。

    言葉が生成される。ただしまだ自分だけが理解している状態。もしくは言葉はばらばらになっていて、頭のなかのイメージに合わせられるような言葉をばらばらのなかから拾い集めている状態。誰かに届けられる形になっていない。

    あることを説明するとき、語彙を駆使して相手に理解してもらえるよう努める。語彙を組み立てても説明できないときがある。

    組み立て方を変えるが相手も私も頷けない。語彙の組み立て方が間違っている。語彙が足りない。新しい朝、ならぬ、新しい「語彙」を獲得して新しい「組み立て」を発見しなければならないと思う。

    コレを書いているコトがそう。意味不明なままキーボードを叩いている。浮かんだ単語をつなぎ合わせているだけ。頭のなかにある映像や残像、画像、単語などが、どんな過程を経てひとつの意志、意見に形成されていくか、を説明できない。

    大阪城

    ワカラナイを伝達する難しさは、このへんにあるんじゃないかな? 誰かと話しているとき、プログラムのエラーと同じように伝達してくれたらありがたい。あっ、わかってもらえなかった、ってはっきりする。目の前の人がいかなる理路を辿って会話を理解しているかなんてわかるわけがない。

    ワカラナイを伝達してほしくても、何がワカラナイかワカラナイ、ではなく「私がワカッテイル点を他者はワカッテイナイと認識している」事象もある、と推量する。

    私が理解している点を、他者は「あなたは理解していない」と認識している。そういうとき、「ほんとう」に理解していない、みたいなコメントが付与される。この「ほんとう」がホントやっかいだ。

    他者に対して私と同じ理路を辿って理解してほしいって期待はない。まったくない。どうにかこうにかして他者が持つ自身の理路を辿って、私が希望する着地点、待ち合わせ場所の「近く」まで到達してくれないかなって淡い気持ちを抱いている。限りなく淡い気持ち。

    自分の知識を増量させたい動機で語彙を獲得するより、他者の理路を知りたい動機で語彙を獲得するほうが、語彙の拡張性が高い、みたいな印象があり、使い回しがきくと思う。

  • 同じ「ネタ」なのに業界「内」は見抜けても業界「外」は見抜けない

    2012.01.18 晴れ

    今朝は東京事変の”生きる”でスタート。大好き、ってか好きって言いたくない刻み続けたいナンバ。解散が残念。「孤独と自由が首を絞める」って最高だよ。

    Facebook, Twitter, Flickrなどを更新せず。ブログも更新せず。理由はなぜWikipediaは停止するのか――SOPA抗議活動をひもとく - @ITです。よその国の法案に賛否を唱えてもしょうがないけれど、まぁ参加してみようと思って更新停止した。RSSの取得も控えて業務に差し障りのない程度にネットにアクセス。

    依存症。ネットに接続しない時間と比例して不安定感が増幅。不安定といっても誰もやってないことにチャレンジしているやら舗装された道路ではなく獣道を歩く、やらの不安定じゃなくて虚無感に近い。投資の不安定に対して消費の虚脱感。そんな感情がずっと起動していた。二元化すれば、チャレンジがポジティブな不安定ならジャンキーはネガティブな不安定。

    01/15(日)の東京では、22:00すぎから30分程度のネット接続。こだまに乗ってから日中ずっとソワソワしていた。接続できてTLやRSSが流す「記号」を見た瞬間、現と夢の往来の狭間に落ちていって、落下の速度感がもたらすトリップでクラクラ。

    情報の断食が必要かも。

    第六十九候、雉始雊。国鳥。食用にも重宝された(る?)。白い雉は祥瑞として献上品である。鳥の求愛はおもしろい。鳥の純粋な生殖行動はアートに見えて、愛情表現を置換した人の生殖行動はポップに見える。

    ステマが話題になった。厚生労働省は美容整形や脱毛、脂肪吸引などを行う医療機関のホームページを規制するらしい。HPの宣伝を規制する指針を平成24年度中に策定する。方針の内容は、限られた成功例を強調する施術前後の写真や患者の体験談を掲載できなくすると報じている。

    歯科医院はどうか?

    クロ現がインプラントを取り上げた(NHK生活情報ブログ:NHK)。国民生活センターは5年間で2,000件の相談が寄せられていることを公表。一部のメディアは「急増」と表現しはじめた。

    歯科医院のウェブサイトは美容クリニックと似ている。「限られた成功例を強調する施術前後の写真や患者の体験談」を掲載する。どうして掲載する?

    アクセスしてきた人は「写真」を見て決める。文字情報を熟読しない。医学情報や定性情報を読み流す。懇切丁寧に伝達してある内容でも同じ。アクセスログで判明している。自分にあてはまる症例の写真を見る。さらに部位まで同じ写真が掲載されていたら決め手になる。このあたりの話は長くなるので割愛。

    そして歯科・美容外科の口コミサイトでもやらせの書き込みが見つかり、業者を特定しているらしい。クインテットが運営している口コミ広場。報道はひとつしかあげていない。口コミサイトは他にもある。私見だと、歯科医院が関与しているんじゃないかと疑う(IPアドレスやドメイン情報から)サイトもある。実際にクライアントの先生は被害を受けていらっしゃる。以前、依頼を受けて調査したが口コミサイトの恣意的な運用が判明した。調査結果を報告した。

    カフェで内輪で話していると、「あるよね」ってネタがそこら中で話されている。業界「内」だと「仕組み」を見抜ける。内輪でネタを笑い飛ばす。で、時々、業界「外」の人へ「サービス」として提供する。

    だけど業界「内」の人が業界「外」のサイトへアクセスしたとき、同一の構造化された「仕組み」があってもおかしくないのにサイトの記述を真に受ける。こうやって書いている私はステマに騙されている。壮大な釣りに食いついて見事に釣り上げられた。

    ウェブ制作のステマを判別できても他のステマを見抜けない。構造化された手法で仕掛けられた同じ「仕組み」があるはずなのにひっかかる。

    省庁のコミットメントは口コミサイトに「権威」を与える。お墨付き。そっちのほうが危険だと私は思う。

  • 一期

    2011.09.15 晴れ

    まあぁるいお月さんを眺めながら公園でコロナビールを飲む。見えたり隠れたり。電気の明かりがなかったら真っ暗のなかに口をぽっかりあけた感じにも見えそう。瓶ビールを直接飲むスタイルを好んでいる。口を直接つけて飲むだけでちょっぴりクールでアダルト。

    第四十四候、鶺鴒鳴。鰤、平政、そして間八。御三家。天然の新鮮な間八を食べたいなぁ。コリコリの食感を楽しみながら気が置けない誰かと与太話してね。

    花鳥風月のうち、鳥に関心がないので、私の場合は花鳥風月ならぬ花雲風月。いまの時期からもう少しあとにかけての雲は見ていておもしろい。

    “ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)” 伊藤 計劃 の冒頭で描写されるひまわりの効果はない、と農水省が発表した。ひまわりを使った放射性物質の除去効果はないって。リアルがSFの誤謬を少しずつ修正していく。反対にリアルがSFへ近づいてく。“隠れていた宇宙 (上)” ブライアン・グリーン なんて読んでみたら私にはもうSF。

    いま読んでいる“あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)” 長谷 敏司もめちゃくちゃおもしろい。ゾクゾク。人間の根幹は、食と排泄かもしれないって感じる。

    医療技術が進化して、躰のありとあらゆる部位を交換できるようになったとしても、私は食べなければならない。仮に「食べる」行為が、単純なエネルギー補給のような代替行為になったとしても、排泄しなければならない。嗜好性が減少して、他者といっしょに楽しむっていう行為でなくなったとしても、排泄を切り離せない。

    排泄。動物も排泄している。動物も食べている。だから人間の根幹って表現はおかしいと思える。なのに「食と排泄」は頭のなかで消化されず、どこにも排泄されずに居座っている。

    15:00から歯科健診。状態はよいらしい。予後の経過も問題なし。19:00からF先生とミーティング。自費診療のシステム再構築。F先生が作成されたExcelシートをふたりで見ながら利益率を分析。

    別件で少しはやめに伺ったので、18:00ごろからはじめて、合間、診療や休憩をはさんで、21:45ごろ終了。濃密な打ち合わせができた。F先生が「数字」を作成してご用意してくださったおかげで論点が明確だったからできた。私は交通整理しただけ。数字が「何を」を示してくれているから、あとは「判断」と「決定」であり、二つができたら、「指示」と「実行」にうつせる。

    痛感する。経営者は数字を理解していなければならない。「数字」を他人にまかせない。まかせてしまうと理解できない。目標を達成するために必要な「数字」を自分で算出する。「自分は何の数字を知らなければならないのか」を自覚しなければ算出できない。

    フリーランスになったとき、価格に悩んだ。いちばんはじめに悩み、もっとも悩んだ。いまでも悩んでいる。

    お給料をいただいていたとき、「価格」ははじめからあった。お客さんから価格を交渉されたら、判断と責任を上司へ相談できた。だから、自分で判断しなければならない事象は思いのほか少ない。責任は限られている。それでよいといまでも理解している。

    価格を自分で決める。すごく難しい。これほど難しいなんて。自分の仕事の内容を精査して、工数と経費を計算する。利益率。それでも「価格」に自信をもてなかったり、仕事がうまくまとまらなかったら、「価格」のせいかなって。不安がいつもつきまとう。

    フリーランスの経験から学んだのは、「判断」と「決定」と「価格」の三つ。三つの精度と確度を向上させることが事業主の任務だと思う。

    正法眼蔵随聞記 四 三 世人を見るに果報もなく

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.239

    相手方からよいことをしてもらったと思われ、喜ばれようと思ってやるのは、悪いことするよりもましだけど、「自身」のことがあってやっているから、ほんとうの「よい」ことじゃない。

    あの人がいないと現場がまわらない。このフレーズには二つの意味があって、「優秀な人」と「独善の人」と解釈している。前者の場合、抜けた穴は大きい。後者の場合、自分の価値を確認したいために、「自分だけにしか理解できないような環境」を現場に構築する。こちらも抜けた穴は大きいかもしれないが、意外とダメージは少ない(まぁ、最近はセキュリティで”コワイ”事例が散見されますが)。

    何度も書いているけど、いまフリーランスを廃業しても誰も困らない。代わりの人がいくらでも見つかる。それぐらい私の能力は、他者に置き換えられる。そんなもの。

    そして、もうひとつ。あの人がいなくなって現場がまわっているんだけどなんとなく落ち着かない。イメージすると、誰かが見てようが見てなかろうが、落ちているゴミを拾い、あたりを掃除し、誰でも手にとれるように資料を整理してあるとか、そういう「透明」に近いことを淡々と安定して毎日こなせる人。

    弱点を取り除けば構造が崩れ落ちる。

  • 階段

    2010.09.07 晴れ午後から曇 夕方激しい雨

    午前中は晴れていて先週よりは過ごしやすい朝。天気予報どおり昼から空が濁りはじめて灰色に。夕方、激しい雨。激しく降る大粒の雨というよりスコールみたいな感じ。あかげで植木に水をやらなくてすんだ。

    O先生のイラストを仕上げる。O先生からメールがあってリニューアルへの焦燥感が伝わってくる。仕上げたのでいつものように2,3日寝かせる。見ないようにする。

    先日、最寄り駅の階段を降りていると前の女性が突然止まりかけた。週末の最終列車から下車する人々、ちょうど中間地点あたりの場所だった。前と下を向いて歩いていて、その突然の動作に何とか反応してスッと横へよけかけた。それから女性の前を見ると20代後半から30代前半ぐらいの男性が2台の携帯電話を持って両方の画面を見ながら立ち止まっていた。

    自分がコントロールできない空間の危険が広がっているかもしれないなと感じた。自分の視野と身体感度をもっと向上させないと。意識しながら歩いてはいけないと思う。むしろぼぉっとしながら周りを見るともなくぼんやり眺めていて身体の力はほどよくぬけている。あっと思うより先に身体が動く感じなのか。今の自分は、「あっ」と思うと身体が停止している。それは自覚できている。だから怖いよ。

    言葉で表現したら伝わって当然なのかな。文章にするために記憶した「階段の映像」を思い浮かべた。映像から言葉にするとき、自分が見ていた映像を削り落としている。言葉にする前に映像から何かしらの文脈をいくつか切り取って、その文脈を吟味してそぎ落としながら言葉で表現する。

    女性が立ち止まった瞬間、自分が横へスライドした先には誰かがいた。その誰かを描写していない。その人の動作を言葉にしていない(あるいはできていない)。

    記憶の制約を解除したらたぶん自分の目は記憶されている情報量より数倍から数百倍?!の情報量を受信していたはず。

    階段の映像を言葉で表現するとき、自分は「空間の危険」という道具で映像を編集した。それとは違う道具を使って階段の映像を再編集して言葉で表現したら上の文章とはまったく異なるシーンがここに記述されていたのかな。

    そんな感覚がぺったりとまとわりついて離れない。

  • 私憤

    2010.08.20 晴れ

    火曜日あたりから明け方に目が覚めるようになった。すでに蒸し暑いから寝苦しいので起きる。眠りが浅いときに目が覚めるためか寝覚めは悪くない。起きてすぐに机に向かえるのでよい傾向だと思う。

    11:00前に出発。大阪駅で途中下車して紀伊國屋書店へ。本店へ向かって左側の扉が閉まっていたのでまさかの休店日!!のショックを早とちりしながら近寄ってみると改装中で右側の入口から入店してくださいとの貼り紙。改装中の店内は狭くなっていた。ちょうど半分程度の面積に縮小されている。

    『ゾラ・一撃・さようなら』 森 博嗣 を購入。販売面積の縮小と比例して陳列している本が減った。配置が変わったので慣れない。すぐに店を出た。平積みの 『jQueryクックブック』 jQuery Community Experts が印象的。Amazonは2-4週間待ちの表示なのに紀伊國屋書店では5冊ほど平積みされていた。あの手の重い本を持ち歩くよりネットから購入したほうが便利だし象徴的な感じがした。

    13:00からF先生のミーティングへ出席。場の距離感を測り間違えたために自分の中でよからぬ感情が起動したのを自覚。『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉』 アルボムッレ スマナサーラ を思い出しながらその感情が私憤か義憤かを吟味。後者を選択。私情をさしはさまず公共の視座から観察する能力を備えていないので義憤を選択する余地は残っていない。場に近づきすぎて距離を間違えた結果、意図の伝達を失敗した自分のミスだ。その責任を負わなければならない。責任を転嫁するためによからぬ感情が存在する。15:00終了。

    19:00からM先生のミーティングへ出席。スイカをガーゼにくるんで食べた。歯があるという恵みを実感した瞬間。食べるという行為が欲の根底にあることを認識した。無意識の中に隠れた気づかない事実。他者が契機とならなければ気づかない事象がある。目線を変える。視線を歪ませる。20:50終了。

    芸能人が刑事罰に問われるような不祥事を起こしたとき、日頃の評価と不祥事の落差が大きいほど関心の度合いが高くなる。芸能というごく一部の面を評価しているはずなのにその人すべてを評価してしまっている。一部の評価が全体の評価へ”いつ”転じるか、そのきっかけを知らないし、転じるプロセスを可視化できない。本人もその評価を受け止めて、主観的に自己評価しはじめる。

    芸能人やスポーツ選手、高度な専門性を身につけたプロフェッショナルだけがはまる陥穽ではなく、絵図を縮小すれば凡才の自分にも適用できる。

    同じ仕事を続けられていると、周囲はその能力とごく一部分の自分を評価しているという事実を忘れてしまう。謙虚さを失い傲慢になる。私という人間すべてを評価してくれていると錯覚する。

    仲間からの適切な圧力がない環境にいるとそのような錯覚を抱きやすくなると自分は観察している。環境と個人、両方に課題がある。あるいはフリーランスの自分はピア・プレッシャーを受けないので周囲からは醜く映った自分の姿にまったく気づかない、と自分を評価している。

    「きみが失敗しても、だれも何も言わなくなったら、きみのことはあきらめたという意味なんだよ」(『最後の授業 ぼくの命があるうちに』 ランディ パウシュ, ジェフリー ザスロー) の「失敗」へいくつもの単語を挿入できる。その単語を挿入したいくつもの文章を自分は仕舞い込んだのかもしれない。

  • 接触

    2009.09.12 雨

    07:05起床。アラーム。腰痛。昨日同様、涼しい以上寒い未満。朝から雨。09:00すぎに職人さんがやってきて家を修理。管理会社が大家さんと交渉してくださった。09/06に発生した緊急事態がようやく終了。ただ、完璧ではない。折り合いをつけて生活は続く。

    O先生からサイトの修正依頼があったのでさっそく手直し。S社のセミナページのプログラム準備。

    あとは読書。『女王の百年密室―GOD SAVE THE QUEEN (新潮文庫)』 森 博嗣 を読む。こういう思考を身につけたいと思う。WENGERのブレッドナイフを使うと道具を理解できる。デザインを体感できる。意味を考えさせられる。表現それ自体がユニークであろうとするとき、発想と思考が先端でなければならない。先端は流行を含むけど、誰かが流行と認識したらすでに流行じゃない。流行の構造。キャッチアップされない先端に立つ。数年後、先端は追いつかれ理解される。追いつかれるまでの年数を調整する技巧。それがユニークである基本条件だろう。

    週末の最終列車に乗ったとき感じる恐怖。躰の接触。安全という前提で調和される空間。一人一人の動き。予測できない動作。見えない物体。隠れた意図。それらの総体は危害を及ぼさないという神話を信じることで人を運ぶ。列車に限らず。大勢の人が集まる空間は、幻想を共有されなければ成立しない。幻想が存在するから、リスクへの受信感度を低下でき、他のリソースへ振り分けられる。

    夕方、イオンでカフェインを摂取。買い物。鍋の食材と日曜日のキーマカレの食材を調達。月曜日の食材を考えながらグルグル回る。種なし巨峰が輝いていた。カゴへ。揚げ豆腐が安かった。サンマがまた値下がり79円。週末は人が多い。警備員が増える。見えない場所で挙動不審は発生。ただ、気づかないだけ。自分の視覚に入ってこないだけ。帰りに 『銀河不動産の超越 (講談社ノベルス)』 森 博嗣 を購入。

    帰宅後、Amazonで 『LED LENSER P14』『LED LENSER P7』 を検討。悩む。もうちょっと調べよ。あとコンパスとナイフもサーフィン。おもしろい。

    昼食は究麺。夕食は鍋。塩味、たくさんの野菜。鶏肉のつみれ。ショウガを味付け。躰がポカポカ、すぐに眠たくなってきた。GOD SAVE THE QUEENの一ページを惜しみながらめくり早めに就寝。

  • 意訳

    2009.09.08 晴れ

    07:03起床。日曜日から続く緊急事態、もう緊急じゃない、非常事態の収拾に時間がさかれて心的にマイッタ。寝たような眠ってないような。ぼうっっと起きた。暑い。水やりで紫蘇を見に行くともうそろそろ終わりそうだ。

    S社やO先生のページを作成。O先生とメールでやりとり。超多忙のO先生と電話でもやりとり。お気に召していただいた様子。O先生の写真を見ると圧倒される。専用カメラ(WB,ISO,被写界深度…..etcをセッティング)で撮影する。その写真のBefore-Afterは百聞は一見にしかずを言葉抜きに訴える。プロセスを省略するからインパクトが増す。

    先日購入した 『ビジュアル英文解釈 (Part1) (駿台レクチャーシリーズ)』 伊藤 和夫 を始めてひとつ気づいた。学生時代に訳せなかった文章を訳せるようになった。意訳だけど。文法的には間違っている。どうして訳せたか考えると、前後の文脈を推測している。推測するデータベースが学生時代より容量が増えたにすぎない。だから英語の先生は本を読めとおっしゃっていたのか、と20年後に納得。本を読むというより、言語で表現する容積を増やす思考の仕方を磨く感じ。

    昼食はパスタ。夕食はサラダとお好み焼き風半片、炊き込みご飯。お好み焼き風半片って体裁よい響き(笑)。うまい。まぁ、大阪人はお好み焼きソースがかかれば粉もんを脳内シミュレートして味覚が”うまい”と錯覚させる。最近、琵琶湖もよいけどつくづく自分は大阪人だなぁと思うようになった。

    大阪某所の商店街を歩くと怖い。アーケード下の道幅3mほどの歩道を自転車が時速8-10kmで突進してくる。京都の河原町商店街ではあまりそういう人を見かけない。先日、前方から10代後半の2人の女性が併走してきた。残された道幅は1m未満。女性たちは縦列という概念を所有していない様子だった。歩行者とすれ違うとき、歩行者がよけると誤解している。前を歩く歩行者は身体を躱す。自分の番。当たるな思ったので、急遽、右側の鞄を楯にした。向かって左側の女性の右半身と当たった。女性が派手な音を立てて転げた? 傾いた? 鞄が確認すると傷んでいなかった。20代前半に戻った恥ずかしさを感じた。あと3年ぐらいで”そのふるまい”のデータを脳内から削除しないと、いずれ自分も老害といわれるだろう。

  • 批正

    2009.06.25 晴れ

    蒸し暑い。雨が降らない。ヘンな気分。今日はF先生のPCの修理。09:49の新快速に乗れば間に合うけど、途中でウンチしたくなると遅れるので09:20に出発。これがよかった。ウンチではなく電車が遅れていた。11:00少し前に到着。

    さっそくPCの修理にとりかかる。CMOSクリアとBIOS初期化。だめ。KNOPPIXからブートしたらおかしい。マウントしない。ということはHDDのエラーか。回復コンソールからコマンドをたたくと、見つからない、との返答。予想外。これは、OSの起動プロセスではなく、HDDの問題か。ULTIMATE BOOT CDからブートしてHDDをチェック。エラー検出。というわけで、F先生にサルベージするデータを確認したところ、ほぼないとの返事なので、自宅へ持ち帰りきちんとチェックすることに決定。

    リカバリープランを変更。持参したHDDへOSをインストール。使えるようになった。あとはネットワーク系を確認。院内LANとファイルサーバ構築も視野にいれとかないと。採点は50点。さらに高度なスキルを備えていれば、該当HDDの復旧方法を実行できたかもしれない。

    診療後、みなさんでミエットへ。M先生も来訪。M先生の父君の話を伺い驚いた。今まで抱いて疑問、というか違和感の知恵の輪のうち、ひとつはずれた。口数を少し控えようと努力して、数%減らせたと自己評価。もっとがんばろ。ミエットのマスタがこちらを伺いつつ準備していただいているような気がして心地好かった。すばらしい空間と料理。

    同一空間内で単一の言語環境が整備されていると、伝達効率は向上する。言葉を磨く能力より躰が送信する信号を受信する能力が向上する。ただし、伝達効率と受信能力の向上は、その場で発生する誤解と錯覚を内省する機会を奪う可能性を持つ。躰の信号を受信したからといって、問題が解決されるとは限らない。「おかしい」ということを俎上に載せることだけが目的になるからだ。誰かと、「おかしいね」と会話をすれば、共有を認識できて安心する。その安心は漸進の障害になりかねない。よって、時に誰かが安心を破壊しなければならない。

    自分はその破壊者でありたい、と願う。

  • 想到

    2009.06.17 晴れ

    朝からF先生のサイトづくり。トップページに新しいギミックを導入しようと考え、モジュールを作成。jQuery+plugin。かなり苦戦。午前中いっぱいかかった。なかなかお気に入り。先方にも連絡。

    F先生も喜んでいただけたご様子。ただPCの具合が悪いとのこと。心配。端末とLAN、それにファイルサーバの再構築は解決策のひとつだけど、費用対効果の問題。何を重視するか、どこにコストを配分するか。ネットワーク構築は難しいからおもしろい。

    アルバイトの資料が到着。今月は2回。たいへん。明日から週末までサイト制作はムリ。さてそこそこのペースで仕上げられるか。

    『リスク〈上〉―神々への反逆』『リスク〈下〉―神々への反逆』『自由論』『ゼロから無限へ―数論の世界を訪ねて』 が到着。なかでもリスクが楽しみ。

    06/16の爆問がおもしろかった。池上高志教授の人工生命。『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』 をさらにかみ砕いた感じかな。ちょうど先日、『単純な脳、複雑な「私」』 を読了したので少し重なった興奮した。生命とは。生命の定義。池谷先生の書籍に登場する、意志を持ったようなビットの動きを見ると、「わっ」って叫んでしまう。入力は単純なのに出力が複雑、外部からの手は加わっていない。なのに生命を感じさせる意志。

    さて、06/18はiPhone OS 3.0のリリース。iTunesサーバへユーザが殺到して高負荷状態になるかな。楽しみ。コピペやBluetooth,MMS。1年前の機種に対して、新機能を搭載したOSへ無償でバージョンアップできるなんて携帯電話やスマートフォンの領域を超えている。なのに電話できる。ほんと、持つと日常が激変する端末。

    夕食は玄米と豆腐一丁にもろみ味噌を。野菜をゆがいて塩味で。美味。夜はイラン情勢をサーフィン。Twitterのメンテスケジュールを調整するようペンタゴンが要請したとのニュース。なんて時代。世界へ発信する手段を政府が制限できなくなりつつあり、その手段を活用して政府が情報を収集する。すさまじい変化をもたらしている。

  • 報道が医療の崩壊を手助け

    システムの問題であって、医師やスタッフの方々の不手際じゃない。年末年始関係なく前線で激闘してくださっている。報道はそろそろ気づいているはず。自分たちがミスリードさせた結果、今、現場は未曾有の不信に包まれていることを。でもやめない。週刊誌のような見出しが跋扈。

    搬送1時間:5救命センターに断られ、男性死亡 東大阪

    救急隊が同10時33分に事故現場に到着。西村さんは胸を強く打って危険な状態だったが、5カ所の救命救急センターが受け入れを断った。6カ所目に同府吹田市の府済生会千里病院併設の千里救命救急センターが受け入れを了承。救急隊は午後11時に現場を出発し、11時35分に西村さんを同センターに運び込んだ。河内署の話では、西村さんは事故直後「大丈夫」と話していたというが、搬送後の3日午前1時40分過ぎ、大動脈損傷による出血多量で死亡した。

    収容に1時間、事故男性死亡 5救命センター拒否 大阪

    西村さんの長男(27)は、搬送先の病院の医師から「到着時に意識がなく傷は心臓に達しているため、手術が難しい状態だった」と説明を受けたという。「近くで受け入れてもらえなかったのは悔しいが、正当な理由があるのなら、あきらめざるを得ない」と話した。

    遺族の方々にとってどのような事由であれ身近な人を亡くすのは絶望の淵に立たされる。ただただ手を合わせるのみ。

    毎日と朝日を比較。朝日は自重した印象を受ける。少し冷静になって、死因を事故の因果関係から説明しようとするあがきが。他方、毎日はというと、西村さんは事故直後「大丈夫」と話していたというがのくだりがあざとい。

    報道はなぜ伝えようとしない。医療体制が崩壊に向かっている中、本来受診する必要もない人が来院している事実に。視聴者を批判する勇気をもたない。

    「長寿であること、健康であること」が信仰の対象になった。宗教よりも手強い。アンタッチャブルな”神”を創造した。メディアが。

    長寿であること=数値、健康であること=数値。すべてを否定しない。だが、一歳でも長く生きようとすることに”だけ”腐心する、あるいは一キロでも軽く、一パーセントでも低くくと体重計にのる。

    報道が医療の崩壊を手助している、それを報道自身は気づいている。なのに止めない。そこに「何か」がある。