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  • プラス思考+ポジティブシンキング=あなたは信じる?

    2012.09.07 曇 むし暑い

    [youtube=http://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ]

    今朝は Queen – ‘Bohemian Rhapsody’ でスタート。もう蘊蓄ぬきでスゴイ。歌詞読んだら、たぶん、「イッ」ってるだろうなぁ、って推測したくなる、というか確信してます。もう訳わかんないもんね。

    二十四節気、白露。太陽の黄経は165度。夏から秋への交代期。昼間はまだ蒸し暑い。目が覚めてカーテンをあけたとき、薄曇りかと思っていたら日の出少し前になりつつある。ステキな朝焼けに巡り会えたら幸運。つい1ヶ月ほど前なら、目が覚めたらもう明るかったのに、と思い出し、そんなことを気にするようになった自分の変化を体感。

    第四十三候、草露白。「露が降りると晴れ」と言われるが、朝露を見られるような贅沢してみたい。秋刀魚がならび、美味そうだが、売れ行きがよくないような。新鮮でないから、それとも別の理由か。南瓜も旬かな。土佐煮で食すと美味。小豆といっしょに煮るのもよし。子供のときは泣きながら食べた。どうしても飲み込めず、泣いた。嘔吐きながら食べて、そんな体験が南瓜を遠ざけたけど、いつしか食べられるようになり、さらに旨味を知り、美味の料理に出会い、好物のひとつになった。食への質感が変わっていく。変わっていく、よりも変えてもらった。できれば1,2ヶ月ほど貯蔵したほうが甘味が増すのもあるとか。

    この間、「声」について書いたとき、聴くに堪えないジャイアンよりもひどい音痴もコンピュータ上で補正できるかしら? と疑問。もし補正できるなら僕はコンピュータ上で上手く歌えるのか。なにせ、”これはひどい”100乗の音痴だから。

    M先生のWP製作。半分ぐらいか。症例の写真や文章を再構成するのにやや手間取っている。見直しにはよい機会。

    16:00前に大阪へ出発。途中下車して“その科学が成功を決める (文春文庫)” リチャード ワイズマン“数の体系 上 (岩波新書 青版 815)” 彌永 昌吉 を購入、ワイズマンの本は目次だけで読んでもワクワク。自己啓発本を滅多斬り、イメージトレーニングはダメ、ポジティブ思考はメタメタ、といった感じでいままでヨシとされてきた「自己啓発」系や「前向き」系などを否定する。

    それぞれの実験が「科学」か否か、僕は判定できないけ。心理学の領域はわからないし、実験結果について因果関係と相関関係を専門的に切り分けられない。統計の妥当性も検証できない。だから、結局は読み物語というか、ネタみたいな感覚で読んでいる。

    「ポジティブ」や「自己啓発」系本を眉に唾をぬって読むから、本書の内容には頷いている。ただ、なにが「ほんとう」は、ひょっとして「信じる」とリンクするもしれないし、本書で紹介されている実験結果や提案は、ひとつの情報として試しながら手応えを体感して、自分のスタイルに還元する、と思う。体感した結果を対人スキルの向上につなげたい。たとえば「面接」の時の自己アピールの仕方とか。

    大阪から約3kmほど歩く。毎週、なるべく同じ時間に歩くようにしている。1週間では景色の変化を認識できないけれど、日の入りがだんだんはやくなっている、「なんとなく」さは体感できる。

    造幣局付近の橋

    19:00からM先生のミーティング。人が具体性から抽象性へ思考を拡張させるブレークスルーのポイントは、「何」だろう。ひとつひとつの具体的な事例から対処方法を学び、実践して、結果を検証して改良を加える。そのサイクルが仕事の能力を高める源泉だと思う。

    でも、ひとつひとつの具体的な事例にその都度対応していたら、具体的事例は無限だから対処方法も無限になり、対応できない。人は過去の事例からパターンを抽出して、共通の形式を整理する。カテゴリーにわける。Aという事例について対応できたら、A’もまずは同じように処理する。毎朝、歯を磨くのに悩まないように、いつしか一部は決まりきった仕事になる。

    具体性からパターンを抽出して共通の形式へまとめる作業は、対象の個別性からいったん自分を切り離して事象を抽象化する過程を含む。その過程を含まないと、いつも「具体性の吟味」だけにとどまってしまう。抽象化する過程は、「知」が必要だ。知は自分の内部にない。外部にある。ただ、どこにあるか知らない。もし「知」に出会えてもかんたんに理解できない。わからない。

    ミーティングに参加しながら、そんなことをつらつら思い巡らし、外部の「知」へアクセスするための心のスイッチがはいる契機は何か、ますます探したくなった。

  • 30年

    2012.02.17 晴れのち曇

    今朝は畠山美由紀 “わが美しき故郷よ”でスタート。ホントに好きだ、この曲。何度も聴く。故郷といまの住まいに執着しておらず、身勝手ならば鎌倉へ移住しているだろうなぁと思いつつもこの歌に惹かれるのは意固地な自分を認識していないだろうなぁ。

    04:30前に起床してアルバイトの入力を仕上げてデータを送信。出発の準備して兵庫方面へ。母方の祖父母が諸般の事情で引っ越すのでお手伝い。覚悟して臨んだが現場を目の当たりにして万感こもごも至る。ご近所への挨拶まわりにつきそったところ、ある奥様が顔をくしゃくしゃにして別れを惜しんでくださった。いわずもがな今生の別れである。「もう家族だったと思っていたから最期まで四人(ご夫婦と祖父母)でいけると思っていたのに」との涙顔の言葉が素敵だった。30年間の時間が積み重ねた「地域」の肌に触れた瞬間。

    伯父さんと伯父さんの長男、私の両親と私で最後の梱包を手伝う。伯父さんといとこに会うのは久しぶり。お互いの加齢を実感。祖父母と伯父はあいかわらず「まさちゃん」と呼ぶがもうそんな歳ではないですよ、と照れる。でも、時間が経過しても空間の位置はいつまでも孫であり甥なんだ。それがまたこそばゆい。

    祖父母の不安が言動に表れる。伝わってくる。そうだよね。明日は伯父さんの家で目覚めるけれど明後日は新しい場所で目覚める。目覚めた時、最初に何が目につくだろうね。いつも目につくものがない場所。見慣れたものがない風景。

    引っ越しの搬送自体はすんなり終わった。いとこの車に乗って現地へ向かう祖父母と叔父さんを見送る。これから長い時間をかけた「整理」がはじまるんだなぁと宅に残った私は思った。

    大阪まで送ってもらいM先生の近所のスタバで “文藝春秋 2012年 03月号 [雑誌]” 文藝春秋 を読もうと思っていた。37年前の論文「日本の自殺」が再掲載されて話題だと耳目したので読んでみたくなったので購入した。その前に携帯を確認したら着信あり。

    クライアントのスタッフさんからPCの不具合についての電話。PCの状況から自分が行かなければ判定できないと判断したのですぐに移動。時間が限られていたし原因を特定しづらかったので必要最小限の処置を実行して月曜日まで様子をみてもらうことに。

    19:00からM先生のミーティングに参加。今回は小児についての発表。とてもよかった。カンブリア宮殿に出演していた医療法人の理事長がご指摘していらっしゃったように、いまの歯科業界はまだ「啓蒙」していない。していても足りないと感じる。

    ウェブサイトは「宣伝」のメディアになっている。「啓蒙」と「宣伝」は異なる、と私は思う。啓蒙しているつもりでもいつしか宣伝になってしまっていないだろうか? 啓蒙がよい、宣伝はわるい、ではない。両方を正常に運用すべきだ。

    20:00に終了。昼食を食べ過ぎたせいかお腹はあんまり空いていなかった。でも食べたくなる。自分にとってはまずい傾向である。この傾向が続くと太る。調整して抑制しなければ。21:00に京都着。寒い、寒すぎる。まいった。

    キョロキョロしながら偶然が舞い降りてこないか贅沢な願いを祈ってみたりして気持ちをあたためる。帰宅後、スープ一杯だけにしようとしたのにカレーまんを1個、やっちまった。

  • 集約

    2010.07.31 晴れ

    人工衛星がどうして落ちてこないのかと頭に思い浮かべるのはいつごろだろう? そして落下していると知るのはいつで、それはニュートン力学によって記述可能だと理解するのはいつ頃だろう。

    直感的に思い浮かぶ疑問や経験が発見する質問、言葉を紡いでいく論理の問いがある。

    13:00前に出発して神戸へ。15:00からO先生と打ち合わせ。17:00に終了。O先生のスライドを拝見すると理解を深める前に直感が養われる。真に息をのむ症例はまったくの素人が見ても感覚的にわかるものなんだ。それを毎度思う。

    O先生は多めにスライドを渡さない。いつも必要最低限の枚数をUSBメモリーへ保存していく。術前と術後をあきらかに判定できる症例を選び何も言わず自分へ見せる。反応を観察する。それが判断基準のひとつであるみたいだ。きわめてシンプルな表現を心がけていらっしゃる。

    会計事務所にお世話になっていた頃、研修で拝顔したコンサルタントの先生から二つ教わった。その二つを教わっただけでも社会人になってよかったし、今でも行動様式の一つになっている。

    一つ目は問題を一言集約すること。クライエントへ提出する提案書に記載する問題点を一言で表現しなさいと教わった。先生は一言集約するために何百ものチェックリストを使って診断する。それらのリストから一つ一つの要素を抽出して問題を抽象化する。

    クライエントから話を伺ってただ悶々とイメージする行為が考えると受け止められる。考えるという言葉を使えるだろうか?

    「いくつか考えます」と言った人に「いま考えていることを教えてください」と言ったら、「よい案じゃないから」と回答される。「悪い案を教えてください」と言うと、「いや、それは思いつかない」と不思議そうな顔を浮かべる。

    そして「考えているけどまだまとまらない」と返答されたので「まとまらない状態を教えてください」と笑うと、たいてい教えてもらえない。「いろいろ考えてはいるんですけどね」と主張する人へ「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼むと、1つの案が提示される。「一つの中にいろいろある」と考える相手と「複数の案を練る」と考える<私>との間にズレがある。

    一言集約がとても難しい思考形式だと理解できたのは会計事務所を退職してからだった。

    二つ目は報酬について。コンサルティングフィーは上場企業の平役員の給料以上を請求しなさいと先生は主張された。それぐらいの付加価値を提供できないとコンサルティングではない、そして、それぐらい支払っても惜しくないと思われる存在価値でありなさいと。

    先生のクライエントは一部上場企業だった実情を差し引いても今の自分に教えを当てはめたら目も当てられず、平役員の給料どころか新卒の初任給に至らず何を教わったのだろうと蹲る。

    O先生のウェブサイトもダイエットしてシェイプアップしよう。ただSEO的には好ましいアプローチではない。簡潔かつ適度な分量の文章とSEOのバランスを崩さずサイトを設計して制作しないと。

  • 洞察

    2010.07.23 晴れ

    大暑。7月22日頃にあたる最も暑さが厳しい日。太陽の黄経が120度。屋内で熱中症を発症して亡くなる高齢者が多い。自宅は冷房をつけない。すべての部屋の窓を開ける。風が抜けると体感温度はずいぶん下がる。気持ちよい。風が止まると汗が噴出。屋内で発症した高齢者の方々は窓を閉めているケースが多いと読んだ。

    11:00前に自宅を出発。列車の中は肌寒い。カバンから小さなバスタオルを取り出し肩から羽織る。無印良品の婦人衣料品のコーナーで胴体のないストールのようなウェア、まことに変な表現だがどう書いてよいのかわからない、袖だけ通す服を見かけた。身体が小さくなって婦人用ウェアでも入るかもと思ったので試着してみた。ザンネン。男性用にもそんなアイテムを販売してほしい。

    13:00からF先生のミーティングに参加。15:00まで。最後の10分ほど時間をいただいたので伝えておきたかったことを話す。

    自分は経営者の方々から人の相談を受ける。自分は事業主であるけれど人を雇用していない。雇用した経験のない自分へ人の相談をよせられる矛盾をどのように自己査定すればよいのか定まっていない。

    個々の相談は独立した事象だからそれぞれに実効策は存在する。専門家は実効策を提示する。実効策は技術的知識と情報から構成される物事のやり方だから、やり方をこなせばこなすほど効果を検証できる。結果、成功事例のやり方が蓄積される。残るは効率。A医院で通用した策をB医院へ適用して策の実行効率を向上させる。B医院にとっても成功事例を踏襲するから素早く実行できるし効率がよい。専門家にとっても短時間で高効率だからフィーに見合う。

    一方、自分は専門家のプロセスを踏めない。実効策を提示できない。アイディアまで考える。独立した事象からアイディアを提示するまでが設計だし自分の商品である”歯科医院をデザインします”のコンセプトにあたる(昨今は”デザイン”がデフォルトになったのでもうそろそろ次の単語を探さなければならない、書店で平積みされるようになるとおしまいだ)。

    独立した事象からパターンを探す。パターン化の作業は実効策と関係ない。洞察に必要な要素を抜き出す。残った記録からツールを活用して要素を言葉と図で表現する。

    次にパターン化作業によって抽出された要素、単語と図で表現された要素を分類する。分類は難しい。そもそも「何」を「何」に分類するのか。分類群。

    WordPressを勉強し始めてタグを知り、それがきっかけでタクソノミーをかじるようになった。 『アンビエント・ファインダビリティ ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』 は「構造の設計」を教えてくれた。どんなに有益な情報がネットワーク上に存在していたとしても、ユーザが見つけることができなければ何の意味もない。「見つけやすさ」を表す新しい考え方。

    分類された要素を構造化して一言へ集約する。アイディアは一言集約されていなければならない。

    今回のF先生のミーティングで紹介した一言は「”しなければならないこと”と”したいこと”」だ。両者がズレるから問題が発生する。「しなければならないことは拒否され、したいことは受け入れられる」

    しなければならないことの主語は? したいことの主語は?

    「私がしたいこととあなたがしなければならないこと」がズレたとき、両者は不満を述べる。両者の評価は大きく異なる。自己評価が相対的に高く他者評価は絶対的に低い。

    ミーティングでもらった10分ですべてを伝えることは不可能だ。伝えたつもりはまったくないし、伝わったとも思わない。それでも、自分にとっては一回性と緊張感を保持したいからあえて自分の我が儘を押し通した。

    15:00に終了した後、1時間ほどF先生と打ち合わせをしてから二人で出かける。戻ったのは18:30前。その後ご自宅で少し頭を休めてから19:30にスタッフの方々といっしょに食事へ。22:30終了。

    自分にとっては反省の多い一日だった。慇懃無礼な応対を修正したいのに尊大な口調で発話してしまう。余計なフレーズや自分の知識をひけらかす。適度に適切に端的に。シンプルでリファインな表現からほど遠い。

    その反省をのぞけば自分にとってF先生はやっぱり原点なんだと実感した。

  • 歯歯

    2010.01.12 曇り時々雨

    年末から腰・背中・肩・首の痛みが右肩上がり。ゴリゴリ。目が覚めると、脳髄がうっかりしてたとあわてて痛覚の信号を送信。肩と背中の痛みが起動。たまにはセーフモードで起動してほしいと願う。

    午前中、M先生の利益管理表を制作。昨日からとりかかっていた。日数、のべ日数、新患、再来などの数値から回転数や1枚あたりなどの指標を算出するシートをExcelで制作。今ならレセコンで出力される(はず)。とはいえ、データを加工して情報へ変換するために必要。データを収集する行為は大切であって、ただ、いくらデータを収集しても、それを情報へ変換できなければデータはデータ以上の意味を持たない。

    Excelなんて使わないので、四苦八苦しながらようやく午前中で完成。泣きそう。みんなこんな高度なソフトを使っていると思うと背筋が寒くなった。きっと部屋の温度が低かったのだろう。

    『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』 川上 未映子 がとてもおもしろい。自分は小説を読むけれど、どちらかといえば、エッセイやコラムを好んで読む。だから、お気に入りの作家がエッセイやコラムを出版すれば、そちらを優先する。作家によっては、小説を読まない。小説を読むとき、作家が思考や感情を作品へ投影している、と想定して読む、って見聞したことがある。自分の場合、そんなふうに想定して小説を読まない。テキストをイメージへ脳内変換して文体を楽しむぐらい。なので、イメージへ展開しにくい文体や物語は苦手。

    川上未映子さんのブログに瀬戸内寂聴さんとの対談が紹介されていた。87歳。虫歯知らずとの由。すべて自分の歯。歯、歯。そう、あらゆる根幹にとって歯は大事なのだ。歯は命である。その歯を失えば、命を失うことであるのか、といえばそうではないけれど、歯を失った後、喪失感と希望、そして新たな根幹を獲得する姿勢。それをそばで支えるのは誰か。

  • 齟齬

    2009.07.24 晴れ

    朝から暑い。集中豪雨が続く。ネットの報道は、文章術の暗示を含んでいる。誰に、何を、説明しているのかについて、明確と不明瞭。前者の優れた点と後者の劣る点を洗い出す。

    朝、S社へ進捗状況をメール。75%まで製作して残り25%を説明。先方の感触は良好。あとは、1日中WPをさわっていた。これからはWPで製作するつもりなので、コードやテーマ、その他もろもろをさわりたおす。

    夕方、M先生の医院へ。17:40頃に現地最寄り駅到着。スタバで今日のミーティングをシミュレーション。準備したメモを読み返し、作戦を練る。あっという間に1時間が経過。紀伊国屋書店に寄って『双調平家物語 4 奈良の巻 (中公文庫 は 31-23)』 橋本 治 を購入してから医院へ。19:00。

    19:45頃からミーティングスタート。M先生とスタッフ2名、合計4名。自分の思考と行為、他者の思考と行為、二者の差異が生みだす齟齬を次々と遡上に載せる。二者間の齟齬が、三者になるとエントロピーは増大。新しい発見を言語化・視覚化できたようだ。実効策を2つ決定して、20:50頃終了。

    その後、M先生と食事へ。医院を出た瞬間、「今日のミーティング、ほんまよかったですわぁ」と、M先生。それが今日の評価なんだなぁと受け止めた。受け止めるだけでよい。自分にコントロールできない事象に対して言及しないよう訓練中。

    M先生との食事は楽しかった。医療の現場でおもしろいと感じる視点を伺い、どんどん惹かれていく。とてもすてきだ。ケアするものが実はケアされている構造。ケアの対象者は自分がまさか医療者をケアしているなんて夢にも思わないだろう。ただし、現場は甘くない。現実がそこにある。

    帰宅後、心地好く眠れた。今日も祈った。

  • ロスト

    2009.07.11 晴れ

    朝、ちょっと寝坊。アルバイトの資料と格闘。ふぅ。非効率と効率がうようよして、むきー。資料から改善点を探索。わずかな行為なんだけどね。そのわずかがわずらわしいから変えられない。慣れ。

    F先生のスタッフからメールが届いていた。ブログを手直し。ステキな文章。噛んでないよ、まずいなぁ。さっそく昼食でよく噛もうっと思ったらパスタだった。噛めば噛むほど小麦っこ。ちょっと食べたらお腹いっぱい。あは、効果的。そっ、なんかの本で味噌汁も噛みなさいって書いてあったなぁ。

    昼からイオン。藺草の敷物を品定め。おお、やっぱり値段の意味を理解。手触りがまったく違う。よい勉強になった。『子供の科学 2009年 08月号 [雑誌]』 を買いたいのに見つからない。なんで。イライラ。店員さんに尋ねたら今月から売り場が変わっていた。ああ、こういう時のユーザビリティって何をできるかなぁ。張り紙、→。

    太陽の特集、おもしろかった。子供たちの質問はあいかわらず切れ味するどい。おおぉ。アサリはどうやって生まれてくるの? どうして瞬間接着剤はすぐくっつくの?

    帰宅後、アルバイト。夕方で切り上げる。

    夕食はお好み焼き。うまかった。大好き。キャベツ多め。ソースが決め手。A社から頂戴したお中元のケーニヒス クローネを食べながら夜はCSI鑑賞会。うまいなぁ。洋菓子に目がないのであと一つ、あと一つが続く。

    返事待ちの案件がひとつ。どうなるか。先方が必要としてもらえるならYESだし、反対ならNO。価格はこっちがコントロールすべきじゃないだろしねぇ。

  • スタンドアローン

    2009.07.09 曇り

    午前中、S社のページ制作。進捗率55%。写真を選別して加工して合成。コピーを選択。コピーを考えたいけどそこまで手が回らない。

    12:00-13:00までGIOSに乗る。ひさしぶり。2週間ぶりぐらいか。曇っていて蒸し暑かったけど気持ちよかった。よい感じ。ほどよく汗をかいた。

    昼食はカフェデュモンドでフォカッチャのセット。スタンプが集まった。やった。オリジナルカップをもらった。前にもらったオリジナルの小皿をひんぱんに使っていて重宝。

    明日にはアルバイトの資料が届くので、週末と週明けはサイトから離れる。なので昼から各サイトのSEOとSEM。改修したい箇所はたくさんあるけど、つぎはぎになってはいけない。全体のルックスやナビゲーション、コードもふくめてリニューアルしたいところ。

    17:48の新快速へ乗る。大阪で途中下車して紀伊国屋へ。『アブダクション―仮説と発見の論理』 米盛 裕二 を検索したけど在庫なし。ショック。しょうがない。『ゲームの理論と経済行動 3 (ちくま学芸文庫 フ 29-3 Math&Science)』 J.フォン・ノインマン, O.モルゲンシュテルン を購入。

    20:00からM先生と会う。夕食を食べながら相談。経営者は孤独。スタッフはいることと孤独は相反しない。別のレイヤ。経営者へ理解したと口にすることがおこがましいほど孤独。その孤独へどこまでよりそえるか。自分はそれを問われているんだなぁと再認識。貴重な時間だった。限られた時間のなかでその瞬間は100%の対話を試みたと自己評価。ただし、帰り道の再現では75%と再評価。もっと最適な質問と道筋を提示できたはず。

    00:20帰宅。他者なくして己の修養なし、と実感した夜だった。

  • 駑馬

    2009.07.07 曇り雨少し晴れてどしゃ降りまた曇り

    夜中の目覚め。深い睡眠なのでまだ大丈夫。へんな天気。一日中シトシト降る雨じゃなく、入道雲がやってきて、ドバっとまとめて降って、しばらくすると雨は何事もなかったようにどこかへ行く。やってくるのは青空。そして、夕方、またドバ。なんだか夏の日みたい。

    今日は一日、S社のページ制作。相続や事業承継。むずかしい。カタログサイトを拒否したいけど、そうなりつつあるかなぁ。うーむ。XHTML2.0が廃案らしいけどXHTML1.0,1.1のすべてを学べていない。つらいなぁ。今日もコードの勉強になった。まだまだ。

    昼食はパン1個。チーズがつめられたパン。サイズは小さかったけど、ボリュームがあった。おなかいっぱい。

    近くのジャスコへ行くと、店舗容積と不快指数の相関関係を調べたくなる。店舗容積は不変。そこへ商品を陳列する。本部の指令か、商品は増殖する。陳列できない。限界の空間。残るは通路。通路をふさぐ臨時の陳列棚。邪魔。買い物客がそこの商品を手に取って買う売上と不快指数によって失う利益を算出したくなる。正直、そこの陳列棚の商品を手に取って買った回数を数えられるほど。

    夕食は米と湯葉と長芋。ブロッコリーとトマト。野菜スープ。

    20:00前、M先生から連絡。事前にF先生から伺っていたとおり、相談したいとの電話。いくつかのうち、最短のシミュレーションを選択。電話であれこれ伺わず、日時だけ決めた。07/09(木)に設定。ひょっとするとM先生は違和感を抱いたかもしれないけど、それはまたお会いしたときにフォローしたい。あとで、数分間のやりとりを脳内再生。やっぱり、その場である程度話を伺えばよかったか。

    『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 ロバート・B・チャルディーニ を再読しはじめた。名著は何度読んでも発見がある。本の中の文字列は、何年経っても一言一句変わらないのに、受信信号を勝手に変換する。

  • 地域住民が小児科を守る

    神戸新聞が取材し続けている兵庫県立柏原病院に「住民が奇跡起こした」と小児科医が着任してきた。

    医師の負担軽減を目指す丹波市の母親グループの活動に共感した小児科医の石井良樹さん(32)=伊丹市出身=が、岡山県内の大学付属病院から同市柏原町の兵庫県立柏原病院に転勤を希望し、四月から常勤医として働いている。兵庫県病院局によると、他府県の大学医局を離れ、県内の地方に進んで赴任するのは極めてまれという。

    via: 神戸新聞|社会|「住民が奇跡起こした」 小児科医が着任 丹波市

    県立柏原病院の小児科を守る会は地域の母親が子どもたちを守り、小児科医の負担を軽減しようと結成された。医師の先生方からすればまさに「奇跡」と表したくなるのだろう。それぐらい地域の小児科は疲弊していたのかと再認識。

    小児救急患者の大半が軽症とされる中、患者側が受診のあり方を見直し、小児科医の負担を軽減しようとする母親たちの活動が丹波市で実を結んでいる。可能な限り「かかりつけ医」で受診し、診察時間外の利用を避けるよう訴えた結果、同市の県立柏原病院では軽症の小児患者が駆け込むケースが激減。緊急性の低い患者側が受診を控える例は全国でも珍しく、医師不足の歯止め策としても期待されている。

    via: 神戸新聞|社会|「コンビニ感覚の受診やめよう」 医療守る丹波の住民ら

    医師や医療機関が悪者のように仕立て上げられる報道が目につくなか、患者の実態を報じるメディアもある。産婦人科なら「産み逃げ」や「コンビニ出産」、救急医療なら「コンビニ受診」。救急車は「タクシー」と化した。医療現場に携わる医師やスタッフの方々を案じると言葉もない。崩壊が目の前にやってきている。このままでは小児科がなくなってしまうのでは」という危機感を持った主婦が立ち上がり会を結成。「コンビニ受診をひかえる」よう呼びかけた。

    「このままでは小児科がなくなってしまうのでは」という危機感を持った同市の主婦杉浦保子さん(28)は今年4月、母親たち約10人と「県立柏原病院の小児科を守る会」を結成。街頭などで小児科医派遣を要請する署名活動を行うとともに、「コンビニ感覚での病院受診を控えるようにしませんか」「かかりつけ医院を持ちましょう」などと書かれたビラを配り、利用する側の意識変革も訴えた。

    via: 軽症でも安易に救急外来「コンビニ受診」減らそう

    ただよびかけるだけでなく、子どもが熱を出したり、咳き込んだりしたときの対応を目安にしたチャートを作成して親に渡すといった活動に取り組んでいる。それら以上に私が感銘を受けたのは、医師への感謝

    同会は医師に感謝の気持ちを伝えることも重視する。「先生、いつもありがとう」。母親から集めたメッセージカードが同病院内に掲示されている。病院や診療所の医師らに年賀状も出した。

    via: 神戸新聞|社会|「コンビニ感覚の受診やめよう」 医療守る丹波の住民ら

    ときおりインタビューで「診てやれない」という言葉に遭遇する。前後の脈絡を省いた判断は短見だけど、私は「上から目線」の医師の言葉に過剰に反応する。ただ幸いにも今まで出会った先生方からそんな目線を受けたことがない。ほんとうにありがたいと感じる。

    医療の現場に「患者が主人公」なんてフレーズはナンセンスだと思う。また「医師がサポート」もどこか遠い。それぞれが果たせる役割を全力でぶつける場を両者がどうやって築いていくのか。そして互いに気づいていくのか。それが問題だと思う。先生方が「地域医療」に懸命に取り組んでも患者が気づかない。患者が不安を抱えていても先生方が気づかない。

    お母さんたちは自分たちの子どもを守るため、先生を信頼することから歩み始めた。なにより自分たちが住む地域を信じる。それがスタートラインだと思う。

    地域には「かかわる」という言葉がやってくる。それは重たい。だけど重たければ重たいほど優しい。厳しければ厳しいほど優しい。「かかわる」ことを抜きに地域は存在しない。「かかわる」がない地域、それは地点にすぎない。