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  • 功夫

    2011.05.24 雨

    五月雨は五月に降る雨。ただしその五月は陰暦。梅雨のこと。あきらめていたロベリアがつぼみを持った。とてもとてもうれしい。二回目の冬を越してくれのに枯れさせてしまった。弱々しかったのであきらめかけてた。3月だったか、土を入れ替えたときお別れしようか悩みに悩んでくよくよしちゃって、やっぱりお別れできず、完全に枯れた部分を取りのぞいて鉢のはしっこに植えておいた。つぼみがみえたときぐっときた。

    終日、M社のサイト試作品を製作。もうWordPressを使わずにサイトを制作するなんてできなくなりそう。とにかく小中規模のサイトではWPで充分。試作品のサイトをiPadで確認。

    iPadを手にしてからラップトップにふれる機会が減った。減ったというより仕事以外ではさわらなくなった。ブラウザとメール、Amazonの検索と購入、電子書籍とPDFの閲覧、TwitterはiPadで。あっというまにiPadがない生活は記憶の奥深くにしまわれた。予想どおり。

    ラップトップはウェブ制作専用へ。あとは動画を視るときぐらい。iPhoneを購入(いまはiPod Touch 4Gに変更)したときと同じ現象。とはいえiPadがもたらしたぼくのライフスタイルの変化はiPhone/iPod Touchよりはげしい。

    すごいの一言。このデバイスが進化していく未来。個人情報の一元管理と認証機能を装備して、医療・行政・教育のデータをタブレット系デバイスに集約するような時代がやってくるだろう。個人情報の集約化や国家の管理に対して抵抗は根強い。まだ少し先のお話。運よく長生きできたらそんなシステムのはじめを体験できるかもしれない。今の子供たちの子供が生まれてくるような時代には環境が整っているかなー。

    iPadは医療現場で活用されている。持って理解した。iPhone/iPod Touchより表示面積が広いから医療データを入出力しやすい。たぶん民間の大病院はもう実践してるよね。健康診断やドッグなどの数値データを患者のiPadへ記録して、そのデータに適した運動療法や食事メニューを配信しているはずだよ。

    正法眼蔵随聞記 二 一の(一) 続高僧伝の中に

    『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.61

    一が終わった。これから二へ。岩波文庫版は二が一なのでここから始まっている。権威や高徳に対してつつしみうやまう。はじめはつつしみうやまっていたけれど、作法はいつしか形式になってしまう。形式は祈りと違う。祈念は時間をつくりだすだけれど形式は時間をむだにつかう。そんな情景を僕は思い浮かべた。

    物質をうやまいつつしみ続ければいつか悟りがひらかれる。三宝をうやまいつづければ人間界や天上界に生まれる果報を受けられるが、三宝をうやまうことによって仏の悟りを得たと思い込むのは間違っている、と云う。誤解。物質へ帰依。自分の内側へ踏み込まない。外側にある目に見える姿形へ依存する。言葉で解釈するのはかんたんだしいかようにでも批判できる。

    ほんとに古いモノを愛でるのと、古いモノに似た新しいモノを愛でるのは違う。

    古いモノのフォームだけを再利用して郷愁をさそうルックスにしあげる。イベントのために1300年前の建物を再現するのとかわらない。人は魅了される。ノスタルジアでもはじめて目にするフェイク。フェイクだと知ってる。でも目の前に現れた建物は当代に建築されたリアル。物体感嘆。昔を懐かしむ、映像を愛おしむために記憶より物質を媒介したほうが再生しやすい。物質を目にしたほうがありがたがりやすい。

    そんな感じ。

  • 輓近

    2010.06.13 雨

    梅雨入り。道路に臨むリビングの窓。窓の向こうには紫陽花。テーブルの上にパン、ジャム、バナナ、スイカ、ヨーグルト、コーヒー。世界の75%より豊かな朝食。世界で上位8%に属する富裕層の朝。5億人の人々より恵まれた平和な朝。比較統計の数字にまったく実感がともなわない朝を迎えられること、それ自体が幸運なんだろう。朝食を食べ終え、iPhoneでRSSをチェック。文字を読めない20億人より恵まれているという。同。まったく実感がわかない。実感がわかないからより意識して感謝しなければならないのかもしれないし、感謝への敬意と畏怖が祈りとリンクしたのかもって思った。紫陽花と目が合う。遠くてわからないのになんだか嬉しそうに見えた。晴れより雨が似合うと思ってしまう花。艶っぽい。

    アルバイトの資料が金曜日の午後に届いたので作業の続き。午前中は読書。午後からとりかかる。進捗状況60%。月曜日の午前中には終わりそう。

    M先生のミーティングへ出席する時、大阪駅周辺を歩く20代の男性が気になる。スーツが tight & short。細い身体しか着こなせないようなスタイル。靴の先は尖っている、尖っていなくても長い。先端は空いてそう。

    スーツがそうならカジュアルはと思いきや loose。だらしないって意味ではない。マイナスなイメージを抱いていない。着こなし方の規則や関係が緩いってニュアンス。そういえば、ネットで原宿のファッションを集めた写真を見たとき、unisex で驚いた。近視だから遠目に見たら判別できないだろう。

    tight & short なスーツをデザイナが制作するから、トレンドになるのか、時代(大げさな表現だ)が求めるからトレンドになるのか、相関関係がわからない。自分は tight & short からイメージを展開したいんだけど、展開方法がひらめかない。

    tight = きつい, ぴんと張った, 厳しい, 固く締まった, 余裕がない, 切迫した, しっかりつかんだなどの意味があって、tightは心理を表現しているのだろうか。あんなに tight だと、慌てて大便に駆け込んだ時、尻が破れないのか、とか、裾が短いと靴下もちゃんとコーディネートさせないとハラハラしないんだろうか、って心配になるし、靴も外反母趾になるんとちゃうって思ってしまう。

    loose = 緩い, だぶだぶ, 解き放たれた, 綴じられていない, 大まかな, 固まっていないなどの意味があり、他には軽はずみなやふしだらなとも云う。自分は腰ばきにまったく抵抗感がないし、羨ましくも思う。気になると云えば、わざわざ足を短く表現する気恥ずかしさや、見せパンツとわかっていても、見慣れない下着がみえたり、ハンケツを見せられた時の”こちら側”の反応を勘案してほしいと願うぐらいだ。

    パブリックスペースでは、tight なスーツで自分を固定化する。でも、プライベートスペースでは、looseに着こなす。たとえ、空間がパブリックであっても時間がプライベートなら身体から服を解き放つ。

    高校生かなって人たちの着こなしは、パターンを発見できる確率が高い。なんだかまだ模索しているよう。髪型は特にそう感じる。定型。それは、自分が、対象の細部を観察できる感性を持っていないから、みんな同じ髪型に見えてしまうのだろう。この間も、10代の男性が二人歩いていると、兄弟かなって間違えそうだった。外装は似ていると認識した。

    それも、10代から20代へ変わり、社会人になって給料の大半を服装へ投資できるようになったっぽい人たちの服装は、型から脱却している人もいるんじゃないだろうか。ただ、その型から脱却する人たちも別の「型」を参照しているかもしれず、だとしたら、まだ一般的な「先端」ではないのかもしれない。

    自分はその人たちの服装を視て、どんなイメージを展開したいのだろう。あの人たちはいつも自分へその課題を与えてくれる。

  • お子様ランチ

    2009.05.30 曇り晴れ雨

    午前中、一仕事。11:49の新快速に乗って三ノ宮へ。蒸し暑い。マスクの人は少ないような印象。ランチは大人のお子様ランチ。女性限定と書いてあったけど、オーダしてもよいか尋ねたらOKだったのでお願いした。1プレートにオムライス・ハンバーグ・かにクリームコロッケ・サラダが盛られていて、コーンスープ・デザート。満腹を通り越して食べらず。今日一日のカロリーを摂取した。周囲の女性たちはぺろりと平らげていた。

    14:00から打合せ。2時間ほど。

    その後、東急ハンズへ。GIOSで使うネジを探しに。工作経験がないから、ネジやレンチの規格を勉強しなければならない。名称を知らないから検索できない。検索は難しい。こういった「そもそも」がSEOとSEMへフィードバックできる。ニュアンスでヒットするページじゃない。おそらく知っていてあたりまえが前提なんだ。

    東急ハンズでネジを探すと見つかった。やっぱりハンズってすごいのな。GIOSに触るようになってハンズの面白さが倍増した。工具やネジ類、工作で使う道具を眺めているとあきない。一日いても大丈夫。あと、カバンもたくさんあるからよい。

    夜帰宅。夕食は玄米一杯と奈良漬け。それだけで充分。夜はM社のページを作成。三ノ宮の往復で『頭を鍛えるディベート入門―発想と表現の技法』を読み終えた。とても参考になった。

  • Computer City

    コ、コレはヤバイ。久しぶりにアイドルに落とされた。グラっときた。ファンになった。amazonでポチッた

  • ほぼ日手帳2007

    ほぼ日手帳2006昨年、はじめて購入したほぼ日手帳。今年は、明日から紹介がはじまって9月7日に開店。ううっ、まちどおしい。全国ロフトでは9月2日から販売されているらしいのでさっそく見に行ってみよう。楽しみ。

    何よりも一致したのは,書きたくなるような「設計」です.今の時代,日付管理だけなら,PDAや携帯,パソコンがありますし,その程度でしたら胸ポケットに入る小さい手帳で十分です.でも,ほぼ日手帳は,「書くそのものに楽しみがあるんだよ」というアナログならではの原点を教えてくれているような気がします.「何を書くのかはあなた次第.でもそのために必要なスペースと便利さを用意する」といった意気込みでしょうか. ほぼ日手帳: 先輩をピピッとさせたテキスト

    今年は存分に堪能させてもらった。「書くこと」自体が楽しくなったし、何より

    1. 書いたことを一カ所に集約できる。
    2. 書くスペースがふんだんにある。
    3. 方眼紙が思った以上に便利。

    なので、

    1. 重たくなってしまう
    2. 一日見開き半ページなので週間・月間を確認できない

    なんて不便さも払拭。甲乙がはっきりしそうな手帳ですな。その他、雑誌や新聞の切り抜きを貼ったり、収納スペースがたくさんあるので、カードや診察券や本人確認書類なんかをインストール。まぁ、「コレ、ぜったい落としちゃいかんぞ」のおまじないみたいなもんです。

    1日1つの名言迷言集を読むから毎日開けるし、時間があくたびに眺める。過去も未来もふくめて。メモなんかも。いいね、ページを繰っていくたびに自分のワーキングメモリを更新しているような感じが。手帳と頭の中を一致させていく作業の感触。

    っとと、そういえば、今年は思わず「Moleskine Pocket Weekly 12mth Notebook 2007 Red」を購入してしまった。Moleskineのスケジュール帳、限定版。真っ赤な手帳に一目でヤラレタ。¥1,610だし使い道はなんなとあるだろうと思って、ポチとしちゃいました。

    さて来年はどんなふうに活用しようか。今からあーでもないこーでもないところげまわるのが楽しみ。

    Moleskine Pocket Weekly 12mth Notebook 2007 Red

    関連エントリー:

  • 消費者として生活している自分を見つめる自分

    ひとつ上のアイディア。今読み始めた「ひとつ上のアイディア」が、すごく刺激的で熱っぽい。プロのクリエイターたちは、どうやってアイデアを出しつづけているのか?この問いに対して、筆者をあわせて20人のトップクリエイターたちが、技術・ノウハウ・経験・哲学・論理などにフォーカスをあわせていく。途中だけど、印象に残ったテキストに出会ったので紹介します。

    例えば、最近では水を買うということは、もう当たり前のことです。ぼくもやはり水を買います。それはごくありふれた日常の消費活動です。
    でも、普通の人は水を買ってそれを飲むだけですが、ぼくの場合は、その一連の行動をどこかで客観的に見ている自分が必ずいます。
    どうしてこんな無味無臭のものにお金を払うのだろう、大学生になるまでは水なんて買わなかったのに買うようになったのはなぜだろう、いま水を買いたいと思った動機は何だろうと、冷静に自分の行動や気持ちの動きを分析する自分です。
    これがクリエイターの視点です。生活のなかで受けたさまざまなショックについて、この視点で自分の感情回路を整理しながら考えてみる。それを重ねることで、いまの世の中を感じることができます。

    同書 P.35 さとうかしわ氏 アイデアの「視点」2より

    さとうさんは、「冷静に自分の行動や気持ちの動きを分析する自分」がクリエイターの視点だと指摘している。

    この視点は、「日常化」すべきぐらい大切なことじゃないだろうか。

    (さらに…)