がん患者らが医療機関を転々とする「がん難民」が問題化する中、がんに関するさまざまなことについて、語り合ったり相談に乗ったりする「がん哲学外来」を、順天堂大病院(東京都文京区)が30日から開設する。[…]樋野教授は、がん発生や進行の仕組み、中皮腫などを長く研究してきたが「1人に1人ががんになる時代。がんとの付き合いには哲学的な考え方を取り入れる必要がある」との思いが強くなり、「哲学」と冠した外来窓口の創設に行き着いた。
臨床哲学ということば。私にはさっぱりわからない。知性が皆無の私、天を仰ぎ見る。「哲学」と冠した外来。「がん」を患った人。「がん」を患った人のそばにつく人。がんに「ふれた」人。私もがんから外れない。かかわりをもった。患者を救う明日のプランは治療の埒外か。あるいは治療という言葉がはめこめられない領域であって、いまだ生まれぬ「ことば」なのかな。
「体調が少し良くなったら、病院の庭にテントを張って過ごしましょうか」長野県の諏訪中央病院は、東に八ケ岳、南に中央アルプスを望む。末期がんの30代女性の病室で、鎌田實医師が山並みを眺めながら言うと、女性の顔がぱっと輝いたという。[…]女性は結局、それさえ実現できずに亡くなる。しかし、後日、ご主人は鎌田医師に「先生、あの言葉が、僕たちには、本当に救いになりました」と、伝えたという。
新聞を読むんでいたとき飛び込んできた記事。ふいに衒いなく目がかすむ。「1人1人ががんになる時代」に突入したという。私は「私とがんのつきあい方」よりも他者ががんに患ったときに私が「他者とがん」にどうつきあっていけばいいのか感じ取りたい。望むならこの動きが広がって、距離が負担にならず通える「地域」であってほしい。