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  • 遺恨

    2011.11.28 曇

    [youtube=http://www.youtube.com/watch?v=eJ2Eu8vSjrQ]

    真っ暗な朝、多和田えみのNaturallyでスタート。今年は“SINGS” よく聴いたなあ。マイお気に入りゾーンの内角低めって感じ。

    第五十九候、朔風払葉。枯れ、冷える。なくなっていく景色が好き。無から有への円環を感じる。紅葉をちゃんと見ておらず。見られるときに見ておかないと。

    椎茸とほうれん草でレーズンバター炒め。バターの塩分をいかして少しだけ塩をたしてあとは胡椒で味をととのえる。薄味でうまくいった。ほんのりレーズンの甘さが残っていてうれしい。

    オリジナルのカバーはむずかしいのでしょうか、むずかしいんでしょうね、そう思いたい、ぜひ。近ごろラジオからカバー曲が流れてくれるので耳を傾けると、どうもカラオケに聞こえてしまう曲がいくつか。私の聴力の問題? そうだろうなぁ、でもね、自分で吹いた口笛を聴くと鳥肌がたって身震いするほどの音痴であると自覚できます。聴力は正常値に近いはず。

    2週間ほど前、皇子山陸上競技場周辺を散歩していたら高校サッカー滋賀県大会の準決勝、守山VS守山北をやっていたので外から観戦していた。延長後半に守山北がゴールを決めて決勝進出、そのまま野洲を破って全国大会へ出場したらしい。

    声援が外まで聞こえてくる。ボールの行方を追っかける歓声のウェーブがステキでした。ああいう時があったなぁって思い出させてもらった。

    来年早々には不惑。20年前、大学のキャンバスは喫煙できた。吸い放題。いまからふりかえれば、吸わない人は談話室へ近寄りたくなかったはず。休憩時間、廊下の灰皿でプカプカやりながら授業を待つ。周りを気にせずなんの疑問もなく吸っていた。

    それがいまやキャンパス内全面禁煙とか。キャンパス全面禁煙か分煙かの議論、私は不可知論を選択したいけれど、そうはいかないとしたら、やっぱり「よい」方向へ向かっていると思いたい。

    早いか遅いかはあるけれど、おおむね私はそういう点に楽観的。物事はよりよい方向へ進んでいると思う。昔のVTRを見たら川にゴミを捨ててるし街は汚い。そういった負の部分を取り上げずに19xx年代万歳、どうなんだろうね。いまから20年後、泥酔している人は駅のホーム立ち入り禁止になってるかも、とか妄想する。

    「選別」って発想はより研ぎ澄まされていくような気がする。正邪好悪の価値を含めて。

    正法眼蔵随聞記 六 十三 先師全和尚入宋せんとせし時

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.364

    長い、むずかしい。明融阿闍梨がいまわの際で、入宋しようとしていた明全和尚に言った。「死出の旅路を見送ってもらいたい、わたしが死んでから入宋の望みを果たしてもらいたい」と。

    それを受けてのやりとりが記されている。結局、和尚は入宋を中止しないで渡航した。なぜか?

    六の十三は、仏法を学ぶときの考え方に対する本質を提示していると感じた。字面をおって読めば意味は理解できる。でも、物事の考え方として理解しようとしたら立ち止まってしまう。

    自利と利他。この二つの単語だけですら一生かかっても身につけられない考え方が目の前にあるような怖さを感じた。

    自分の身体から言葉がどんどん剥がされる、いままで身につけてきた知識が知識でなくなって単なる記号になってしまう、いま使っている言葉が安易に使えなくなる、そんな恐怖を正法眼蔵随聞記は感じさせる。

  • 後方

    2009.11.21 晴れ

    朝、目が覚めて、 『日本辺境論 (新潮新書)』 内田 樹 を読む。昨日、残り数ページを残してしまったので、気になっていた。起き抜けにどうしても読み終えたかった。矛盾、比較、外部、起源。平易な単語を使って複雑な事象を表現する。文脈を探求すれば平易な単語に到達する。そのときそれらの単語の定義、自分で吟味して理解しようとする意味を定めず使っている自分と出会う。

    午前中、昨日のミーティングで下書きしたリストを清書。MS Excelを使っていないので操作方法がわからない。たいへんだった。先日、日本人がExcelで文書を作成していると外国人が見聞して驚愕(なかにはクレイジーとか)したって記事を読んだ。ほんの少しだけ共感できたような気がした。

    お昼前に大津パルコまで散歩。小1時間、のんびり歩きながら到着。道端の花をながめたら三井寺の紅葉を遠くから確認したりして楽しかった。比良山系が曇っている割に琵琶湖は対岸まで見えた。大津港から琵琶湖大橋までくっきり。

    大津パルコのユニクロをのぞくと混雑。どうやら5,000円以上買うと1万円が当たるらしい。あと、様子を眺めていると60周年セールとの由。広告のセール開店5分で完売したとか。年配の方々が10円の靴下?!(そんなのやっているのかどうか知らないけれど)を探しにきて、店が違うと何度もスタッフが頭をさげていた。そこから推測するに、大がかりなイベントをやっているよう。

    ユニクロの店舗数×来店客数×5,000円 – 製造原価 と 1万円×当選者数 を知りたくなった。差額はいかほど。比較してみたくなった。広告のポリシーが伺える。

    今回のセールの後方支援も知りたくなった。自分の目に見えていない範囲。物量と物流とシステム。人の動き。誰が指揮して、それらの情報がボードまで到達する経路。ボードが判断に必要な情報と現場が報告する情報は合致しているか。現場の店長や主な方々は徹夜続きかもなんて想像したり。後方支援は重要な要素と自分は考えいる。

    導線が悪くても商品を買う気分が維持され欲しい商品が揃っていればお客は楽しく買い物できるんだなぁと観察。おもしろい。

    モスバーガーで季節限定の玄米餅と栗のぜんざいを食べる。とても美味。玄米餅、よい感じ。すごく気に入った。玄米餅を食べてみたくなったけど近くでは売ってない。うーん。

    夕方は再び歩いて帰る。途中で小雨に遭遇。躰を動かして気分もスッキリ。

  • 燃犀

    2009.11.10 曇り雨

    腰が痛くて目が覚めた。前日、座りっぱなしだったのも影響を与えたかも。空は曇っていたし、天気予報は午後から雨なので水やりはなし。洗濯。午前中で乾くはずない。まぁ、予報とにらめっこしながらいつしようか迷っていたらこうなってしまった。

    机の前に座りたくなかったけど、ぐっとがまん。仕事にとりかかる。週末にメールで依頼があったページ制作と公開にとりかかる。一つずつ順番に処理していき、15:00頃に終了。いくつかそそっかしいミスがあり赤面した。近ごろ、そそっかしいミスが増えた。ケアレスミスでとどまっているので助かっているけれど、注視しなければ。致命的なダメージになりかねない。

    前日のミーティングを振り返り、頭脳明晰や頭がよいを定義するとしたら、何から考え始めたらよいのかと疑問が浮かぶ。これは常々自分が抱く疑問。なぜなら、自分は頭の回転が鈍く、頭がよくない(といっても、頭が悪いの定義も難しい)と自己分析しているから。とりわけ指向性と着眼、そして伝達、これら3点が課題。あるテーマを議論するとき、議論の仕方の技巧を学べば結論を導けたとする。だけど、それは、テーマが存在するからであって、そもそものテーマを突き止める、根本へ目を向ける視点が欠落している、と自分を観察している。

    燃犀への嫉妬や羨望があり、10代や20代の頃、それを持ち合わせていない自分を認めたくなかったから、意地を通し、技巧や枠組を学び、後は知ったかで乗り切ってきた。30代にさしかかる頃、そのふるまいに疑問を抱き、ようやく自分の知能が低いと認められるようになった。ただし、10代・20代に身につけた振る舞いは残留している。それは癖となった。30代はこの癖を取り払うためにあるように今は受け止めている。

    ドコモが冬春モデルを発表した。自分は2年前に10年ほど使い続けたNシリーズに見切りをつけた。NM705iに機種変更してかなり満足していた。その満足感はiPhoneを購入しても維持された。でも、ドコモの携帯は電話+メール+おサイフと割り切った。だから今はドコモの端末を調べるとき、調達コストだけが検討材料にリストアップされる。次々と新しい機能が搭載されるけれど、それを使いこなせない自分がいたし、そうなると、触っていても楽しくなかった。一度、否定的な見方が芽生えると見場に惹かれる機種は少ない。そして、山田社長の「Wi-Fiより3G」の言葉がチェックメイトだった。自分のライフスタイルとドコモの販売方針が合わなくなったわけで。それはしょうがない。納得。まぁ、13年使い続けているし、家族がぶら下がっているので料金はリーズナブルだから解約はないかな。

    夜、山崎12年をストレートで楽しんだ。ようやく少し慣れた。美味しく感じられるようになってきた。次は15年を飲みたい。でも、そろそろお酒も断の対象かなぁと思案どころ。

    21:00すぎF先生とSkypeで話す。とてもおもしろかった。自分の伝達能力の欠点を分析できてよかった。

  • 倦怠

    2009.10.18 晴れ

    倦怠感。ちょっと気になる感覚。裏目の流れを断ち切る気持ちとくよくよするなと自分に言い聞かせ気持ち、両方が弱い。まだ自分に甘い。躰が冷えやすくなった。20代ではありえなかった躰の変化。季節の変わり目の温度変化を感知。敏感。気をつける。

    朝、秋植え球根を植えた。7株のチューリップ。初めての球根。要領がわからず、球根の数も少なめ。試行錯誤。育ってくれるとよいけど。春先が楽しみでありドキドキ。冬場に水やりする植物があるって嬉しい。冬から春。生まれ変わる。『今日は死ぬのにもってこいの日』 ナンシー ウッド, フランク ハウエル を読むと冬への強い想いが伝わってくる。

    倦怠感。倦怠を広辞苑で検索すると、 (1)いやになってなまけること。あきあきすること、と (2) 疲れてだるいこと。「―感」、 と書いてあった。 感は疲れての意味に付与されるのかな。嫌になって怠けていたり、あきあきしたりしているつもりはないけど、倦怠って言葉が浮かんだ。なら、(1)へすり寄りたがっているかな。あるいは、倦怠って理由を後から付けてやりたくないの言い訳へ変換したい。そちらのほうが適切。

    理由は動機と似ている。理由を考える時、理由の対象はすでに発生している。過去。発生した事象を現在から観察する。現在から過去へ遡及して、観察時点の自分が納得できる文脈を探す。よって、動機と同じく理由を発見したいなら細心の注意を払わなければならない。理由を探索する姿勢を放棄して、理由をありのまま受け入れる姿勢を保つ。探求は仮説を構築する。あるいは、自分の語彙の中で物語を模造する。

    あたりまえの意味は連続と関わっている思う。あたりまえのことだけど、連続している時、なかなか気づかない。何が連続して何を気づかないか。無数の日常が、何がと何をに代入される。そして、ある日、ある時、ある瞬間、連続が途絶えたとき、空間に差異が生じる。差異は視覚や聴覚、嗅覚を刺激する。五感の察知が不連続を認識させ違和感を抱かせる。

    だけど、そもそも連続している事象は何か。ひょっとして連続していると思い込んでいるかも。連続-断絶-連続の断絶を感知できず、連続-連続と誤解していたり。今のところそのへんをウロウロしている。時間と空間と連続と偶然、そして自己組織化、それらがバラバラにちらばっていて、拾い集めたいけど、集め方を知らなくて迷子になっている、そんな状態かなって焦り。

  • 観察

    2009.10.16 晴れ

    06:02起床。朧気。夢を見た。記憶に格納されているどうか知らない。思い出せない。覚醒の時、映像の断片を再生して消去された。よい夢ではなかったと思う。青紫蘇に別れを告げて、週末いよいよ秋植え球根をチャレンジ。楽しみ。水をやりながら早朝の空を見上げると気持ちよい。

    午前中、S社のページ制作とコード整理。しばらくはこのフローが続きそうだ。わかりやすいコードを心がける。改めてコードを読み直すと古いバージョンだと思う。ソフトウエアのバージョンアップと同じようにコードも洗練されてゆく。世界中のコーダは新しい概念と技巧を提示して標準かつ高効率な制作環境を構築。それを追っかける。

    午後、ISP変更に向けた準備。メールの整理や固定IP変更の手続き。メールを整理していて気づいた。メールが無駄であること。それをライフハックに転用したい。

    夕方、大阪方面へ出発。19:00、M先生のミーティング。議論が深まった点と前提が異なる点。前者はこれからも議論。実効策と思考設計。アイデアが次々と孵化。感嘆。ただし、思想設計を共有できなければ実行が継続されない。策の根底にある思考が設計され理解されれば臨機応変の可変幅が広くなる。障壁は後者。前提が異なったテーマは議論を深める、あるいは実効策を考える前に、前提の折り合いをつけなければ。おそらく自分の役割は、自分以外のメンバが理解する行程を可視化すること。そのために言葉を尽くそう。

    アマゾンが電子書籍端末(Kindle)を日本でも販売する。今のところ端末を購入して読める言語は英語だけ。画面は白黒。ニーズは限定されると予想されている。予想が当たるかどうかに興味はない。それより電子書籍のスキームは進化していること。日本は著作権と紙の利権争奪に奮迅。まるで iTunes の二の舞を好んで選択しているかのよう魯鈍。2010年にはGoogleがオンライン販売を開始すると海外では報じられた。日本のくだらない争いに巻き込まれるより自分で言語を習得すれば、あるいは翻訳の手段を得られれば、世界中から読みたい本を調達できる。ステキな環境。

    勉強が嫌いであるから考えられないわけじゃない。学びの欲望を体験していないから仕方を知らないと観察している。学びの欲望を体験できる環境へ己の身を投じ、外部の要素が自身へ影響を与えれば、仕方を知る契機が起動する。勉強は嫌いでもよい、と自分は認識している。学びから得られることはわからないという視点。その視点を研ぐ。わからないへの耐性を鍛えれば、意味のわからないことがいつか自分の役に立つという観点を獲得できる。その観点の集合が知性だ、と自分は考える。

    昼食はなし。夕食はM先生と軽く、のつもりがつい話が熱くなり23:30にまで。あわてて電車に乗る。01:00帰宅。またひとつM先生から課題をもらった。それを抱えながら瞼をスリープさせ意識をシャットダウン。

  • 俚諺

    2009.10.06 雨

    もうすぐ目が覚めても薄暗い季節がやってくる。涼しい朝から寒い朝へ。毎朝、毎朝、目が覚めるたびに同じ自分であると確認しなくてよい。すごいな。computer ならそうはいかない。システムチェック。ようやく稼働する。それも昨日のcomputerと同じと認識しない。当然。ただ、ヒトは細胞までチェックしない。細胞までチェックしていると混乱するだろう。昨日の自分と違うと。

    午前中、O先生の印刷の仕上げとメール。すべてOK。これで印刷して納品すれば完了。その後、F社のSEOとSEM。コンテンツの充実。では充実とは。ログを分析して技術的要素を排除したとき、浮かび上がる。ニッチなテーマでなおかつユーザサイドに近い視線から書かれた文章はヒットしている。

    キーワードは物語。ユーザサイドの物語を書く。これができない。注意点は冗長。冗長な文章で物語を紡いでも読まない。1ページあたりの滞在時間は平均約1-2分。3-5分の滞在はまれ。だから、ユーザの目線の動きを計測して、飛ばし読みポイントを想定する。そのポイントに鍵の言葉を挿入する。そのポイントは短文かつ平易に。もうひとつ。ページ単位の物語よりサイト全体の物語。検索経由で訪問したユーザは次ぎにどこをクリックするかではなく、どこをクリックしてほしいか。

    夕方、FreeBSD 7.2で苦戦。Apacheの設定。Mac OS X Server 10.で使っていた、海外のiPアドレスをはじく設定ファイルを FreeBSDへ移して Include させてみるが、error.log に client denied が記録されない。おかしい。なぜ。.htaccess に直接 deny from を書くと有効。ということは、mod_access(or mod_authz_host)は機能してる。これまたふーむ。

    加齢すると、俚諺に拘泥する。俚諺にとどまらず言い得て妙な表現を使いたくなる。諺とか。政治家はその先端にいる。彼らを観察すると、人の振り見て我が振り直せを発見できる。俚諺を自分の都合のよい時にしか使わない。自分にとって都合の良い俚諺しか頭に残らないからだろう。不思議なもので俚諺や金言は当事者が考えた言葉でないにもかかわらず、公共物として扱われるから、誰の口から発せられても説得力を持つ。その背景を吟味するまでに至らない。そういえば、先日も郷に入っては郷に従えとこれまた都合の良い言い回しで海外の金融機関や投資家を批判していた。他人の言葉で紡ぐセンテンスが多くなれば、ルックスは洗練されているけどデザインがない。

    台風がやってくる。近畿に直撃か。子供の頃、台風が接近してきたので家を飛び出そうとする自分を親は真剣に叱った。伊勢湾台風や室戸台風の怖さを知っていたからだろう。祖母は第2室戸台風で太鼓台が飛んでいった話を台風が来る度にしていた。それもあってか、台風が来ると過剰に反応してしまう。

    昼食はなし。夕食はお鍋。豚肉, 豆腐, 白ネギ, 白菜, 担子菌類, うどんなどなど。躰がポカポカして気持ちよかった。美味。

  • 疎通

    2009.10.02 曇り雨

    07:05起床。昨晩の一杯機嫌のおかげかぐっすり眠れた。朝は雨があがっていた。昼前あたりから雨脚が激しく。ラジオの道路交通情報は速度規制を伝える。起床の時刻は変動するけど、午前中のワークフローリズムは落ち着いてきた。

    午前中、O先生へメール。引き続き、プリント出力のページづくり。続いて、S社のページづくり。いよいよ会計へ。鬼門。さてどう制作するか。頭痛。でも、これが醍醐味。設計から制作まで。ただし、コンテンツが自分の側にない。そこが自分の弱点。コンテンツの質量をある程度提供してもらえないと制作できない。

    15:49の新快速で大阪へ。パソコン工房で500GB(ATA)を購入。これで、FreeBSDのSCSI(18GB, system)、ATA×2(500GB, data)でファイルサーバを構築できそう。6,980円。すごい時代になった。でも、SATAへ移行するとコストパフォーマンスはさらに高い。

    19:00にM先生の医院に到着。スタッフの方々と個人面談。19:20頃スタートして20:45分。大幅に時間が延長してしまった。申し訳なく思う。まだまだ聴き足りない。白紙の状態から開始。もっと掘り下げたい。昔は質問を用意した。今はしない。臨機応変を心がける。場に飛び出す言葉と行動を大切に。本人が無意識に口にした言動は他者を反応させる、ということを本人に認識してもらいたいと切望。それがメタ構造の扉だと感じる。自己参照能力の向上を支援すること。それが自分の仕事だと自覚。集中と緊張感。一期一会。現場はコミュニケーションしているか? 第三者という異常なパラメータが入力されたとき、疎通の困難が表出する。

    22:00頃、ちょうど京都へ到着したときF先生から入電。帰宅後、Skypeでrendez-vous。プリンタ設定のやりとり。最初に確認する技術的要素をスルーしていたため少し手間取った。私のミス。設定完了。でも、改めてSkypeの有意を確認していただけたと実感。ステキだ。時空が心理的に縮小された。

    『世界は分けてもわからない (講談社現代新書)』 福岡伸一 を読む。事象を物語で紡げば理解できる。ただし、物語を理解しただけであり、事象を構成する科学と技術を理解したと断定できない。ならば、物語を紡げなければ人を説得できないと想定できまいか。科学と技術の知見を広めたとき、物語の背景が前景化されあたかも自分は演出家になったような錯覚。物語を眺める観客から演出家の視点へ。事象を構成する要素を科学と技術に仕訳し、その仕訳した要素を組み合わせ物語を紡ぐ。言語の獲得。そして、もう一度、物語を解体する。何が。哲学が解体する。ただし、倫理はどこに関与するのか自分の愚かな頭をもってして考えることすらできない。わからない。自分のカテゴリに倫理はない。だから恐れている。

  • Why? What? How?

    琵琶湖

    アインシュタインも「問題を20日で解決しなければならないとしたら、私は19日かけてその問題を定義する」と述べています。

    『イノベーションの神話』 P.147

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  • ウェブサイトを通じて想像する

    自分の無知についての知識の続き。

    先日、ある会社のミーティングに出席しました。サイト開設後、はじめて開催された会議で、内容はサイト更新の打ち合わせです。出席者は各部門の責任者でわたくしをいれて計6人。

    そして、打ち合わせが進行するにつれ、奇妙な感覚につかまりました。それは、

    「サイト運営の当事者(各部門の責任者)が、当事者でないような」

    感覚です。

    つまり、「目の前にあるサイトを他者が閲覧したときに、”何を考え”、”何に不自由さを感じ”、”何を求めている”のか」という視点が抜けて落ちているというのでしょうか。

    少し厳しめな言い方ですが、「自分が顧客であるならば」という想像力を働かせることなく、

    • 「表現や画像」などに注意が向けてられてしまっている
    • 自分が発信したい情報と読み手が受信したい情報を峻別していない

    わけです。

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