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  • 【備忘】埒外

    2013.08.25 雨のちくもり

    http://www.youtube.com/watch?v=jTPD6cPym_M

    ソウル・フラワー・ユニオン – 平和に生きる権利 でスタート。「静かに暮らし 生きる権利を」静かに失われつつ、あるいは奪われつつあるのだとしら抵抗するよ。ファンクにロックにアイスピックみたいに。無力でもやるよ。

    憤慨の備忘。ここに書いたところで、と承知している。もしも数年後までここが残っていたら、と思ったので。支離滅裂を記録する。

    スーパや駅前の駐輪、帰宅しないゴミは一定数の存在を誇示している。それらは理解の埒外だ。こちらは強烈な不快を浴びせられても認識しなければならない。

    今回は一定数でなく、マジョリティだ。構造は同じ。理解の埒外にある存在。

    文部科学省が発表した「体力・スポーツに関する世論調査」を目にした。憤怒。怒りが通り越すことはまったくなかった。オリンピックなどの国際大会を国内で開催することに、「好ましい」と「どちらかといえば好ましい」を合わせた回答は計92.0%。なんや、この数字。

    アンケートは質問と手法と母集団によって、結果は変わる。今回も疑った。冷静になろうとしてもダメだった。理解の埒外の存在に苛立った。

    東京2020オリンピックに反対だ。反対の理由をくどくど書かない。復興と原発。

    そして、未来は音楽、映画、演劇、舞踊、工芸、絵画、詩歌、文物など、もっともっといろんなことで満ちてほしい。

    紫陽花

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  • 一番うまい鰹節ダンスだろうな、きっと

    2013.08.25 雨のちくもり

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=tVs6MCoYQZs]

    The Miceteeth – Rainbow Town でスタート。「陽のあたる橋 超えて 虹の中すべり落ちる 花の名前をひとつ覚えて 七色に光る街まで届いたら」の始まりがお気に入りで、ふわぁぁぁっとして、どんな雨の後の虹で、何の花で、どこの街なんだろってくるくる回る。

    少し間があった。

    頭の中でタイピング。感情以上思考未満の群れに言葉の輪っかを投げて囲う。無造作な羅列。輪っかからするり抜け出していって、「あっ!」が稲光。思い出せない。

    頭ん中での断片浮遊を味わうと、脳は楽する。楽になるのって気持ちよい。だけど、たまーに鍛えてやらないと。ほんのちょっぴり無理に食べて、頭の胃袋をひろげてみる(けどなかなか楽しよるわ、頭)。

    既知と未知。もっと深く潜りたい既知。丁寧に味わいたい未知。もっともっと。自分の駄文は同工異曲なんだと恥じながら、官能の、もとい、感応の根を伸ばしたい。

    感応の根をはり、言葉の幹を丈夫にして、ゆらゆら揺れ動く。在りたい。

    1と0.9999999999…..の中にある小さな無限の「わからない」ことに向き合えないときはある。

    木のベンチ 光と影

    夕方、歯の健診でお世話になっている先生のお誘いで天満へ。お相伴にあずかる。正客は先輩。

    久しぶりの焼酎。40℃を呑む、くぃくぃ。年に1、2回、お声をかけてくださる。過分なお心づかい。

    先生と先輩がおっしゃった。ほんまうまそうに呑みますね、と。「弱いのにいっちょまえに頂戴してます」の苦笑い(照れくさいから隠したいのに)。

    以前、別の先生が、高台からある景色を見せて下さったとき、からだで表すなぁとおっしゃった。

    美味い酒や響く景色に触れたら、腕の生毛が、アツアツのお好み焼きにのっている鰹節になる。いまの模造記憶に従えば、幼稚園のときってあのゆらゆらしている鰹節は生きていると信じていたと思えなくもない。今回も鰹節になった。いつもの3倍酔った。

    酒を嗜むなら、いっしょに呑みたい人がいてもおかしくない。いつか、の影はぐんぐん伸びる。影の誘いだ。いつかいっしょに呑んだら光に変わるんやろなぁ。帰りの列車内、血液が焼酎と空想を体中へ運ぶ。

  • もっとも遠くにあるあたりまえ

    2013.08.19 晴れ

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=BKwQ8Vunj9Y]

    ORIGINAL LOVE – フィエスタ でスタート。『風の歌を聴け』の中でお気に入りにナンバ。リンク先はオリジナルじゃないけど、「花びらよ 彼方の 友達に届け」が、突き抜けるいま。無力でもあがき続けられる気力はまだ残っている、ちゃんと。

    大阪は大津よりギア一つ分暑い。ギア一つ分のトルクが暑さを加速。アイスクリームの気持ちがわかってしまいそうだ。溶けそうだ。2,3個の脳細胞は溶けた。そこかしこにあるたこ焼き屋さんが眩しい。タオルを首に巻いてクルクル回す彼女、タオルを頭に巻いて反復横跳びソースの彼、あぁ、麦酒とデートしていか焼きほぉばりたい、姿焼きではありません、い・か・焼・き。

    ミーティングの定刻より少し早めに到着したので公園で影と戯れる。生暖かい微風。メールあり。読む、何度も読む、読む。

    ミーティングを終えて、脳細胞が6個溶けたと確信できる街中。大阪駅へ。サウナと思えば脳と身体の新陳代謝は促進されるだろう。言い聞かせる。新快速に乗ってメールを読み返す。返信を書く。

    赤貧の返信。書いた文字列と言いたいことはいつまでたっても手をつなげない。

    (さらに…)

  • しょうがないわぁの苦笑い、やるぞぉの微笑み

    しょうがないわぁの苦笑い、やるぞぉの微笑み

    2013.08.15 晴れ どんどんわからなくなる

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=6BBJ0m9Bllo]

    Quasimode – All is One でスタート。自分のなかでは、 indigo jam unit と双璧。漏れる、零れる、揺れる。

    日の出がだんだん遅くなってる。カーテンを開けると暗くもなく明るくもなく。淡い階調の空と、うっすら見える山。朝の1時間とちょっこし、を味わいたくて眠りについているかも。

    頂いた珈琲豆はずいぶん前に使い終わり、いつもの豆を挽いている。一番深いローストの豆もおいしいけれど、匂いやら味のような無形の手ざわりが脳裏にあり、頂いたものってなにかが違うんだね、何かが、何だろう。

    生活にくべる気持ちの配分が、不均衡すぎた。与党の議席数よりはるかに多いみたいで据わりが悪かった。それを知覚できた初夏から真夏。ちょっと長めの往来だ。

    続いていく営みに息が途切れてしまうから、無意識に句読点を打つ。でも、感情の境目がなくなってうわぁぁぁっとグチャグチャになったとき、何処で打つのかわからない。

    “、”は打てても、”○”が打てない。

    “○” を打つぞと意気を揚げるが、空白を怖れて埋めてしまう。まわりから取り残されたかような過剰成分が分泌されて、空白をどんどん埋める。息が上がる。

    何をするとはなしに何かして、指を動かし、足を動かし、目を誤魔化し、とにかく止まらない、”○”を打たない、浅い呼吸。息も絶え絶え、生活の酸素がなくなる。

    止まって深呼吸だ。

    鳥居
    *FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

    昼間、近所のスーパーに立ち寄って、入口のペットボトル専用ごみ箱にぎょっとした。ペットボトルが堆く積まれている。ごみの受け口から盛り上がり、どうすればこんな器用な積み方ができるんだろうかと思った。

    どないしたんやろう? 立ち止まる、凝視。ちょうど清掃員の方がやってきて、ごみ箱を目にするなり「うわぁ、ちょっと油断したら!!」と私を見ながら声を上げた。年配の女性の声は、なんだろ、「あちゃぁ〜」が混じった明るい声に聞こえた。

    「しょうがないわぁ」の苦笑いと「やるぞぉ」の微笑みがほどよい配分で表れたような顔をこちらへ向けてくださりながら、クルリごみ箱へ向かってよっしゃな後ろ姿。

    「ありがとうございます」とお辞儀して声かけて、スーパーへ。

    すごい大切なものをもらった。

    こういう出来事が、”○”を打ってくれる。捨ててはいけないかもしれないが、少しずつ捨てていけるだろう、少しずつ。

  • 化石を堆積している広大な心の地層

    化石を堆積している広大な心の地層

    2013.08.12 晴れ 凸 2013.08.13 晴れ 凹

    笹川美和 – 笑い でスタート。泣き笑い。「他には愛を学べば良い 悲しみなど学ばずと良い お前の涙あたしが受けよ あたしの笑みをお前に与えよ」の歌詞。自分をどうにかできる私とどうにもできない他者には逕庭があり、そこへこの歌詞を敷き詰めて待つ。いますぐ持ち帰ってもらわなくても、いつか拾ってもらえたらと想いながら待つ。

    08/12 朝一番に入力を終了してデータ送信。郵便局へ立ち寄って散歩。神社まで歩いてお願い事。はやく治りますように。

    自分のことはお願いしないのに、他者のことをお願いする矛盾。矛盾をそのままにしておける鈍さとそのままにしておけない素直が折り重なって心の地層をつくる。

    成熟した人とは、色彩豊かな化石を堆積している広大な心の地層を持っている人だ。きっとそうだと思う。

    神社には境界がある。皮膚感覚にすぎないが、大小の木立は明確な意志を持って辺りの人工音と鎮守の静寂を仕切っているかのよう。

    昼下がりの灼熱のお参り。ポケットに手をやり停止ボタンを押してイヤホンをはずす。誰もいない参道を踏む。足と砂利のサウンド。光と影。見惚れていた。緑樹は分け隔てなく光を通して影を象る。来る光は拒まず去る影は追わず。

    以前は拒まず追わずであったのに、喪失の恐怖は拒まず追わずの質朴を毀す。失うことの怖さによって綻ぶ。もう一度身につけるまで少し時間がかかるだろう。

    靴を脱いだ。伝導されるちょっぴりの熱が、抱えていた熱情と等価交換されるみたい。共同幻想からの覚醒。

    「不思議な静けさに満ちていて、それでいて開かれている」ような境界。そんな人になりたい。役割を終える時機を間違えたくない。古来、人間は引き際が大切という。

    flower yellow
    *FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

    08/13 第三十八候、寒蝉鳴。夏の終わりに鳴くと思われるいる蜩。さにあらずらしい。薄暮の時間の演奏。

    旬の魚ははまち。関東ではいなだというらしい。呼び名の違い。豚肉の入っている中華まんを豚まんとよび、肉まんと言わないみたいな。

    書店へ行き、“身体のいいなり (朝日文庫)” 内澤旬子 を購入。“世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)” 内澤 旬子 で知り、これも読みたかった。

    「乳癌と診断されてから、なぜか心身とも健やかになっていった自らの闘病体験」を、Twitterで著者ご本人が

    とおっしゃるしなやかさ。女性が自身の身体を通して見る立脚点か気になった。

    頭の中が渦巻いた、って例のライタの方がさえずっていらっしゃった。ブログ界隈で話題中の記事を読んだと。私も読んだ。同、文才に嫉妬した。あの二人の文才は怖い。なんであんなおもしろく味のある文章を書けるの。まったくわからない。うわぁぁぁぁってなった。

    羨ましくてしょうがない文章を書く人が、別の人の文才を羨み、嫉妬のリレーが可笑しくて、その方と同じく落ち込んで、こんな文章でも屋号で検索してアクセスしてくれる人へありがとうを言って、自分のために書いているのに、検索してくださる方がひとりでもいるっていう事実に嬉しくて、嬉しいのに奇を衒ったり笑ってもらおうっていうサービス精神があんまりない私の精神構造は致命的と開き直り、完璧に開き直れていないのはひょっとしてほんのわずかでも何か期待されていることってあるんだろうかとちょっぴり思い浮かべるあたりに見え隠れて、どうよこの性悪なツンデレと今日も顔が見える世界と顔が見えない世界の緩衝地帯で自慰している。

  • 裸の木を見つめられるオブラート

    2013.08.07 晴れ

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=85M-knepAhY]

    Isabelle Antena – Sunshine Express でスタート。昨日と同じ系に分類してます、私的。30℃オーバーの部屋で汗かいて、水分補給忘れて、頭が離脱、外国に来た異聞、気分。

    二十四節気、立秋。太陽の黄経が135度。暑中から残暑へ。世間は夏季休暇の仕度、変わらない日々の手前。第三十七候、涼風至。

    旬の野菜はオクラ。原産はアフリカ、北米から世界に広がった。人間の愚行と蛮行がオクラを北米へ「移住」させたとの由。今夏もよく食べる。

    花が咲く木は意識を奪い、裸の木は通り過ぎられるように、酷暑は感応を奪いかねない。移ろう微細を素通りしそう。

    裸の木をじっと見つめられるオブラートで身体を包みたい。

    清閑と美。

    緑、光と影

    わからない、あまりにもはかりしれない経験で。

    普通の人は絶対に立ち入れない空間。

    想像は、そこにいらっしゃった方々と空間の”存在”を冒涜するだろう。したあかん想像はあるはず。不知の事象へ沈黙する心構え。

    感じたこと、ひとつ。

    空っぽになる、ってかけがえのないことかもしれない。わからないから的確に表現できない。するつもりはない。どうしてかわからないけど。空っぽでいる時間がとても大切に思った。純粋に思う。

    感佩した。なぜだかわからない、わからない。

  • 迷路の扉を開く、彷徨、狂う方向感覚

    2013.08.05 晴れのち夕立 京都駅浸水

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=cYF0qU5WSew]

    Feist – Mushaboom でスタート。Feist が琴線に触れる。思い当たる。古いアルバムをめくっているような尻の穴から入って鼻腔からにゅるっと出て来そうでむず痒い、痒い。

    目が覚めてカーテンを開ける。陽射しも起きたばかりか。昨日までと違う質感が身体を縦断した。気になって調べる。04:40頃の日の出から毎日1分刻みで遅くなり、今日の日の出は05:09だった。

    物理法則をわずかでも感じられたせいか、ちょっぴりの嬉しいが一日の始まり。気づくの遅かったかもしれない。でも自分を楽しませるには充分だ。

    どうにもならないことが五臓六腑にしみる。このしみるは染みる、沁みる、滲みる、のどれだろう。どうにもならないことだと頭がわかっていても身体は拒む。理解と拒絶のクレバスに落ちないために梯子をかけようとして足掻く。

    相手がいて成立することや独りでも成り立つこと。両者を仕訳できず混合した事象と混濁した思考が昏迷して、どうにもならないことをどうにかする迷路の扉を開く、彷徨、狂う方向感覚。

    朱と青

    ETV特集『人を動かす絵 田中泯 画家ベーコンを踊る、でフランシス・ベーコンの絵を目にした。日曜美術館の「恐ろしいのに美しい フランシス・ベーコン」と「浜田知明」の回をまた視聴する。

    絵画と版画。二人の表現が私の中で重なる。交錯、重層的。ざわざわする感じ。

    肉体から体を引く。歪形の肉。ざわざわさせる。言葉にできない、してはならない痼り。

    『初年兵哀歌』シリーズ。目をそむけてはいけない光と影の二次元。ベーコンが描く口の叫び。見る側が勝手に相貌を補正する。

    身体があることがあたりまえであり、動いている身体は音楽を聴くよりも日常に溶け込んでいる。絵画と版画が表現する喪失した身体は私の視覚を刺激して、五感の輪郭をひろげる。あたりまえが壊れる。

    壊れたあたりまえをこれから繕う。繕いから生まれる。

  • 匂い、感じる、歌詞を覚えて曲名なんだっけ?

    匂い、感じる、歌詞を覚えて曲名なんだっけ?

    2013.07.29 雨

    小沢健二 – 痛快ウキウキ通り でスタート。偶然、ここをご覧になった方もよろしければごいっしょにどうぞ。「喜びを他の誰かと分かりあう それだけがこの世の中を熱くする」んだよ、ね。これ、なんでもよいから自分なりに一度体験できちゃうと、あの”わたしのうふふ”感は勝手にふらふらお出かけして、誰かのハートに忍び込んでくつろいでいて、そうやって”わたしのうふふ”感があちこちに伝播していくんだよ、たぶん。

    時代と世代がまるっと共有してそうなアーティストや曲ってない?

    いまの10代や20代の方々も小沢健二さんを聴いたとして、私がビートルズを聴いているみたいな座標かもしれず、断定はいけず、曖昧にしとく、としてもやっぱりあの時あの場所であの雰囲気を共有する空中散歩があり、”あの”を連発する歳になったじれったさにくわえて鏡を見てシミに驚くのとシミがないぐらいの音楽距離があり、でも懐古じゃないよの言い訳、ひるがえり若い方々が”いま”共有しているアーティストや曲があるはずで、世代と世代がべったんで争うより、まぁまぁこういうなんどうです?な蜘蛛の巣の世界にしていこうよ、であかんやろか?!

    第三十五候、土潤溽暑。つちうるおうてむしあつし、で近所のグランドまで散歩へ行けば、地面から陽炎が立ちあがっていそうなのに、雨。東北と北陸は梅雨明けしていない。各地に甚大な被害をもたらしている雨。

    気候という時間的な幅でとらえたらこういう気象はあると言われても、日々の暮らしに没入している私の時間的な幅は天気。だからおかしいよねって感じるわ、やっぱり。窓から見えるコンクリートの雨水は琵琶湖へ向かって流れていた。

    旬の野菜は苦瓜。チャンプルーや佃煮とか。成人して苦味のあるものを食べられるようになった。味覚が退化したか、耐性の強度が増したか。どちらでも不思議、おもしろい。

    45回転ずつ回っていつか元にもどったらもっとおもろい。

    Lake Biwa
    *FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

    6,000m以上の山に登ると匂いがしない。野口健一さんが平野啓一郎さんとの対談でおっしゃっていた。生物がいないからとの由。無意識のうちに匂いを探すんだって。

    音楽が記憶とリンクしている(と私は勝手に思っている)ように、匂いは記憶と結ばれる。

    東大阪で育ったから湖や海に縁がない。にもかかわらず湖のほとりは鼻腔を二度寝から起こす。確かとあやふやをブレンドした記憶をマグカップに注ぐ。懐かしい匂い。

    匂いは記憶、匂いは未来。無意識で匂いを探さなくてよい場所にいる。

    知るよりも感じる。対談はそう教えてくれたかのよう。匂いを知るより感じる。「より」は優位と劣位の判定になりそうだ。判定じゃない。

    本を読んで知ったことは、曲名を知っていて歌詞を知らない歌みたい。勉強していない自分を恥じたとき、感じられる人になりたいと念じた。

    感じられた後に本を読んで知ったことは、歌詞を知っていて曲名を知らない歌みたい。いまはこっち。いつか両方が一致するように願う。ゆっくりでよいから、ゆっくり。

    外へ出る。知らないがいっぱい。そのなかから自分が何か感じたことやものを抱きしめる。抱きしめたことやものの仕組みを理解したい。ひとつの理解でもたくさんの時間がほしくなるはずだ。

    感じるは土、理解したい衝動は種、ちゃんと育てて欲望の根をはりたい。

  • 届けたい方々にだけ届けて満ち足りる気概

    届けたい方々にだけ届けて満ち足りる気概

    2013.07.17 薄曇り

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=9NLuM0xhIBc]

    naomi & goro – Beautiful Love でスタート。naomi & goro は仕事しながらのアルバム。CAFE BLEU SOLID BOND もよいけれど、BON BON や Presente De Natal を流して、Julie & Khari へ横道それて、FreeTEMPO へ吸い込まれるパターンとか。

    第三十三候、鷹乃学習。旬の野菜はレタス。語源はラテン語で乳を意味する由。和名はチシャ、乳草からきている。先人の連想と趣致。

    貰った珈琲豆をミルへ。カラカラと乾いた音。ワタシノイズが静謐へ闖入。ミルの音が好き。この先使い続けられるミルを吟味しよう。

    中粗挽きに姿を変えた豆、コーヒープレスへ。微量のお湯と混じり合う、ジュッ。30 – 60秒蒸らす。それからゆっくり注ぐ。鼻腔の覚醒。4分の沈思黙考。プレスしてタンブラへお引っ越し。微細の粉がいっしょに越してくる。飲めばかすかなざらり。

    YouTubeと珈琲。リンクする質感。美味、滋味。珈琲豆って、味覚の位置が座標軸でアイコン化されるぐらい種類はある。なのに好みも好み、吃驚。ありがとうございます。

    flower
    *FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

    RTからお気に入りに登録した言葉。なんのための登録か。情けなかった。

    聴く。話すより聴きたい。何時のころからかそうなった。だけど面を合わせないと戸惑う。眼や頬、口元の伸縮、指先の浮遊、身体の微動が見えないから。仕草という言葉も聴きたい。それができないとき、視覚に依存しない術を身につけないと。

    己を誇示したい欲求を抑制しないで時機を憚らず発する。ずいぶん昔にバイバイしたつもりのふるまいは、まだ心身に根をびっしりはっていた。なかなか剥がせない。嫌悪に陥れば昔と同じ。認めて漸進する。

    言葉の世紀。22,3世紀が21世紀を検索したら、なんて言葉の少ない時代かしらと驚愕しても、言葉が爆発的に生成されている実感。

    そんななかで言葉を削る。そう感じる。届けたい方々にだけ届けて満ち足りる。そうありたい、気概。

    「いくら筆が達者でもものを見たいという気持ちとか追求していこうという目がないとこういうふうにならない」と松井冬子さんは評した。18歳の川合玉堂が写生した鷹をじっと見つめて。

    言葉、も似ているよ。無駄を残して余計を削ぎ落とす。届ける気持ち、見つづける目。

  • しっくりこないのも時折選んでみよう

    2013.07.12 晴れ

    [youtube:http://www.youtube.com/watch?v=Dd2KadDRduY]

    bonobos – の言葉、あの光 でスタート。久しぶり。「ずっと ありふれた言葉にだけ 今も生きている魔法 わけてもらったのさ」の”にだけ”にざわざわ。なめらかでするり入ってくる歌詞があり、はじめから心の密室にあったのに使っていなかった私の生地を取り出してくれる、歌の言葉。

    第三十二候、蓮始開。闇の中でひっそり開く蓮の花。闇から現れておやつまでには閉じるプログラム。自然のプログラミングは緻密で神秘。色彩の階調を写真にうまくおさめられず悶々としたな。

    旬の魚は鱸。旬の魚や野菜、果物を知らない。少しずつでも覚えて微妙で微細な変化を感知する受信機をつくりたい。まずは感性の部品を集めんとね。

    “子供の科学 2013年 08月号 [雑誌]” 誠文堂新光社 を購入。付録は恒例の自由研究。研究と勉強の違いを教えてくれる。「なぜ? なぜ? どうして? 」のコーナがいつも楽しみ。唸った質問は二つ。「どうしてクモは糸に引っかからないんですか?」と「なぜかみなりはゴロゴロピシャンと音がなるの?」、おぉぉぉ。

    子供の科学の質問から教えてもらえる視点。そんなところを見ているのか、と。すばらしくて、うらやましい。

    視座と発想。

    2つを携えてぐるり周りを眺めたらおもしろいことに満ち溢れている。きっと。そう感じる。まだ携えられていないから想像なんだけど。

    おもしろく不思議なコトやモノを教え導いてくださる人はたくさんいる。ひとりでわくわくする、周りの方々と発見する、誰かと言葉を交わして感性と語彙を拡張させる、いずれであっても自分がしっくりくる様態を選べばよくて、しっくりこないのも時折選んで自分をちょっぴり緊張させてやるのも刺激的だ。

    びわ湖大津館イングリッシュガーデン

    規矩が浮遊。声高に語らない、口角沫を飛ばすわけでもない。専門家は制度や法律を解説してくださる。思想家や評論家はそれらの背景を説明する。昨今、語る人は数多いる。その領域に自分は足を踏み入れなくてよい。

    人の生まれや属性、身体の障害に対して、私はどう向き合っているか。

    人の生まれや属性、身体の障害を一切拘泥せず、一人の他者へ敬意を払う。寄り添う。立ち居振る舞いがどう考慮してもおかしければそう伝える。そんな規矩を私の中で育てたい、育てているか、自問。

    昔の人より現代の人が優れているわけではない。だけど現代の知性が先人の誤りを繕う。それが先人への恩返し。人の生まれや属性、身体の障害が制度によって制約を受けたり差別されることがあってはならない。現代の知性が訂正しなければならない。十全な訂正でなければ未来の知性がまた修正する。

    ナイーブな平等を唱えたいのではない。異を唱える、憤ると同時に、否、それよりもそれよりも私が我が事として想像するんだと思う。思い巡らせなあかん。

    眼前の人の事実を受容して、世間の目差しや法律や制度、常識(なんてまったく興味ないけれど)に惑わされず、一人の他者へ全身で接する。

    そんな規矩を持ちたい。育てる。振る舞う。