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  • この時間のためにいる

    2013.03.04 晴れ

    今朝は PUSHIM – HEAT feat. EGO-WRAPPIN’ でスタート。このふたりとあってはなぁ。スルーできません。ワタシにはSKAとReggaeのミックスで、で、歌詞は強く切なく声が甘美、わたしの肌の毛はふわりと逆立ち。

    人工音よりも静寂の比率が高い朝の時間、あと少ししたら太陽が琵琶湖と会うために白い扉をノックする時間、珈琲豆を冷蔵庫から取り出してスプーンですくう。豆と豆が擦れ合いながらミルのなかへ墜落していく。そのときかすかにシャリって音が聞こえる。自分が奏でたノイズを聞いて、今日は何を聞こうか、昨日、一昨日、その前、以下過去へ遡り、目にしたフレーズはどうやって生成されたんだと徒然、ミルのハンドルを左手で握って回す。

    この時間のためにいる。大げさでははない。

    「演奏はアメリカだと1時間半だ。私はその1時間半のために生きてるんです」と、日本人のジャズピアニストが言ったとか。オデッサの階段に出演していた強烈な映像的文章を書くアーティストが口にしていた。ぞくぞくした。90分のために生きている。

    『人間、50歳から努力した者が変わる』 が、だけが、残った。その歳を迎えていない僕はまだわからない。感触はある。自分自身と向き合ったとき、進化の礎を蓄積できていない。焦る。過去の遺産で仕事を回しているようなもので、このままだと進化はとまる。

    進化の受け止め方は様々だ。進化しなくてよいと思っている人もいるし、知識の入力が進化と言う人もいると思う。自らの意見(なんてあるのか疑問だが)を多岐のテーマにわたって述べられるようにするとかもあるかもしれない。

    できなかったことができるようになること、感じられなかったことが感じられるようになること、いままで認識できなかった色や匂いや景色を「フレーム」のなかへ取り込めるようになること。僕の進化はこの3つ。

    JR山科駅

    Instagram でフォローしていた方が、「Bye」の写真を一枚アップして去って行った。たぶん日本の女性だと思う。アカウントは残っているので再開されるかもしれない。見事で鮮やかな去り方だった。60,000人以上のフォロアがいるのに「Bye」の一言。コメント欄は各国の言語がポストされている。

    その道のプロの方かもしれない。そんな風に感じられる。何かの拍子ではじめてアクセスしたとき、最初のポストから貪った。食い入った。すばらしいって言葉が一瞬で腐ってしまうので言ってしまったらダメだなって思った。くらくらした。

    それからポストされる写真をあたりまえのように眺める日々が続き、ある日、突然、去って行った。何の兆候も前触れもなく。

    去って行ったときにわかる。あたりまえでなかった。さくいつながり。なにひとつ言葉を残していかなかった終わり方は、心地よい裏切り(とても建設的な意味で使っている)に包まれ、僕の中で強烈な印象を残した。

    このブログいつか終わるとき、真似したいな。日記というか、書き物や写真、言葉遊びはやめられないので、このドメインでの終わり方として。ホント余計な説明はいらない。

    あの去り方とそれを眺めていた自分の気持ちを認識したら、アーカイブの言葉をFinderから探し出した。ドラマのセリフ。

    「あなたの価値観はいつもストレートでわかりやすい。でも普通はね、何が自分にとって一番大切なのか、気づくことの方がむずかしい」

    「それをなくす前に気づくことができれば、ラッキーだ。でも、多くの人は、なくしてしまってから気づくもんでしょ? 彼女がどんなに大切か….. だから、土下座までして手に入れたんですよ」

    「身近にあるときにはわからない。失ったときに初めてその大切さに気づく。しかもそれが、その人にとって一番大切なものだったりするから、始末に負えないんですよ」

  • 帰還なき学習は他者の評価を気にしている

    2012.06.15 曇のち雨

    http://www.youtube.com/watch?v=LIDwgpBh0Aw

    今朝は Pitbull – Back In Time でスタート。MIB 3で知った曲。いまでもラジオでちょいちょい耳にします。なんだか懐かしいリズムなんだよなぁ。

    06/14にアルバイトの資料が到着したので没頭。キャッシュフローと利益がほどよくバランスとれていて、なおかつB/SとP/Lを安定させるってむずかしい。そのへんは財務のプロから助言をいただくとしても、経営者が「数字」を理解しているか、否かは、組織の規模に問わず経営の根幹なんだ、と毎度ながら強く感じる。

    冷徹で身も蓋もない皮膚感覚でもの申すと、経理と財務を他人(親族を含めて)に一任して、経営者が数字に関与していなければ、増収増益のプランを思案しても有効な対策は講じられない。「関与」の定義は、財務諸表を自分の目で直接確認して、全体像を数字として把握できている状態。

    14:00からF先生と打ち合わせ。矯正歯科の診療システムについて。大阪駅で途中下車して “デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 (ちくま学芸文庫)” アントニオ・R・ダマシオ を購入。勉強の方向が、「認識と言語」に定まってきたので参考文献を参照しながら読む。が、やはり教科書や論文に目を通して理解できるようになるまでは10,20年先なんだろうなぁと思う。素人向けに「翻訳」された書籍をようやく理解できるようになった程度。

    同じく“ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観” ダニエル・L・エヴェレットを発見。購入を迷う。いつか読みたい。というのも、ピダハンの言語は、言葉と認識をテーマにあつかった書籍にしばしば登場する。左右や数字の概念がない?!、時制が西洋文明と異なる?! 部族として紹介されていて、ちょっとしたエピソードを読んだだけでもおもしろい。

    F先生と打ち合わせして、矯正歯科の診療システムについてのフレームワークデザインが甘かったと反省。視覚的により理解しやすいフレームを作成しなければ。

    16:00すぎに終了後、Apple Store心斎橋店へ。母校の高校の前を通過、周辺の継続と変貌が感慨深い。母校は僕の人格形成に強く影響を与えた。あの当時の授業をもう一回受けてみたくなる。現在の高校の先生方はどういう授業をなさっているかを存じ上げないが、あの頃は、かろうじて「古き良きはちゃめちゃな時代」の尻尾だったと思う。それでも先生方は、生徒達の学力を嘆いていらっしゃった。確かにそうだろう。同窓の叔母から話を伺うと昔はもっとはちゃめちゃでユニークな秀才がいらっしゃったみたいだ。

    19:00からM先生のミーティングに参加。20:00すぎに終了。コメントを申し上げた。コメントの意図をもっと精確に伝達しなければならないのに躊躇してしまう。精確に伝達するスキルが向上しない。稚拙なコメントは避けた方がよい。自分の無力の粘性が増すだけだ。

    6月にはいって金曜日は夕食を食べないようにした。土曜日の調子がすこぶるよい。睡眠が深く目覚めが快適。土曜日が充実す。栄養摂取の観点からはいかがなものか。0.1%程度の興味はあるが、爽快と昂揚はなによりにも代えがたい。食べ過ぎである、ほんと。

    決まり事を紙に出力する、知識を習得する、本を読む。入力を満足しているならば、帰還なき学習である。自分の変化を促す学習ではない。帰還なき学習の基底は、学習している私を他者から評価されたい欲求である。それを練習のための練習といい、ひょっとして、たた素振りをしているのと、本番の打席を想定しながら素振りするのは雲泥の差、月とすっぽんと通底しているかもしれない。

    自分自身と素直に向き合い、自己の更新を味わいたい一心であるなら、入力と出力の循環を意識し、学習の系を現象へ帰還させて事実を構成する変数を増加させる。入力した結果が予測できない出力の変動を吟味するだろう。他者から評価されたい欲求は後である。もっとも忌み嫌うフレーズを備忘す。誰のために為しているのか?

  • 想いや祈りは伝わらないのに続けるから存在する

    2012.05.30 曇のち雷雨、時々晴れのち雷雨のち曇 すなわち荒天

    http://www.youtube.com/watch?v=wjgyDROhy20

    今朝は 笹川美和 – 笑 でスタート。すんごい好きな曲。二番煎じや真似とかいわれたけれど、たとえ真似でも真似でええやんって思う。真似を続けるなかから独創と唯一が育まれるやないかな。それにね、音楽ってステージに立った時点で、すばらしい。どんなカタチであれ、どんな姿であれ、何をしても、ステージに立つだけでステキ。客から見ていていつも強く感じる。すばらしい、ほんとうにすばらしい。ステージに立つ人はクールでカッコイイ。最高だ。

    終日、M先生のWPと格闘する。UIに時間をかける。UIを探究したい。アクセスのPVは満足できるレベル。だからこそアクションへつなげられるUIを制作したい。

    テキストの表現を見直し、手直しして、ユーザがアクセスしてきたときの気持ちや状況を想像しながらナビゲーションやリンクの言葉を練る。入れ替えなければならないコンテンツを吟味する。ルックスの制作は不得手だけど、コンテンツやナビゲーションの設計は没頭してしまう。結局、朝からスタートして終了は19:00。昼飯食べるの忘れた。あー、楽しかった。

    夕食は、鶏もも肉のトマト煮込み。焦げ目がつくまで強火で焼き上げ、あとからズッキーニ, ナス, シメジ, ジャガイモを入れて炒める。そしてトマト缶で煮込むだけ。簡単で美味しいから大好物。煮込みの後半に玉葱と投入してピーマンは最後の最後。玉葱の食感を残してピーマンの緑はくすまないように。

    第二十三候、紅花栄。染料や食用油に利用され、古代エジプトは染料として使っていた。万葉集にもすでに「末摘花」として登場するらしい。人間の知恵と好奇心。莢隠元がならぶ。彩りが鮮やか。味噌和え、胡麻和え、汁の実など、料理の脇役(と書いたら失礼だろう)を担ってくれる事欠かない野菜。彩りあざやかな野菜を見ていると楽しい。

    人間は二つの顔を見比べてどちらが好きかを意識して判断するときには、すでにその前に眼が(意識せずに)好きな顔の方に動いている(“心と脳――認知科学入門 (岩波新書)” 安西 祐一郎)らしい。事象に対する感想はそれと似ていると感じた。ひとつの出来事に対して誰かが意見を述べる。その意見に対して感想を持つ。その感想は、出来事の背景や文脈、法律や文化などを熟知してからあらわれた感想ではなく、たぶんいままでの体験や経験の「フレーム」をもとに形成された感想だと思う。

    事象がとりわけわかりやすい二項対立的なイシューだと、直感的に判定をくだしている。善悪、賛否、好悪など。僕はTwitterのTLやブログを読むとき、両方の「側」の意見や感想を読む。なかでも「極端」な論陣を張るテキストにはしっかり目を通すように心がけている。難儀する。自分の判定と反対のテキストは正直疲れさせる。

    難儀したり疲れる自分ってこわいなぁって感じてしまう。頭がガチガチになる一方だ。

    ネットの界隈とリアルの周辺を見回したとき、知ってか知らずか、他人の資源を知恵袋を利用するようにふるまう。僕の目にはあざとく図々しく映る。無作法なふるまいだと思っているけど、ふるまいの主体は悪気を発露していない。人の資源に対する価値と美意識が異なっているから、僕がまくし立てるのもお門違い。ただ、もしコミットメントしなければならないとしたら、自分の資源の投入を最小限にすればよい。

    先日、発車待ちの電車のなかで二人の男子大学生が話し込んでいた。そこへ友人の女性がやってきた。二人とも知り合いらしい。女性は二人のうちの一人に話しかけた。ユニークな雰囲気の女性。僕は話しかけられなかった男性を見た。男性は女性に背を向け、携帯をさわりはじめた。そして露骨に嫌や表情を浮かべた。僕は横目で見ていた。友人の男性は女性の話を聞いていた。男性はもっぱら聞き役。

    すると、突然、携帯を触っていた男性が友人の男性の手をつかんで車両から出て行った。別の車両へ移動した。残された女性は呆然と困惑の表情。まわりの人も女性に視線を放擲する。

    僕は友人を別の車両に連れて行った男性の素直が羨ましかった。

    あなたが好きですよりあなたが嫌いです、と伝えにくい。あなたの健闘を祈るよりあなたの奈落を祈るほうが難しい。清濁併せ呑むのは鈍くなることか、鋭くなることか。いずれにせよ、自分の「なか」を悟られてはいけない。悟られない立ち居振る舞いは己の精神を蝕んでいるか、それとも鍛えているか。いまの僕にはわからない。

  • 無窮

    2011.05.09 晴れ

    立夏。第十九候、蛙始鳴。梅雨をしのいでから夏であるけれど古代中国伝来の二十四節気では夏の始まり。やはり違和感があるようで、日本気象協会は2012年秋までに日本版二十四節気を提案するとの由。

    ベランダで蛙が鳴いている。雨が降る前に聞こえる。数年前までいなかったと思うけど、昨年あたりから気づいた。朝、窓を開けるとひんやりした空気ではなくなってきた。スーパで陳列される魚の顔ぶれはさほどかわらない。大量仕入れできる種類であるからしょうがない。これを見ていたら旬という概念がなくなっていきそうだ。やっぱり魚屋や市場を歩かなければならないよねって痛感。

    WPの制作。新しいジャンルの制作も出口が見えてきた。それにしてもWPの柔軟性に驚かされる。これから新規やリニューアルはWPでお願いしよう。便利でスマートフォン, タブレット, PCに対応しやすい。ユニークなルックスやファンクションを実装しなくてよいなら制作費は抑えられる。

    午後、膳所本町からイオンモール草津を往復。枕のメンテナンス。近江大橋をはじめて歩いた。薄曇りだったので眺望はザンネンってところ。曲線の頂点はそれなりの風景。風がキツイ。高所恐怖症。睾丸がキュンってなってムズムズした。このムズムズは高所恐怖症男子の万国共通現象なのか単独の感覚か。大規模調査してほしいと切に願う。

    入店して枕の高さ調整を依頼。前回のメンテナンスはいつ頃ですか? と訊ねられたので購入してから一度も来ていません、と回答。店員さんはかるくひいていらっしゃった。枕の中の綿がへたっているらしい。毎日同じ枕で寝ていたら変化に気づかない。

    高さが当初より低くなったと感じたから調整のために来店したが、「中の綿を詰め替えてから高さ調整させていただきたいので15分ほどお時間をください」と店員さんからの要請。15分後、綿を詰め替えた枕を見てこっちがかるくひいた。高さ調整していないのに高くなっていた。それに一回りほど大きくなっていないか、と目をこらす。そんなにへたっていたのか。

    高さを調整してもらう。左右を2cmほど高く、中央を0.5cmほど低くした。プラスチックじゃない素材を試してみたいけどぐっと我慢。いまでも充分。帰り際、「せっかく高価な枕をご購入していただいたので、3ヶ月に1回、最低でも半年に1回はメンテナンスに来てください」とのアドバイス。確かに。納得。枕が重くなった。

    正法眼蔵随聞記一 五 故人云く、聞くべし見るべし

    “正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)” (筑摩書房) P.24

    耳が聞こえるのに聞いていない、目が見えるのに見ていない。見ても実際にやらない。いつしか見ていないことが見えると錯覚してやらなくなる。まだ見ぬ世界を想定内、想定外のどちらかに分ける。どちらにせよまだ見ぬ世界にもかかわらず、想定内に見ているか、想定外に見ているかだ。

    やるには理由がいる。理由なき行為は理にかなわない。だからなぜを問う。「なぜ」が自分の害となる。まずもとからのとらわれた気持ちをすっかり捨ててやってみる、なんてできない。泣くまねをしていたらいつしかほんとうに泣いてしまう。仕事も同じかもしれない。好きか嫌いではなく、仕事そのものをやっているうちに仕事がわかってくる。

    「それは原因であって理由でない。原因はわかっても理由がわからない」という。過去に得心した言葉が色あせる。一の五を読み知ってしまったので屁理屈でしかない。否、屁がついているとはいえ理屈にもなっていない。たんなる言葉遊びである。原因と理由、どうでもよい。

    学べば要領を探す。心得を知りたくなる。いつしか学びそのものより秘訣の獲得が主となる。ショートカットが至るところにあると信じてしまう。ショートカットがあるということはゴールがある。無窮なんて教えられたら希望をまったく失ってしまう。それが人なんだなって皮膚感覚。

  • 明眼

    2011.05.02 黄砂

    黄砂が飛散。大津の山々がかすむ。ラジオから洗濯物に注意との声。干したら乾くけど砂の粒子が付着して洗濯・洗車する前の状態よりひどくなりそう。前日つくったカレーが(いまのところ)今年いちばんの出来で気分がよい。今晩の焼きカレーにそなえて朝からわくわく。お昼は一昨日につくった鯛めし一膳と野菜スープ。

    終日WP制作。ルックスは85%ぐらいまで制作できた。黒が基調のルックス。何色かの黒系を使い分ける。シンプルだけどパーツや要所で立体感を意識。のっぺりに気をつけて。あとはショッピングカートの実装。これが手間取る。悩む。難しい。

    夕方、F社のA氏と打ち合わせ。16:00開始、16:30終了。

    昨日から 『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 をひとつずつ読む。

    正法眼蔵随聞記一 一 はづべくんば明眼の人をはづべし

    『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.9

    時々の状態によって受け止め方が異なりそう。批判に謙虚になりすぎるな、批判を吟味しろ、といまの僕は解釈した。じゃぁ物の道理を見通せる人を見極めるには? との疑問がよぎる。二十代なら批判をうまくこなした処世術と読んだかもしれない。

    事柄を抽象化して記された綺麗事にふれたとき、それを受けとめる人間は、いまここにいる自分の条件にあてはめて考える。解釈の選択肢を持つ文章は時代の濾過装置によって不純物が取りのぞかれる。純粋は逞しく力強く簡素だ。

    昨日、「考えるって便利な言葉だな」ってツイートした。「考えておきます」って言葉はまるで何もしないことを確認するために集まる会議みたい。森博嗣先生の日記が常に頭にある。

    「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。

    こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。

    『MORI LOG ACADEMY 9 (モリログ・アカデミィ 9) (ダ・ヴィンチブックス)』 森 博嗣 P.188

    「考えた」ではなく「考えようとした」、「悩んだ」ではなく「悩もうとした」と先生は書く。

    私以外の「考えようした → 考えた、悩もうとした → 悩んだ」の推移を私は経験できない。相手が考えたか、考えていないのか、どちらかは推し測るしかない。そのうえで主観的な評価をくだす。

    「私はやる」か「私はやらない」の判断を他人へ訊ねる。それが「どうしたらいいですか?」だと思う。前後の文脈なしにこのフレーズだけ切り出すと、指示された仕事のやり方を知らないから「どうしたらいいですか?」の質問もあてはまってしまう。それは除外。

    私のコトであっても、やるかやらないかの「吟味の経過」を他者へ依頼する。まっとうな人はすなおにうけとめて「やったほうがよいか」か「やらないほうがよいか」を助言するだろうし、至極まっとうな人は、他人の「やる」か「やらない」の判断をくだす。

    年齢は関係ない。十代の人でも自分のコトを「考え」てやるかやらないか判断するだろうし、歳を重ねても自分ことを「考えられない」し、やるかやらないかの判断を依頼する。

    良い悪いではない。僕は、「どうしたらいいですか?」と訊ねられる機会を減らすように「考え」て、相手とかかわり合うことを「やる」か「やらないか」の判断を積み重ねていく。それをやっていくだけ。

    黙考、判断、実行の3つ。言葉にすれば簡単なんだけど。それを実践できないから自身に苛立つなあ。

  • 接心

    2010.03.16 曇り時々晴れ

    朝起きると、左足脹脛の痛みが残っていた。右足脹脛と左足太腿裏側の痛みはおさまった様子。相変わらず歩き方はヘン。室内をひょこひょこ歩く。球根のチューリップがアピールしてる。ぐんぐんのびますよって感じ。まさに日に日に大きくなっている。

    午前中、F社のページ制作とサイトのコードを調整する。どのページへランディングしているかアクセスログから分析している。ランディングページをゼロベースで眺めたとき、違和感を覚えたら、その感覚を記憶して制作へ反映させる。運営者や制作者の意識はサイト全体へ向けられる。サイト全体とページ単位を比較したとき、後者へ注意が払われる。統一感や一体感を演出する。それはとても大切であるが、個々のページを精査してリファインする必要を強く認識する。検索エンジン経由でアクセスするユーザがほとんどんだからだ。それらユーザは初めに到着したサイトの情報と質感から要不要を判断する。仮にそのページの重要度が低いとしたら、その基準は運営者の視点であって、ユーザは知らない。関係ない。だから、情報やナビゲーションを省略するとユーザは即座に別のサイトへ移動する。そういった点を考慮してランディングする確率が高いページと重要度のバランスを測る。

    午後からF先生のDB制作。書籍を見ながら制作。2/3を終えたところで自分が何をやっているのかわかることと何をやっているのかまったくわからないことを区別できるようになった。ようやく両者を識別できた。スタートラインへ立てたと思う。サイト制作を独学している時も同じ。一番最初に制作したサイトは見よう見まねというか、書籍を読みあさってトレースした。何をやっているかまったく理解していないのに制作できた。物作りを重ねると要諦を少しずつ把握できるよになる。それから改めて書籍を読み直したり検索で調べた情報へアクセスすると、意味や伝達内容をはじめて理解できる。

    夕方、近くの書店で 『信念を貫く』 松井 秀喜 を購入。その後、イオンで買い物。昨年、『きょうの料理』で使う材料の目安の表示が4人分から2人分へ変更された。イオンはまだそういった概念を承知できないみたいだ。否、承知できたとしても、受け入れられないだろう。人数分関係なく安い食材を大量に購入する家庭は多い。かたや戸惑っているような気配を見せる老夫婦や子供のいない夫婦、あるいは単身者を観察できる。前者は売上に貢献し、後者は利益に貢献すると推測している。いかがだろう。

    帰宅後、引き続きDB制作。おもしろくなってきた。DBの概念や技術構成、コードを勉強しなければならない。と納得した上でアイデアだなと痛感。こんなDBを作れば業務が効率化されるとかユーザが喜ぶと考える視点が大切だ。

    夜、『信念を貫く』を読了。とてもよかった。前回の 『不動心』 松井 秀喜 やファイルサーバに保存してあるインタビューで何度も登場する「コントロールできることとコントロールできないこと」。このフレーズが今回も登場した。自分の状態をだれより分かっているのは自分自身であるからこそ、自分の状態をよい方向へ維持できるように最善を尽くす。

    プロであること。仕事であること。好きなことをやっていること。周りへの感謝。ONとOFFが明確なビジネススタイルでも、常識では考えられない時間に平気で交渉する代理人とGM。

    仕事をしているか? と自問。

  • 会議は回議で懐疑が瀰漫

    時間管理は手帳の使い方よりも、無駄な予定を入れないことにつきますね。とくに、当社は午後6時以降の残業は禁止。社長も例外ではないので、余計なことをやっている暇はありません。たとえば、何の準備もできていないのにとりあえず集まることが目的となっている定例ミーティングや、すでに決まっていることを確認するような会議。こういう予定は絶対に入れないようにしています。

    via: 「ON、OFFのけじめが、クレージーな発想を生む」/日本マクドナルド・原田社長(プレジデント) – Yahoo!ニュース

    『STUDY HACKS!』 小山 龍介 , 『IDEA HACKS! 今日スグ役立つ仕事のコツと習慣』 原尻 淳一, 小山 龍介 , 『TIME HACKS!』 小山 龍介 , 『Life Hacks PRESS ~デジタル世代の「カイゼン」術~』 田口 元, 安藤 幸央, 平林 純, 角 征典, 和田 卓人, 金子 順, 角谷 信太郎 などライフハック系の書籍を読む時、「設計の方向」と「行動様式」が共通点だと観察しています。目的を達成するために目標を立てる。方針を決める。それらに対する問題を抽出し、解決できる項目へ仕訳する。優先順位を決める。ここまでが「設計の方向」。そして、解決へ取りかかる。ここからが「行動様式」。時間管理は両方に関与する。

    (さらに…)

  • 整理

    2009.10.22 晴れ

    早起きもかねてオリオン座流星群に再チャレンジ。04:00頃から東の空を中心に眺めたけどダメだった。ザンネン。悔しい。来月のしし座流星群で雪辱戦。秋植え球根へ水をやっている。タイミングが難しい。やりすぎると根が腐ってしまう。毎日ちゃんと土が乾いてくれるとありがたいけどそうは問屋が卸さない。毎朝、土を確認。

    F社のページ制作とS社のページ制作。S社は残りわずか。最後の難関。といってもこれが完成してもたたき台だからこれからいかようにも変わってゆく。

    正午ごろF先生から連絡あり。Apple Store Shinsaibashiのgeniusは先生にどんな説明したんだろう。ちょっとミステリ。次回の打合せを10/28に決定。電話を切った後、頭の中で先生の声を再生した。抑揚を再生していくと、意識が一つのキーワードをピックアップした。気になった。

    14:15出発。京都へ。16:00から打合せ。少し早めに出て、ソフマップへ。玄人志向のHDDケースを購入。そこからF先生に連絡して10/23に伺ってよいか確認。OK。HDDケースを持ってバックアップしよう。院内LANの再構築まで急場を凌ぐ。

    まだ時間があったので『iPhone情報整理術 ~あなたを情報’’強者’’に変える57の活用法!(デジタル仕事術シリーズ)』 堀 正岳, 佐々木 正悟 を探す。オンラインとツールを活用したアイデアがたくさん。少しだけ立ち回る。『整理HACKS!―1分でスッキリする整理のコツと習慣』 小山 龍介 を見つけた。目次を読む。買った。今の自分のやり方に行き着くまで試行錯誤を重ねた。でもまだ改善の余地がある。それを知りたかった。あと、『FUJITSU ScanSnap S1500M FI-S1500M』 富士通 を使ったHackに興味。整理について、どうすればの段階はすでに越えた。手法を開発して運用は安定している。だけど、著者の方との差異は何かを考える。まさに自分の頭の中を整理できていないなと分析。自分の整理術を頭の中で体系化できていない。だから本のようにアウトプットできない。目の前の拡散を整理できても頭の中の拡散は無秩序状態みたい。なんだか。

    16:00からM社で打合せ。海外法人のサイトの相談。自分でやりたいけど、問題がいくつかある。加えて海外のクオリティは自分よりはるかに高いだろう。それでも自分が制作したい気持ち。

    昼食はなし。夕食はオムライス。オムライスは久しぶり。おいしかった。ここ数日、野菜をあまり食べていないなぁ。ちょっと気になる。

    夕方、京都駅で隣に座っていた初老の女性が携帯電話で時代祭の感想をしゃべっていた。九州の方みたい。その内容がたいへん印象的。「私がお婆さんに連れてもらった時の時代祭はもっと華やかだった」との内容。主観と相対性。貴重な問いを頂戴した。

  • iMac+iPhone+pomera = My desk

    iPhone MacBook Pro

    新型のiMacが発表されました。実機を触れてみないと断言できませんが、もうなんだか「 iMac + iPhone + pomera 」でよいかなと考え始めています。

    驚いた、これは素晴らしいディスプレイだ。この一言で記事を終わりにしたくなる。というのも、売り場で他のオールインワン製品と並べられた1699ドルの「iMac」とLEDバックライトの27インチワイドディスプレイこそ、すべての買物客が見るべきものかもしれないからだ。アップデートされた仕様も素晴らしく感じられるが、画面の表示領域に限って言えば、現在市場にあるオールインワン製品で新しい上位機種の27インチiMacに対抗できるものは皆無だ。

    via: 新型27インチ「iMac」のファーストインプレッション:ニュース – CNET Japan

    (さらに…)

  • 123456

    リアルの報道を見聞していないので報じているのか知りませんが、海外で大規模なアカウント流出が発生したみたいで、そのパスワードを分析したところ、最多は「123456」だったの由。

    (さらに…)