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  • 脳みそをとりかえたい

    2012.07.25 晴れ

    [youtube=http://www.youtube.com/watch?v=gPDiBpK9kfQ]

    今朝は Carlos Jean – Mr Dabada でスタート。こういうテンポの曲が好き。Sérgio Santos Mende も好き。なんでしょう、ラテン系? をアレンジしたラップ調? HIP HOP? みたいな、なんだかよぉーわからん系が好き。

    M先生のサイトを制作。かかりきり。なんとか先生に報告できる目処をつけたい。サイトってつくればつくるほどナビゲーションの奥深さに魅せられる。ナビゲーションを「わかりやすく」「リッチにデザイン」できる人はどこでも通用するよな。僕はまったくダメなんで、凹みっぱなし。

    体調の下降線の一途。食べた直後から胃が収縮して気持ち悪い。食べない方が調子よい。こういうとき、「三食きちんと食べなさい」は神話じゃないかと疑ってしまう。お腹が充分すいたときに摂取すればよいのではと。

    “イデオロギーとしての技術と科学 (平凡社ライブラリー)” ユルゲン ハーバーマス, J¨urgen Habermas, 長谷川 宏 を注文。発刊された当初、欲しかったけど見送ったらいつのまにか入手できなくなっていた。復刊?! したらしい。出版社のキャンペーンかな。カントとヘーゲルとハーバーマスはリンクしていそう。単語を拾い集めた印象。

    内容を理解したいのに知能がない。理解できない。僕が先人の文章を読むのって、コンプレックスなんだなぁってわかってきた。理解したいのに自分の知能が追いつけずさっぱりわからない。僕には難しすぎる。

    なのにネットと出会って検索してみたら膨大な論文がヒットする。ブログや書評、独学していらっしゃる方々の文章がヒット。文章を追っていくと濃密な思考の痕跡をたどれる。痕跡が羨ましい。コンプレックス。頭が悪い欠点を克服したいからチャレンジしてダメ、打ちのめされる。

    挑戦して叩きのめされて凹。続けてきてひとつわかった。何が書いてあるのかさっぱりわからない文章をガマンして読めば、ほんのわずかな手応えがある。きわめて小さい動き。感触。思考や論理の「道筋」のようなラインを把持できる。何を書いてあるかさっぱりわからないけれど、自分がそのラインの上をあやふやながらも歩けている実感。ラインをずっと把持できない。とぎれとぎれなんだけど、物事や事象に対して向き合っていく「仕方」の断片を拾い集める。

    断片を発見できたらラッキーだ。断片を拾い集めて自分なりのパズルを完成させられるかもしれないから。その可能性があるとわかったときの昂揚。

    またCDを処分した。いつかすべてのCDを処分したいと思いつつ手元に残してしまう。放棄と所有。両者の差異と境界線を誰かに観察してほしい。所有しているCDのなかには聴かないのもある。iTunesに取り込んだら聴くかもって期待した。自分の習慣は期待を裏切ってくれた。もし、AppleがなくなってiTunesのサービスが終了する、あるいはiTunesのデータがバックアップもろとも破壊される、といった事態に遭遇したとき、僕は電子化した自分を後悔するかな?

    たとえば定額の音楽サービス。月額いくらか払えば好きな時に好きな場所で好みのリストを作成して端末で聴けるサービス。データはすべてサーバーに置く。手元にまったくない。聴きたくなったら検索する。あるかな? 調べてみないので知らない。

    そうなったとき、「あの人といっしょにすごしていたときに買ったCD」の記憶はない。記憶と音楽はリンクしたとしても、「あの人」と「物質」がリンクしない。記憶を持たない人と僕のような所有の記憶と音楽がリンクする人が会話したら、どんな「ズレ」を発見できるかな。思い巡らせたらワクワクする。

    運よく長生きできたら60歳ぐらいで10代の人々とお話しできる機会があればよいと思う。いま境目からもしれないが、10代・20代の方々から学べることがたくさんある。いまもあるし、これからも変わらない。

    ストックの知識量と経験値と「常識」で判断する人の知性は猛烈なスピードで劣化していく。

  • 油断したから太った

    2012.07.04 晴れ

    今朝は 小島麻由美 – 夏の魔物 でスタート。スピッツのカバー。声が好き。声と夏のイメージが自分のなかで一致した。僕の嗜好のなかで占める割合のうち声に比重をおいている、とようやく認めはじめたこのごろ。

    F先生の資料制作。自費の治療計画で使ってもらう様式を仮作成。ソフトウエアの開発会社は、治療計画に関連する資料を作成できるソフトを開発しているけれど、使い勝手や出力用紙の美しさまで追求していないんじゃないかな。デザインの設計まで指向した自費診療用のソフト。作成しながら悩む。難しい。

    F社が社名変更するのでサイトをリニューアルした。ドタバタの駆け込みで作成しなければなかったので、フレームワークをそのまま使った。一週間ほど睡眠時間を削ってふらふら。フォントや配色など見た目を改良したぐらいであとはほとんどフレームのまま。それでも僕が作成した旧サイトより「いまっぽく」できちゃっているから、もう自分の腕はだめだなぁって痛感。

    今回のリニューアルの最大のメリットはレスポンシブ。これでPC, タブレット, スマートフォンのマルチデバイスに対応した。そのかわり、古いブラウザ(IE6, 7)の表示を考慮しなかった。サポートしていない。IE8からの設定。おかげで短時間で制作できた。

    ただし細部に目を向けたらだめだめ。コードもダメダメ、画像処理の問題は残っている。あといくら閲覧できるようになっても、サイト構成のやコンテンツの設計は手つかずだ。サイト構成やコンテンツは先方との打ち合わせがいるからこちらの一存であちこちいじられない。僕の方でできる箇所はこれから随時改良していこう。

    情報はかわらないってイメージを持っていらっしゃるかもしれないが、そうではなく変わっていく。実際、サイトにアップされている情報と実体が乖離している現場はあるはず。通販やネットだけで完結するサービスをのぞけば、乖離は許容範囲だから情報を「更新」しないだけ。更新されない情報がネットで「定着」するから「情報は変わらない」と錯覚する。

    さらに情報だけでなく、サイトの「見せ方」も変わる。新しい技術が開発され、仕様が改変され、そしてその時々の「見せ方」を作り出すから、同じコンテンツであっても「見せ方」を変えた方がユーザとうまく折り合える。

    10年前のスーツを着たとき、鏡の前の自分をチェックして違和感が残った。ずっと残ったまま出かけて、周りのスーツを見たら氷解した。「見せ方」が古い。いまどきのスーツは身体に密着した「型」が多く、スリムに見える。ぽっちゃりした人もピチっとしたスーツを着ていたりする。

    それにひきかえ僕のスーツはゆったりしていた。たぶんスーツ自体がファニーじゃなくて、スーツの「型」がいまの「見せ方」とミスマッチだから、認知が違和感を生じさせた。

    70歳ぐらいのおじいさんがいまの「見せ方」にそったデニムとシャツを着ている姿を見ると、知覚が刺激される。老人は「ゆったりした服装を着ている」って思い込みがあり、その認知フレームを持って見た時と目の前の老人が着ている服装の「ズレ」が知覚を刺激して、自分の認知フレームを書き直す。ただし「着ている」と「着こなしている」は異なると思う。

    「ズレ」が知覚を刺激して、自分の固定したフレームを書き換える。そういう更新作業がぼくのなかで頻繁に起こって欲しい。

    夜、体重計にのって凹んだ。57.4kg。1.5kg増えた。体重を測定し始めて数年前から気づいたこと。冬は増えにくく、夏は増えやすい。これが一般論かどうか知らないが、僕の身体のリズムはそうなっている。夏場、油断して食べ過ぎるとあっというまに太る。冬と同じぐらいの質量を食べているつもりでも、カロリー摂取が多いのか、量が多いのか、あるいはほぼ同じ質量でも夏の代謝は低下しているか、複数の原因を想定してみる。想定しておしまい。そこから先の知識に興味ない。自分の身体で実際に試して自分のリズムを整えるだけ。

  • 情報中毒

    2012.05.22 薄曇り時々小雨

    今朝は GROUPLOVE – Tongue Tied でスタート。ラジオで知りました。なんだか80年代っぽく聞こえる。自分の耳が80’s万歳だからでしょうねぇ。

    死生学という学問を先日知った。“死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)” エリザベス キューブラー・ロス のシリーズは読んだ。Wikipediaによると参考文献のひとつに含まれている。が、学問を調べるとき、Wikipediaを参照すると痛い目にあう。一次資料にあたらないと。なので、論文検索とPDF検索で概要を読む。

    死は日常生活に組み入れて生活習慣の一部のようにつきあっていきたい。とはいえ、フロスようについついサボってしまう。死についての思惟を誰かに語るでもないし、誰かに強要するわけでもない。タブーにするつもりもないが、静かにおとなしくしていたほうが迷惑をかけないだろう。そう自戒している。淡々とつきあっていけばよい。ただ、つきあい方がしばしばわからなくなる。

    そういうときはわざと突き放すけれど、どうも死についての情報が断片化されていて、自分の中で上手に整理整頓できない。学は体系的に学習できるプラットフォームである。断片化された情報が体系化された学のなかでどこに位置しているか? 座標軸を確認してみたい。

    16:00前に大阪へ出発。大阪駅で途中下車して “新版 死とどう向き合うか” アルフォンス・デーケン を購入。移動。最寄り駅二つ手前の駅で下車して徒歩。しばらくして違和感を確信した。左足のしびれがおさまらない。いままでの腰痛の症状と異なる。嫌な感じだ。急がずゆっくり歩いた。

    途中で一休みして、自宅でつくったおにぎりをほおばる。お茶も持参。ご飯一膳分。これでもうお腹いっぱい。充分。もう一息。ゆっくり慎重に身体の異変を確認しながら歩く。なにがおかしいか。パーツに神経をそそぐ。

    18:00前にF先生の医院に到着。iPadの同期を設定する。iCloudを使ってメモと写真を同期。iPadを使った業務管理は同期と検索に優れている。環境の変化が与える影響を観察していこう。19:00からミーティング。20:30に終了。

    昔、お世話になった会計事務所の先輩は車中でオーディオブックを聞いていた。内容は講義。資格の勉強をしておられた。自分ではやらない学習法が新鮮だった。10年以上前の話。

    今、オーディオブックが注目されつつあるらしい。フィードで背景を読んで納得した。スマートフォンの普及がオーディオブックを後押ししている。僕もiPod Touchでポッドキャストを聴いて移動している。あるいは本を読んでいる。

    これからのビジネス本はオーディオブックを想定した編集になるか、と予測してみる。この予測が成立する要素を歩きながら考える。

    1,000〜1,800円ぐらいの価格帯のビジネス本でもっとも大切な点は何か? 誰が読んでもわかるぐらいわかりやすく書いているか、と思う。それらのビジネス本はじっくり座って読まなくなっている。たぶん、です。テレビと同じ。効率よく大量に読みたい。でも、腰を据えてなんて勘弁してほしい。簡単で手早くノウハウやアイデアを取得したい。

    スマートフォンによってますます加速する生活が、そういうニーズを持っている。そういうニーズを善悪是非の次元で論じると議論は成立しない。ファストフードを食べながら、よく噛んでゆっくり食べなきゃ身体に悪いよね、って話すぐらい滑稽な光景が現れる。

    で、そういった本って恥ずかしながら立ち読みすると、ほんと簡単で読みやすい。読みやすいけれどやっぱり数時間は要する。あるいは数日。

    オーディオブックだと倍速でヒアリングできるだろうし、なにより「何かしながら」聞ける。マルチタスクを可能する点が魅力なのではないかな。

  • 新しいモノを買えないときに浮上する索莫たる気持ち

    2012.01.11 晴れ

    一本道

    photo credit: RaidersLight via photopin cc

    設計していたM先生のWPをテストサイトで制作スタート。工数を頭のなかでおおよそ算出したら、真性の暗闇で蒟蒻を掴んだ感じであった。いや、まぁいいや、さぁ、いこう。毎日10km歩けば2,3ヶ月で東京に到着するんだから。それに昔の人は1ヶ月もかからなかったというぞ。でもいまなら1時間かからず飛んでいけるぞ、とクールに反論する脳内自分。

    新しい技術ってすごい。

    Facebookで紹介した 金魚の絵 がすごい。なにげに置いてあったら触ってしまうか、掬ってしまいそう。驚きは世界のいたるところに息づいている。

    母親から「前厄やね」というメールが届いて、その文面から察すると、信じられないって思っているみたい。生まれた時の状況からしたらまさかここまでだし、互いが「それぞれのあの時」を経て、いまはオマケだと腹を決めているだろうけれど、本人ですら感慨深い。といっても、前厄だからお祓いへ行くでもなし、なにかよからぬことや精神的に甚大なダメージを与えられたとしても、そういうものだと強張って身構えている。

    技術系のツイートやRSSは、次から次へと製品を発表している。それらを読む。いよいよ追いつけなくなってきた。20代、電化製品やアンテナをはっているジャンルの商品が発表されたら製品仕様や用途や機能を調べた。それをしなくなってきた。

    先日、本屋で自作PCの雑誌を手に取った。5,6年以来かな。M/B, CPU, Video Card, Diskの文章がわからない。知らない単語が増えた。単語の意味を知ったら何を書いてあるか理解できる。ただ、その単語を調べてさらに関連用語を調べて、そこからさらに関係分野へ手をのばして、の作業がこなせない。まずいなぁ。

    使わない、という理由だけでスマートフォンを持っていない。ウソ、ほんとはお金がもったいないと思っているよね>自分。30代前半の私ならiPhoneとAndroidの2台、それにiPadとAndroid系タブレット、合計4つのガジェット持ちもアリかもねって遠い目をしてみたり。

    先月発売されたPSVITA®に食指が動かなかったのはちょっとショック。DSはワクワクして手に入れたのに、並んで。

    使わないのじゃなくて、使えなくなってきている。新しい技術やデバイスにキャッチアップする気持ちが逓減している。なによりも購買力がなくなった。それでも次から次への新しい技術の製品は発売される。

    一方で、ソーシャルネットワークはレビューにあふれている。なかにはステマもあるけれど、みなさん上手に説明していらっしゃってて喜びが伝わってくる、使い勝手の臨場感が迫ってくる。

    “羊たちの沈黙” トマス ハリス のセリフ、目にしたから欲しくなるわけで、見なかったらよいだけ。

    物質の欲求を満たされないからでもない、なんか、どんどん取り残されているような、ひとりで本を読んだり散歩したりぼぉっとしていたりしていたとき、突然起動する「あれ、こんなことしててよいの、人ともっとリンクしなくちゃいけないよ」って、そんな具体的な言い方はしないけれど、ぼんやり浮かび上がってくる「誰に対して焦っているのか判別できないヘンな焦り感」がぬぼぉって包み込んで、新しいモノを買えないときに浮上するあの「索莫たる気持ち」はなんて表現したらよいんだろう。

  • 虚襟

    2011.05.21 くもり

    むしっとした朝。明け方、頭寒足熱の布団はどこへやら。腹巻状態。頭と足はヒエヒエ。二十四節気第八、小満。太陽の黄経が60度。稜線の緑がくっきりしてきた。草は待ってましたっちゅうねんって勢い。ヒトはせっせと勢いを刈り取る。第二十二候、蚕起食桑。岩魚の塩焼きが頭からはなれないひとがそろそろ現れる。

    06:00前に起床して朝食を食べてからM先生の配布物を思案。11:00前にきりあげて神戸へ。14:00からO先生と打ち合わせ。3Dのレントゲンを設置中。日本ではじめて導入される製品との由。ちょっとあわただしい。お邪魔虫を自覚して作業の様子をおそるおそる拝見。5分ほど。

    作業完了までしばしの猶予を。場所を移してサイトの打ち合わせ。本論の前に先生から別件のご相談。ファイルを一箇所に集めて自宅や外出先からアクセスできる統合環境を構築していきたいと考えている。どう思いますか? と。

    クラウド化(正確な表現じゃないけど)だ。

    最近、ラップトップを持ち歩く時代じゃないだろうって感じはじめたと先生はおっしゃる。御意。ポイントは3つ。院長先生の業務フロー、統合環境のコンセプト、構築する技術の選択(OSや機器、ソフトウェアなど)をかんたんに説明申し上げて、具体的な内容は要件を定義してからにしましょうとお伝えする。

    15:00すぎに終了して、医院へもどる。設置はほぼ完了してテストしていらっしゃった。

    16:30ごろに大阪駅到着。本屋で調べものしてからスタバ読書。帰宅後、iPad 2を開封(この文章はiPad 2で入力している)。同じ日、中国の生産工場が爆発した。2名の方が亡くなった。ケガ人も多いとのこと。数日前にも書いたが、世界がモノを買えばどこかの国のひとが働いているという構図を体感した気分。複雑。

    正法眼蔵随聞記一 十四 俗の帝道の故実を言ふに

    『正法眼蔵随聞記』ちくま学芸文庫 P.58

    「虚襟にあらざれば忠言を入れず」の虚襟の解釈に悩む。現代のニュアンスをそのまま適用しちゃってよかろうか。違うよなあ。じゃあ、いまとむかしのむなしいの違いを説明できん。自分の考えを持っていると師匠の言葉が耳に入らない。

    素直や無心をもっとつきつめなきゃ。自分の考えを持って聞いていないと完璧に断言できる状態をさらに疑って、その疑いをさらに疑ってぐらいがちょうどよいのかも。無限にはまりこまないさじ加減で。

    iPad 2はすばらしいです。iPad 2がすばらしいというよりタブレットデバイスの未来が楽しみ。この環境がデフォルトだなんていまの子供達がうらやましい。固定された眺望点からながめる景色は見なれていて心地よい。でも何か危なかっしい。あまりによすぎて、自分だけしかその景色を見ていなくて、気がつけば世の中の仕組みが変わっていてぼくは取り残されてしまっているような。

    既存の枠組みの正統性を主張することと居心地のよさを宣伝することは違うよ。枠組みから出ていこうとする人の行動を否定しないように戒めておかないと。「そんなことしたらぼくは大丈夫ですけど周りへの負荷は高すぎますよ」とか「周りが疲れますよ」なんて言葉は「周り」を出汁にして現状の居心地のよさを訴えているだけなんだよね。すでにぼくの頭の眺望点は固定されてしまって既存の枠組みにとらわれて居心地のよさをすっかり満喫しちゃってるしなあ。

  • 雲古

    2010.12.09 晴れ

    大雪を迎えて積雪が報じられる。本格的な冬の到来。閉塞成冬(そらさむくふゆなる)、しみじみして味わいのある言い回し。朝から寒く雲がたれる。雲が日差しを遮る。部屋は暗くなり、雲が途切れたらまた明るくなる。お昼になっても体感温度は低いまま。寒い。この寒さが続けばうまい白菜を食べられるかもなんて。柔らかい白菜を鍋にさっと入れる。薄く長方形に切った大根があればなお幸せ。

    F社のサイトを練る。専門的サービスを訴求するサイトは区別に悩む。商品と概念の区別。自社商品のサービス内容を説明しなければならない。サービス内容を説明するには専門的知識をわかりやすく解説する手順を省けない。法律であれば、法律そのものの解説(=概念)とその法律が属する法体系を駆使して提供するサービス(=商品)を区別する。区別したいのに文章はいつのまにか混在する。自社商品のサービスを説明しているのか、専門的知識の一般的な解釈を解説しているのか。プロセスのフィーの発生するフローを説明できても、フィーの下限と上限は明確にしづらい。要は、古典的なテンプレートを引用すれば「目に見えない」商品だから「目に見える」ようにしないと。

    僕はうんこやおならの話がどこからともなく聞こえたり見ると、キャッキャキャッキャの奇声をあげてテンションが一つ以上あがってものすごく喜んで話するらしい(あの人からそう言われたような気がするけど嘘の記憶かな)。 たしかに納得。いまでもそうだ。ポッドキャストやラジオからうんこやおならの話が聞こえてくると、今時そんな言い方しない”抱腹絶倒”してしまう。ケタケタ笑う。ニコニコする。転げ回る。この間もポッドキャストで「おならをしようとしたつもりなのにちょっとだけうんこが出た」って聞いて60分ぐらい立ち直れなかった。それを”へじる”って名付けようだった。で、その人はファミリーレストランで客待ちのリストに”へじる”って書いた。で、店員さんは…….。ああ、書いているだけでもうダメだ…..。

    『おならうた』 谷川 俊太郎 なんて最高だ。詩をよく読んだ時期があった。詩のなかに「いもくって、ぶ。わらって、ぴ。こっそり、す。あわてて、ぷ。」なんて書いてあるんだよ!

    おはならはまたの機会にするとして、「うんこやおしっこをする」はもっとも身近な動詞だ。動詞が名詞に変われば排泄でありもっとも遠ざけられる。肉体的に近い動詞と精神的に遠い名詞。生まれて数年は自分でうんこやおしっこをしても始末をつけられない。シグナルを送信して他者が受信する。それで贈与の行為が成立する。

    はじめてひとりでうんこができたのはいつだろう。自分の記憶をたどる。和式のトイレにしゃがむ。落ちないように。母親が見守っていたか覚えていない。落ちたらあかんよって注意は覚えている。ちょっと力みながら「ウン」って答えた。下をのぞけば自分のうんこだけでなく両親のうんこが見える。他者のうんこを見ながら育った。

    僕は子供をさずかっていない。だからいつごろおむつがいらなくなるのか知らない。まぁお世話にならなくなるまで3年か4年、それに自分で食器を使ってお口へごはんを運べるようになるまでそれぐらいかかるかもしれない。自立に必要な最も基本的な動作を習得するのに子供は3年はかかる。他者の贈与を受けながら。だとしたら他者の死に対して3年ぐらい喪に服してもよいかもしれない。

    うんこやおしっこは他者のお世話になることから生がはじまり、自立してからやがてまた他者のお世話になって死を迎える。

    今日も雲古と御叱呼と放屁しよう。ウン、生きている。

  • 階調

    2010.12.08 晴れ

    ラジオから Imagine が聞こえる。今日はあと何回聞こえるかな。Stand by me が好き、 Woman はお気に入り。なんといっても Mother。ちょうど30年。6度目の仮釈放申請は却下された。その39年前、いまから69年前に真珠湾攻撃。終わりは報じられても始まりはどこかへしまわれてしまっている。

    午前中、PHPで試行錯誤。ルート直下のHTMLファイルからPHPを呼び出せるけど一つ下のディレクトリ下のHTMLファイルから呼び出せない。エラー。パスの問題なのはわかる。どの関数を使うかもわかる。でも修正できない。すごく基本的な問題すら解決できないなんて、うぅ、あぁ、ゲホッ。

    15:00前に出発して大阪へ。大阪駅で降りて教えてもらった本屋へ向かう。居心地のよい本屋。『ハーモニー』 伊藤計劃 を購入。待ちに待っていた。『虐殺器官』 伊藤 計劃 と対になったような装丁。シンプル。すばらしいコンテンツであれば装丁はシンプルで充分、そのサンプルだなあ。とても気に入った。

    17:00からF先生と打ち合わせ。来期の展望。戸惑っている自分がいる。質問力と対話力、分析力が低下していた。言葉がでてこない。いろんな映像が頭に浮かぶけどそれを整理してロジカルに展開する力が極度に低下した。

    分析力の低下に加えて、長期展望の仕事を引き受ける、違う、仕事じゃなくて展望を分析する、ことに躊躇っている。分析の根拠に自分の支援の存在を自己確認できないからと自己分析している。

    森ノ宮から大阪城公園の景色がとても好き。慣れ親しんだ地域。高校時代はよく大阪城で遊んだ。

    昼間と違う夜の大阪城公園は深遠な雰囲気とエロスの気配に満ちている。エロイではなくエロスです。イとスの一文字違いで受け取る印象はがらりと変わる。いや、こっちが勝手に変えているだけって指摘されたら、おっしゃるとおりです、ハイ。

    大阪城公園の石垣のある場所は電灯の光が届かない。絶好ポイント。足を踏み外せば数十メートル下へ落下。絶好ポイントから見る夜景は低い高度で平面的。遠近感がなくなり迫ってくるような錯覚。見ている場所が真っ暗だから夜景の光の度合いを強く感じられる。

    昨日、環状線から眺めた京橋から森ノ宮の空がとてもステキだった。空は水色より薄い。白ではない。灰色ともいえない。でも白系の色。それが地上に向かってオレンジのグラデーションに変化。白からオレンジのグラデーションが美しい。夕陽はビルのガラスに反射して迷子。4分間の映画を楽しんだ。

    白と黒というシンプルな色も好きだけど自分の生活がそんなハッキリしていたら僕はつまらないなあ。グラデーションな生活でありたい。階調が豊かであればあるほど自分はどこにいるのか不安だ。白か黒かだけならどちらかを選べばよい。階調は自分の位置を迷わせる。自分を確認できない。階調の中にいる自分は心細い。不安で心細い頼りない気持ちを忘れたくない。この気持ちがグラデーションを美しいと感じさせてくれるからね。

  • 旋律

    2010.11.29 曇時々晴れ

    午前から午後へ曇から晴れがあれば晴れから曇もある。すっきり晴れない。冬の空に近づいている。子どもの時より空を見るようになった。と思う、勝手に記憶を作っているかも。さだかでない。今日もおだやかな天気が少しの間だけあった。ガジュマルは1年で2倍近くの背丈になりミリオンベルはまだ枯れず、ラベンダーは光を浴びられる方へ伸び、昨年から越冬したロベリアはまだ咲いている。驚き。植物は静かに落ちついている。DNAの旋律から教わる。

    里の家では母親がいたるところで植木を育てている。10月に3階のベランダを見てついにかとあきれた。歩けなくなっていた。水やり用の極細通路だけが残っていた。屋上にだけは置かないでくれと頼んだ(自分の家じゃないのに)。ここから眺める東大阪の雑多な風景が好きなんだからと。藤棚から落ちる葉がタイヘンだと先日は嬉しそうにしゃべていった。以前送ってきた母親からのメールに「最近忙しくて植物とゆっくり話せませんが」と書いてあり、文面を読んだ僕の中で新しい質感が起動したのを覚えている。まだ話しかけられない。眺めているだけだ。どんな気持ちだろう。

    O先生のサイト制作。医院紹介の作成とインプラントとエンドのページを微調整。残りはお問い合わせのPHPとペリオの図だけになった。まぁ、まだ微調整はたくさん残っているし各ブラウザの動作を最終確認しなければならない。

    12/18の打ち合わせは夕方までの長丁場。そこで先生から大幅な変更を要望されなければ年内にアップできそうだ。先生は海外と国内を駆け回っているのでリニューアルまでもっていけたなと思う。何度もペンディングになりそうだった。そのたびに先生の強い気持ちがつなぎとめていた。僕なりに待てたと思う。

    友人と飲む。気が早いなってお互い笑った。僕をひねくれ者だと知っているから「忘年会しよう」と誘わない。レッドアイを飲んだ。うまいけど家で飲むレッドアイより美味しくない。やっぱりあのとまとジュースとコロナで飲むレッドアイが一番だ。

    「多様性っていうけど多様性って言うほど単一やなって思うわ」と前置きなしで切り出した。

    「なんで?」と尋ねられる。

    「スタバでユニークな女性がいたんや。スタバって大きなテーブルがあるやんか。その女性が同僚らしき女性と喋ってたんやけど、ほとんど彼女が一方的なんや。8:2ぐらいの比率。僕が彼女の正面に座った時にはドリンクがもうカラやったわ。座って本を読むんやけど彼女の声が大きくて気が散ってな。周りの人もチラチラって彼女を見てるんやなあ。聞く、よりも勝手に届くから聞いていたら、「あの子」を批判してるみたいやねん。職場やろな。ずぅっと「あの子」批判」

    「どんな批判してやったの?」と合いの手。

    「あの子のなかでは理屈が通っているから難しい、とか、あの子なかでは理屈が通っているからお互い悪くない、とかや。とにかく最後は「あの子のなかでは理屈が通っている」で終わる話をパターンを変えて話してるねん」

    「何がユニークなん? よくある話やよ」

    「僕が座ってから20分ほどしてからかなあ。彼女が最後に言い放ったのが、「あの子は人の気持ちがわからへん」やってん。いや、ほんまにびっくりしたで。たぶん周りの人も聞こえてたから椅子からひっくりかえりそうになったんやないやろか。彼女と同僚が席を立った後、みんな目で追いかけてたからな。それが印象的やったわ」

    「それで、なんやろ、自分の視点を疑ってみたらそう思うようになった。たぶん、ほんまに思考が多様な人は多様性とか個性とか言わんよ。大声で「あの子」批判する人が「人の気持ちがわからへん」って言うのと同じような気がしてな」

    「同じかなあ?」

    「同じやろ。僕も多様性っていうけど何となくでもええから通底する部分を感じられへん人とは居心地悪いし避けてるしな。いろんなアイデアっていうけど、実際、いろんなアイデアを持ってないわ。もっと自由な発想をっていう人ほど頭が固いとか、ぶつぶつ文句を言うなってぶつぶつ言う人とか、と同じやわ。言葉遊びもあるけど」

    「同じかなあ? でも、言わなかったら気づいてもらえないからほんまに思考が多様性の人でも多様性って言うかも。それにさあ、なんで思考が単一とか多様性ってわかるわけ?」

  • 6

    2010.11.23 曇時々晴れ 風強し

    時間と空間。いつまでも続くようで続かない。不思議な存在だ。まことに。

    もし6時間だけ私に与えられていたらあなたにはじめになにを伝えたでしょう
    もし6日だけ私に与えられていたらあなたとはじめになにをしたでしょう
    もし6年だけ私に与えられていたらあなたをはじめにどこへ連れて行ったでしょう
    もし60年だけ私に与えられいたらあなたへはじめになにを残したでしょう

    時間は後悔する機会すら与えない、空間は顔と声を残していく。
    時間と空間が記憶に止まるかどうかは私にはわからない。

  • 見本

    2010.11.11 晴れ

    11/10の朝の空は綺麗な青色だった。雲が見あたらなかった。稜線がくっきりしていた。空がマルセル値10B 4/14のような青で雲が見あたらず稜線がくっきりしている3つの条件が揃うなんて1年に何日あるだろうか、と思った。朝陽が部屋へ差し込んでくる質感は穏やかな気持ちを運んできてくれた。こんな明るさの中で仕事ができるなんて幸福です。

    F社とC社のページ制作。そのあとSEOのためにコードを調整して見本のサイトを制作。F社とC社はグループ会社だ。でも両社のサイトは統一感を持っていない。だから訪問したユーザーが見た目でグループ会社であると認識できるようなルックスを採用してデザインしていきましょうと伝えていた。早急じゃなく将来的にとして。ただ、伝えるだけではな伝わらないのでサンプルを作成したほうがよいから時間が空けば制作する。

    時間といえばたまに睡眠時間を尋ねられる。自分の場合、7時間が適当な睡眠時間で6時間だと躰が疲れる。6時間でも15-20分ぐらいの昼寝をすると躰の疲れは蓄積されない。

    20代のとき会計事務所にお世話になっていて、その時は東大阪から京都まで通勤していた。所要時間は約100分。6:00前に出発して7:30すぎに到着。8:45の就業まで珈琲を飲み作業や読書に割り当てていました。その頃、睡眠は試行錯誤。電車の中で寝る時間を考慮してベッドで寝る時間は3時間から3時間30分にした。だいたい2:00前にベッドで寝て5:30前に起床。おおよそ3時間、それに電車の往復3時間を加算した合計6時間睡眠が生活リズムだった。38歳の今と違ってとにかく働きまくって勉強したところで躰はクタクタになっても疲労は蓄積されなかった。

    退職してから自宅で仕事をするようになって最初の3年ぐらいは睡眠が安定せず、昼夜逆転の生活で、毎日明け方まで部屋の電気がついていた。ある日、警察官がやってきた。近所の住民調査をしていると言ったので素直に答えた。後からそれは「違った」調査だと教えてもらって生活を改めるきっかけになった。

    35歳ごろでしたか、一度、朝4時起床生活を試してみた。失敗しました。朝4時の起床は仕事と生活に支障をきたさなかった。むしろ、朝4時に起きて仕事にかかって正午に終えたら7時間労働だから効率はよかった。午後から読書や運動を割り当てられた。問題は就寝時間が安定しない点でした。朝4時に起きるなら21:00から22:00までに就寝しなければならず、ネットワークのなかでリンクした生活では就寝時間の確保が難しいです。ネットワークには自分でコントロールできない要素が含まれているし、その要素に支えられて生活できているわけですからね。

    就寝とダイエットって似ていると思う。”あれ”がよいとなればみんな”あれ”を試すし、”これ”を見聞したら”これ”が絶対効くぜと言わんばかりに勤しむ。僕も”アレ”や”コレ”に飛びついたし、失敗するたびにショートスリーパーの人を羨んだ。

    その頃に比べたら安定してきたと思う。現在、23:00すぎに就寝して05:35〜05:45に起床。目覚めのよい起床時間と就寝時間の関係を記録した結果、もっとも落ち着く組み合わせが今の状態です。

    やっていることは、「夕食は極力減らす(寝る前にお腹が空くように心がける)」「就寝4時間前まで夕食をすませる(21:00以降になるなら食べない)」「就寝の2時間、最低でも1時間前からMacBook ProやiPhoneを触らない」「入浴前に腹筋・背筋・腕立てを軽くしてから入浴後に15分のストレッチ」「お風呂はぬるま湯」あとは…..また思いついたら書きます。毎日実行できませんが、負担にならない程度で続いています。

    これらは試行錯誤した結果ですし、今はもうどうてもよくってとにかく寝られたらよい。ただなんとなく続いてきた行為が習慣になってきたみたいだ(ということは続かなかった行為が無数にあるわけでして…..)。だから私にしか適用できない睡眠方法ですね。

    というわけでダイエットと似ているし、つきつめていけば食生活の「アレコレ」に通底してやがて「信仰」が生まれるんだと想像しています。