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  • 自浄作用

    2012.05.31 曇時々晴れ

    http://www.youtube.com/watch?v=j1j3Qy_-dG4

    今朝は 二階堂和美 – Lovers Rock でスタート。曇り空がつづく日々。これを聴いてまったりした朝をむかえる。あと何年かなと思い浮かべても未来から逃亡して一畳に閉じこもり鍵を閉める。絶望が生活をのびやかにしてくれる。二階堂和美さんが歌うカバーソングもよいです。アレンジの方向が好き。

    5月のはじめから猛烈にピザが食べたい衝動をおさえている。なぜだからわからないが心当たりはある。メタ認知は、ピザを食べるシーンが何度も登場するカナダのドラマを視聴した、と推測している。はずれていてもそうだと信じたい、ほどピザが食べたい。コンビニのなんちゃってピザもどきのパンで凌いだりしているが、欲求は沈下しない。

    自宅で食パンにチーズとハムやピーマンなどをのせてケチャップをぶっかけてトーストしてみるがダメだった。うまい。うまいが、違う。たぶん、シーンだろう。ただ食べるだけではダメらしい。

    要は本格ピザにシングルモルトを飲みながら誰かとおしゃべりする。そのシーンが欲求の源泉らしい。バカか、オレは、と嘆息するのだが、脳みそは暴走したまま強制終了を試みるもことごとく失敗する。

    M先生とC社のウェブ制作。小綺麗なサイトを作りたいんだけど、やっぱりうまくできない。下手だなぁ、ホント。もっさいというか、カラーのセンスにも難ありか。情報構造のまとまりやライティングはうまくできると思い込んでいるけれど、ルックスはてんでだめっぽい。

    インプラントの重篤トラブルの実態調査がまとめられた。詳細は報道どおり。このテーマはNHKでも特集を組んで発信していた。インプラントの手術を受けたあと再治療が必要になった重篤な医療トラブルは去年までの3年間で合わせて421件、このうちしびれやマヒなどが残ったケースが158件で最も多く、全体の4割近かったとのこと。

    しびれや麻痺が残る原因は専門領域なので安易に記述したくない。先生方の見解や専門家の指摘を各自が読めばよいと思う。数年前からマスコミがちょくちょく報道している。キャンペーンを展開するまでにいたっていない。

    ウェブサイトを制作していると、先生方からインプラントの見解を伺える。症例を拝見する。また他医院の症例を解説してくださる。そういう体験からこのテーマを読み学会へ期待する。自主的に積極的にインプラントの情報を発信してほしい。怖い・危ない・ろくなことない、といった定義できない単語が跋扈してほしくない。さりとて美しい・噛める・変わらないなどの礼讃も減少すればよいと願う。

    歯科医院のウェブサイトのインプラント情報は、治療のメリットを前面に押し出し、品質の保証と価格をやや強調している。それによって商品のイメージを与えてかねない。前面におしだされるということは、背面を想定するのがロジックとしたら、背面の内容を推量しなければならないが、残念ながらアクセスしてきた人にはむずかしい。

    学会や専門家の集団は、インプラント治療のシステムや環境を整備していきつつ、失敗した症例(何が失敗であるかの定義が必要だけれど)を収集して掲載し、解説を発信してほしいと思う。解説付きの成功と失敗が発信されているからそれらを見たところで僕は理解できるわけないけれど、冷静な判断の土台になると思う。

  • 疑似

    2010.08.11 雨のち晴れ夕方大雨

    近所に木が増えたからか鳥がやってくるようになってきた。最近、雀の親子が囀っている。雛鳥が巣から出られるようになったらしく、木と電線の間を往来する。その姿はおぼつかない。電線から落ちるんじゃないかとハラハラ。(勝手に親子と決めているだけだが)2羽の雛鳥と1羽の親鳥が朝から空気を切り裂くように鳴く。あの声を聞いていると、どうしてチュンチュンって擬音されたのか不思議でしょうがない。

    O先生のウェブサイトで使う図を作成しはじめる。明日にはアルバイトの資料が届くので今日のうちにおおまかなイメージをつかみたかった。

    illustratorを起動させて下絵をトレース。なかなかうまくいかない。ソフトが悪いわけじゃない。ソフトを使いこなせない自分の腕の問題。そうとわかっていてもillustratorの最新バージョンCS5が欲しくなる。欲しい心は止まらず制止を振り切ろうとする。

    「ほとんどのトヨタ車衝突は運転ミス=米政府調査」とWSJの日本語版が報じていた。58件中、運転者が全くブレーキペダルを踏まなかったのが35件、中途半端なブレーキ踏み込みは14件。残りの9件は衝突直前でのブレーキ踏み込みが示されたとの内容だった。

    一方で結論は下されていない。全米科学アカデミーと米航空宇宙局の合同調査を続いている。現在、ソフトウエアと機械系統、電磁干渉に対する脆弱性を調査中と記事は締めくくっていた。

    あの騒ぎは何だったのか訝る声が聞こえてきそう。その声は科学から距離を置いた文学的な推論であり科学が関与する余地のない領域だ。科学は反論も肯定もしない。沈黙する。JFKが暗殺された事実に対して委員会は「科学的」に調査した結果を報告しファイルを残している。にもかかわらず「科学的結果」を受け入れずに文学的な物語が再構築される。9.11でも繰り返されている。物語は願望を受け入れ、物語は心を強くゆさぶる。

    トヨタ-バッシングの背景にアメリカの意図が潜んでいたというプロットを立てるとしたら、それと等しく今回の調査結果に対してトヨタの側にも意図が潜んでいたとしておかなければならない。両者は等しくロビー活動する資金とネットワークを所有している。

    自分が立てた仮説や直感に最も近い意見を採用して納得するとき、その見方が成立するならば反対の見方も成立する可能性は非常に高い、あるいは対偶が妥当である可能性を検討することを頭にとどめておかなければならない。頭にとどめているつもりなのに、その機会はなかなか訪れない。自らその機会を遠ざけてしまう。はじめにひらめいた事柄に対して肉付けを強化する方向へ多くの時間を割いてしまう。

    だから 『人はなぜエセ科学に騙されるのか』 のとおり自分は騙される。さらにこうやって備忘しておいても、類似の局面がやってきたとき轍を踏む。

    疑似と類似に振り回される自分、はぁ。

  • 無名

    2010.07.19 晴れ

    07/17(土)に梅雨明けした途端に猛暑を予感させるような晴天続き。家の中も暑い。北から南へ風が通り抜けていくと涼しいのも一瞬。13:00ごろから16:00までは汗だくになる。冷房は苦手なのでつけない。熱中症にならないようにこまめに水分を摂取。

    ロシアでは6月中旬から130年ぶりの記録的猛暑が続いている。気温が40度を超える地域もあるらしい。水死する人が急増して1,600人以上にのぼる。ウォッカやビールを飲んで酔ったまま湖や海にはいっておぼれるとの由。痛ましいといってよいのか国民性なのかわからない。とにかく非常事態なのでしょう。

    先だって切り戻したロベリアからなにやら新しい花が咲きそうな気配。小さな葉がのびてきた。ひょっとして期待してもよいのか。花鳥風月という。自分は鳥をとばしてようやく風から月にさしかかるぐらいか。といっても花も風も月も知らない。まだまだ。固有名詞を覚えなきゃいけないけれどそれ以上に視るチカラだと思う。視て感じるチカラ。気づき。

    O先生のサイトで使う歯周治療用のイラストをなかなか描けない。下絵はO先生が書いた。普段でも説明のたびに書いていらっしゃって、その説明の仕方がとても好評だ。自分も説明を受けたところロジックと描写の一致に驚いた。なるほど歯周治療の戦略はそういうことなのかと理解した。極端にデフォルメしたイラストはプロのイラストレータを呆れさせる簡単な曲線と棒線だけの下絵。でも、それが描けない。質感、のっぺり感をかき消せないので困った。

    今年の全英オープンはセント・アンドルーズ オールド・コースで開催された。ゴルフの聖地であり5年に1度の舞台。石川遼さんのティーショットとアイアンのショットが安定していたのが印象に残った。青木さんの解説は飄々としていてもコメントは的確。自分が視聴しているポイントと青木さんの視点はまったく違う。違ってあたりまえなんだけど、その違いをちゃんと理解させてくださる解説がステキ。

    今年のクラレットジャグを手にしたのは南アフリカのルイ・ウェストヘーゼン氏。戸張さんがキャリアを紹介するたび”無名”が際立つ。全英オープンの予選を初めて突破しての優勝。聖地初挑戦で戴冠は64年ぶり。

    “MOVING SATURDAY”のとおりスコアが大きく動いた翌日の最終日、全英オープンは最後の最後まで目が離せない。自分の記憶のなかで鮮明に残っているドラマは1999年のカーヌスティの悲劇。Google先生が動画を用意している。今視ても悲劇は色褪せない。

    最終日のルイ・ウェストヘーゼン氏はとても冷静だった。1番からパーゴルフを続けてガマンしてきたとこに8番でボギー。2位のケーシーは地元英国人。3打差に迫った9番、ウェストヘーゼン氏はイーグルのロングパットを沈めた。この時、ドラマは起こらないかもってよぎったが、やっぱりここは聖地、最後の最後までわからないぞと視ていた。でも、冷静はドラマを必要としなかった。

    冷静沈着であること。想像は感情に流されやすい判断に極めて冷静な示唆を与えてくれる。

  • 媒質

    2009.07.13 晴れ

    夜中、目覚める。へんな夢を見た。また、彼女が登場した。まいった。夢の発生メカニズムを知りたくなった。精神の調子と彼女の登場頻度が比例しているような。相関関係ってあるんか。不思議。朝、涼しかった。昼から蒸し暑く。夕方、また少しだけ涼しい。家の中は暑い。こういった外と内の違いを1年で何度かある。湿度や温度の体感の違い。この違いをコントロールする技術が建築なのかな。

    午前中、アルバイト。資料が届いて完成。ふぅ、疲れたぁ。その前に、O先生からのメールをページへ反映させてちょこちょこサイトをいじる。どこにも共通した悩みか。

    昼食はなし。昼からM社とM先生のサイトをさわる。SEOとSEMとかコードをいじったり。もっとシンプルなコードにしたいけど、うーむ。悩む。リファレンスを開いて読んでいく。なにかよいコーディング、アイデアがないかなぁ。

    夕方、ジャスコへ買い物。この時期のブロッコリーは小さい。とうもろこしが並び始めた。やっぱりスイカだな。桃もかぁ。目玉商品のレタス99円を売り出したいからいつものレタスを陳列せず。あざといと感じるか、sellingと受け止めるか。微妙。ジャスコって随所にこういう手法を使ってるよな。納豆を食わず嫌い(今まで5回も食べてない)だけど、ヒット商品があるらしい。あっ、目の前で2パック売れてゆく。あっ、1パック。へぇ。

    夕食は豚のショウガ焼き風。正確なショウガ焼きにならず。ザンネン。鯛飯といっしょにたべた。

    ファイルサーバを何とかしたいところ。LVMで2TBを運用するか。それともMac miniに外付けで2TBか。悩み。電気代も計算せんと。

    返事待ちの案件から返事なし。Noかな。もう少し待って連絡しよう。ミーティングで仕事を提供するって先方は何を望んでいるのか。わからない。こっちが畑違いと思っていても、先方は本業と認識する。じゃないな、こっちが本業を決めるのがおかしいんだな、たぶん。まぁ、なんでもやりませんよ、自由にお選びくださいなスタイルは今までも変わらないし。

  • ゴシゴシ

    2009.05.25 晴れ

    朝食は超熟のマフィン、スイカ、コーンスープ。午前中、S社のページ作成。落とし穴から無事脱出。コラムにグラフを挿入した。ビジュアルでわかりやすくなったのでは。M社から返信。先方は喜んでいるみたい。これもよかった。

    昼食はパン1個。GIOSへ乗って1時間ほど走る。信号待ちではちょっぴりジリジリしているけど、涼しくてよい感じ。琵琶湖は60代の釣り人だらけ。その中に若い方々もちらほら。ベビーカも出動。芝生では寝そべっている人や読書の人。浜ではビーチバレーならぬビーチラグビー。

    帰宅後、M先生のWordPress。どう変化させていくか。SEOやSEMのプラグインも導入したいし。やりたいことはあるけど自分の技術が追いつかず。精進。

    TypePad本丸移行完了。よかった。それでも道半ばに至らずって感じかな。まだまだだ。これからの手順を検討。まずはスタッフの携帯を設定しよう。

    夕方、玄米を炊く。夕食はゴボウのハンバーグと野菜炒め。

    明日は定期健診。今さら磨いても結果は同じだけど、なんだか気分的にやっといたほうがよいような錯覚に襲われるのは毎度のこと。バカだなぁとあきれつつゴシゴシ。購入しなければならない用品がないかチェック。

  • まとめるは苦手

    「シンクセルさんは、”まとめる”のが苦手そうだね」

    「苦手ですね。それに嫌いです」

    「やっぱり。なんとなくそんな気がした。どうして?」

    「”まとめる”こと自体が目的になるからでしょう」

    「なるほど。だけど、相手がいる場合、まとめてもらうと筋道を立ててもらったようでありがたいけど」

    「わかります。そうなると、まとめの定義でしょうね」

    「定義か…..」

    (さらに…)

  • やってみたいと思わせる力

    長等公園の桜

    先日、打ち合わせの後、M先生とOさんから新年会へお誘いいただく。今時でない居酒屋で心地よかった。ただ、その時の失態に自己嫌悪し、次の日、ブログに自戒を書いた。M先生はブログで上手くかわしてくださっていて(適切な表現じゃないかも)、その気配りに感謝した。Oさんはブログとメールでまったく同じ気持ちだった旨を伝えてくださった。ほんとうにありがたかった。”日々”はテストと違って正解なんてない。予測できない言動は、”ひとり”を際だたせ、暗愚な自分を気づかせる。美味の御飯と芳醇な酒、言葉のやりとり。

    自己嫌悪を分析していたら、やっぱり積年の課題が。僕は、何かしらの振る舞いに憧れをもっているようだ。上品、知性、滋味、しなやかさ、かろやかさ、といった単語が次々浮かび上がる。TVや映画のフィクションじゃなく、ノンフィクションの「ふるまい」と出会った時、記憶に刻まれる。今まで出会ったひとつひとつの所作と機知をプラモデルのパーツのように組み合わせた完成品を頭に持っている。その完成品と自分を比較して、直視できず。自分を甘やかす。

    そういえば、ジムで気になる女性が一人いる。いきなりトレッドミルからスタートして1時間ほど走り、次に筋トレ、最後にストレッチ。凝視しちゃいけないから控え目に(こういうときのまなざしってコントロールできているようでできていない)。彼女のストレッチがほんとうに美しい。前後左右の180度開脚! 左右の開脚は上半身が床に。

    芸能人やアスリートがTVで披露しても、すごいなと笑うだけで何も感じなかった。なのに、彼女のストレッチを見て、「自分もやってみたい!」と強く感じた。はじめての感情。

    「美しい」は抽象概念。人それぞれ。清潔だから美しい、清楚だから美しい、そんな簡単じゃない。足を組まず、背筋を伸ばして御飯を食べている人たちが、スラングだらけの会話に高じていたら目を側立てる。いや、そのギャップが美しいという人も。外見と中身、それも単純。二元論に中指を突き立てる。もっと複雑。

    一連の動作。つながり。時に反転。醸し出す雰囲気。不安をひた隠す安定。錯覚。すべてが主観。

    言葉で「ふるまい」を表現しようとしている間、「ほんとう」はやってこない。無我。捨てる。醜悪を受容する感性。送信ばかり気にして受信の存在を見失う。何より大切なもの。他者を意識する五感。相手が受信してくれるからこそ、美は伝わる。

    「やってみたい!」と高揚させる力は両手を広げた円に存在している。ただ、自分が気づいていないだけ。

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  • 生命保険は悲惨なギャンブル

    この商品は「生命保険」ではありませんし、もちろん「医療保険」でもありません。ポイントは「病気での入院」に対して保険金が支払われるとは、一言も言っていないことです。

    「治療や入院の実費を最高100万円まで保障」とありますが、それは「ケガでの治療」に限られているのです。また、「お葬式の費用を保障」というのも、亡くなった場合に払われるのではなく、親族が負担する葬祭費用の「実費」を一定限度まで保障するというもの。

    つまり、これは「損害保険」商品なのです。

    via: asahi.com(朝日新聞社):「誰でも入れる」保険の真実(上) – 保険のカラクリ – 生命保険特集 – 健康

    もともと生命保険はギャンブル

    • 独身なら生命保険は不要
    • 子供がいないか、すでに成人しているなら、保険料の支払いより資産形成を優先させる
    • 子供がまだ幼く十分な貯蓄がない家庭は、保険の優位性を最大限に活かす

    それでも、生命保険がほんとうに必要かどうかの判断はむずかしい。立ち位置の問題。

  • どんな生活しているの?

    そういえば、ちょっとまえに「どんな生活しているの?」って聞かれた。キョトン。トピックスがとっちらかるのと意外な番組がでてきたりするからみたい。わかりませんねぇ、自分でも。質問した人のとなりにいた人は、「興味の対象が広すぎる」と笑っていましたが、それは間違い。私は「まったく興味がありません」、何ごとも。

    全部ネタです。何のネタか。それは、「事象にふれて私が何を出力するのか?」という<私>にしか興味がない。これだけ。ねっ、どうしようもないエゴイストでしょ。

    あと情報収集はフィードリーダーを使ってます。

    (さらに…)

  • 待つべきか歩くべきか?

    バスが遅れたら待つべきか歩くべきか? 米数学者が立証

    バスの到着が遅れている場合、あせって目的地まで歩くよりものんびり待っていた方が良いことを、米国の数学者チームが明らかにした。[…]計算の結果、「最初のバス停で待つのが良い」との結論が得られた。歩いた場合、次のバス停に着く前にバスに追い越される可能性が比較的高くなる。

    数学ってこういう証明にも使えるんですねぇ。「あ〜行っちゃった」となったらすかさず時刻表に目をやって距離を頭の中で計算して感覚的に歩くか待つか選んでいるようですけど、「算出」されたわけですから素直に従う方がよろしいのかな。ただ列車はどうなんだろう。事故とかで突発的に列車が遅れたとき、乗り換えるか待つか、あるいはバスかなど代替手段が増えるので感覚的に「どうするか」が選びにくいんですよ。う〜ん、難しいかな。「ただし」の注意書きも。

    ただし、目的地までの距離が1キロ以内で、バスの運行間隔が1時間以上ある場合は、歩く方が賢明だという。

    たしかに。徒歩なら10分程度。その間にバスが到着しても同時着の可能性だったり。まぁその前に1キロ以内でバスに乗るかどうかですが(笑)

    その数学が戦略を決める

    その数学が戦略を決める