タグ: management

  • 多言

    2011.11.19 雨

    [youtube=http://www.youtube.com/watch?v=Nv-HdZmmIsE]

    今朝はTHE COLLECTORSから”世界を止めて”で1日がスタート。はじめて耳にしたのはFM80.2のヘビーローテーション、1993年。衝撃でした。来年は1月の赤坂BLITZ, 2月の難波BIG CATで楽しませてもらいます。

    朝から雨。今日は午後からO先生と打ち合わせ。雨は嫌だ。傘をぞんざいにあつかう人がいるのでこわい。傘が安価になったせいかな。ルールは守るけれどマナーは身につかない、ってフレーズをネットでみかけた。ある意味、正鵠を得ていると思った。他者からしかれたらルールは守れるけど、マナーは自分を律しないと身につかない、と自分のマナーの悪さを観察していてあてはまる。

    12:00前の出発まで一仕事。M先生の広告物を制作したいのでまとまった時間を確保したいところ。この場合のまとまった時間って、10日間ほどで、その間は他の仕事を一切やらないし、一切考えない。

    14:00から打ち合わせスタート。17:30終了。O歯科医院のアクセスログは、特徴があって他と比較できない。正直、わけがわからない。試行錯誤の解析。例外中の例外ケース。

    先生から院内で配布するパンフレットの下地制作を依頼される。なんでだ。最近、ローカル環境の制作を相談される。なんでだ、と訝るし、なるほど、とも頷ける。いまの歯科医院の自由診療を記述しているサイトをいくつか見たら理由は思いつく。

    勤務医の先生についてお話を伺い相談を賜る。教育と指導、そして敬意。前者の二つは上下の関係であり、後者は水平の関係と受けとめた。スタッフであるから医院の医療を実現してもらう。収益に貢献してもらう。そのための教育と指導。同時に勤務医の先生は医療人だ。医療人としての敬意を払う。先生のお話は奇を衒わず王道である。言い換えれば王道しかないって思う。

    一般の企業の組織でも耳にする話。教育しない、指導しない。でも成績や成果に対して苦言を呈す。

    終了後、ロフトで洗口剤のConCool F 100mlとお香の堀川を購入。書店で“失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)” プルーストを購入。

    帰りは大阪駅で途中下車。心斎橋から長堀橋へ。くいしんぼ 本店で食事。粉もん禁断症状がピークだったのでモダン焼きを摂取して禁断症状をやわらげる。うまい、うまい。たこの塩焼きにびっくり。なんだ、このぷりぷり感は。これだけ美味いんだからしょうがない、服にまとわりついたニオイはがまんしよう。

    ステキなお話と美味しい粉もん。ありがとう。

    正法眼蔵随聞記 六 八 真浄の文和尚

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.351

    たとえ仏法のことであろうと人と議論したり言い争ってはいけない。人と言い争うひまがあるなら時を惜しんで学ぶがよい。

    六の八は議論の無益を説く。仮に何度も問われてどうしても説かなければならないなら、それすらも三度の問いにたいして一度答えるほどでよいとおっしゃる。そして多言閑語は必要なし。

    自分自身が多言であることを認識している人としていない人の差異はどういったふるまいに現れるだろう。私はというと、多言閑語のサンプルである。だらだらしゃべるし無駄話満載。簡潔に最適な分量で伝達する表現は、それ自体が芸術。

    自分の皮膚感覚的には、五人以上集まって、一人が何かを話し始めて一分過ぎたら人は聴く意識を急速に低下させているみたいだ。これは仕事での感覚。会議で5分も話せば演説である。プライベートな集まりだとまた違うだろう。

  • 俸禄

    2011.11.11 雨のち曇

    [youtube=http://www.youtube.com/watch?v=9kn9WF4oLRE]

    今日はQueen of Soul ARETHA FRANKLINのナンバからI NEVER LOVED A MANでお目覚め。圧倒的な声量が頭をビビッドカラにして一日がスタート。

    11/10(木) 19:00からF先生の院内システム構築ミーティングに参加。先生とスタッフの議論を観察。

    午前中、議論された内容をまとめる。私が制作してきた業務手順の資料を修正。議論を観察してひとつ気づいた。資料のデザインを再考しなければならない。資料のユーザビリティがよくない。私は業務手順を「動作」で理解できていない。そこにデザインの落とし穴がある。

    議論の「言葉」だけを拾い上げてまとめて、資料を見やすく配慮できたとしても、「動作」の視点からデザインできていない。作り直した方がよい。タイムリミットが迫っている。実際の運用がスタートしてから修正していこう。現場を観察しなくちゃいけないね。

    ここ2ヶ月、ミーティングの前にHさんと顔を合わす。働き始めたときから存じ上げている。変わった。毎度、私の顔を見たら挨拶してくださる。今の挨拶には衒いがなくさわやかで心地よい。挨拶の抑揚と間が、適度な距離感を演出している。彼女から学ぶ。

    F先生とは私が開業して以来お世話になっているから8年になる。8年間、それぞれのスタッフの方の挨拶を拝見してきた。どんなふうに変わってきたかを観察していた。

    「変わった」と私は知覚する。「じゃぁ、なんで変わったのかな?」と先生の話の端々から要素を検証する。あくまで私だけが感じる変化である。他人がどう感じているか知らない。その点は考慮していない。

    16:00すぎに大阪へ出発。大阪駅で途中下車して用事をすませて19:00からM先生のミーティングに出席。

    そろそろ契約を終了させていただこうかと思案中。2年前、M先生から依頼があった。それに対して約30%ほどの成果を出して役割を果たせたと自己評価。私の役目はもう終わってよい。潮時だと自己評価。

    正法眼蔵随聞記 六 三 俗人の云く財はよく身を害す

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.337

    財宝は身をそこなうものである。昨今流行っているシンプルライフや知足とは異なる意味だと思う。

    お金は大半の問題を解決できる。書籍やネットで散見される主張に私は同意する。自分が持っている持っていない関係なく、前提をそう設定しているし、互いに理解できそうな人であれば、お金の話をストレートに申し上げる。「お金」について率直に話し合えるほうが、本音と建前より健全だと認識している。

    以前、お金じゃないという人ほどお金に執着していると書いたけれど、自戒を含めて皮膚感覚的にそう感じる。お金の抽象性は批判するけれど、お金の具体的で些末な点に執着する。そんな風に感じる。

    気をつけないと、このスタンスは誤解を招く。お金が全てと受けとめられかねない。ひがみやねたみ、下品だと思われる。すべて自分のふるまいに寄与するから、そう受けとめられても他者を責めない。

    六の三はそういうニュアンスではないように思う。財宝は身をそこなう話は何度か出てくるけれど、何度読んでも理解できない。シンプルライフや知足の視点ならば理解できるが、そんな矮小化された概念ではないと思う。かといって、まったく持たず、真の最小限に抑えよであれば身も蓋もない。

    正法眼蔵随聞記のなかでも「持たない」ことに関する話は、いまの自分には到底理解できない次元の思考を展開している。

  • 三覆

    2011.10.27 晴れ

    今年秋一番の冷え込みか。薄暗い部屋でカーテンを開けて日の出を待つ。徐々に空が明るくなり、雲がない秋空。空が高い。スッとする。ラベンダーに水をやろうとベランダへ出てブルブル。 おぉ、さぶ。

    “あの人の声はなぜ魅力的なのか ~惹かれる声と声紋の科学~ (知りたい!サイエンス)” 鈴木 松美 によると、魅力的な声の人は腹式呼吸? 腹式発声? ができているらしい。腹から声が出る。どんな感じ? わからない。調べてもイメージがわかない。身体がピンとこないからしょうがない。YouTubeにはたくさんアップされている。

    20:00以降は食べ物を食べないようにしている。寝付きが悪くなるから。夜からミーティングへ参加して帰宅するとだいたい21:00や22:00以降になるので食べない。そんな日は18:00ごろにおにぎり1個だけ食べておく。帰宅後、どうしてもお腹がすくときはスープを飲む。

    で、思う。空腹の睡眠はよい。よく寝られる。寝起きもよい。どうしてかは知らない。やってみたらよい感じなので続けている。睡眠は一日の約30%弱の時間を費やし、意識を失っている。だから寝付きが悪かったり眠りが浅いとなんだかなぁって思うようになった。20代はまったく感じなかった。4,5時間の睡眠と日中の居眠りで充分だった。いまはそうはいかない。いかに食べないかといかに寝るか。

    “なぜ、社員10人でもわかり合えないのか” 日経BP社 では執拗に「なぜ?」と問われる。朝礼は30分近くかかったりする。明快で具体的な解決策が出てくるまで「なぜ?」と何回も問われる。なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?

    ある問題が起きた。全員で問題を課題へ変換する。そのとき気をつけないといけない。課題は、即座に実行できる具体的な行動として表現されているだろうか。

    極端な例だと、課題はコミュニケーションである、なんて意味不明な文章を記録している。また、次から気をつけるようにします、とか、対策を考えてます、などの言い方がある。この言い方は、ミスを謝罪するひとつの形態であって、解決策を表現していない。たぶん、考え続ける人はいるだろう(そして考えただけで終わるケースもある)。個人はいつでも好きな時に考え続けられる。

    組織はいつでも好きな時に考え続けられない。いまここで着手しなければ、問題を課題へ変換して解決策をひねり出す機会は訪れない。全員が解決策を徹底的に理解して実践できない。

    だからみんなのいるまえで、5W1Hにしたがって、「なぜ?」をくり返す。「今この場」が終わった瞬間から実行できる策を出す。

    朝礼の30分でアイデアを出せない人は残れないだろう。「なぜ?」の訓練を受けた人は、「問題発見→課題認識→解決策」の視点とロジックで現場に従事して観察していると想像する。課題の解決策を30分で出せなければ、そもそも問題の設定が間違っているか、問題を認識できていないんだ。

    正法眼蔵随聞記 五 八の(一) 三覆して後に云へ

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.303

    長い。約3ページ。一番長い部類にはいる。

    “「三覆して後に云へ。」と云フ心は、おほよそ物を云ハんとする時も、事を行はんとする時も、必ズ三覆して後に行フべし。 “とおっしゃる。すべて物を言おうとする時も、事を行おうとする時も、必ず三度考え直して後に、言ったり行ったりすべきである、という意味。

    自分はそんなに考えていない。思ったことを口に出してしまう。今回の教えは強烈。では、三度も何を考え直す?

  • 慢心

    2011.10.24 晴れ

    皇子が丘公園

    Lionへアップデートしなくちゃいけないので、そろそろIllustrator CS5を買わないと。高いなぁ。しょうがないと納得しつつやっぱり高いなぁって感じてしまう。

    MISIAが”Smile”をカバーしたみたいで radiko から流れてくる。すごくステキ。歌声の抑揚を聴いていると、歌全体がsmileしているみたい。微笑。

    二十四節気、霜降。太陽の黄経は210度。第五十二候、霜始降。我が住まい周辺はまだ先。イオンはたまに筋子を売っておる。買う人が少ないから半額になる。筋子を漬けにしてご飯にのせる。うまいんだ。同時に、おぉ、コレストロールとプリン体を摂取してるなぁと。隣にブナシメジ味噌汁。天然物の本占地を一度食べてみたいね。

    先日、書店で“日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)” 原 研哉、iPadから“なぜ、社員10人でもわかり合えないのか” 日経BP社を購入。両方ともおもしろい。

    『なぜ、社員10人でもわかり合えないのか』の4章と5章が参考になった。中小企業ほどわかり合えない。キーワードは「ヌシ化」。人事異動ができない中小企業では「ヌシ化」が進行する。なるほど。「ヌシ化」の背景にある文脈はなんだろう?

    他者に対する自己承認欲求が強い? あるいは、仕組みで仕事を動かせないから人に依存せざるを得ない? 「業務=人」から「業務=ヌシ化」へ発展してしまうのかなー。

    第5章の「社内用語集」を日々更新 ・言葉の定義を厳密に決める ・「言葉」を「文字」に落とし込む、には賛成ですね。社員が少ないから暗黙の了解が許されると思ってしまう。社内用語の定義を明確にせずに、各自が自分の思い込みで仕事を進めて、後から問題が発覚するケースを見聞する。

    「ヌシ化」と「言葉の定義」は、自分自身にもあてはめられる。経営者の「ヌシ化」が進んでしまっていないか?って視点に置き換えてみる。 経営者なんだから「ヌシ化」してもよいけどね。

    【人生相談 あすへのヒント】男性を信じられない(30代女性)+(1/2ページ) – MSN産経ニュース がネットで取り上げられていたので一読。読後、経営者と社員の関係へ置換。抽象化。世間が狂っていると感じるとき、相対化したらたいていは自分がおかしくなっているから気をつけた方がよいと自戒している。経営者が「ヌシ化」するように自分自身が「ヌシ化」する。

    自分の体験からして、日頃、「客観的」と指摘する人は、2つに分類される。自分をまことに冷静に客観視できる場合と似而非客観的に自分を分析する場合。「ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません」というアドバイスは的確すぎるから難しい。

    よい評価する時は、内容がバリエーションに富んでいるのに、わるい評価を下すときは、内容が乏しい。ワンパターンになりがち。本人の性質に帰属させる。特にしくじりの原因を評価する時は、このパターンに陥る。そして、自分が同じ失敗を犯した時は、環境や状況の影響で自己評価する。

    他人がしくじったときは本人の性質(=内的)を過大評価して環境や状況(=外的)を過小評価する。一方、自分がしくじったらその反対で評価する。このお話は良い悪いじゃない。そういう傾向が高くなりがちってだけ。自分の選択肢が、「アレ?」だったら、自分の選択眼を疑いたくないからね。どうしても相手の性質の問題に置き換えて、自分なりの理由をつけて自分自身を納得させたくなる。

    正法眼蔵随聞記 五 七の(一) 学人初心の時

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.297

    「誇リて上賢にひとしからんと思ふ事なかれ。いやしうして下賤にひとしからんと思ふ事なかれ。」と云フは、倶に慢心なり、とある。得意になるのも卑屈になるのも慢心だって。そして、安全であったとしても危険なんだし、今日生きているからって明日も生きていると思ってはいけないんだよ、って戒められた。

    すごいね、ほんと響く。

  • 錬磨

    2011.10.13 晴れ

    ルールは静かにゆっくりと確実に変わってる

    18:30ごろ、空を見上げる、までもなく月が目に入ってきた。丸い。とても美しい。30秒ほど立ち止まって眺める。くっきりした輪郭。低い位置に浮かんでいる。40分歩いて次に見た時の位置はさっきより高く、霞んでいた。人が法則を発見する前から存在する緻密で精確な運動。

    寒露を迎えてもう少し冷えるかと思いきや日中はそれほどでもない。過ごしやすいが少しバタバタすれば汗ばむぐらい。今の時期の空調は面倒なのか、場所によっては室内が蒸し暑い。第四十九候、鴻雁来。零余子の塩ゆでがうまい時期。家で食べるほどではないのでお店で味わえたらちょっと嬉しい。

    東京へ行くとき、新幹線か高速バスか悩んだ。十年前なら夜行列車もあった(と思う)。伊丹へのアクセスがよい地域に住んでいたら飛行機も選択肢に含まれる。高速バスの料金は、新幹線の半額から2/3ぐらいまでで構成されている。

    最新の技術が最速と最短をもたらす。単一へ向かう。未来は新幹線を鈍行にするだろうし、そうなれば大阪-東京間を30分で移動できる飛行機が開発されるでしょうかって専門家のお話を聞きたくなる。あるいはもうその頃には、数百人の単位で空中輸送するのではなく一人一台の飛行物体で移動しているのかしら。

    それが豊かであると言う。その「豊かさ」に同意できる。他方、飛行機、新幹線、夜行列車、高速バス(規制監視体制の問題は残っている)など、料金と時間とサービスのバランスから自分にとって最適な移動手段を選べる環境を豊かであるとも思う。選択肢が多い環境が豊かである。

    効率とモノカルチャーの相性がよい。経営の効率化は、ダイバーシティを受け入れられるほど寛容ではない。組織の規模が小さくなるほど受け入れづらい。経営者のマインドが反映されやすく、ファイナンスの容量が決まっている。移動手段は「鉄道」に限定され、鈍行か特急か新幹線かの選択肢がある。バスや飛行機までは選べない。そこまで広げると経営者や周りの人たちの好き嫌いが影響を与える。良い悪いでない。そういうものなんだと思う。思うから経営者の前で安易に「多様性」を口にしたら失礼である。

    正法眼蔵随聞記 五 四 嘉禎二年臘月除夜

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.284

    三十九歳の懐奘禅師が首座についたときの説法。ため息。三十九歳、同い年。「ひとつ」を徹底的に掘り下げる、探し求める人の滋味があふれでている。

    「玉は琢磨によりて器となる。人は錬磨によりて仁となる。何の玉かはじめより光有ル。誰人か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練ルベシ。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ」とおっしゃる。はじめから光っている玉はないし、すぐれたはたらきをする人はいない。

    自ら琢磨して錬磨しなければならない。そう理解している。一方で、私が誰かを磨いてあげなければならない時期もあるんだろうか(べつに上から目線の話ではなくて…..)?

  • 陰処

    2011.08.04 晴れ

    ども、イオンの火曜市の歌を覚えたくてYouTubeを視る”中の人”です。

    「君には嘘をつけない」をひとりでこっそり聴いちゃいかんな。プルプル。電車の中、トイレの中、スーパーの中、押し入れの中、中の人の中、エヴィリウェア(vとrの発音を醸しだしのです)。iPod Touchのイヤホンがタレコミはじめたら脳のCPUが100%稼働してアーカイブを検索、ヒットした映像をリストしてリアルタイム編集しながら再生して、涙腺のポートを開くように指示。で、ほーうーすーい、はーじーめー。

    斬新に思われたいから力む。放屁あれどもエスプリでず。同工異曲。昨日書いた内容と正反対の内容をたくらむも我が手はいつもの文字を自動入力。「へーんしーん」はアリでも「へーんじーん」はなしだろうとオートマンが作動。それはないか。結局、視点がひとつ、あってもふたつ、導き出される思案が平均、文章が平凡、みごとな三拍子がそろっているからつまらない。

    鶏肉のミンチを買ってきた。250g。味噌を小さじ1と1/2。ショウガ汁小さじ2。ボウルのなかでこねこね。一口ぐらいの大きさで10個の平らなつくねをひねりだす。で、のりにぬってフライパンで焼く。できあがり。あとはいんげんとしめじを塩と胡椒で炒める。お皿にそえて卵豆腐とご飯で夕食をいただく。我ながらうまい。お腹いっぱい。

    豚と鶏のニオイをかぎながら料理する。屠殺シーンを一瞬だけフラッシュバックさせて脳のなかで一人SMしながらありがとうございますの拝み。ヴィーガンやそれに近いベジタリアンは工夫を重ねていらっしゃるのか。あるいは食を生命維持のシステムと分析して口にはこぶ程度でしょうか。わからない。知り合いにはいない。隠れの方はいらっしゃるかもしれないが。

    レノボのAndroidタブレット2機種と周辺機器を写真レポート を読んではじめてAndroidタブレットがほしくなった(iPad 2があるので買いませんが)。システムがAppleなのでiPad 2のほうが便利で楽だから買ったけど、システムが WindowsやLinuxならこれでよいなぁって印象。とにかくタブレットは自分のライフスタイルには便利。PDFや本を読む, ネット, メール, Evernote, Twitter, Facebookもこれですませられる。DVDからリッピングした動画やほげほげはAir Video経由でみられる。入力系のタスクが少なければ充分。

    ワイヤレスキーボードを接続して入力系システムを構築できる。ただ、それならMacBook Airかネットブックでまかなったほうが効率的な感じ(MBAとネットブックを同列に書くなって怒られそうだけど)。

    イギリスかアメリカの報道官がコメントしている映像でiPadを膝の上にのせている記者がたくさんいた。どっちの国だったか覚えていない。なぜiPad? ノートPCが持ち込めないらしい。保安理由かと思いきや、キーボードを叩く音がうるさいからだって。なるほど。ソフトウエアキーボードだと音がしないからタブレットはOKなんですね。

    英語圏だなぁ。日本語だと同じ規制はムリっぽい。iPhoneやiPadでは手書き認識ソフトの7notesがあって評価も上々みたいだ。会見のメモをそれで記録している記者はいらっしゃる? どうでしょう。やっぱり変換効率は低下すると想像するから長文は難しいのでは。

    正法眼蔵随聞記 三 十 今この国の人は

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.191

    数年前、「見える化」が平積みされた。“見える化-強い企業をつくる「見える」仕組み” 遠藤 功 を発売当初に読んだ。すでに手元にない。内容も覚えていない。わかりやすいなぁって印象だけ残っている。いまでも取り上げられるかもしれない。否定する人はいるだろう。やってみたらとぼくは思う。

    「見える化」で注意すべき点がある(内容を覚えていないので的外れかもしれない)。それが三の十に記されていた。

    見ていない場所と時間。見られないじゃない。見えないでもない。人は「人の見ていない場所」で何をしているか? 人は人の見ていない場所で陰処もかくさず礼を失する。性悪説ではない。人はそういうものだと思う。人が「人の見えない場所」でふるまう。そのふるまいを受けいれられるか。責めないか。

    タームになっていなかったシステムを「見える化」にまとめて表現した能力へ敬意をはらう。システムが「わかりやすい単語」になった瞬間、造語を産んだ人から単語は独立する。ひとりで歩き、受け手は平仄を合わせられるよう解釈して援用する。わかりやすい単語の認知度は平均値へ向かう。平均値は造語を産んだ人の意図をもう失っているかも。

    「見える化」は共有ではない。(“それ”を見ることは不可能に近いと思っているけれど)見られない存在を探す力を育てるプロセスだとぼくは思う。

    また同工異曲。

  • 明眼

    2011.05.02 黄砂

    黄砂が飛散。大津の山々がかすむ。ラジオから洗濯物に注意との声。干したら乾くけど砂の粒子が付着して洗濯・洗車する前の状態よりひどくなりそう。前日つくったカレーが(いまのところ)今年いちばんの出来で気分がよい。今晩の焼きカレーにそなえて朝からわくわく。お昼は一昨日につくった鯛めし一膳と野菜スープ。

    終日WP制作。ルックスは85%ぐらいまで制作できた。黒が基調のルックス。何色かの黒系を使い分ける。シンプルだけどパーツや要所で立体感を意識。のっぺりに気をつけて。あとはショッピングカートの実装。これが手間取る。悩む。難しい。

    夕方、F社のA氏と打ち合わせ。16:00開始、16:30終了。

    昨日から 『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 をひとつずつ読む。

    正法眼蔵随聞記一 一 はづべくんば明眼の人をはづべし

    『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.9

    時々の状態によって受け止め方が異なりそう。批判に謙虚になりすぎるな、批判を吟味しろ、といまの僕は解釈した。じゃぁ物の道理を見通せる人を見極めるには? との疑問がよぎる。二十代なら批判をうまくこなした処世術と読んだかもしれない。

    事柄を抽象化して記された綺麗事にふれたとき、それを受けとめる人間は、いまここにいる自分の条件にあてはめて考える。解釈の選択肢を持つ文章は時代の濾過装置によって不純物が取りのぞかれる。純粋は逞しく力強く簡素だ。

    昨日、「考えるって便利な言葉だな」ってツイートした。「考えておきます」って言葉はまるで何もしないことを確認するために集まる会議みたい。森博嗣先生の日記が常に頭にある。

    「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。

    こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。

    『MORI LOG ACADEMY 9 (モリログ・アカデミィ 9) (ダ・ヴィンチブックス)』 森 博嗣 P.188

    「考えた」ではなく「考えようとした」、「悩んだ」ではなく「悩もうとした」と先生は書く。

    私以外の「考えようした → 考えた、悩もうとした → 悩んだ」の推移を私は経験できない。相手が考えたか、考えていないのか、どちらかは推し測るしかない。そのうえで主観的な評価をくだす。

    「私はやる」か「私はやらない」の判断を他人へ訊ねる。それが「どうしたらいいですか?」だと思う。前後の文脈なしにこのフレーズだけ切り出すと、指示された仕事のやり方を知らないから「どうしたらいいですか?」の質問もあてはまってしまう。それは除外。

    私のコトであっても、やるかやらないかの「吟味の経過」を他者へ依頼する。まっとうな人はすなおにうけとめて「やったほうがよいか」か「やらないほうがよいか」を助言するだろうし、至極まっとうな人は、他人の「やる」か「やらない」の判断をくだす。

    年齢は関係ない。十代の人でも自分のコトを「考え」てやるかやらないか判断するだろうし、歳を重ねても自分ことを「考えられない」し、やるかやらないかの判断を依頼する。

    良い悪いではない。僕は、「どうしたらいいですか?」と訊ねられる機会を減らすように「考え」て、相手とかかわり合うことを「やる」か「やらないか」の判断を積み重ねていく。それをやっていくだけ。

    黙考、判断、実行の3つ。言葉にすれば簡単なんだけど。それを実践できないから自身に苛立つなあ。

  • 撲滅

    2011.03.07 晴れ

    啓蟄。虫が土を啓き這い出してくる。蛇、蛙、蜥蜴。七十二候の第七候、蟄虫啓戸。虫たちは暖かくなれば戸を啓くけれど人間は暖かくなればウトウトする。

    日曜日、起き抜けに思い立ってNPO法人のサンプルサイトを制作。WPを使って制作。ひたすら画面とにらめっこ。M先生から土曜日の返信を着信したので合間に再返信。長文。60分ほど。先生のソウルフルな文章は僕をグラグラさせる。いてもたってもいられなくなる。気持ちを切り替えて制作。途中でカレーを作る。んで制作。夜も制作。

    今日は日曜日の続き。朝から制作、コード打ち、ブラウザ。夜、F先生とSkypeでチャット。で、制作。拙速なんだけどフレームができあがった。シンプルなサイトに仕上げた。ロゴ”まがい”なモノも勝手に作ってしまった(笑)

    オンラインストアでオーダした iPod Touch 4G(64GB) が到着。路面店で買えばすぐに手に入る。裏面に刻印したかったのでオンラインストアでオーダーした。刻印の文字は “Yes, today is a very good day to die.”

    NPOのサンプルサイトを制作しながら iPod Touch を Mac へ接続する。iTunes へ接続したら以前に iPod か IPhone を接続したか? と訊ねられたので、いま使っている iPhone 3G のプロファイルを選択。自動で復元。数時間後、iPhone 3G の環境を iPod Touche 4G へ移行完了。なんつぅ便利な、絶句。

    ほんでもってRetinaディスプレイの960×640ピクセル解像度(326ppi)に再び絶句。なんつぅ綺麗な。iPhone 3GS の人は IPhone 4 へ乗り換えたほうがよいと痛感。いや、ホントに。

    iPhone で閲覧できるようにしたO先生のサイトをチェック。ステキだ。日本語の文字がくっきり見える。iPhone 3Gの解像度ではつぶれていた。 iPod Touche 4G ではつぶれていない。ウレシイ。

    マイクロソフトがInternet Explorer 6(IE6)の撲滅キャンペーンをはじめた(IE6 Countdown)。欧米では数%のユーザーなのに日本ではまだ10%もいるらしい。なんでだ? めちゃくちゃだな。

    いま制作中のこのブログもIE6には対応しない。O先生のサイトも切り捨てたし、これから制作するサイトはIE6をサポートしない。海外の制作会社はIE6へ対応するなら別途フィーを請求しているそうだ。右へならえ。

    MSは公式のTwitterアカウントで述べている。

    It’s not often that we encourage you to stop using one of our products, but for #IE6, we’ll make an exception: http://bit.ly/g0wt4m

    Twitter / @Microsoft: It’s not often that we enc …

    IE6はセキュリティの問題を抱えている。セキュリティ脆弱性が多く存在しているし新しいIEに搭載されているエクスプロイト対策メカニズムも含まれていない。オートマ限定の運転手がミッション車で高速道路を逆走するぐらい危険。

    行き急いでる。前のめっている。

    いままで制作してきたサイトのうち手直しできる箇所はすべてやり終えたい気持ちが強い。どうしてかは理解している。僕とIE6は同じ立場なんだから。

  • 申告

    2011.02.23 晴れ

    ROCK’A’TRENCH『日々のぬくもりだけで』がええ感じ。好みのリズム。リリックはストレート。あとは今か今かと待ちわびる、Rake『100万回の「I love you」』ですな。シングルリリースが待ち遠しい。なんかここのところリリックが直球の歌に惹かれるんだけど、愛に飢えているのか? いやいや、飢える前に「愛は化学反応」を検証しておかないとねぇ。

    初旬の寒さはなくなった。こういう時、暖かいと書けばポカポカな印象を与えてしまいそうだ。かといって肌寒いって書くと薄着だから寒いような感じもする。何て書こう? 気温の数値を書くだけでよいかな。数値は事実。数値が示す実世界を引き受ける仕方は個別に委ねられている。まだ寒いはアリ。暖かいでもOK。春が近づいてきたって文学的表現を採用しても間違ってない。

    午前中、F社のページ制作。午後から確定申告の書類を仕上げて税務署へ提出。毎年、自分の確定申告を見たらどうやって生活しているのか本人が首をかしげたくなる。特に昨年の数字を見て痛感した。今年、すべての能力を振り絞って恩返ししたら次のステージへ行かなければなぁ。でないと生活がまなならないぞ。

    帰宅後、M先生のPRを寝る。ネットで調べない。まずは考える。自分は患者になる。知りたいことや気になることを思い浮かべる。口腔内への関心が変わってきたプロセスを思い出す。なぜ口腔内への関心が変化したか? どういったフレーズに関心を持っているか? どんな単語が書いてあれば読む? 誤解していることは? 正誤を判定したくなる気持ちは? どんな歯科医院なら行く?

    02/10(木)、M先生とOさんと食事をしていた。39歳になる2日前。誕生日会をしていただいたなぁって心の中でひとり喜びながらワインを飲んだ。14日以上お酒を飲んでいなかった。久しぶりのワインは美味、そして酔った。先生もよく飲んでいらっしゃった。

    酒は飲まなくなっても大丈夫だって確信した自分。M先生やOさんと美味い酒を飲みながらお話できるなら飲みたいなって願う自分。傍目には矛盾。なのに自分の中で融合しちゃってる。禁酒や禁煙に興味ない。関心ない。飲んだらよいし吸えばよい。昔はそう思わなかったけど今はそう伝達する。好きにすればいい。強く思う。

    僕はたいして苦労しないで煙草をやめたし酒もやめられるだろう。「健康」が動機の禁煙や禁酒、身体によさげなことへ関心はない。「いろいろ」感じる「いろいろ」な自分に興味がある。なんで酒を飲むのか理解できなくなったから酒を飲まなくてよいなって感じた自分がいれば、好きな人といっしょに笑って話ができる美味い酒を飲みたい自分もいる。

    お相伴にあずかれば3回に2回ぐらいの頻度で僕の将来を聞いてこられたりアドバイスしてくださる。フェードアウトのニュアンスや自分の弱点を先生には伝えている(つもり)。そのたびに同意したり反論してくださる。先生と向き合えば自分の弱点と論理の矛盾を抽出できるし、自分の無責任な態度を文章で書けるぐらい整理でき、次の生活の手段を素描しやすい。深謝という単語が平凡なほど嬉しい。

    今の仕事を続けるようあの手この手で僕を導き出していく。先生はご自身のために導出していると僕なりに解釈している。誤読されると僕は困惑するので解釈をもうちょっとかみ砕いておこう。僕は利己的という概念に肯定的で好意的だ。ただし利己的と独善の間には線を引く。もっとも忌み嫌う単語は「あなたのことを考えて」である。利他的と隣人を愛せよに補助線を引くのは難しい。

    だから先生がご自身のために私を評価してくださっている点は素直に受け入れている。ただ前提が異なるだけだ。自分の仕事は誰でもできるから大丈夫、と僕は想定している。先生の前提は誰でもできるとは限らない、と解釈している(間違った解釈の可能性は充分ある)。その前提の違いから出発して議論するから折り合えない事柄があってもしょうがない。前提をすり合わせるのは難しい。ちなみに脇道にそれると会議は前提を共有する場ではないと思っている。

    僕は本当に心の底から感謝している。僕の将来や弱点を面と向かって俎上に載せるのはM先生だけだ。会社勤めから数えるとそろそろ10年近いお付き合い。10年。これが僕の唯一の誇り。満足って現象に関心がないけれど満足をあげるとしたら、先生と出会って10年近くお付き合いくださったことに満足である。利己的と利他的の均衡が絶妙に保持されていたのだから。最高で最適だ。

  • 列車

    2011.1.28 晴れ

    目が覚めてカーテンを開けたら雪。少し積もっている。寒い。頭痛はおさまった。目の違和感は続く。いやな感じ。ラジオはインフルエンザの流行を知らせる。ラジオの生活に切り替わって耳の感度が高くなったような。電車やスタバでの会話に耳が反応してしまう。まぁ錯覚だ。

    朝からMacBook ProとMac mini(Leopard Server)の調子がおかしい。前回の月1回メンテで見逃していたのかな。MacBook Proは4年、Mac miniは6年近く経過中。トラブルがハードウェアかソフトウェアかを分析せんと。Mac miniは24時間365日稼働なのでダウンしたら痛手。ふむ。やっかいだな。そろそろ買い換えたいがムリだよなぁ。AdobeのPhotoshopとIllustratorを先に買わなきゃいかんし。そろそろオンライン学生になるか。

    16:00すぎに大阪へ出発。大阪駅で途中下車してパソコン工房へ。MacBook AirのTimeMachine用ケースを探す。 2TBが1万円切ってるし。10TBのZFSやりたいなぁ。なんせこの間こおた1TBが200GB切りよった。本屋で『現代思想2008年12月臨時増刊号 総特集=メルロ=ポンティ 身体論の深化と拡張』 河本 英夫, 宮本 省三, 西村 ユミ, 丹生谷 貴志, 松葉 祥一を探す。ない。

    19:00からのM先生のミーティング。よかったなぁ。もう一人の外部の方は僕とは全く異なる視点から意見を述べてくれる。ありがたい。高ぶったなぁ。やっぱり僕は沈黙していてよいんだな。観察に徹する。場が明らかに行き詰まったときだけ言葉を放擲する。それぐらいでOK。昨年秋に経験した失敗と失態から学んだ。

    もう一つ学んだこと。毎週出席しなければならないなと思う。もちろん相手はその分のフィーを負担してくださるから心中は複雑だ(仕事で恩返しするのは当然なんだけど)。継続して出席しなければ感知できない連続性がある。途切れたらおしまいなんだな。「連続」だけでも取り組むテーマがある。

    そして連続性の中で一回性を保持する感性が自分へ課される。連続性と一回性は矛盾ではない。両方を一つの現象へ包み込んで観察する。観察結果は完璧な主観なんだ。だけどこの主観は客観と対立させない。これも両方を一つの「コト」へ包括していく展開が、次のミーティングへ影響を与えるんじゃないだろうか。まだわからん。自分の感度はまだまだ鈍い。思考が足りない。知性が欲しい。言葉を身につけたい。

    同じ<時>の流れのなかを生きてきたというのはひどい幻想であり、二つの異なる列車が同速度で並んで走っているときに、二つの列車に別々にいる人がたまたま同じ列車内にいると勘違いしていただけのことなのだ。一方が前方ばかり見ているうちに、他方は速度を落とし、別な方角へ行き先を微修正する。その微修正がくり返されるうち、気がつけば並行して走っていた二本のレールは大きく離れている。ふたりはとうの前から、違う時間を生きていたのだ。『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』 鷲田 清一 P.75

    「定年を迎えた連れ合い」の例えからこの一文へ続いている。この文章を気に入っている。好きのニュアンスじゃない。同意するし反論したいし懐が深い。「絡みたくなる」文章である。で、気に入っている。僕が想像しなければならない事柄、取り組まなければならないテーマがこの文書の中にたくさんある。

    僕と顧客の関係へ勝手にあてはまる。連れ合いと違うから同じ列車に乗っていない。ただ二本のレールを並行して同じ(ような、似通った)方角へ走っていると思っていた。だけど僕が行き先を修正する、あるいは先方が速度を上げるからお付き合いがなくなった。過去の顧客をそんな風に説明できるかも。懐疑や不信とかの位相じゃない。そうかもしれないと感じるのは僕から見た風景であり、先方の前に映る風景はまた異なっている。

    同じ<時>をおりにふれて確認する。とても大切な行為なんだ。それが連続性を紡ぐスタートライン。スタートラインは常に書き換えられる。確認して連続性を認識できるから一回性へ跳躍できる。連続性の担保があるから一回性を約束できる。真の一期一会もあるけど、そんな卑怯さも必要じゃないかな。