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  • 七倍

    2010.11.24 晴れ

    曇り空が続いたので今朝のおだやかな天気は心地よかった。柔らかくて明るいひかりが差し込んでくる。東の方向へ躰を向けて浴びているって実感。ガジュマルといっしょにあびる。このひかりが一日の始まりを教えてくれる大切な儀式みたいでおもしろい。

    F社のサイト制作。担当しているウェブサイトはそれぞれの課題を抱えている。F社はファインダビリティからアクションまでのプロセスが課題。サイトのボリュームは多い。反面、最適なナビゲーションを僕が制作できていないから見つけにくい。ファウンダビリティが低下すると目的のコンテンツへ到達できない。次のアクションへ接続されない。特に検索エンジンから見つけやすくしないと。順位を上げるのは必要条件だけど十分条件じゃない(たぶん使い方は間違っている)。

    ユーザは検索したとき探したいコンテンツと検索結果が近ければクリックする。

    今、「歯科 増患」と入力したら Google は約32,100件を表示した。では「自費」と加えて「歯科 増患 自費」だと約3,590件、「歯科 増患 定期検診(一般的用法)」は約2,010件。

    これが「インプラント」だけなら約10,100,000件。月間の検索回数が多い単語だけを入力して目的のサイトにたどり着くのは難しくなった。サイト運営者も順位を上げにくい。インプラントだけでGoogleの1ページ目に表示されたいなら専門家へ依頼したほうが早いと思う(注意は必要だけど)。いかに組み合わせるか。

    検索のキーワードは文章じゃない。たいていは「単語」を使う。ひとつの単語で検索するか複数を組み合わせる。ただし金言や有名なフレーズは文章で検索する。

    ユーザは文脈を持っている。何かしらの文脈だ。文脈を想定して仮説を立てる。ユーザは探したいコンテンツをイメージで抱えているか、知らないから調べるか、それとも体系的に情報を収集する途中か、などそれぞれの文脈があって、ユーザは自身の文脈からキーワードを抜き取っている。

    手前味噌ですが検索で驚かれることがしばしばある。どうやってそんなサイトにたどり着いたと尋ねられる。キーワードを伝達するとみなさん吃驚される。そんな単語を思いつかなかったみたいだ。同類のコンテンツを探すにしても入力するキーワードは異なるなあって痛感。

    キーワードを入力して検索結果に表示される文言が自分の検索したキーワードと近いとクリックする。「歯科 増患 自費」と検索してどこをクリックしたでしょうか?

    ところがその先は違う。それから先に表示されるテーマが一致しなければ直帰する。検索結果に表示された「歯科 増患 自費」のページをクリックして読む。すでに知っている内容だったりむちゃくちゃな事を書いていたり、自分の思考と合致しない内容だと「戻る」ボタンを押す。あるいは閉じる。

    検索結果の表示とテーマの一致を高めなければならない。順位の向上は技巧的な要素でテーマは中身の要素です。前者と後者は対立や別個の関係ではなく円環するようにしないと。

    先日、あるトピックがソーシャルブックマークに現れた。7月にYahoo! JapanとGoogleが検索エンジンの提携を発表した。それから動きはなかったが、先日、Yahoo! JapanとGoogleの検索結果がどうも一致したらしいとの記事がアップされてこの話題で盛り上がった。あくまで一部のサイトらしいしネット界隈は裏をとれていない。まだ確定した事実ではないだろうし正確な情報が出そろっていない。これから分析がはじまると思います。

    僕はSEOやSEMの専門家ではない。昨今のウェブマーケティングというかウェブに関連した業務は細分化されているから一人で全方向をカバーできない。不可能だ。ドッグイヤーは陳腐だって感じるスピードで進化するから、自分の今日の知識は昨日になれば古くなっていると自戒して取り組んでいる。

    だから揺るぎないコアを求めて右往左往しているんだろうな。情けないけれど。

  • 密室

    2010.10.18 晴れ

    10/16(土)、大津ジャズフェスティバルへ行くとき空を見上げるととても鮮やかな雲を見た。高積雲か巻積雲かどちらか判別できなかった。秋の空を強く実感できて嬉しくなった。12:00から始まった大津ジャズフェスティバルを18:30頃まで見学。贅沢な一日を味わえた。

    O先生のイラスト制作。根管のイラストをOKいただいたので引き続きGBRとインプラントのイラストを制作。歯科医療の正確性を担保しながらデフォルメして伝えるので難しい。

    10/14(木)に19:30からF先生と勤務医の方々といっしょにミーティングしたとき、フレーム問題が最後の方で話題にのぼった。帰宅後、『デカルトの密室』 瀬名 秀明 を本棚から探し出してぱらぱらめくった。「フレーム問題だ。世界の記述が爆発したんだ!」(P.184)で身体がびくんとなったのを覚えている。

    「八〇年代になって、日本人のAI学者が『コンピュータだけでなく人間にもフレーム問題はある』と主張し始めた」(P.218) “一般化フレーム問題”が普段の生活のなかで起きないのはなぜだろう? 確かに人間にはフレーム問題なんて存在しないかもしれない。ロボットは時限爆弾(=ダニエル・デネット, Cognitive Wheels : The Frame Problem of AI[2])を爆発させても人間は爆発させない。認知を勉強していると、無限の空間のなかで自然界で発生した知性はフレーム問題をどのように解決しているのか興味を持つ。そもそもないかのようにふるまっているかもしれないし、”ほんとう”に解決しているかもしれない。

    フレームは枠であり枠といえば、境界条件と制約条件を僕は思い浮かべる。何かを意思決定するとき、この二つの条件を決定する議論をまず始める。物語や文学的表現を議論から取り除いて、データと合理的な事実にもとづいて推し進める。あくまでデータと合理的な事実にもとづいて推し進める比率を高めるだけである。こうやって言葉に記述すれば簡単な事柄であっても実際に顔をつきあわせてディスカッションしたらそう簡単ではない。

    年齢や所属の立場、単語数と知識の多寡、そして感情が交錯して、それらが混じり合った集合体はデータと合理的な事実にもとづいて議論する理路をふさぐ。良い悪いではなく、データと合理的な事実だけに依拠して完璧な議論は展開できないだけだ。

    以前、ある歯科医院の先生からCTを買いたいから背中を押してほしいというメールをもらった。税理士の先生に相談したら反対されたと書いてあった。僕は背中を押した。無責任と自覚して。データと合理的な事実にもとづけば反対してもおかしくない投資に対して税理士の先生とは異なったアプローチをして僕は先生の背中を押した。結局、先生はCTを購入した。今はとても満足していらっしゃる。CTを充分に活用して投資資金を回収している。ただし当初の予定より回収のペースは遅れている。それは納得できている様子だ。

    直観。何から何まで直観で決めていたら破産が待っているかもしれないが「直観」から生まれてくる決断はあると思う。特にある岐路に立ったときの決断に迫られた時だ。

    「これならCTを購入しても何とかやっていける」という根拠なき実感が作動したと僕は推察する。直観は無数のデータを蓄積したデータベースから生まれる。診療空間の身体がデータベースを参照して「いけるだろう」を頭へ引き渡す。感情が発露する。買いたい。じゃぁどうすればいい?

    確度の高い情報と合理的な事実、正確なデータが揃っていれば意思決定できるはずなのにそうならない。僕がもっとも関心を寄せる点であり、認知プロセスと関連させて考察したいテーマである。この文章が文学的表現を使っているのと同じだろう。

    文章は事実と意見と感想を明確に区分して記述したほうがよいと云われるはずなのにいつしかこの3つは混じり合って一つの物語を紡ぐ。

    自分の密室から脱出するには何を認知すればよいのか?

  • 変通

    2010.09.30 雨時々曇

    iPhoneのアラームが鳴る前に目が覚めた。寒い。外は雨、薄暗い。急に冷え込んだ。予報では昼間も気温があまり上がらないらしい。昨日の青空から一転。今年もあと3ヶ月。昨年のような経験をすると何があるかわからない。

    午前中、M先生のトップページのラフを制作してみたがまったくダメだった。しっくりこない。HTMLとCSSの管理をトップページ用に分離したくないがその案を採用できないなぁ。手詰まり感。

    午後からO先生のページ制作。根管治療のページ。歯冠方向からと根尖方向からの根管治療を説明する。何がポイントでどこを読んでもらいたいかを丁寧に表現したいところ。

    臨機応変に事を処すること。物事に拘泥せず、自由自在に変化・適応して行くこと。「変通」の意味を調べたら広辞苑に掲載されている文面。一行で言い表せる内容ほど実行が難しい。大切な何かが記されている。でも響かない。

    今日が人生の最後の日だとして、今日これからやることは本当にやりたいこと? もし、何日ものあいだ、「NO」という答えが続いたときは、何かを変えなければならない。突き刺さる。eccentricな経営者のスピーチと知らなくてもフレーズが響く。

    この言葉を紹介したりレトリックに使ったりしたところで知ったという範疇から脱獄していない。Noが続いてその日何かを変えるために「やった」ら言葉から脱獄している。crazyに受け止められても動詞が脱獄させてくれる。

    経営者はリーダーシップを発揮しなければならない、もっとトップダウンで指示していかなければならない、というテンプレートがある。コンサルタントは使用上の注意をよく読みながら使っているしコンサルタント以外の方々も使うようになった。今の医療現場は業者総コンサルタントの時代だから、生き残りをかけてみなさんアドバイスする。業務に関連しているからと信じて。餅は餅屋なんて云ってたら生き残られない。

    が、業者総コンサルタントの時代の現場は実践を置いてきた空虚な言葉が飛び交う。それらを拾い上げて実践できるかどうか検証する。ひとつ、わかる。身体的感覚から発話しているとそうでない人がいるということ。なんとなく判別できる。

    前者は経営者かそれに準ずる立場の人がコンサルやアドバイスして、後者は役職がコンサルタントやアドバイザーであって立場は経営者でない、と想定されそうだけどそうじゃない。

    身体的感覚がともなっている人はリーダーシップやトップダウンの形態を自分自身で丁寧に論理を積み重ねて吟味している。後者の人はWikipediaに掲載されているリーダーシップやトップダウンをアドバイスに使用する。経営者か否かの立場に依拠しない。違う点はお金。もっとも現実的なことなのに案外見過ごされている。経営の三大資源のひとつを想像できないフレーズは、ああすればこうなると解が決められている。

    先人が置いてきた言説を駅の自動改札のようにアドバイスする人が単語使いのアドバイザーである。「今日が人生の最後の日…..」のフレーズをストックして次の現場で使う。ストックフレーズの数が持ち味だ。

    僕は順序が逆だと考えている。経営者を観察して現場の事実を分析してそこから現象を抽出する。その現象の中に現場が見落としている、感じていない何かが隠れている。自身の身体を動かしてそれを探す。でないとその何かを的確に伝達できる言葉を発見できない。発見したロジックの平仄が合わないときに先人の置いてきた言説を探ってみる。

    だからリーダーシップやトップダウンの形態は経営者の背景によって変わる。自分が所有しているワンパターンの形態を押しつけられない。すべての経営者がリーダーシップを発揮してトップダウンで経営してうまくいっているなら歯科医院はバタバタ倒産しない。

    目の前にいる経営者は割れ目を持つ。医療と経営。数字と実態。経営者と個人。割れ目を認識する。認識を支援する。割れ目を表現する言葉はどこにもない。

  • 包含

    2010.09.16 晴れ

    いつもより60分早く目が覚めると1日が25時間になったみたい。60分早い朝の人工音は準備中で景色は灰色だ。これから灰色の濃度は高くなっていく。二度寝の信号を断ち切る「何か」を意識して身体を起こす。ほんとにゆっくり起き上がる。身体の部位を確認しながら。今朝は左肩の凝りが気になった。

    WPの制作。ドメインを取得してレンタルサーバの設定を完了したのでこれから作り込んでいく。小さく産んで少しずつ膨らませて運用するやり方を変えていない。いつも顧客にその点だけを説得する。ただし結果は二つに分かれる。止まるか進むか。

    女性がサントリーのオールフリーを売っていた。入口の自動ドアから数歩の場所。買い物かごを取りに行けば接触するポイント。キャンペーンや特売品を売るときはいつもココだ。

    女性の声を耳にした時、「この女性は売る」と感じた。根拠はない、何となく。自分の耳に届いた声の抑揚と声色から直観した。こういうシーンに遭遇したら直観したプロセスを検証する。プロセスがないから直観かもしれないのになんとなく遡らずにはいられない。

    過去に聞いた声が蓄積されている。すべての声を完璧に記憶していないし、一度耳にした声を後から再生してもらっても同じと判定できない。ただ漫然と感覚的に覚えている声があって、その中には大好きな声、好感情を抱く声、落ち着く声、クレバーな声、冷静な声、苦手な声、離れたい声、不快な声などのラベルを貼っている。

    売り子の女性の地声を聞き分けられない。ただ耳に届く声はよく通り甲高くない。力強い。圧迫感がない。スッと入ってくる。何より声が直線じゃない。義務的に発生している直線的な声ではなく飲んでほしい気持ちを緩急つけて訴える。

    15分ほど観察していたら6本入りの箱が4箱売れた。その販売ペースを評価できない。基準を知らない。でも驚いた。買う人によって口調や言葉を変えている。お年寄りが手に取れば他と違う点をゆっくりと説明するし、30代の夫婦が迷っていたらコストや味を早口で紹介していた。

    入店許可証をつけていたので従業員ではない。こういう販売システムの仕組みを知らない(知らないことだらけだなぁ)ので歩合か固定かを判別できない。女性が「売る」ということに徹している姿を自分は感じ取った。あの手この手で歯科医院の院長に電話をつなげようとするセールスとは違う「売る」のスタイル。

    女性の前を通り過ぎてインスタントラーメンのコーナに差し掛かると男性がいた。男性は従業員。インスタントラーメンの箱を通路にまき散らしてカート1台がギリギリ通り抜けられる幅に狭める。まるで1/4コマ送りのDVDを鑑賞しているようなスピードで商品を棚に”置いて”いく。いつものことだ。10分後, 15分後, 20分後、悪意を持った僕は男性の前を通るとインスタントラーメンのコーナは変わっていない。間違い探しの最後の1個を探しているみたいだ。よほど慎重に1個1個のラーメンを品定めしながら箱から出しているのだろう。

    根拠がないまったく下品な金額を僕は想像する。男性の外見からして女性より多額の報酬を得ているだろうと。「不合理というのは何かの存在があり得ないことではなく状況があり得ないことを言う」らしい。売場の現場は包含している。何を包含しているのか。現場にいた人が「何か」を切り取り解釈する。

  • 夢裡

    2010.08.17 晴れ

    未明の空気の気配は秋を感じさせる。つかの間、陽が昇ればあっという間に気配を消し去る。日に日に夕方が短くなってきて(と思い込み)着実に次のフェーズへ移動している。天体の運行と空気の粒子は四季への一方通行を歩いているのに温度と湿度は逆行したいみたい。

    WPの制作。試行錯誤するがどうしてもタグが消える。コードは書いているのに表示されたソースを見ると閉じるタグが消えている。うーん。

    書店で 『街場のメディア論 (光文社新書)』 内田 樹 を購入。先生の文体と語彙の選択、選択が形成する文脈は不思議なぐらい身体に浸透する。頭で読む感覚より文章から再生した映像へ自身の行動を投影して、行動結果を観察した上で納得している。バーチャルで行動して共感してしまう。

    昨日、衣料品売場のリニューアルを妄想した日記を書いた怨念が通じたのだろうか。衣料品の売上を拡大させる施策を発表した(怨念は通じなかった)。SPAで3年後に年商600億円を目指すらしい。PBの名称も決まってターゲットは30-40代。自分は38歳なのでターゲットに属する。海外のデザイナを招聘して洗練されたルックスを企画・製造するとの由。

    記事を読んで買わないと決めたのは久しぶりだ。かつ、ターゲットにしないでくれとかみついてしまった。

    やってみなくちゃわからない、自分の目で確かめてみなくちゃわからない、と常々心がけている。門外漢の記者が書いた記事を読んで是非を判定しない。それが信条だったのにもろくも崩れ去った。あっけない。どうしてイオンへそんな恨み辛みを述べ立てるのかと内心を観察するけれど論理的な答えを導き出せない。近くのスーパーはイオンだけ、イオンで食料品を購入する機会が1年のうち9割を占める恨みは恐ろしい。食べものの恨みは恐ろしいと聞いたことがあって、そんな恨みがあるわけないと嘲笑していたので鳥肌がたった。

    アメリカ心理学会の年次総会で「レム睡眠を含む仮眠を取った人は、創造性を測る単語テストの結果が良好だった」と発表があった。「レム睡眠が魔法の水晶玉かどうかはわからない。でも睡眠中の夢には、過去の経験を呼び戻して再構築する役割があると考えている」と研究チームは述べている。

    偉人の伝記を読むと夢の中で着想が浮かぶシーンが散見される。夢の中の時間軸は直線か3次元以上の多元的か、複数の時空やパラレルワールドを往来できるか、自分の夢は膨らむ一方なのに残念ながら夢をあまり見ない。見ても覚えていない。

    だから自分にとっては、「レム睡眠を含む仮眠を取った人は、創造性を測る単語テストの結果が良好だった」発表やその結果を拡張したら「レム睡眠が記憶の能力を改善させる」仮説よりも、どうすればレム睡眠の最中に夢を見てそれを鮮明に記憶しておけるのかを発表してほしいという白昼夢を見た、ような気がするがやっぱり覚えていない。

  • 熱帯

    2010.08.16 晴れ

    暑い、と書いたらもっと暑くなったような気分なので書きたくないのに朝から暑いので書いた。体感温度は上昇した。朝から暑い。部屋が暑いので周辺機器が心配。特にルータが熱暴走しないか冷や冷やする。自分のようにエアコンがあってもつけないのではなく、エアコンがなくて(あるいは何らかの事情があってつけられない)しのいでいる人々はいらっしゃるだろうし、まじめに働いている人が国から援助を受けている人より不快な環境で生活しているかもしれないと想像したら、一体?!って久しぶりに熱くなった。

    M先生のWPのコードを変更する。ご要望どおり表示するようコードを書き換えプラグインを導入。でも、コードが思い通りにならない。表示と動作はまったく問題ない。コードに拘泥しなければ気にならない程度の微細な問題でコードを見たらわかる人はわかるぐらい。その原因をつきとめられないので困っている最中。

    妄想するのにコストがかからないからイオンで歩きながら思い切り妄想する。近所のイオンは1Fが食料品売場と化粧品、ドラッグストアあと食べものの専門店が配置されている。2Fから上はイオンの直営と専門店。2Fは紳士服と婦人服などの服飾関係。

    この2Fを全面リニューアルする。妄想で。2Fは欧州中心の輸入食品とマイナな食品、あと国産の高級食品のフロアにした。内装を空想して品揃えを吟味しながら1Fとレジが分離してしまうデメリットを夢想した。

    フロアにはコンシェルジュと野菜ソムリエを配置して食卓を設計する。客の嗜好イメージと合致する食べ物や調味料を案内する。とりわけ調味料に対してきめ細かい対応と啓蒙を目指す。魚は数量を絞る。よい魚は良質のお店が取引してすべて購入されてしまうので、今からそこへ参入する障壁は高い、かなり困難なミッションになると思う。参入ルートを想定する。お総菜や出来合い物をなるべく陳列しない。料理をする人向けのフロアを意識。食糧自給率40%なんて眉唾の数字に惑わされず質の高い素材と調味料を国内外から調達して裾野の広い売場をつくり、すべてを2Fで調達しなくてよい意味をディスプレイで表現する。

    となると、料理への関心を高める広告やダイエットを織り交ぜたプロモーション、野菜の摂取の仕方などをディスプレイに表現するためのイラストやコピー、物語へと妄想は広がる。

    おまけにこういった方々は調度品もリンクする可能性が残っているので、3Fフロアのリニューアルまで……いっそ、4Fとなり、現実へ戻り、やっぱり2Fに集中して今度は財務戦略を妄想構築する。ちっとも現実へ戻っていない。

    細かすぎて書くのが億劫なのでずいぶん割愛している細部まで妄想するが、自分が知り得ない範囲は真の妄想になり、やっかいなことに自分が知り得ない範囲の方が圧倒的に多く、これを妄想というのか幻想とよぶのか、はたまた自分が大気圏へ行く確率より実現可能性が低い目標と定義するのか、朦朧としてきた。

    亜熱帯に慣れていない脳髄が少し溶けかけたぐらいがちょうどよい妄想で、こういう日でないとうまく頭は働かない。

  • 新手

    2010.08.11 晴れ

    アルバイトの資料が届いたので夜中まで格闘。午後からは少しペースダウン。なんとか先方の夏季休暇中に仕上げたいところ。

    07/02の日記で中国からのツアー誘致を連想した、と書いた。官民が中国からのツアー誘致に熱心に取り組んでいる。10月には1万人の団体社員旅行客が訪日する。東京の小売業は中国語の完備に忙しい。関西空港は中国語の電話通訳サービスを始めた。たとえば薬局で薬を購入する際、中国語に翻訳して説明してくれるらしい。

    なかでも訪日医療ツーリズムの推進がめざましい。医療ツーリズム(メディカル・ツーリズム)は「医療を受ける目的で他の国へ渡航すること」らしく、世界各国から日本へ渡航してもらおうと旅行会社はチームを立ち上げ、政府は規制緩和や助成に取り組む。

    特に中国人を対象にした健康診断やがん検診へリソースが振り分けられている。病院は中国語を話せるスタッフを配備しはじめている。

    これらの記事と歯科医院のインプラント群雄割拠をリンクさせたら、いずれ各空港から最も近い場所で中国人を対象にした歯科医院を経営する医師が登場するかもしれないなと感じた。

    調べていないが、すでに着手しているかもしれない。歯科医師が直接経営せずに法人の資本が関与して経営する方法もあるかもしれない。

    表のサイト では「歯科 廃業」「歯科 経営難」「歯科 コンビニ」とかのキーワードでアクセスしてくる。M先生のブログ を拝読して歯科業界の実態を想像する。

    歯科医院のサイトはインプラント全盛になり全盛から戦国へ、そして群雄割拠へ様変わりした。いつ頃からか”美容”と”本数”と”保証”を前景化させた。

    前景化された過程を制作者の視点から推し測る。 5,6年前に誰かが先陣を切ってサイトへそれらの広告を打って出た。当時の歯科医院のサイトからすると、美容やインプラントの本数や保証が記載されたサイトは珍しく耳目を集めた。さらに新規患者の来院へつながった(かもしれない)。

    すると、制作者はそういったサイトを真似るようになる。検索すればあっという間だから、全国で「類似」サイトができあがる。歯科医院のサイトで使われる画像は似ている。平均値よりわずかに高い検索スキルを持った制作者なら簡単に手に入る。

    はじめて見た閲覧者は斬新で新鮮なサイトを歓迎した。「本数」まで記載されているからオープンな情報へアクセスした感覚が残り科学的な雰囲気を感じる。「実績」「設備」「保証」は三種の神器になった。

    やがてそれらのサイトが怪しく映るようになった。論理的な説明をできないけれど、「何か」がおかしい。Flashをふんだんに使い笑顔が満載の安心が強調されたサイトから「何か」が消えた。あるいは隠れた。

    ユーザは検索するよりも口コミを頼るようになり、その口コミも検索エンジンが作った模造記憶であることを知りようがないから、何がなにやらまことにわからなくなってくる。

    今では朝のAMラジオの某パーソナリティがインプラントの怖さを力説するぐらい発言の自由が認められている(もちろん地域性の問題もあるけれど)。専門家の説明よりもラジオのパーソナリティの力説が受け入れられる。

    世の中は二極化が進んでいると云う。賛同できるし同意する。ただし一部を除いて。膨大なエネルギーを使って積極的に変化して過剰な刺激を促進して成長する方向。それらに対する反動であるスローな活動。

    変化と刺激による成長とスローな循環、両者は二極化するけれど、両者の規模は同じでない。反動のスローな循環は局所的であり一度進んだ方向は逆流しない。だから大局的には変化と刺激がもたらす成長が勢力図を広げる。

    歯科医院のウェブサイトも同じ。「美容」「保証」「本数」「設備」をセットにした華やかな作りはこれからも広がっていく。制作者がそういった傾向のサイトを作る可能性が高いし、よい見た目のサイトは受け入れられやすい。

    それらの反動としてどのようなサイトを制作すればニッチでマイナであっても継続して生き残っていけるのか。特定の来院者層に受け入れられるのか。広がりつつあるテンプレート化された歯科医院ウェブサイトのメジャ支配から逃れるためにここが正念場だと思う。

  • 不振

    2010.08.05 晴れ

    ふと気づいたときから自宅のプランタでミステリィが続く。今年は青紫蘇を植えていたプランタから芽が出なかった。原因を調べず毎朝水やりはしていた。あるとき、プランタの土に穴が開いていることに気づいた。気づくたびに土をもどして穴をふさぐ。翌朝になるとまた穴が開いている。

    O先生のサイト制作。歯周病のページを終えた。これから少し寝かせる。ページを作り終えてそれを眺めている時、多少の高揚感が混ざっている。制御したくてもなかなか難しいやっかいな感情で、冷静に確認しようとすればするほどコントロールできない領域へ高揚感は隠れていく。

    だからページを少し寝かせる。3,4日、あるいは1週間ほどそのページを眺めるのをやめる。それから改めて見ると、違和感が浮かび上がってくる。削れるポイント、足さなければいけない表現を把握しやすくなる。

    イオンに入店していたCDショップが閉店してカルチャーセンターにリニューアルする。運営会社は変わらない。運営会社のサイトへアクセスしてみると、ミュージックカルチャーセンターを運営しているようで、おそらく業態変更なんだろう。

    3年ぐらい前からそろそろ閉店するかもなって感じていた。このイオンでCDやDVDを購入できる唯一の店だからなんとか維持するだろうけど、昨年だったか、店舗内の一部からCDを撤去して雑貨コーナを併設したとき、閉店を確信した。

    一番近くにあるCDショップの状態から業界全体を推論するのは、いつも自戒しているように危険だ。その店舗を観察しておおむね衰退していく様子を理解できた。部分の試行錯誤が続き全体の店舗作りを継続できない。物理的な制限があるから品揃えを充実させられないので店内の見た目を変える。

    販売の傾向は平均へ回帰して店の主張は裏の倉庫へ仕舞われる。無難という最高に微妙な褒め言葉が似合う売場。ニッチやマニアへ舵を切れない。

    不振、という定義を書き換えなくてはならないと思う。すでに不振ではないのだろう。必要とされなくなった。THE COLLECTORSのポッドキャスティングを聞いていたとき、リーダとコータローさんが「俺たち昭和だからねぇ、モノで欲しいんだよねぇ」ってしゃべっていた。自分も昭和の体臭が染みついているからモノで所有したい気持ちが強い。

    本やCDは中身がコンテンツであってモノはコンテンツを運ぶキャリアでありメディアである。そのメディアをデザインする人がいて、デザインによって売上げが変わることはあるけれど、コンテンツが貧弱ならその手法もいずれ通用しなくなる。

    奇しくも閉店が決まったCDショップの隣に書店がある。休日の書店に人はたくさんいるけれどレジに並ぶ人は少ない。店員の人たちはレジで忙しいのではなく携帯にデータを格納されないように監視するほうで気ぜわしい。文庫のコーナなんてほとんどいない。

    子どもたちはCDショップの前に置かれた巨大なディスプレイに映し出されるトムとジェリーをじっと見る。最初は立って見ているけれど数分もすればしゃがむ。英語であっても関係ない。笑っている。絵本を真剣に立ち読みする子どもたち。

    空きスペースに売れない商品を置くならイオンもそこで絵本の朗読をやればよいと思う。子どもが本を読まないと大人は云う。どうも大人の感覚不振みたいだ。自分たちの日常のふるまいをそのまま子どもたちへ敷衍して推論しているにすぎないように思う。

    コンテンツにふれる時間と場所をふやせば子どもたちは座ってじっとしている。朗読は読む側にもとてもよい経験になると想像する。

    メディアの形態が変わって旧世代のメディアが売れなくなることはあってもコンテンツが売れなくなったわけでない。契機にふれる空間を創出できれば好奇心と興味が体内で自己複製して行動していく。

  • 五感

    2010.07.22 晴れ

    暑い、暑いと書くと暑くなるから書きたくないのに ecto を起動して真っ先に a t s u i とキーボードを叩いてspaceキーを押してしまった。今まで何度も書いている事象にまた腹を立てる。それは、 s h i g a、不思議なことにATOK は s h i g a を”滋賀”と一発目に変換しない。o s a k a, k y o t o, h y o g o などは府や県をつけなくても一般変換するのに s h i g a k e n と入力しないと”滋賀”と表示されない。これはこのMacBook Proの個体差の問題か、それともATOKの問題かどっちだろう。

    夕方までM先生へ送信するリポートを作成。内容は増看と下半期の要望。上半期のミーティングのログを読み返し、リポートをまとめる。

    ウェブサイトの制作している自分が、ウェブサイトの増看を二の次に書くのもいささか奇異に映って可笑しくてつい笑ってしまった。増看は一言で書き表せる。来院者が次の人を連れてくる現象だと思う。

    経営者は来院者が次の人を連れてくる現象を経験しているからこの一言のなかには卓見は含まれていない。

    来院者はどんなシーンを体験したら次の来院者を連れてくるだろう。動詞を描く。認めたくない自責と認めなければならない現実の狭間をゆらいでいる。

    気づく。驚く。許してもらえる。取り除かれる。責められない。心地よい。知ってもらった。気づいてもらった。

    動詞を描くとき、来院してきた人たちの”顔”を思い浮かべる。鮮明に残っている記憶の中から動詞と合致した”顔”を再構成する。顔と場面。

    ついうっかりすると五感で医院を判断している来院者の所作を見過ごしてしまう。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ、を盗めば、来院者もまた等しく医院を見ている。

    来院者の五感の表情と言葉を思い出して書き出し事例を選び出す。選び出された一次的経験群からパターンを分類する。分類からアイディアを抽出する作業は抽象化の経る。抽象化を経てから具体的な実効策を立案する。

    一次的経験からパターンを分類してアイディアを抽出して実効策を立案する。それが”設計”だと自分は考える。

  • 相続

    2010.07.20 晴れ

    琵琶湖の水位はプラスからマイナスへ。 これから先は減っていく。-100cmになるわけないのにどんどん減っていくのじゃないかと錯覚させるような酷暑。警戒水位は-50cm。数年前、一度+60cm超の琵琶湖を見た。深刻な水不足の”-“は日常の琵琶湖からかけ離れているが、”+60cm”の琵琶湖は少しコワイ。湖面がうねって襲ってきそう。+60cmって体積に換算したらどれぐらいで何トンだろうって当時計算したのにもう忘れた。情けない。

    連休中に構想していたF社のサイトマップとコンセプトを午前からまとめはじめる。夕方にリポートを書き終えてPDFに変換してからH氏へメール。サイトマップと文章は簡単に書ける。手を動かせばよい。問題は構想。構想が難しい。何をどのように考えるか。設計図を書くまでが長い。

    ウェブサイトは運営者の意図を精確に伝えなければならあい。伝えるは難しい。コンテンツに対して運営者と閲覧者との間にズレがある。運営者が描くコンテンツの枠組と閲覧者の理解は一致しない。一致する以前に閲覧者は「運営者のコンテンツの枠組」を想定できない。

    たとえば、”ホームページ制作”を例にすると、ホームページ制作には、HTML言語, プログラミング, Flash, 写真加工, イラストなどの要素が含まれている(他の要素もある)。これらの要素に対してそれぞれのプロがいる。すべてひとりでこなすプロもいれば分業するプロもいる。これがホームページを制作している私の認識である。

    (ウェブサイトを生業にする人を除いた)閲覧者の方々は、ホームページ制作の構成要素をそんなふうに分解しない。私がいきなり要素の話をしたり要素を質問すると、意思疎通できない。

    「どうしてサイトを作りたいのですか?」「何を伝えたいですか?」「何がわからないですか?」「不安はなんですか?」などの抽象的な質問からスタートして少しずつ要素に近づいていく。

    自分のジャンルから離れて相続を例に考えてみる。「相続」を耳にしたとき、私は「税金」を頭に浮かべる。「税金」を頭に浮かべたら、私には関係ないと云う。なぜなら「全体の5%の人」しか相続税を払わないから。ただし、この場合の「全体」は何に対しての「全体」かをわかりやすく説明しているウェブサイトは少ない。これも運営者の説明と閲覧者の理解がズレている。

    ところがコトはたやすくない。相続は「争続」に変化する可能性があって、策を講じなければならないのだが、この策に対して「税金」対策をイメージしてしまう。

    シンプルなケースを思考実験する。両親の持ち家だけを男兄弟二人が相続する。この場合、どう相続するのか?

    相続=個人の図式は成立するのと同じく、相続=法人の図式も成立する(専門用語の意味では不適切)。それが事業承継と言われ四文字熟語にしなくても経営者であればみな考えることだ。

    経営者がみな考えることであっても、「考える時期」と「実行する時期」はそれぞれの経営者によって異なるし、外部の人間が観察したら「適切な時期」はさらにズレる。

    資産家は相続(と相続税)が存在し、同族会社は相続と事業承継に向き合わなければならず、サラリーマンにも相続は隠れている。では、相続や事業承継を要素へ分解したら、という話へつながる。

    要素へ分解する話へつなげてからが難しい。閲覧者は実存の寿司からネタをイメージしやすい。ならばレトリックの寿司はどうか。寿司という全体に対してそれぞれのネタを閲覧者は心象にしにくい。そもそもどんなネタがあるのか知らないかもしれない。

    さらにネタのなかでも産地や旬もあれば、ネタとネタがリンクしていたりする。

    相続という全体を構成する要素。要素が抱える問題。問題から課題へ。そして対策。対策のための現状分析と認識。準備期間。備えあれば憂いなし(と断言しない)。

    こうやって駄文はいくらでも書けても、実際はまったく伝わらない。サイトからコンテンツを伝えるのは難しい。だから伝わったと感じられたときの喜びはかけがないのない財産なんだ。