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  • ういやつよのう

    2012.01.30 曇時々雪

    http://www.youtube.com/watch?v=ndsgOzpdCiw

    Rihwaの”なぞれ”でスタート。Live行ってみたいなぁ。蜜と対バンやってもらえないかしらと朝っぱらから妄想モードフルスロットル。

    “文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)” 京極 夏彦, “文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)” 京極 夏彦 ….あとはry。また読み始めた私は何をしたいのか私なのに私はわかんない。1,000ページの文庫本を持って何をしようか。握力のトレーニングでもしてるんかと問いかけたくなるわ。

    冷蔵庫のなかに隠れておりよった豆腐の日付は1/23。一週間や二週間ごとき気にならん。あては我が嗅覚であるけれど、肉体へ与える影響より精神衛生上よろしくないと斟酌して八宝菜風とろみスープにぶちこんでハフハフして食す。ウマし。

    冷凍してあったハタハタをずぼらかましてフライパンで焼く。クッキングペーパをひいてチリチリ焼いたら独特のニオイが鼻腔をヒクヒクさせ鰰がみりん干しみたいな色に。頭の”子”をかぶりつきウマし。

    日常と非日常は断絶しておらず連続している。あたりまえであるが「非」や「不」によって二分された隙間から特別な意味を取り出そうとする。身体を動かすときの意識の時間が増えたら得心がいく。徒歩は小股でちょこちょこ歩かず、ちょい大股で歩く。「自動的な歩幅」よりやや広い「手動的な歩幅」でスライドさせて下半身を意識すると、下半身に心地よい倦怠感がやってくる。

    徒歩は日常、大股歩きは非日常。わずかな意識(=非の感覚)を持ち込めば、日常と非日常が連続した営みであると認識できる。で、忘れる。ふたたび小股でちょこちょこ歩く。また意識する。やがてどうでもよくなって自然体が形成される。

    歩いているとき、身体が左右のどちらかによろける。ふとした瞬間よろける。私の場合は右に傾く。大きく傾いたりよろけるではない。ふわり。(お)っととと、ってでもない。言葉にならない。

    右側の筋力が弱いと推測する。素人の勝手な診断は危険である。人に迷惑をかけないから身体のバランスが悪いと独り合点ゆく。独りごちる。

    では、「あの右側にふんわり傾く歩き方」を意識して医師の前でやれと言われたらできない。身体が勝手にやっておる。とは申せ身体が勝手にやっておるは科学的に適切な表現でないでしょう。

    身体を動かすとは、あまり身体を動かしていないから身体を動かそうの非日常を言外に含んでいる。動かすと動かさないを二分しているあいだは気づかない。そこから離れてどうでもよい状態へ達したとき気づく。

    つま先立ちで洗い物、腕に力を入れて布団の上げ下げ、中腰で掃除機を引きずり回し、手首をかえして風呂洗い、身体を動かすは生活の営みのなかに隠れている。意識は隠れている身体の動きを知覚へ引きずり出す。

    そんな二分の所思を生活に持ち込んで慌てふためいている姿を、二分から離れて無の境地へ至った自然体が観察すれば、ういやつよのうと映るであろうか、あるいは、そもそも無は関心を持たないから無なんだろうか。

    鰰を焼いている時につま先立ちするのを忘れた自分がくだらぬことを考えていたらやや焼きすぎた。

  • 表裏が一体なら理解できるのに

    2012.01.13 晴れ

    TED Presentation

    photo credit: jurvetson via photopin cc

    O先生のサイトに掲載している全症例を印刷した。昨年からコツコツはじめて三が日で仕上げた。お渡しする準備にかかる。いままでふと思い出しては印刷する案配だったので、何を印刷したか不明で、またサイトから削除した症例があったりして管理できていなかった。そこで一新してルールと印刷の様式を決めてイチから印刷した。先生曰く、効果があるので楽しみにお待ちくださっていたみたい。

    症例印刷を院内に置く。表現のひとつである。印刷物を綴じるファイルや見せ方はデザインと強く関わっている。自由診療の収入や新規患者を増やしたい。じゃぁ、どうしましょう? 「知識を提供する」が俎上に載せられる。ではどう提供しますか? パンフレットを配る、ポスターを貼る、という意見が多い。で、そのパンフレットやポスターは? どうして「知識を提供したら増える」と思うんだろう。

    チェアサイドや待合室をデザインする。ウェブサイトと連動させて配布物を制作する。どこかの壁に最適な情報をとけこませる。来院者が気づくか気づかないかの狭間を設計する。強制的に気づかせる情報と関心があれば気づく情報。

    表のサイトに「thinksell パワポ」や「think プレゼン」のキーワードで。[Review]: ひとつ上のプレゼン | THINKSELLがヒットしている。定期的なアクセス。リピータかもしれない。そのわりにキーワードが微妙に違う。それと「シンクセル」や「think(sell)」がついている。ご覧いただいてる方々のなにかに「ヒット」しているんだろうなぁと思う。

    14:00前に出発して大阪駅で途中下車。昼間割引切符を購入して、再度乗車。O先生に印刷物を届ける。本屋で“小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則” ジェイソン・フリード, デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンを購入。“小さなチーム、大きな仕事―37シグナルズ成功の法則 (ハヤカワ新書juice)” ジェイソン・フリード, デイヴィッド・ハイネマイヤー ハンソンの新装版。こちらも読んだが再読もかねて購入。大阪へ引き返す列車で読み始める。

    大阪駅からM先生の医院まで歩く。約45分。最初は寒いが次第にポカポカしてくる。車中で読んだ内容を考えながら歩く。

    削る。強くそう思う。シンプルであること。

    いまやっていることはほんとうに必要か? 人を採用する前に必要かどうか吟味しているか? 優秀な人材であってもすることがなければ不要な人材なんだ。雇用するために業務を増やしているかもしれない。既存顧客の要望を受け入れすぎて新規顧客を逃していないか? 規模や量、世の中の見方に囚われすぎていないか?

    少し早めに到着したのでベンチで続きを読む。読了。

    19:00からM先生のミーティング。20:00すぎに終了。21:00すぎに医院を失礼した。今日もスタッフの方からすばらしいことを教わった。私が教わっている、なんてお粗末な話で恥ずかしい。

    私は自分自身のことがもっとも見えていない。自分自身のことが見えていないのに他者の場へ臨んでさまありなんを語っている。時には他者に対して意見まで申し上げる。そういう仕事を自分で選んでやっているんだから何をいまさらなんだけど、どうしてだろう? なぜそれをしているんだろう?

    謙虚ではない。多罰的だし人に対して嫌悪感を持つ。「勉強」している人がある瞬間ほんのわずかに現す「あの目線とふるまい」に触れたら強烈に抵抗する。被害妄想だと承知しても、それを見せたらその人と公式の場以外ではコミットメントしないようにする。同時に私は他者へあの「目線」を投げつけ「ふるまい」をぶつけていないだろうかとこわくてしょうがない。

    言葉は刀だ。言葉は人を傷つける。そこまでは理解している。でも、さらに理解しようとしているだろうか? 言葉で傷つけたときあやまる。謝罪は事を収めた、と私は胸をなで下ろす。「申し訳ない」という絆創膏をはる。絆創膏をはっても傷つけた人の傷口はずっと残っているかもしれない。

    ナイフで自傷して包帯を巻いて血(=一時的な感情)を止められたとしても何度も傷つけた箇所には傷跡が残っている。それは蓄積された感情。言い表せない思い。

  • 得道

    2011.09.02 雨

    第四十二候、禾乃登。刈り入れを間近にひかえたいま、タラスがやってきた。1本の穂に実る200ほどの米粒が引き裂かれないよう祈る。農家の人々はコントロールできないものたちと向き合っていらっしゃる。

    鰯。1980年代の真鰯の漁獲高は400万トン以上。2005年は3万トンを下回る。高級魚といわれそうになってきたけれど近年ふたたび増え始めているとか。

    難波に鰯の専門店があり(いまもあるかな?)、20代のころ、鰯の造りをあてに冷酒をやるのが好きだった。相手の女性が青魚と冷酒が飲めたのでよかった。造りにさばいてもらったあと、残りは天ぷらにしてもらう。冷酒の酒器はポケットカラフェ。

    夏の実から奈須比、茄子。色褪せた茄子の味は? ゆえにボケ茄子とか。焼いた茄子にかつおをぱっと。田楽もよいな。香ばしい匂いで鼻腔がひくひくする。焼き茄子とビールの仲良しだし、茄子の漬物をあてにハイボールもよし。

    F先生から拝借した“危機の宰相 (文春文庫)” のあとがきで沢木耕太郎先生が書いている。

    しかし、私は「書くこと」の前にまず「生きること」があるという書き手の道を選んだ。間違いなく『危機の宰相』が岐路だった。『一瞬の夏』の方に進むか、『危機の宰相』の側に向かうか。私は選ぶという意識もないままに『一瞬の夏』の方向を選んでいたのだ。P.315

    「脳科学者だからどうせ脳のことを話すんだろって思われてんだよな」「脳の活性化なんてどうでもいいんだよ!」って茂木健一郎先生がラジオでしゃべっていた。脳科学者の前に、『茂木健一郎』って生身の人間があるんだって。

    仕事の属性を取り払う。固有名詞が残される。私ならウェブサイトの制作者、ちょっとした広告物の制作者、ミーティングへ出席する助言者、を取っ払う。ひとりの生身を机の上にゴロリと置きたい。

    属性に囚われる。目と耳は、「相手が何をしている人か?」に引き寄せられる。目を閉じる。声にだけ耳を傾ける。声そのものがふくむ情報。

    先日、読了した“樅ノ木は残った (上) (新潮文庫)” 山本 周五郎 にも似たようなことが書いてある。「武士」という立場は、生き方やふるまい方、考え方を己に強いる。武士は「武士」へ自分を押し込める。固有名詞、己ひとりそのものが描く「生きること」の苦悩。武士であることのまえに「生きること」があるという武士の道を選びたい。かなわない願い。

    自分自身に対してワガママなのと、他者に対してワガママは、違うと思う。他者に対してワガママを見せつけられて疲れる。等しく私も他者にワガママを見せつけ疲れさせているって気づいて陰鬱。

    08.31(水)はM先生とMさんと打ち合わせ。09/01(木)はF先生と打ち合わせ。3日目の大阪遠征。タラスが近づいてくるなか16:00前に列車に乗る。走らせるんだって妙なところで感心。自然の猛威に慣れている。

    NYならすでに列車をとめているかもしれない。はやめに勧告をだす。未然に防ぐ意識が強いから? それとも訴訟を恐れてる?

    19:00からM先生のミーティング。最近の私はしゃべりすぎ。うんちくも増えた。よくない傾向だ。自己分析は焦る。焦ると饒舌になりうんちくが増える。一期一会や一回性からくる焦りじゃない。そんな質感の焦りじゃなく、自己防衛本能の焦り。この焦りの克服が課題。胆力。

    21:15京都着。風は強い。帰りたくない。ボウモアのストレートを注文してお水をいっしょにもらう。自分で加水。

    正法眼蔵随聞記 三 二十一 得道の事は、心をもて得るか

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.232

    「また云ク、得道の事は心をもて得るか、身を以テ得るか」と訊ねられる。おもしろいな。心と体。どちらで得るのかと。

    心と体。一つとも言うし、二つとも言う。二つはオカルトなり、と思うけど、私は。案外、オカルトライフを送っていてもおかしくない。言ってることとやってることは、正反対ってあるから。

    他人を棚にあげてオレにむかってしゃべった内容と目の前のふるまいが、どっからどう検討しても腑に落ちなかったり。

    オレも同じ。他人に足枷を渡すのに、自分への手枷足枷を忌み嫌う。茂木先生がラジオで「オレ、言ってるだけだもん」ってしゃべったとき、「あっ!」って思った。自己認識。それが自分の出発点だって。

    自分が見えてないんだよ。見ようとしたら、晩年に精神が崩壊した(といわれる)人の「各人にとってはじぶん自身がもっとも遠い者」が立ち現れる。そんなのおっかけたらそうなるんだ。

    だから、心であれこれ考えているよりも、念慮知見をいっさい捨てて、ただ「座ってろ」って三 二十一から言われた。

  • 善事

    2011.07.01 晴れ

    とけた。スライムだ。ぽよどろ。私の部屋はいったい何度でしょう。

    このうえ文部科学省が小学校へ配布している「せつでんしましょう」シートを目にでもしたら体感温度は50℃ぐらいになるんじゃないだろうか。子供を授かっていないのであいにくお目にかかれない。合成の誤謬といってよいでしょうか。

    午前中、なんどやってもうまくいかないF先生のDB制作の調査。鬼門だ。仕事というのはそういうものです。苦難がありそのなかに好機が潜んでいる。たいていは受難に惑わされて好機を見逃している、いまも見逃しているなあ。DB制作の苦難に潜む好機を気づいていない自分が悲しい。

    FacebookのUIはわからない。まあUIに慣れても悲劇は終幕しない。コンテンツを持っていないから盛り上げようがない。散るぞかなしき。SNSやブログ、Twitterをやると自覚。コンテンツを持たぬ自分。ああ、ひとりSM。

    16:00まえに出発。大阪駅で途中下車。先日、発表されたTime Capsuleの2TBを下見。第4世代のTime Capsule。自宅のMacBook Pro Late 2006 15inch, MacBook Late 2006, (さらにこの翌日に購入したMacBook Pro early 2011 17inch)のバックアップをTime Capsuleに集約する予定。もうね、配線lessな環境にしたい。

    下見を終えて本屋で “科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)” 森博嗣 を購入。スタバで読み始める。科学的に読もうと試みるもすぐにくだかれ、鵜呑みに読書に。そうなんだ。数値と情報は公開されている。だけどソースへアクセスして自分で理解しようとしない。「言葉」で「物語」をつくって「一目瞭然」で「わかりやすく」してくれたことを「信じる」。

    いま官庁と報道機関のPCの日本語入力システムをみてみたい。それらの日本語入力システムの辞書には「健康」と入力したら、「ただちに健康に問題はない」と表示されるように単語登録してあるんじゃないかしら。「ただちに健康に問題はない」はテンプレートになっちゃったよね。その文言を目にすれば情報を隠蔽するなって目くじらをたてる。ならば数値で説明しようとしたらわかりにくいと憤る。

    言葉だけで理解している気にならず、思い込みを極力避ける。そのためには、いつも疑いつづけること。情報を広く求め、吟味したうえでも、きっぱりと割り切るような結論を出さない。そして、常に疑問を持つこと。

    “科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)” 森博嗣 P.144

    経営にあてはまられる。そう書けば、「割り切るような結論を出せないなんて致命的」って反対されると思う。「割り切るような結論を出すため」に定量と定性を充分に吟味しているなら反対意見に同意できる。でも、「直観」が一人歩きしていないかな。「直観」がよいイメージで使われて、直観で「割り切るような結論を出し」ていないだろうか。

    測定には人員も設備も時間もかかる(同P.157)。経営を測定しようとすれば道具と人員と時間が必要だ。それから「方法」と。第三者に測定と分析をまかせて要約された解説を聞き、「言葉」だけで理解している気になっていたら危険だと思う。組織が必要とする数字と第三者が要約した数字はしばしば一致しない。組織はどの数字を必要か。何を測定しなければならないか。それらをメンバが吟味して、「方法」を熟慮して、必要な人員を配分しているだろうか。

    19:00からM先生のミーティングに出席。テーマは報告・連絡・相談。言い出しっぺのぼくがファシリテーター。へたなファシリでびっくり。久しぶりというのもあるとはいえ、ひどいだろ自分って自分つっこみ。この自分は大阪人が相手に向かって言う「自分なあ」の自分ではありません。それにしてもファシリをやるとなんで大風な態度をとっちゃうんだろう。カッコワルイしキライだな、ああいう態度は。ファシリしながら「オレ、たくさん知ってるよをひけらかしたいんやな」って自分を眺めていました。なのにそれを制御できないわけで。ということは認知と制御の「間」に問題点があるのでしょうか?

    今日は正法眼蔵随聞記なし。

  • 逢瀬

    2010.12.23 曇時々晴れ

    明け方から午前八時ごろまで雨が降っていた。ほどよい日差しの晴れが続かない。冬の天気ってこういうものかもしれない。雲が幾重にも重なり隙間から太陽は居場所を地上へ教える。晴れてもカラっとしていない。部屋の明暗が自分の感情のようにコロコロ変わってゆく。

    午前中、O先生のサイト制作。あと少し。ここで焦ってはいけない。完成の少し手前が肝心で、梯子の上りより下りに気をつける感覚と似ている。現在、40症例ほどアップされている。これらはまだ手つかずなのでまた先生といっしょに打ち合わせしながら整理していく。

    Twitter のRTで 同じ時空間で会うことにお金を払う。そんな時代の空気。 ってつぶやきを見た。ハッとした。自分のモヤモヤをスパッと切り裂いて中から言葉を取り出してくださった感覚。

    先月だったかな、USTで配信された大学のセミナーを視聴していた。池上高志先生がスピーチしたり言語認知学の研究者とセッションしていた。この間、宇多田ヒカルが自身のコンサートをUSTで無料配信した。僕は観なかったので品質を確認できていない。視聴に耐えられるクオリティーは確保したと想像する。回線速度と品質の問題は残っているかも。

    貨幣は幻想だよって今の僕は考えている。TwitterのRTの「お金を払う」にフォーカスしていない。「同一の時間と空間で会うという行為」にピントが合った。近い将来、移動と共有の価値がとても高くなるんじゃないかと思っていたのでドキった。とても大切な経験になっちゃう。そんな感じ。

    同じ時空間で会ってあたりまえ、の感覚が現在のデフォルト。でも、東京に住む0歳の孫と鳥取に住む祖父母がいたら、両者の感覚はデフォルトじゃない。もし、息子か娘から Skype を教えてもらったら祖父母は操作を必死で覚えるだろう。孫の顔を見たい一心で。孫とケータイメールをやりたくて覚えるんだから。

    Skype で孫の顔を見る。0歳の孫はディスプレイに映る祖父母の顔に反応する(だろうか、とても興味深い)。自分たちは”見えている”のにディスプレイに見える孫の顔は100%リアルかなって不安。ちょっぴり疑っている風な祖父母は顔をほころばせる。真実と信じて。ばぁ、ぷぅっ、て顔をゆがませる祖父母。

    孫の声が聞こえてきた。パソコンが再生している音声か、孫が現実世界で声帯を振動させた音か、戸惑うかもしれない、なんて、杞憂で終わる。杞憂にすらならない。声に嬉々、二人でパソコンの取り合いに危機。

    現在、 Skype が欧州とアジアでダウンしている。祖父母はパニック。電話で苦肉。 Skype の操作を覚えていても Skype がダウンしているかどうかを調べる方法を知らない。技術とはそういうもの。

    同一時間と異空間、 Skype は10年前なら会えなかった両者をつなぐ。現代人の同一時間・同一空間の感覚は、 Skype でつながれた状態に少しずつ慣れていく。Skype に限らない。Twitter や Facebook でもつながっている。同一時間・異空間への違和感が薄れていく。違和感が薄れれば薄れるほど孫が鳥取までやってくる経験、同一時間・同一空間の共有体験の尊さが際立つ。まるで孤独の実体を正視している人ほど他者を愛おしく味わうかのように。

    やっぱり逢わなきゃって。エッ、会ってるじゃん。だって、昨日、あそこでご飯食べていたんでしょ、って半年前に顔を見た人から言われても違和感がなくなっていく。そうそう、それでね、っていきなり会話が始められる。Skype や Twitter や Facebook で自分の「行動」を知られる状態を監視社会と受け止めるか透明化社会と認識するか、どちらを選択するかでそれぞれのあり方は異なる。

    未来、感覚は逆転するかもしれない。同一時間・異空間の感覚がデフォルトであって、同一時間・同一空間が奇妙に受け止められる。同じ場所で同じ時間に”ほんとう”に目の前にいるってヘンナ感じだねって。そうなれば同一時間・同一空間での体験と経験、そして共有は尊い価値だと認識されているだろうか?

  • 愚昧

    2010.08.06 晴れ

    プランタのミリオンベルは成長のコツをつかんだのか遅ればせながらの勢いで伸びてる。朝、それを眺めている自分の位置から緯度と経度を入力したら世界の各地で水害や洪水、猛暑による山火事が起きている。

    北極圏のデンマーク領グリーンランド北部のペテアマン氷河から巨大氷島が分離した。面積260平方キロの巨大な氷の島が海上を漂流し始めた。崩落した氷塊の大きさは米ニューヨーク・マンハッタン島の約4倍、高さはエンパイアステートビルの約半分ほどらしい。氷塊に閉じ込められている水量は全米国民が利用する水道水にして120日分にも相当する。氷塊の姿形を文明生活の物質へ置換した数値を読んでも感覚のセンサは鈍い。

    13:00からF先生のミーティングに出席するために11:00前に出発。大阪駅構内のカレーをランチしてから12:45に到着。みなさんがお昼を食べている間、ノートPCにSkypeをセッティング。13:15にスタートして14:50に終了。

    「だいたいにおいて、正念場の実体は、 本当の正念場よりも、ずっとまえにある」と保呂草潤平は言ったように、考えどころは想定よりずっと以前の時点に存在する。「そこまで考えている」と自己を労る無知は無邪気であると同時に危険な事態を招く。経験則から言えば、「そこまで考えている」とアピールするスタイルの8割は練習のための練習であり試合を想定した練習じゃない。「そこまで考えて」いないし仮に考えていると自らが定義できても端から眺めたら考えている自分の姿に心を奪われてうっとりしているように映ってしまう。

    17:40まで滞在してから19:00からのM先生のミーティングに出席。19:15にスタートして20:30に終了。S氏, Y氏, H氏が吸収している。スピードに驚く。今年の猛暑のプランタのように朝に水やりした土は夕方、否、昼過ぎには乾いている。ほんとうに素晴らしいと思う。

    ミーティングが終わった後、M先生と食事へ。現在の状況や人員配置、来週の面接や増看などについて相談を伺う。それらに隠れる構造的な問題を把握するために尋ねる。5月から6月にわたってスタッフだけでミーティングした内容と要望もお伝えできしっかりとした手応えをつかめた食事になってM先生に深謝。

    目の前に事実というホールケーキがある。それを切り取らなければならない。真上から視られない。天の視座を獲得できればホールケーキだと認識できるが、思考というナイフを持って切り取る人は円かどうかを生憎認識できない。円のケーキから25度だけ切り取る人もいれば、90度を切り取る人もいる。さまざまだ。ガタガタに切る人やスッパリと切れる人。

    角度は問題ではない。薄いか厚いか切れ味は優劣ではない。自分が切り取ったケーキを口に入れて理解してケーキを吟味する行為が大切だと思う。

    想像力という乗り物にのって円を認識したい人はいる。その人が「わからない」というハンドルを握っていればルールとマナーを守ってなるべく事故を起こさないように運転するだろう。巨大氷塊が大陸に当たる確率ぐらいで円と認識できたら切り取り方は変わってゆく。

    「わかる」というハンドルを握っている人は背景に透過した事故に遭遇する確率が高い。ホールケーキを切り取らずに丸ごと食べられると思っている。

  • 馬脚

    2009.07.02 曇り

    朝夕、涼しかった。ちょっと蒸し暑い時間帯もあった。近くの紫陽花がピークを迎え、そろそろ来年の準備へ入ったようだ。楽しませてもらった。花を咲かせないと人目をひかない。毎日通っていても、花を咲かせていなければ、そこに紫陽花があるとすら気づかない。それをどう気づくか。そんな眼を養いたいと願う。人もそうなのかもしれない。

    朝、S社とF社のページ作成。どうすればアクセスを増やせるかほんと悩む。コンテンツはもちろんだけど、技術的対処方法を実践できているかどうか。まだまだかも。調べないと。

    昼食はパスタ。

    昼からM社のページ作成とS医院のページづくり。M社のページは急ぎだったので、間に合ってよかった。S医院のページは写真モジュールを全症例に追加。これは結構かかるかも。36時間程度。

    夕食は湯葉と山芋をごはんにのせて丼風に。海苔を味付け。あとはアジフライを半分。どうも、最近揚げ物を食べると後に残る。食べているときは美味いので嬉しい。だけどその後を考えると揚げ物を食べる回数を減らしていくようにしないといけないかも。

    昨日、Kさんとしゃべっていて、自分の対人能力の低さを痛感した。能力を向上させる努力を怠ってはいけないが、何かもっと違う感性が欠落していると自己評価した。ミーティングへ参加したり、助言したりする仕事とミスマッチかも。Kさんと異なる最大の要素は愛情。

    どうも疲れている。体力じゃなく。精神的にだろう。フラストレーションやストレス、悩みをコントロールできない。制御不能が表へ出てる。それが最近の対人関係へ影を落とす。会っている人は、きついあたり、と心中抱いているだろう。うーん、悪循環。脱出の糸口をつかまねば。

    今日も祈ろう。

  • 滋味

    2009.06.26 晴れ

    暑い。梅雨は本邦の体たらくを憂い四季を混乱させようと目論み逃げたのか。来週あたりからまた機嫌を直して戻ってきてれるらしい。待っていよう。

    朝からWPのフッタをデザインしようと調査開始。M先生のWPのフッタスペースがもったいない。どうすれば訴求できるか。地図をのせるか、ナビゲーションするか。あるいは本サイトやブログへ誘導したり。昼食はなし。昼からも午前の続き。あとはS社のページづくり。

    夕方、明日に備えてGIOSをメンテしようと後輪をさわって唖然。空気がぬけている。どうもパンクのようなぬけかたじゃない。とりあえず、仏式のバルブをさわると違和感。空気を入れようとシュポ。手応えなし。絶句。タイヤを確認したら問題なし。チューブだと特定して、チューブを買いに行って戻ってきて交換。おどろいた。バルブの根元のチューブが裂けていた。修理完了。それにしても、い、いつ、そんなことになった?!

    夜はたこ焼きとおむそば。大好き。エネルギー源。

    今年は、自分を必要としないクライアントが特に多いようだ。そんな気配を感じつつ、今後の舵取りを考想。一進一退と撤退。波。存在理由。

    クライアントではないけれど、自分へメールを打ってくれる人がいる。その人たちはメールを打つとき当人を想起する。その想起が一歩をもたらしてくれる。深謝。

  • しじま

    2009.06.10 雨

    朝から雨が降りそうな空。梅雨入り。夜中、腰が痛くて目を覚ました。枕をかえてから肩の痛みは減った、腰の具合もよかったので油断していたらやってきた。鈍痛。とはいえ、ものすごく痛い。ツライなぁ。

    午前中も座っていると痛い。キーボードを叩いては立ち上がって腰をさする。午前中、S社のページづくり。なんとか完成。

    『日本語文法入門 (NAFL選書)』 吉川 武時 が届いた。どうしても読みたかった本。Amazonはびっくりの価格。ようやく入手できた。いっしょに『窯変 源氏物語〈9〉 (中公文庫)』 橋本 治, 『窯変 源氏物語〈10〉横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻 (中公文庫)』 橋本 治, 『窯変源氏物語〈12〉 (中公文庫)』 橋本 治 が届いた。あと、Amazonから『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』 奥出 直人, 『進化しすぎた脳 (ブルーバックス)』 池谷 裕二 が届いた。池谷先生の本は単行本で読んだので再読。デザイン思考はIDEOがらみなら何でも読むように心がけているから購入。

    昼食はなし。午後はついに座っているのも億劫になって、仕事を中断。雑務に切り替える。夕方も痛みは続く。

    夕食は焼きそば。野菜をたっぷり入れた。お好み焼き, 焼きそば, たこ焼きのローテは守らねば。大好き。

    夜、Twitterにポストした。腰が痛くて横になれない。うーむ。

  • 試食と窃盗

    2009.05.10 晴れ

    午前中、仕事。捗った。明日(05/11)には完成させられそう。おにぎりを作ってGIOSで出発。近江大橋付近で食べた。外で喰べるおにぎりはどうして美味いのか?

    そのあと近江神宮まで行き帰宅。イオンへ。買い物客の中に挙動不審な40-50代の女性がいた。買い物かごには何も入っていない。試食をしていた。その行動に吃驚。

    パン、ピザ、ハム、シュウマイなどをさも買うそぶりをみせて巧妙に試食していた。一ヶ所で立ち止まらずぐるぐるまわりながら何度も試食。

    あの試食と窃盗の違いは何だろう? たぶん晩ご飯を食べに来たと推察。それぐらいの量を明らかにたべていた。ちょっと目を離したスキに女性を見失った。

    次に見つけた時、女性は手ぶらで出口の方角へ歩いていた。