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  • 想念

    2011.02.07 曇のち晴れ

    ここ数日、空が気になっていた。空が霞んでいる。高い位置は澄んでいる。なんだかよくわからない空。環状線に乗って大阪城のオフィス街を眺める。空は澄んで地平に降りてくると霞む。黄砂かと思う。が、違うような。そしたらFM80.2が教えてくれた。煙霧という現象らしい。

    FM80.2といえば告知が流れる。3/20、民放FM52局同時生放送企画「MEET THE MUSIC」が沖縄で開催される。今年のアーティストはSuperfly。いいなぁ、沖縄でライブ、しかもSuperfly。行ける人が羨ましい。

    午前中、F社のコード調整。内部のキーワードと文章を最適化。検索エンジンに表示される文章を変更してアクセス向上を狙う。午後からF先生のサイトを練る。ミーティングのwikiから推察したらウェブの役割は他と異なりそう。F先生とスタッフのコンセプトを存分に訴求する、そんな方向が適当かもしれない。正直、今の僕が一般的な歯科医院のサイトへ意見を申し上げるとしたら、治療の解説はいらない、である。ただそうしてしまうとSEOでは不利。”ない”ものは”検索”されない、この難問を解決できれば十把一絡の今風サイトを拒絶したい、ってワガママが僕の中で現れては消える。

    昨日、茂木健一郎先生のTwitterのTLを読んでいたらNHKの中のひとたちはタイヘンなんだなって理解できた。わずかな理解、皮膚感覚からほど遠い理解ですが。プロフェッショナル 仕事の流儀の一話を制作するためにオイオイってツッコミたくなる本数のテープを視て編集していらっしゃる。で、CM収入がない。んなわけだし受信料はアリだよね。

    でもね、テレビの前に座って視るってスタイルは環境と不適合じゃないかな。コンテンツは劣化していない。資金を投じて制作すれば良質なコンテンツを制作するプロ集団だと思う、テレビの中の方々は。そうじゃなくてコンテンツを受信する「テレビ」っていうデバイスが古すぎる。数年後、3Dってテレビがあったねってならない? 否、僕の頭が古い、そうか、そっちだよな。

    テレビ番組を受信する機能を省略した液晶デバイスがあるならブルーレイやDVDを鑑賞したりApple TV用に欲しい。電話もそう思う。通話機能が省略されたスマートフォンってないかしらって。そんなデバイスってあるんかな。マニア(好意の意味で使っています)は専用ルームでホームシアターを構築してるし、その環境ではテレビじゃなくスクリーンだと思う。

    テレビを視なくなったからワガママが思う浮かぶ。視る人は異なった視点を言及してくださる。立場が変われば言いたい放題である。テレビぐらいでこれだけ言いたい放題なんだから政治なんて言いっぱなしだろうと想像する。

    そりゃそうだ、以前、テレビを視なくなったって母親にしゃべったら腰を抜かす(いまどきこんな言い方しないしどんな状態なんだ一体)ほどビックリしていた。テレビっ子中のテレビっ子でしたから。

    休みの日になるとほっといたら一日テレビ視てたし、ため録りしたスポーツ、ドラマ、モーターカーレース、映画をひたすら視てた。その時はテレビが”ない”生活なんて”ある”わけ”ない”だったわけで、実際、”ある”ですよと過去の私を想起して現在同士で語り合う。その姿を現在の私が未来の私を想念して、”ない”生活が”あった”なんて懐かしい話ね、またテレビが”ある”わけだしってほくそ笑んでいるかもしれず、線形の時間モデル上で。

    というわけでテレビとCMの話になると黙る私がいて、それを一歩後ろから眺める自分がいて、そのさらに一歩後ろから眺める僕がいて、さらにそのまた一歩後ろから眺める私がいる、っぐらいがちょうど客観的だよって言う人がいたら今の僕は心中でその言葉を穏やかに斬り落として相貌は微笑んで、無限のループへ墜ちてゆき、ああ、気持ちよいのです、ですが、コレを読んだ人と僕がしゃべったらその方は相貌の僕と心中の私を見透かすわけで、やりにくいったらありゃしない地団駄を踏み(地団駄ってナニ?)ながら手の内を明かすのであります。

  • 背骨

    2010.11.02 曇

    口内炎がひどい。9月頃から途切れずにできる。消えてはできる。口内炎ができると口臭が発生する。クサイ。かなり。ただ自覚できない。指摘してくれるから自覚できない口臭を感知している。口内炎ができると対人恐怖症になる。常にガムを噛まなければならない気持ちに圧迫され、ガムを噛んでいない自分に気づいたとき、あの人と喋っているときに不快な思いをさせたのではとあとから凹む。

    口内炎の上、一週間前から背骨が痛い。今日はついに朝から痛くて仕事ができなかった。座っていられず、立ってもいられず。じっとできないから部屋の中を動き回って、寝転んだり、ストレッチして過ごす。かなり痛い。

    最近、仕事の現場で感じること。「私が言いたいこと、と、私が言わなければならないことは異なる。99%は前者だからこそ残りの1%が輝く」と感じてきた。ひょっとして周囲の認識は反対かな。私が言いたいことが1%かも。

    僕の認識だと、”私が言いたいこと = 主語は私” – “私が言わなければならないこと = 主語は他者” の図式が成立しています。たいていは前者であって、私が言いたいことを発言して終わる。終わる、と書けば聞こえはよいけれど、終わる、ではなくスッキリする、あるいは満足するに近いかな。云いたいことは言った、満足。

    後者は異なる。「私が言いたいことは別にあるんだけど、この空間が必要としていることを言わなければならない。それは一体何だろう。”ほんとうに”言わなければならないことは」という感じで、”ほんとうに”がべったりとついて回る。しかもそのほんとうは私がほんとうに言いたいことのほんとうではなく、空間が求めている「何か」のほんとうは何だろうのほんとうだ。

    私が言いたいこと、が表現ならよい。茂木先生が書いていらっしゃるとおり「表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。」なんだ。同定であるか自信はないけど、僕は表現する時、「100%伝わるわけがない」と絶望して表現する。絶望って言葉をかんたんに書いたらいけないけど、そんな気持ちをきちんと抱いて臨む。ただし自己満足に陥りたくないから自己批評の質を向上しなければならない。自己満足と自己批評を正確に往来したいですね。

    でも、仕事の現場は表現より会話や対話であって、どこかでちゃんと折り合いをつけたほうが効率よく進む。結果的にですが。だからディスを取り払ってコミュニケートが優先される。

    ただ、自分の認識を訂正しないと。いままで「伝える」という言葉を使ってきた。これは表現に分類されるかもしれないと最近思い始めた。表現に分類されるからディスコミュニケーションと不可分だし強くうなづける。周囲や本屋を観察したら「伝える」という言葉がどうもインフレーション気味だ。学位のインフレーションと同じくひとかどの人が単語を使えば言葉はあっというまにインフレを起こして価値が低下する。芳しくない兆候だと僕は考えているので、インフレーションからさっさと逃げ出す準備を始めている。

    「伝える」という単語が表現に分類されるとしたら、辞書的には同じ意味に近い単語を探そう。会話や対話に分類できて使い勝手がよい単語。模索中です。

    みんな普通をちゃんと装える。普通という糸をつかって普通を縫っていく。でも装った普通は必ず綻びる。綻び方はそれぞれなんだ。人間の数だけ綻び方がある。そして、その綻び方が「普通」じゃない。だから普通の人はいないんだよ。

  • シュールな笑い

    夜中に視てブルブル震えた。