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  • あ、うんって云っても一致していません

    あ、うんって云っても一致していません

    阿吽 万物の初めと終わり。梵字の字母で第一字がア(口を開いて出す音)、最後がウン(口を閉じて出す音)。

    『岩波国語辞典』 [to Amazon] P.6

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  • 朱に交われば赤くなる

    琵琶湖

    人々は自らの環境を創造するが、その環境もまた人々を創造する。

    『センスメーキング・イン・オーガニゼーションズ』 カール・E. ワイク P.46

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  • 私の電話はあいふぉーん

    SOU・SOU 喫茶

    iPhoneに浮かれる僕を戒める私。最近、自分が固着しているようなのでまとめておこう。

    ところが、「ほぼ日」社内では
    こつこつとユーザーが増えていき、
    いつのまにか14名ほどになったんです。
    いったいそれは、なぜ?
    そして、どんなふうに使ってる?
    そういったことを座談会形式で訊いてみました。

    via: ほぼ日刊イトイ新聞 – My Phone is iPhone.

    2009年3月末現在の携帯電話の契約数は約1億700万台(TCA事業者別契約数2009年03月末現在)。ソフトバンクは2,000万ちょっと。累計台数とシェアを表にした。

    キャリア 累計台数 シェア
    ドコモ 54,600,700 50.7%
    au 30,842,800 28.6%
    ソフトバンク 20,632,900 19.1%

    日本でのiPhone台数は非公開。100万台を突破していないのではとか(“ゲーム機”「iPhone」が 市場を席巻する日(前編): 日経ビジネスオンラインによると50万台程度らしい)。全世界での販売台数は、2008年に1,300万台を突破して世界市場の1%を占める。

    体感的な勢いと数字の事実は、感覚的にかけ離れている。日本のキャリアはハードの販売が目的だから、国内に「いるのかどうかわからない」程度のユーザへサービスを提供できない、と思う。全世界でも1%。ビジネスにならないと鼻であしらう。「携帯電話」のビジネスだから。

    iPhoneは携帯電話か否か。僕は否のほう。App Storeでソフトウェアを探し、インストールして、情報の一元化とワンストップサービスをすすめている。「調べられるものをいちいち覚える必要などない」ものはiPhoneにまかせ、検索する(しなければならない)事象は何かを考える。その時間を増やしている。非効率的な考想のために効率的な行動を選択する。効率の精度を向上させ、非効率の深度をあげる。問いをつくることに知力と体力を注ぐ。今はPhoneが答えを探してくれる。つまり、知をインプット、愚考をアウトプットするインターフェースがiPhoneへ移行しつつある。PCのインターフェースを求めていない。

    5年度どうなっているだろう。PCの役割は「創造」と「作業」に限定される。映像やWebサービスの開発、プログラミング、そういった「創造」側にいる人たちが使うマストアイテム。小説は創造だけど、PCを使わなくてもいい。携帯電話小説は携帯電話から入力すればOK。「ポメラ」でもOK(字数は制限される)。PC(的UI)を使わずに創造するジャンルが増えてくる、と僕は考察する。それと、事務やちょっとした文章作成など「作業」をするために使われる。でも、事務もシンクライアントへ移行すればいい。ローカルで演算させない。サーバ側で充分だ。年賀状なんてソフトを販売している会社がオンラインサービスを提供すればローカルで作業しない。PCはいらない。たしか携帯電話から年賀状を作成できますよね?

    消費というか、サービスを受ける人がPCを使うシーンは消えてゆく、と考える。OS3.0がリリースされれば、PCを使うシーンはまた一つ消える。OS3.0によって、キーボードを接続できる。OS3.0は以下6つの新機能を提供して、ライフスタイルを提案する。「創造」側の人たちのアイデア。

    1. アプリ内での決済
    2. Bluetoothによるペアリング不要のP2P接続
    3. アプリへのプッシュ通知
    4. マップのアプリ内利用
    5. 周辺機器との通信、制御
    6. iPhone/iPod touch内の音楽ライブラリーアクセス

    iPhoneを使う側(サービスを受ける側)の新機能は以下7つ。

    1. カット、コピー、ペースト機能
    2. Spotlight
    3. MMSのサポート
    4. BluetoothのA2DPサポート
    5. 多くの標準アプリでランドスケープモード対応
    6. カレンダーのCalDAV対応
    7. メモのiTunesシンクロ

    7つの新機能が、PCを起動させる理由をまた一つ消し去る。

    たぶん、iPhoneなら年賀状(やけにこだわるなぁ)をカンタンに作成できるはず。タッチパネルに手書きで書いた絵や文字をサーバへ送信し、連絡帳から送りたい人を選択すれば、オンラインサービスが年賀状を作成して「手書き風年賀状」を郵送する、と思う。

    自分が話した内容を文章に変換してメール送信するアプリもリリースされたようだし、「発想」がスタイルを変える。携帯電話だと固着すれば、不便だし、宝の持ち腐れだろう。

    便利になること、新しいことに拒否感を示す。それは、自分が使いこなせない(あるいはできない)理由を吐露しているにすぎない。「Do」を「Can」にすり替えている。僕が車を拒否する論理と同じ。だから、「iPhoneの利便性と革新性」を受け入れて、「車の利便性」を拒否する論理は自己言及の矛盾だ、と僕は認識していなければならない。この認識を忘れると、自分の都合のよいように「便利」と「新しい」を解釈して、それ以外を排除してしまう。排除は「技術」にとどまらず、「思想」にまで影響を与える。排除は「理解」の強要を他へせまる。無意識に。

    だから、iPhoneに浮かれる僕はもっとクールにiPhoneの革新性を分析して他へ説明しなければ。排除してはいけない。使ってない人の方が圧倒的多数なんだ。理解してもらえなくてあたりまえなんだ。それを肝に銘じないと。

  • What is I?

    皇子山公園の梅だと思う

    昨日、夕方からミーティング。先方から「呑みながらやろう」とのお誘いを受けていたのでいそいそとお店へ足を運ぶ。はじめの一杯を乾杯した後、ニッコリとおっしゃった。

    「ブログを読んでるよ。奥が深いね」

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  • 文章を書くのに必要な30冊 番外編

    文章を書くのに必要な10冊

    文章を書くのに必要な30冊 #1, #2, #3の続き。番外編。「理解」「伝達」「思考」の”仕方”を学ぶために購入。「仕方」って重要な要素だと思う。「方法」じゃない。「仕方」そのものも思考のテーマに。会話や議論、会議で「仕方」を可視化できていますか?

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  • No Complexity, No Simplicity.

    僕は名刺をよくとっかえひっかえする。自分で作った拙い名刺の上、交換する機会はあまりないけど、開業して5年間に4回変えた。今は、英単語を書き込むシート(左側にリングを通す穴があいている)に印刷している。表は「名前」だけ。屋号も書いていない。屋号もそろそろ変えたい、というか、もう必要ないなと感じている。

    名刺の裏に刻んでいる言葉。「No Complexity, No Simplicity.」

    有名な某キャッチからいただいた。知覚できる事象は単純だけど、認識できない複雑や複雑にしたがる人間、単純である現象とか。複雑と単純が融合する矛盾なんて意味をこめて刻んだ。

    ビスポークと呼ばれるオーダーメイドの靴がある。「ビスポーク 山口千尋」とGoogleで検索すればいい。山口千尋氏は茂木健一郎先生に尋ねる。靴を履いている時と裸足の時、どちらが快適かと。もちろん先生の答は裸足。違う。靴を履いている時だ。目から鱗の先生。その瞬間、先生の脳裏に映像が浮かぶ。ヨーロッパのホームパーティの一コマ。

    「裸足で、かかとの部分を誰かに両手でやさしく包んでもらっているところを想像してください。本格的なビスポークの靴は、それくらい快適なのです」

    “脳はもっとあそんでくれる (中公新書ラクレ)” (茂木 健一郎) P.66

    その対価は? 驚くかどうか。僕は、最近、高いなや安いなと感じないよう訓練している。それもあってか息をのむことはなかった。それよりどうしてその対価かを記憶するよう意識している。食料品や日用品でも同じ。

    今日、F先生とミーティングで話していて、ふとこれが頭によぎった。F先生と僕は価値についてよりそえるから苦労しない。仮に近似値を合意できなくても、気が置けない(誤用でないほうの意味)先生だから、かえってそれが楽しい。とはいえ、F先生以外(内側と外側含む)の人たちは異なるだろう。価格の高低に感情を露わにする。医療と価格の距離を直視しない。かまわない、そのかわり、身も蓋もない言い方になるけれど、保険制度が存在する「前提」を忘却している。今ある制度をあたりまえとせずに、一度破壊してゼロベースから枠組みを構築する。いかなる医療行為も無償じゃない。対価。お金は「交換」の役割を果たす手段としてきちんと機能している。交換は、治療のみならず。言葉の交換、礼節の交換、先生への尊敬と感謝の贈与など。

    僕は、ビスポークの価値を理解できていない。先生によると、全身を構成する200余りの骨の1/4が足に集中しているとのこと。貧弱な想像力しか持たない僕は、「足」を包む靴をつくる複雑性を映像と言葉で描けない。つくづくバカだと嘆息するだけ。ため息まじりに左へと目を移す。

    最後に、どうしても残る疑問を山口さんにぶつけた。
    「靴下の厚さによって、履き心地も変わってきますよね。その点はどうなのですか?」
    「簡単です。本当に合う靴を手に入れたら、靴下は一種類に決めて、それしか履いてはいけないのです」

    “脳はもっとあそんでくれる (中公新書ラクレ)” (茂木 健一郎) P.66

    質問が秀逸なら回答は素敵。

    目の前に見える現象は単純、その単純を描いているのは複雑。複雑であればあるほど単純に表現する。その対価は? 高低にあらず。

    それが「あたりまえ」だ、と僕は思う。

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  • 前門の無知、後門の苦情

    欲望する脳 (集英社新書 418G)

    かつて、オーストラリアの作家が書いた小説で、「宝くじは無知への課税である」という素敵な表現に接したことがある。無知への課税はこの世に沢山ある。ソクラテスの「無知の知」がいよいよ大切になる所以である。

    『欲望する脳』 P.97

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  • 補助線が引ける人

    思考の補助線 (ちくま新書)

    ある社会が「個性」や「権利」をどのように扱うかは。第一義的には、コミュニケーションの現場で人々が何を是とし、何を非とするかという価値観と、それを受けた脳内の報酬系のダイナミクス、そして強化学習によって決定される。

    他者との共通基盤があってこそ、「個性」は輝く。このパラドックスの中にこそ、コミュニケーションに支えられた今、ここにある私たち人間の本質を考えるための大切なヒントがある。

    『思考の補助線』 P.84-85

    他人に迷惑をかけさえしなければ何をしようが個人の自由だ、と口にするとき、二つの性質を観察する。一つは、自分の存在自体がすでに迷惑だと自覚して口にする場合(自覚しているように推測される場合も含む)。もう一つは自覚していない場合(自覚していないかのように察せられる場合も含む)。

    前者の振る舞いは、言葉と裏腹にいたって上品。道化役を買って出たり、場を和ませたりとか。後者は、「そんなことをして何の役に立つの」と憤怒の念が萌すけれど、自分が役に立っているかどうかを吟味し忘れていたり、「上から目線で物を言うんだよ、あいつ」と上から目線で物を言う。それが微笑ましい。

    どちらを「個性的」と呼ぶのかわからないけど、どうも、スポットライトは後者を当てる傾向かなと思う。どうかな。

    自分の存在自体がすでに迷惑だと認識しているっぽい人は、補助線を持っている(っぽい)。一見、何も関係ないような事象を示し、そこに一本の補助線を引く。すると、「あっ、そういうことか」とひらめきが生まれる。補助線を持つ人との時間は、瞬く間に過ぎていく。素敵な時間だ。素敵な人は素敵な時間を持っている。創り出す。自分の思考に補助線を持っているだけでなく、相手の思考にも補助線を引く。

    彼、彼女が引く思考の補助線を自分では引けない。あっ、とひらめいた輝きも一人になれば消えてしまう。必死になって書き留めるか記憶に残す。それでも、次の日になると、補助線はもう現れない。補助線の引き方をなんとか学びたいと願い、また、彼、彼女と逢う。

    個性的と映る雑誌の中にいる人の容姿に惹かれ、同じような衣を整えてて街へ出かける。個性的であろうと切望すればするほど街ゆく人と似た衣を選ぶ。そこへあの人が颯爽と現れた。あの人が纏う衣は何かがおかしい。裸(これも個性かもしれないけど)超、共通基盤未満、そんなあたりにありそうな気がする。だけどうまく言葉にできない。言葉にできない衣を纏っている人、そこに「個性」とういラベルを貼って、安心する。

  • 同じものを食べ続ける

    快楽は悪か (朝日文庫)

    つい先日、千日回峰を2度もやり遂げたという比叡山の高僧の食事について知る機会があった。その内容がすごい。1日2食、毎日同じ物を食べるとのこと。ふかした皮つきのジャガイモ、かけそば、季節の果物、お茶、それで全部だという。

    『快楽は悪か』 P.136

    朝日新聞に1年間掲載されたコラムをまとめた著書。批判が殺到したらしいとのこと。読者の評価を気にしていたら書けないし、そも、至極ご尤もな意見を述べられていると思う。そんなことはどうでもいいな。興味深かった点をひとつ。「毎日同じ物を食べる」という快楽?!

    比叡山の高僧と同じ例として、内田百間の快楽がつづく。彼は、毎朝、果物を1,2種食べ、葡萄酒を1杯飲む。それと、英字ビスケットをかじって牛乳を飲む。昼は蕎麦。毎日同じ。昼の蕎麦のエピソードがおもしろい。そして夕食。間食をせず、ひたすら待つ。何故か?

    「一日に一ぺんしかお膳の前に坐らないのだから、毎日山海の珍具佳肴を要求する。又必ず五時に始まらないと騒ぎ立てる。その時刻に人が来ると情けない気がする」

    『快楽は悪か』 P.140

    同じ物を食べる快楽より、たった一度の夕食をうまいものにする方法。いわばライフハックを実践していた。アプローチは違うけど、以前、小林秀雄の「一食たりとも不本意な物は口にせず」を紹介した。

    最近、「味覚が敏感になった?」と聞かれた。やっぱりそうかと納得した。自分ではなんとなく感じていたけど、他者から指摘されて確認できた。心当たりはない。あるとすれば、1日の食べる量を減らして昼食を食べなくなったから。よくわからない。とにかく腹を空かせるようとしている。

    って、前置きがかなり長くなりました。別に食べることに注目したわけじゃなく、筆者の評が食べること以外にも敷衍できるのではと納得したから。

    毎日同じ物を食べたりしても、それぞれには味は違ってくる。自分が違うのか相手が違うのか。それをしみじと味わい分けるのも、また食の楽しみなのではなかろうか。

    『快楽は悪か』 P.141

    市川園の梅にんにくを毎日食べていると、躰の変調をなんとなく感じる(些末で恐縮)。日が経って味が変化している可能もあるだろうけど、同じ物を毎日食べているのに、すっぱさが違う。猛烈にすっぱく感じるときもあれば、そうでない日も。

    食べ物だけにあらず、と思う。毎日、同じことを続けること。続けていくと見えてくる、自分が違うのか相手が違うのか、という言葉。ただ、「続ける」と書くと、極端な話、赤字でも続けるとか、伝統になった社内行事を惰性で続けるとか、都合の良い意味で解釈されかねない。いや、結局、自分の都合の良い意味にしか、「続ける」を解釈しない。その誤解を互いに認識できれば素敵だ。

  • 単純であることの難しさ

    整理整頓が苦手だ。対照的に机がちらかっていると、仕事がはかどらない人もいる。『佐藤可士和の超整理術』の写真を見ていると、異次元の世界だと自分の目に映る。混沌(都合のいい単語!)としている机では、何がどこにあるかを映像で記憶するようになる。だけど、拡散が閾値を超えると、探すのに数分かかる。それが数十分になったりすると手間になり、やがて重い腰を上げて、頭の映像と現実の滅茶滅茶のズレを修正する。

    雑然とした机

    昨日、そのズレを整理していたとき、メモ書きを見つけた。

    Leonardo Da Vinci “Simplicity is the ultimate sophistication.”

    「単純であることは、究極の洗練である」、明快だ。今年に入ってから、モノを捨てているような気がする。何を持つかより、何を持たないか。振り返って、捨てられるようなモノしか持っていなかったということだ。ホビーなら違う、と思う。あくまで身の回りのモノ。

    馬齢を重ねることとリンクするのかもしれない。というのも、一、二年ほど前から管理できなくなってきたなぁと感じ始めた。もう何を持っているかすら覚えていなくて、捨てようとして、「おお、こんなモノを買っていたのか」と気づく。何で買ったのか思い出せないときもしばしば。だから、今は本当に必要かと自問するようになった。対象物を買って、それを使いこなしている姿を明確に描けるかどうか、と検討する。何度も書くけど、ホビーは違うだろう。どうしても手に入れたい、という気持ちがある、と想像する。

    机のまわり

    「単純であることは、究極の洗練である」ことの難しさ。それは、使いこなせること。自分の意識に問題がある。身近なガジェットで考えてみよう。僕は、Happy Hacking Keyboard Professional2 PD-KB400Wを使っている。シンプルなレイアウトに魅了されて買った。すばらしい。何一つ文句ない。でも、いまだに使いこなせていない。すべてのキーは両手で届く範囲にあるのに、手の動きが追いつかない。僕の動作が洗練されてない。

    カメラはK10DとGR DIGITAL IIを使っている。K10Dのレンズは31mmと77mmと40mm。単焦点ばかり。ズームレンズを1本持っているけど、ほとんど使わない。ところが、こちらも使いこなせていない。単焦点を使いこなせていないというよりも、風景を切り取る視点を持っていない。「このカメラを買えばキレイに撮れます!」と宣伝されるカメラで撮影すると、たしかにキレイだ。だけど、何かが違う、とすぐに気づく。躍動感、アングル、立体感、光と影…..。閃き。視点。

    HHK Professinal2

    現在、ある歯科医院のプロジェクトに参加している。参加するにあたって、Wikiを用意した。Wikiにあらゆることをアウトプットしてほしいと提案した。問題、課題、成果、実践方法、ミーティングの内容、とにかく何でもいい。限られた人員で、限られた道具で、限れられた資金、そして何より限られた時間のなかで、単純であること、メソッドを使いこなせること、そしてすぐに実践できることを考えた。

    「単純であることは、究極の認識である」ということを、プロジェクトで伝え続けていきたい。