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  • 警告

    2010.08.23 晴れ

    06:05に目が覚める。意識は寝汗をかいた身体を己の肉体と認めたくないみたい。タオルで身体を拭く。洗面所でうがいしてから500mlの水を飲むと頭のOSが起動しはじめる。Mac OS Xと違って立ち上がりは遅い。ラジオのスイッチを押して”クロノス”を聴く。冷蔵庫の野菜室から珈琲豆を密閉した容器を取り出す。スプーンで2杯分の豆を掬って手動式コーヒーミルへ。クロノスを聴きながら左手で豆を挽く。沸点手前でコンロの火を止める。ミルが粉砕した焙煎豆をコーヒープレスへ移してお湯をゆっくりと注ぐ。心持ち高い位置から細く注ぐ。エスプレッソの香りが嗅覚を刺激、頭のOSはようやくログイン画面へ。注ぎ終えてから4分後、焦げ茶色の液体はコーヒープレスからスターバックスのタンブラーへ移動する。毎日変わらない工程。水を飲んだとき身体を定性分析する。

    M先生のWPを調整。写真を依頼しよう。ルックスをさわりたいしUIを設計したい。やるべきことは無数にある。無数はやらないと等しい。なされるべきことを考えなければならない。

    「誰にも明らか」な状態から「非常に曖昧」な状態に至るまでが連続していると、どの状態にするかを決定する量は左から右へ行くほど増えてゆく。

    スーパーで買い物している方々を観察していると、人は自分の居場所と商品の陳列を予想しながら動いている。ここで自分が使った予想は「次の視野に入る商品群を無意識に仮定している状態」と定義している。何度も足を運べば仮定は確定に変わり視野に入る探索項目から削除される。

    ZのマックスバリューとYの西友は店舗の設計が似ている。高い天井と幅広い導線。高い天井と幅広い導線は視認できる範囲を広げる。「誰にも明らか」な状態へ近づく。

    スーパーは右回りか左回りの違いを除くと、商品を陳列する順番に大差はない。高い天井と幅広い導線によって買い物客は「誰にも明らかな」な状態にある商品群の中を探索できる。ファインダビリティーが高く、ユーザビリティーは優れている。

    天井の高さは建物の構造によって制限されるかもしれない。幅広い導線は演出できる。商品を削る。両方の店舗で陳列されている商品群は多品種少量の傾向が高い。

    狭い導線の売場は「非常に曖昧」な状態だ。視野が狭くなるから次の商品群を予想しづらい。商品が「見えない」から迷う。ファインダビリティーは悪くなり他人との接触を気にしながら選択するので負荷が高まる。ユーザビリティーは拙い。

    それらのストレスを逆手にとった売場はある。カオスの売場を出現させて顧客の期待値を上げる。その期待値が購買欲を向上させ商品をウェブのリンクのようにつないで次々とカゴへ入れてもらう。

    運営者が空間を演出する。設計する。

    経営者は空間を考える。その空間は「誰にも明らか」な状態から「非常に曖昧」な状態に至る連続したグラデーションとしたら、どのあたりに位置しているだろう。

    空間と接触する顧客は迷っているかもしれない。考えさせてはいけないのではない。困惑させたり混乱させてはいけない。コンセプトと表現に合致した空間を設計すれば、顧客は考えたとしても意図をその人なりに解釈できる。

    顧客が扉から入って扉から出て行くまでの行程に警告が隠れている。空間のアラートは音を発しない。発見されるのを静かに待つ。

  • 閉鎖

    2010.06.20 強雨時々曇

    梅雨の朝は判断を迫ってくる。雨が降っていないならGIOSに乗れるかもしれない。とても小さな判断。 24時間の中でとても小さな判断をいくつ下しているだろう。生活は小さな判断を求め人生は大きな判断を求めると思っていたが、大きな判断の実体は判断だと認識するよりずっと前にあった。

    ミストサウナの中にいるような朝、GIOSに乗らず浜大津のこだわり朝市へ向かった。後になってわかったことだけど、この小さな判断は半分だけ正解だった。先月の朝市と比べてかんばしい入りではない。ひとつひとつ吟味したあと天然酵母のパンとはちみつを買った。860円。贅沢な買い物だ。

    こだわり朝市に出店している人はつくっている人たち。みなさん何かを作っていらっしゃる。”こだわり”ってネーミングがかえって安っぽい印象を与えてしまうからやめたらいいのにって思う。実際、お店の方々と話をすると誰もこだわっていますと宣伝しない。ポップやしおりを読めば何から作られているか理解できる。味見させてもらったらケミカルなニオイと味がしない食べ物だと身体が教えてくれる。

    正午前ぐらいから雨が降り出し、あっという間に雨脚が激しくなった。店じまいの準備が始まる。いつもより早い。しょうがない。家へ戻ろうか雨宿りしようか。小さな判断。みるみるうちに土砂降り。GIOSに乗ってこなくてよかった。身体はサウナの汗を流すシャワーを浴びたように濡れたけれど。

    帰宅後、M先生の10周年記念イベントのお知らせに同封する送付状を制作。Photoshopとillustratorを起動。先頃発売されたCS5を欲しい欲しいと呪文を唱えながらマウスを動かしキーボードを叩く。

    次はF先生のWikiを別のサーバーへ移動する。今使っているサーバーからF先生ご自身のドメインの下へ移動。移動元のサーバーは来月の契約を更新しない。閉鎖。だから移動していただいた。使っていたドメインも廃止予定。身の回りのサーバーやドメインなどを縮小と廃止、閉鎖。そろそろ出口戦略を実施していかなければならない。腰は重くない。気持ちが重い。それを軽くするのも自分である。

    先日、携帯電話がまったく反応しなくなった。おかしいおかしいと言うから充電したらすぐに起動した。完全放電されるまで携帯電話のディスプレイを見ていなかったわけで、さらにその状態を気づかなかったからちょっぴり慌てた。

    こういう構造は毎日ころがっている。昔、5回訪問して4回コンセントが抜けていただけの「故障」があった。コンセントが抜けいましたと報告しない。なぜ報告しないかを気づいてほしいと20代の自分は期待していた(コンセントが抜けていることを気づいてほしいと期待していない、誰かが悪いわけでもまったくない)。今はその期待はない。ただ、「4回コンセントが抜けていたので差しに行った」だけだ。そういう誰もやらないことを誰かがやると学ぶことは多い。

    自分は想定以上にエゴであると想定すると適切な礼節を含んだふるまいを維持できるのだろうなぁと思うようになった。なっただけだ。つい先日も指摘されたばっかり。利己的。角がとれない丸くなっていない。そんな勝手気ままなふるまいでやっていけるわけがない。

    『笑わない数学者』は言った。円の中心から、円をまたがないで、外に出られるかな?

  • 入管

    2010.05.31 晴れ

    穏やかな天気。気温は平年より低めかな。GWが一番暑かったような。05/02開催のヴィーガンアースデイ京都へ行った日が暑かった。ヴィーガンアースデイ京都はとても興味深いイベントで、ライフスタイルのヴィーガンや信仰のヴィーガン 、食と文化のリンクは密接。そのリンクへビジネスを絡めるとニッチが生まれる。

    午前中、F社のページ制作。95%程度の仕上がりでH氏へメール。ちょっと初めてのテキスト表現を試す。H氏の原稿が優れているから試行錯誤できる。それがなければ自分は何もできません。H氏に感謝。

    F歯科医院のI氏へメール返信。土曜日に着信していた質問を読んで、I氏をこらしめようと決めた(笑) たぶん自分ならわかってくれるだろうとI氏は想定してざっくりした内容の質問を送ってきてくれたと推測しているけれど、あまりにざっくりしすぎです。もちろん、I氏が質問したい内容はおおよそ予想できるし、それに対する回答も用意したけど、それではI氏の悩みである「伝える」がかわいそうだ。

    午後からアルバイト。資料が届いたのでとりかかる。夜中まで格闘。45%の進捗状況。今月は厳しい。

    海外のニュースや誰かが書いたブログの記事にアクセスできるようになって、「視ている」「読んでいる」んじゃないんだなぁって強く感じられる。自分の耳目に触れる、受動的に受信するソースは日本の報道がフィルタリングしたモノ。もちろん、海外でも日本と同じシチュエーションはあると思う。自国は報じず、他国が自国を報じる。入管の話もその一つ。コワイの一言。どこかの独裁国家か法治国家じゃない暫定政府が起こした出来事かと思ったら、ああ、日本の入管の話でした。

    ブログやTwitterを使って、誰でも一つのテーマを論じられるようなった。ただ、論じられる言葉は全方位からバラバラにネットへアップされるから、読者はそれらを収集して文脈を自分でまとめなければならない。だから、「まとめ」サイトが重宝がられるし、Twitterのまとめサイトがはてなのブクマでエントリーされる、なんておもしろい現象も散見。

    はてぶや類似サービスを利用して、気になる言葉を受信しておけば、フックされる確率は高くなる。で、今回の入管の話もはてぶ経由で知って、あとはリンクを辿ったり、検索して概要を把握できた。

    反面、Google症なる症状もあるとか。自分の症状をGoogleで検索して、勝手に悪い病態と思い込み、先生の診断を受け付けないらしい。

    今まで知らなかったソースへ直接アクセスできるようになったからって、そのソースを理解して、次数を上げて考察するのは別問題。でも、知らないことを知ると、なんだか得した気分で。概要にアクセスできるプロセスが目的になっちゃって、ネットならその目的へたどり着く道筋は短く早い。次から次へと目的へ到達できているような感覚をしばし味わえるけど、ある日、ふと、「何してんだろ?」って、知る知る病から回復したとき、時間だけを消費していた。

    ユニークなブログを書く人のTwitterをフォローすると、出力の量に驚く。日常の一瞬を使って、視覚に入った情報から浮かんだ着想や考想をどんどんアップしてる。よくまぁそれだけアップできるなって思う。っていうのも、自分はって云えば、そんな次から次へと思いつかない。

    ほんと世界の切り取り方、着眼と発想だな。あとは、表現する言葉のリズムとボキャブラリ。

  • 特例

    2010.05.24 雨

    日曜日に続き雨。早朝は雨脚が激しかった。近畿の一部の地域では列車運行に支障を来したとの由。1人生活2日目。室内の多肉植物が乾いていたのでほんの少し水やり。05/22に里へ帰ったとき、里の家の植木や藤棚を見せてもらった。 数年前、母の日に贈った紫陽花がなんぞ?な大きさに成長してた。たまげた。

    ベランダや玄関先だけでなく、部屋の中も植木、一部屋全部植木の部屋もある。一つ一つじっくり眺める。植木に語りかける日々。どんな水やりしてるの? 手入れの方法は? 年越しは? などなど口から教えて君が飛び出て困った。

    WP制作とS社のページ制作。S社の契約はそろそろ終わるかなって想定して、引き継ぎ?の準備も整えたところへ新たなページ制作があるとヘンな感じ。F社の制作が一段落ついたので、M先生のサイトをさわってみたい。コードもさわりたいけど、HTML5+CSS3でレイアウトできるかどうかの検討。

    M先生のサイトのアクセス数はクライアントの中で最多。だから、最先端の手法を導入するリスクは高い。慎重に検討しなければ。無理なら、もっと簡潔なコードとミニマムなレイアウトで写真とテキストを大胆に表現したいなぁ。

    O先生とM先生とメールでやりとり。O先生の相談はタウンページのデザイン。M先生からはスタッフのこと。私見を文章で書くのは苦じゃないんだけど、メールは難儀です。必要最小限の文字数で最大の伝達を心がけてるけど、心がけているだけで、実際のメールは長文だし、前提を定義して議論できていない点も少々あって拡散してえらいことになりかねぬ。現場でコントロールするので焦っていませんが。

    シリアスな返信は単語のチョイスで迷う。そんな時は古きよき時代へ遡りATOKの顔文字辞書が大活躍。ビジネスメールに顔文字なんてって一時期フンガーだったのに、今やすっかりメールの恥はかきすて、メールの”場”が和むならなんでも試しますよ、ええ。

    池田晶子先生は 『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』 で、善く生きるために、現象の側を測ること と書いた。逆説。医療を「内なるホスピス、外なるサービス」と標語。1997-1998年頃の論考。闘病生活を伏せて執筆活動していらっしゃてたけど、いつごろがんが発見されたのだろう。10年前とは思わない。でも、文章の端々にひょっとしてと感じた。

    80, 90とお年を召した人がはやく楽になりたいと云う。あり得ると思う。自分の耳にも届いた。先日、目の前を歩く老人の後ろで同じ姿勢をマネした。腰を大きく曲げる。手押し車。歩いた。目線が変わった。躰が動かない。反応が鈍る。自分が認知している視覚情報と違った情報が躰へ入力される。歩幅、死角、段差。街のデザイン。見えない目印。せまりくる危険。

    “All is a riddle, and the key to a riddle…is another riddle.” Ralph Waldo Emerson.

  • 逃走

    2010.04.09 晴れ

    うまくいかない理由は自分ではなく相手の性質だ、と知らず知らずに断定してしまっているとしたら怖い。自分が気づいている、でも、相手は気づいていない、そんなシーンをたびたび自分が遭遇していくうちに、どうして気づかないの、の視点が欠落し、やがて、気づけと命令を伝達する。だけど、命令は一時的な認識の効果を生み出しても、その認識は育たない。回路が切断されたままだ。自分で気づく理路の種を生み出し、それを育てる。その行為は、自責と内省が出発点でなければならない、と毎朝の日課であるチューリップを観察していて気づいた。植物は強い、でも弱い。自分が水やりや手入れを怠ると正常な反応を示す。その反応に苛立つのは自分だ。

    O先生のサイト制作。コードをイメージ通りに書けない。何がおかしいのか。初めて使うCSSのフレームワークの全貌を理解できていないからか。あるいはCSSのプロパティをちゃんと理解していないからか。原因を探索。この仕事が終われば、また一つ区切りをつけられる。

    15:00前に出発してF先生の医院へ立ち寄って2時間ほど作業してから19:00にM先生のミーティングに参加。自分の思いを伝達すべきかどうか悩む。自分は雇用主になったことがない。従業員かフリーランスの経験しかない。その立場でしか雇用主を想像できない。だから、自分の想像や判定が適切か否か、相当に吟味しないと伝達できない。危険だから。ただ、今回の判定は吟味の仕方がまずわからない。そこに自分は悩んでいると分析している。

    帰宅後、アルバイトの資料が届いていた。やれやれ。気持ちが沈んでいるのに。でも、作業はかえって今の自分に適当な仕事だ。会計事務所の経験とアルバイトのおかげで、経営の数値に対して二方面から接近できる。これは貴重な経験である一方、経営の数値を敬遠している方々からは理解不能だと思う。自分の状態が世間のデフォルトだと錯覚してはいけない。いちばん愚かな選択肢を選ぶハメに。

    経営は人。それは事実。ただ、数字という現象が存在するのも事実。両方の事実は二つの事象ではない。一つだ。二つに峻別できない。にもかかわらず、片方に意識が傾き、片方が疎かになる、あるいは苦手意識から数字を敬遠してしまう。それはしょうがない。敬遠する回路を想像しなければならない。その想像を共有できればOK. 敬遠する人は、心理を自己評価する時間と空間と他者を設定できないでいる。出力された数字を見ても、観ていない、視ていない、診ていない。

    『Self-Reference ENGINE』 円城 塔 [to Amazon] がとてもとてもおもしろい。ひさしぶりにジャケットだけで買ってしまった本。内容もあらすじも何も知らなかった。読み始めてひどくとまどった。時間と空間がバラバラになって、多義性を含み、多元層化した心象と事象の心理を言葉の直線上に載せると、(主観的な意味で)こんな意味不明な小説になるんだとすごく興奮した。言葉は時間に拘束され、かつ、直線でしか描けない。言葉がジグソーパズルのようにピースへ解体でき、かつ、文法にとらわれずに、マイノリティーリポートのUIのような単語の羅列が時空的に可能だったら、伝達の概念は書き換えるのかなと想像した。SFってまったく理解していないし、このまえ読了した 『虐殺器官』 伊藤計劃 [to Amazon] も視点と発想と着眼の勉強になった。

    言葉は書くだけでは伝達できなし、話すだけでも伝達できない。得手不得手関係ない。伝える意思。言葉を尽くす情熱。だから、言葉から逃走したくないな。

  • 抛擲

    2010.03.24 雨

    二日連続の雨。洗濯できないのでちょっとため息。気温は2月へ戻ったかのようで、桜の蕾も休憩かも。気温の高低は躰に負担がかかるから苦手。でも、負担が躰を実感させてくれるから、ありがたいとも感じる。

    午前中、M先生のサイトのコードを確認。アクセスログの読んで状態を最適化へ近づけていく。直帰率が下がらない。それが課題か。アクセスは増加傾向。午後からF社のページ制作。アクセスログの状態を把握しているので、ページの構成を考え制作。

    今日は躰が疲れたので、夕方に切り上げる。その後、サーバのメンテナンスやログを眺めていた。サーバ周りの勉強。

    M先生の課題本を読み続ける。脳研究者が「物忘れ」を専門的に易しく説明すると、周囲は興味を示さない。だから脳科学者やサイエンスライタが身近な出来事を例示して説明する。すると、関心の度合いが大きくなる。さらに、「どうすれば物忘れを防げるか」を提示してくれると、買いになると思う。「どうしたらいいですか?」という質問に回答できているからだ。それだけ「どうしたらいいですか?」という言葉は便利と推測する。また、それらの本はフローしやすい。書店→購入者→ブックオフ→購入者の流れ。

    自分が課題図書を指定する番に回ってきたら、 『星の王子さま』 サン=テグジュペリ を選びたい。大人が読む本だと思う。子供の時、「たいせつなことは目では見えない」という言葉に出会っても素通りしていたかな。淡い期待をよせるとしたら、子供の誰もが備えている強い感受性は煌びやかな情景を脳裏に空想させてくれていたかもしれない。自分の場合、青年時代に読んであまり関心を示さなかった。大人になってから読んで意味を理解できた。もう素直に読めないけれど。意味を理解しようとする行為自体が素直でないから。

    nikkei BPnetの「マナーのあるメールの書き方」を読んで、ああ、自分のやり方はマイナになるんだなぁと痛感。あきれた(批難するつもりはない)。お悩み解決しているご本人は、機械語の部分と人間語の部分を分別していない事実をたぶん自覚していらっしゃらない。

    だから前提が異なる。議論の対象にならない。ただ、こういうマナーが常識に格上げされると、マイナの人たちはやりにくくなる。排除されていくだろうと思う。もし、冒頭の「「おたくの会社はメールの書き方もしらないのか」というお客様のお叱りがネタじゃないなら、すでに排除は始まっていると想定したほうがよい。自分みたいな必要最低限しか書かない輩は非常識ということ。

  • 接近

    2010.03.19 晴れ

    朝、起きて日が昇り始めた頃、目が少しかゆくなってきた。昨日も同じ症状だった。花粉症の一つかも。鼻づまりや涙目はない。佐知’s Pocket のスコーンを一つ食べた。美味しかった。豆乳の生地でトマト&バジル。1個128円。すごく贅沢な朝食。

    午前中、F社のページ制作。制作までいかないかな。導線の設計と表現や図の見直し。直帰率を減らして問い合わせを増やす方法を考える。午後からS社のページを制作。その後、サーバのメンテ。残りは合宿の準備。

    夜、単語へ接近する仕方を考える。たとえば、命と生命。両者を同義で使う人は少ないと思う。では、聞く人は意味をどう受け止めるのだろう。すごく興味がある。前者を文学的に心象する人や形而上学や倫理の方面から接近する人がいると思う。あるいは、身近な存在と関連させて具体的な事例を求める人もいるだろう。範囲を定めるとしたら、ヒトを基準にして意味を考える。その確率が高いと思う。

    後者は? 生命と聞いた時、科学から接近する人はいる。宗教とか。抽象的な心象を持つ人もいるはずだ。範囲を定めるならヒト以外の生物も基準に入る。生命の誕生、なんて聞けば、赤ちゃんを思い浮かべる人や細胞を脳裏に描く人がいる。また、前後の文脈によって接近の仕方はころころ変わる。

    相手が何かを伝えたり、説明する時、その人が使う単語とつなぎ合わせた文章は、どこから接近して製造されたかなんて検討しながら聴けるだろうか。自分には難しい。極端をイメージすると、理系の知識を持っていない自分と科学に精通した人が会話するとき、一つ一つの単語の意味を辞書のように解釈してやりとりしたら会話は成立しても通信の送受信は成立しないだろうなぁと想像する。

    そんな風に思い巡らすと、コミュニケーションは成立する確率は極めて低く、むしろ成立したら珍しい現象であると感じる。実際、会話の様子を録音して、後から文章にしようとすると、どうしてこの単語のやりとりで理解できたのか不思議でしょうがいない。自分のしゃべっている内容を後から聞いて愕然としたり。一体、何をしゃべってるんかさっぱりわからない。だから、自分が混乱した箇所で質問が出ていなかったら、相手は何を理解したのかで頭が埋め尽くされる。

    単語に接近する仕方。周りの人は単語に対してどの方角からどの角度で侵入するのだろう。

  • 接心

    2010.03.16 曇り時々晴れ

    朝起きると、左足脹脛の痛みが残っていた。右足脹脛と左足太腿裏側の痛みはおさまった様子。相変わらず歩き方はヘン。室内をひょこひょこ歩く。球根のチューリップがアピールしてる。ぐんぐんのびますよって感じ。まさに日に日に大きくなっている。

    午前中、F社のページ制作とサイトのコードを調整する。どのページへランディングしているかアクセスログから分析している。ランディングページをゼロベースで眺めたとき、違和感を覚えたら、その感覚を記憶して制作へ反映させる。運営者や制作者の意識はサイト全体へ向けられる。サイト全体とページ単位を比較したとき、後者へ注意が払われる。統一感や一体感を演出する。それはとても大切であるが、個々のページを精査してリファインする必要を強く認識する。検索エンジン経由でアクセスするユーザがほとんどんだからだ。それらユーザは初めに到着したサイトの情報と質感から要不要を判断する。仮にそのページの重要度が低いとしたら、その基準は運営者の視点であって、ユーザは知らない。関係ない。だから、情報やナビゲーションを省略するとユーザは即座に別のサイトへ移動する。そういった点を考慮してランディングする確率が高いページと重要度のバランスを測る。

    午後からF先生のDB制作。書籍を見ながら制作。2/3を終えたところで自分が何をやっているのかわかることと何をやっているのかまったくわからないことを区別できるようになった。ようやく両者を識別できた。スタートラインへ立てたと思う。サイト制作を独学している時も同じ。一番最初に制作したサイトは見よう見まねというか、書籍を読みあさってトレースした。何をやっているかまったく理解していないのに制作できた。物作りを重ねると要諦を少しずつ把握できるよになる。それから改めて書籍を読み直したり検索で調べた情報へアクセスすると、意味や伝達内容をはじめて理解できる。

    夕方、近くの書店で 『信念を貫く』 松井 秀喜 を購入。その後、イオンで買い物。昨年、『きょうの料理』で使う材料の目安の表示が4人分から2人分へ変更された。イオンはまだそういった概念を承知できないみたいだ。否、承知できたとしても、受け入れられないだろう。人数分関係なく安い食材を大量に購入する家庭は多い。かたや戸惑っているような気配を見せる老夫婦や子供のいない夫婦、あるいは単身者を観察できる。前者は売上に貢献し、後者は利益に貢献すると推測している。いかがだろう。

    帰宅後、引き続きDB制作。おもしろくなってきた。DBの概念や技術構成、コードを勉強しなければならない。と納得した上でアイデアだなと痛感。こんなDBを作れば業務が効率化されるとかユーザが喜ぶと考える視点が大切だ。

    夜、『信念を貫く』を読了。とてもよかった。前回の 『不動心』 松井 秀喜 やファイルサーバに保存してあるインタビューで何度も登場する「コントロールできることとコントロールできないこと」。このフレーズが今回も登場した。自分の状態をだれより分かっているのは自分自身であるからこそ、自分の状態をよい方向へ維持できるように最善を尽くす。

    プロであること。仕事であること。好きなことをやっていること。周りへの感謝。ONとOFFが明確なビジネススタイルでも、常識では考えられない時間に平気で交渉する代理人とGM。

    仕事をしているか? と自問。

  • 思惑

    2010.02.04 晴れ

    よい天気。ガジュマルや多肉植物を日光浴させる。多肉植物の葉は朝日の方向へ傾いてきた。おもしろい。夢を見たけど覚えていないので、見てないとなる。奇妙な感覚だけが躰に残った。トイレ、風呂、ご飯などニュートラルな生活空間で「ああ、そうか」とか「あかんな」と声を出す機会が増えた。頭の中でHTMLを書いて検証しているから。本の話を突然思い出すから。観察した現象を分析して納得したから。とか、色々である。電車の中ではくれぐれも注意しよう。

    午前中、F社のリポート作成。アクセスログの結果をまとめる。問題を把握できているのに解決策を講じられない苛立ち。自分のスキルを向上させないと。午後からO先生のサイト制作の見積もり。

    昨年4月、iPhone 3Gを購入してアドレスやスケジュールなど紙のデータを一元管理するようになった。スマートフォンほど使いこなせていないけれど満足している。そのため、DoCoMo NM705iがiPhone 3Gとかぶるようになったので、12月にシャープ製の端末を購入した。電話は受けるだけだし、iモードもiアプリしか使わないので機能と価格を重視した。機能は必要最小限、価格は最安値。のに、いざ売場へ行って、正直、萎えた。がっくり。持ってる感がまったくない。洗練されたフォルムをほんのわずかに期待したけど、自分が間違いだった。結局、かなり我慢して割り切って購入した。

    現在、DoCoMoの端末は、決済専用機みたいなっている。IDとEdyを登録して、経費関係の決済はiD、事業主勘定はEdyに設定。領収書の整理と経理の手間が減った。JRを利用するのでICOCAもカード決済へ変更。記録をネット側へ保管する仕組みはだいたい完了。

    アップルの共同創業者のスティーブ・ウォズニアックが、「トヨタ自動車の新型プリウスを運転中、急加速が起きた」と発言し、「これはソフトウエアの問題だ」と指摘した。天才の指摘が正解かどうか知らない。それよりも、その後の言葉が興味深い。「完璧な製品などない」とコメントして、さらにプリウスを買い増すらしい。ちなみに現在4台保有中。ジョークかと思ったけど、エコカーを多数保有して地球環境へ貢献しているらしい。

    完璧な製品がない、というスタイルをどう受け止めるか。シンプルな一言の裏側はとても複雑な現象が潜んでいる。Googleは自社サービスをベータ版で投入する。今ではそのスタイルが受け入れられ、βやVer.0.xがついている。ややもすれば、その呼称がが先端であるかの印象を抱かせる。

    エンジニアの方々の思考にふれると、完璧の定義が一般人と異なっていると思う。そもそも、一般の人は完璧の定義を回答できるかな。自分はできない。完璧という単語を抽象概念へ閉じ込めている。自分の思考を文系と云いたくないし、理系・文系の区別は嫌いだ。完璧だけじゃない。単語が独歩して、定着してしまい、よく吟味されずに使われている便利な言葉が増えた。その感覚の裏側に思惑の気配を感じる。気持ち悪い。世間は完璧な言動を求めているのかな?

  • 明敏

    2010.01.22 晴れ

    夢を見たけれど覚えていない。夢は五感を欲しているか知らないけれど、触覚は奇妙な感触を残した。水槽の水温は12℃。部屋の温度はエアコンの教えて君によると14℃らしい。信用していないが。FMはおもしろいけれど、AMを聴ければ楽しみが増えるかもしれない。専らラジオ生活。

    朝から自宅のMac mini@Leopard Server 10.5の設定変更に取りかかる。Mac mini@Tiger Serverからモバイルアカウントを移行できるか実験。設定ファイルやディレクトリの構造などターミナルからのぞいて、ネットで調べていると、勉強になった。本当に便利になった。不明な単語をGoogleで検索すれば解決方法が表示される。特にOSやアプリの警告はマイナなエラをのぞけば、ほぼ解決できると思う。Mac OS Xの場合、英語のフォーラムが充実しているから助かる。問題は、問題を発見することだ。

    www.thinksell.net でネットは死後を乗り越えられるか、みたいな文章を書き始めたけど、まとめられず苦心。世代、紙か電子書籍かとか、対立概念を超える技術をネットはいつごろ開発するかと楽しみにしている。技術が進歩して環境が整備されれば、自分のブログをKindleに自費出版して残してください、や、写真をFlickrへ残して200年後の人たちも閲覧できるようにしてください、って遺言を残す人たちが現れるだろう。明治時代に撮影した写真、平安時代の書籍が残っているように、ネットが死後と世代と時代を超える環境を用意する。そうなったとき、ヒトとネットの環境は次のフェーズへ移行して、ヒトは進化(生物学的な進化ではなく)と直面できるような予感。

    19:00にM先生ミーティングに参加。新人スタッフH氏の視点がすごい。明敏な方だ。気づきを与えてもらい感謝。他者へ気づきを与える視点・着眼・発想は年齢を問わない。関係ない。だからそういう人に出会うとワクワクする。反対に、若者は….という人や若者を知識の量や経験値で判断する人を嫌う。

    20:15に終了。帰宅しても一人なので大阪でbarへ立ち寄る。帰りの電車の中、扉の近くで立っていると、隣の若者がiPhoneで文書を打っていた。めちゃくちゃ速い。両手でiPhoneを持ち、iPodで音楽を聴きながら、親指タイピング。見ちゃいけないって思いつつも横目でチラチラ。めっちゃ速いぞ、そのタイピング。これを世代か能力かと大山崎あたりまで考える。結論は後者。自分もチャレンジしてみよう。