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  • 特異

    2011.04.14 晴れ

    長袖のシャツを着て散歩したらちょっぴりの汗。桜を散らす意地悪な風はからだを冷やしてくれてきもちよい。花見で強い風が吹けばもうってむくれる。なのに散りゆく桜を見惚れる。同じ風が散歩でほてったからだを冷やしてくれたらありがたく思う。異なる空間でその風は桜を散らしているかもしれない。わがままな感じ方。

    4月はCDを3枚買ってしまった。『“D-NO.18”LIVE MASTERPIECE』 怒髪天 , 『ゴールデン☆ベスト』 THE COLLECTORS , 『「OH! MY MOD!」The Collectors best -Sawao Yamanaka Selection』 コレクターズ, 山中さわお 。5月のライブが楽しみ。3月は 『POP LIFE(初回生産限定盤)(DVD付)』 RHYMESTER を購入。アルバムはいいな。好きなシングルを縦横無尽に聴くのもアリだけど、アルバムは収録曲全体でひとつの作品って感じだ、やっぱり。

    iTunesからもDL。Superfly”You & Me” , フィッシュマンズ”あの娘が眠ってる” , フラワーカンパニーズ”深夜高速”などなど。iTunesからお気に入りのシングルをDLしてマイベストのプレイリストを作る。その作業が楽しい。順番と楽曲。似たリズムが続くとつまんない。そんなことをあれこれ思い巡らせながら。そうそう、MISIAの”記憶”を聴いた。ステキな曲、発売はいつだろ。

    Amazonから『「食」の課外授業 (平凡社新書)』 西江 雅之『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)』 見田 宗介 が届く。『考える人』や『現代思想』で西江先生のコラムや連載を読んでいて「食」の本を一度読んでみたかった。やっとこさ手に入れられた。ワクワク感。

    MacBook Airの売れ行きが爆発的。2010年第3四半期(Q3)のMacBook Air出荷台数は9万8000台、第4四半期(Q4)は42万台(前年同期比333%増、前期比326.8%増)。日本でのQ3は1000台、Q4は6万5000台。グラフを一瞥しただけで日本のノート市場が特異だよなってわかる。とにかく小さくて軽いのが好まれるんじゃないかなぁ。

    iPadよりMacBook Airへ流れてる? ふたつを比べたらいけないんだよね。でも iPadとMacBook Airのどっち持ちより、どっちか持ちで悩む人が多そう、案外。日本の環境は通勤(モバイル)と入力(日本語変換)だから物理的なキーボードを備えているほうが好まれやすいかも。

    「TVやパソコンから時間を奪う」タブレット:調査結果 | WIRED VISION のとおり、タブレットの利用時間が他の一般的な電子機器を利用する時間を侵食しはじめている。いまのところタブレットを利用している人はアーリー・アダプター層。メインストリーリム層が利用しはじめたらどうかわっていくか。

    アーリー・アダプター層であっても制作側はすでに悩ましい。タブレットやスマートフォンからのアクセスが増加の一途。それはログから判明している。各デバイスのアクセス環境をととのえなくちゃ。

    東日本大地震が発生してから各公的機関のサイトへよくアクセスした。滋賀県庁のサイトを毎日チェックして福島の方へツイートできそうな情報をTLに流した。震災から1週間ぐらい経て「情報のファイル形式」が気になった。

    ちょうどそんなとき、財団法人地方自治情報センター(LASDEC)が気になっていたことの内容をサイトへ掲載してくれた(国民へ発信する重要情報のファイル形式について – 財団法人 地方自治情報センター(LASDEC))。

    被災地の人たちや関係者は、各地方自治体や公的機関のサイトへアクセスする。ラジオやネットで知った人もいればソーシャルネットワーク経由もあると思う。この場合、アクセスの経由はなんでもよいけど、デバイスには注意を払わないといけない。

    現地からアクセスする端末は「PC」とは限らない。たぶん携帯電話やスマートフォンが多いと思う。もしPCであってもMS OfficeやAcrobat Readerがインストールされていないかもしれない。

    今回の注意喚起は、「国民へ発信する重要情報」に絞っている。このスタイルはビジネスのウェブサイトにもあてはめられる。どの端末からでも情報へアクセスできて、できたら最後のアクションまで完結できる設計がのぞましいんじゃないかな。

    自分のサイトがまだなのに。痛い…..。

  • 缶詰

    2011.03.03 曇時々雪

    気づけば一週間。気づかない鈍感。記録の価値を体感。何をしていたか覚えていない。世間では行事と喧噪がやってきてすぎゆく。忘却は七十五日を要せず。ブログと距離を置いたのでネットもtwitterのTLとRSSにダイエット。テレビはなし。ラジオのみ。先週末、両親と会ったら原始生活と笑われた。自嘲。TLとRSSとラジオ。それ以外は本を読む、読む、読む。か、散歩。それでも「伝聞」は闖入。もっと削れる。ネットのジャンキーだから禁断症状との闘い。と、不安との闘い。「遅れる」ことへ焦る。「知らない」ことへ戦慄く。

    第六候、草木萌動。三寒四温。比叡山は茶色から緑色へ調えはじめる。緑はだしぬけに現れない。階調であるはず。茶系から緑系へ。なのに知覚は不意に。認識は階調を敬遠しているかしら。待てば桜色。散歩は寒い、日差しは暖かい。40分ほど歩けば身体はぽかぽか。部屋にいると12月の日差しも今の日差しも「日差し」です。単なる名詞だ。外で浴びれば質感を肌で感じる。今しかない、実感。

    F社のサンプルサイトを1週間ほどかけて制作。M先生のPRの続きを考えなければ。考える時間と仕方を確保せんと。せめて30個ぐらいのコンセプトの”もと”を産みたいなぁ。でないと「コンセプト」は孵化しない。1日1個で30日。そんな悠長に構えていられない。

    他の歯科医院ではたぶん採用していない着想。調べていないから知らないが。自分の着想と考案を落ち着いて分析。リスクは高い。でも、デザインはリスクを乗り越えてユニークを生む。失敗すれば僕の責任である。が、迷惑と損害を被るのは先生である。それを忘れてはならない。

    O先生のリスティング広告を解析。テキストを最適化。さっそく効果があったらしい。先週からエンドの来院が増えているとのご報告。ありがたい。リニューアルしたサイトをしっかり読み込んでくださっているとか。アクセスログの驚嘆に値する数値はまんざらでもない、と判定できそう。

    iPad 2が発表。日本での発売は3月25日。買う。昨日、iPod Touchの64GBをオンラインで注文。ノートPCをもう持ち運ばない。今のスタイルでは必要ない。そう感じた。外出先では iPod Touch と iPad 2 で充分。あとはネットへ接続する手段を手に入れたら環境構築はおしまい。

    僕にとってノートPCの役割は変わった。要因はソーシャルウェブとクラウドの台頭。大げさな言い方すればノートPCの役割はワープロへ戻った。事務系のソフトを起動させるためのノートPC。メールやブラウザをノートPCで操作しなくてよいだろうと思う。映像・印刷・ウェブ関係をのぞけばの話として。

    ネットを”打って”いる時間の8割以上はソーシャルウェブとクラウドへのアクセスだ。それらに必要なソフトを起動させている。今、コレを書いているMacBook Proでは Firefox と Google Chrome (ブラウザ)、Echofon(Twitter クライアントソフト)、ecto(ブログを書くソフト)が起動している。つまりノートPCでなくてもよい。 iPad, iPhone, iPod Touch, Android, ゲーム機で事足りる。多少の制約はFEP。入力効率の低下は否定できない。

    ポストPC時代、と云うらしい。CNETの記事を読んだ。スマートフォンとタブレットはまだコモディティ化していないと思うが、急速に市場は拡大していてコモディティ化へ接近している。歯科医院でもスマートフォンやタブレットを「使う」のではなく「使ってもらう」コンテンツを開発して「見える」ように「伝えて」いってもよいフェーズへさしかかっている。まだ、それを実践している歯科医院は少ない。

  • 列車

    2011.1.28 晴れ

    目が覚めてカーテンを開けたら雪。少し積もっている。寒い。頭痛はおさまった。目の違和感は続く。いやな感じ。ラジオはインフルエンザの流行を知らせる。ラジオの生活に切り替わって耳の感度が高くなったような。電車やスタバでの会話に耳が反応してしまう。まぁ錯覚だ。

    朝からMacBook ProとMac mini(Leopard Server)の調子がおかしい。前回の月1回メンテで見逃していたのかな。MacBook Proは4年、Mac miniは6年近く経過中。トラブルがハードウェアかソフトウェアかを分析せんと。Mac miniは24時間365日稼働なのでダウンしたら痛手。ふむ。やっかいだな。そろそろ買い換えたいがムリだよなぁ。AdobeのPhotoshopとIllustratorを先に買わなきゃいかんし。そろそろオンライン学生になるか。

    16:00すぎに大阪へ出発。大阪駅で途中下車してパソコン工房へ。MacBook AirのTimeMachine用ケースを探す。 2TBが1万円切ってるし。10TBのZFSやりたいなぁ。なんせこの間こおた1TBが200GB切りよった。本屋で『現代思想2008年12月臨時増刊号 総特集=メルロ=ポンティ 身体論の深化と拡張』 河本 英夫, 宮本 省三, 西村 ユミ, 丹生谷 貴志, 松葉 祥一を探す。ない。

    19:00からのM先生のミーティング。よかったなぁ。もう一人の外部の方は僕とは全く異なる視点から意見を述べてくれる。ありがたい。高ぶったなぁ。やっぱり僕は沈黙していてよいんだな。観察に徹する。場が明らかに行き詰まったときだけ言葉を放擲する。それぐらいでOK。昨年秋に経験した失敗と失態から学んだ。

    もう一つ学んだこと。毎週出席しなければならないなと思う。もちろん相手はその分のフィーを負担してくださるから心中は複雑だ(仕事で恩返しするのは当然なんだけど)。継続して出席しなければ感知できない連続性がある。途切れたらおしまいなんだな。「連続」だけでも取り組むテーマがある。

    そして連続性の中で一回性を保持する感性が自分へ課される。連続性と一回性は矛盾ではない。両方を一つの現象へ包み込んで観察する。観察結果は完璧な主観なんだ。だけどこの主観は客観と対立させない。これも両方を一つの「コト」へ包括していく展開が、次のミーティングへ影響を与えるんじゃないだろうか。まだわからん。自分の感度はまだまだ鈍い。思考が足りない。知性が欲しい。言葉を身につけたい。

    同じ<時>の流れのなかを生きてきたというのはひどい幻想であり、二つの異なる列車が同速度で並んで走っているときに、二つの列車に別々にいる人がたまたま同じ列車内にいると勘違いしていただけのことなのだ。一方が前方ばかり見ているうちに、他方は速度を落とし、別な方角へ行き先を微修正する。その微修正がくり返されるうち、気がつけば並行して走っていた二本のレールは大きく離れている。ふたりはとうの前から、違う時間を生きていたのだ。『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』 鷲田 清一 P.75

    「定年を迎えた連れ合い」の例えからこの一文へ続いている。この文章を気に入っている。好きのニュアンスじゃない。同意するし反論したいし懐が深い。「絡みたくなる」文章である。で、気に入っている。僕が想像しなければならない事柄、取り組まなければならないテーマがこの文書の中にたくさんある。

    僕と顧客の関係へ勝手にあてはまる。連れ合いと違うから同じ列車に乗っていない。ただ二本のレールを並行して同じ(ような、似通った)方角へ走っていると思っていた。だけど僕が行き先を修正する、あるいは先方が速度を上げるからお付き合いがなくなった。過去の顧客をそんな風に説明できるかも。懐疑や不信とかの位相じゃない。そうかもしれないと感じるのは僕から見た風景であり、先方の前に映る風景はまた異なっている。

    同じ<時>をおりにふれて確認する。とても大切な行為なんだ。それが連続性を紡ぐスタートライン。スタートラインは常に書き換えられる。確認して連続性を認識できるから一回性へ跳躍できる。連続性の担保があるから一回性を約束できる。真の一期一会もあるけど、そんな卑怯さも必要じゃないかな。

  • 前提

    2010.12.11 曇

    現代の中国に対する一般的な感情と裏腹に”古代”と冠詞がついた風習や言葉は生活の風景に現れる。カボチャを売るために冬至を知らせるポスターを目にした。二十四節気が記されていた。今は大雪。そして次候。熊蟄穴。くまあなにこもる。ちゃんとこもれるかな。

    金曜日にO先生とやりとりをしてサイトを修正。午後からWP制作。新規の制作はおもしろい。トレンドの技術と安定した枯れた技術の両方を使えるから。クライアントの中でもリニューアルしたいサイトはあるけれどこればかりはいかんともしがたい。時宜や成果とリンクしている。

    葉物野菜の価格が少し落ち着いてきたかなと思う。先日、福井のほうで畑を持っていらっしゃる方から里芋と大根と白菜を頂いた。たくさんくださろうとしてくれたんだけどそんなのもったいないからって伝えたら、「欲ないねえ」って福井のイントネーションで微笑まれた。ちゃんと保存したら3月ぐらいまで持つよって教わった。

    スーパーと冷蔵庫が頼りの生活の感覚で物事を解釈していたので驚いた。無知、この場合の知は情報や知識ではなく知恵に近いニュアンス、をさらけ出したようでとても恥ずかしかった。

    さっそく頂戴した里芋と大根と人参やらで煮物を作った。里芋を食べてほんとうに驚いた。ふだん食べている里芋はスーパー仕様だ….。僕はそんなふうに実感した。スーパーに卸している農家の方に失礼のないよう申し上げると、悪いわけじゃない。食べ頃が違ったり鮮度の度合いが関係しているかもしれない。

    前提がある。以前にも書いたが、今、野菜の直販市場が成長している。主に道の駅や道路に店舗を構えて農協や卸を仲介させずに流通させる。コンテンツは鮮度、だとしたらそれはあたりまえ。目利き。朝、買ってもらって昼や夜に食べたらウマイ野菜を見極める。その野菜を畑から引き抜く。それがコアコンピタンス。刹那の旬を見極めずにむやみやたらに引き抜けば、鮮度だけが売りでしかない。まあ、それでも圧倒的優位ですよね。

    前提だ。一般的に使われるインターネットが現れて15年。ドッグイヤーの速度を単純に適用しても許されるなら105年が経過している。1世紀。調査会社IDCによると、2006年に生み出されたデジタル情報量は161エクサバイトだったという。161エクサバイトの量は、これまでに執筆された書籍の情報量の約300万倍。これらの書籍を積み上げると、地球から太陽までの距離およそ1億5000万キロを超える高さの束が12束分となる。もう天文学的数字を超えて誰にもコントロールできない。S/N比を考慮しても爆発的な増加、という「爆発的」が陳腐に聞こえる。

    世界のインターネット利用者は2010年にも20億人を超えるとITUが報告した。世界人口の28%しかインターネットを利用していない。にもかかわらず。

    言葉が世界を切り分ける状況が進行する現在、これまでの前提をもとにした判断が最適であるかどうかを僕は問われていると思う。

    ミラーサイトを世界中に立ち上げているWikiLeaks, WikiLeaksの批判を考慮して競合サイトが立ち上げ準備に入っている。世界中の新聞やWebサイトなどの協力を求めてリーク文書のニュース価値を評価し、適正な形に編集加工してからリリースする OpenLeaks。

    国家や法体系、統治システム、秩序、エネルギー、情報……抽象的で思考できなくて何から手をつけて吟味すればよいか途方にくれる。

    批判してもよいと思う。それも「自由」だ。括弧つきで書くのは自由と書けば、WikiLeaksの言論の自由と我々の批判の自由は違うと反論があるだろうから括弧つきにした。

    WikiLeaksは単に一例にすぎない。僕は批判するより今何が起きているのかを吟味したい。受け入れるとか受け入れない、あるいは賛成や反対といった立場に立たない。異なった解釈を模索したい。

    急激に変わるわけない。教育や医療、法律といったシステムの根幹を構成するインフラは数年や数十年の時間軸でとっかえひっかえしてはいけないという意見もある。熟考された指摘だ。同じ時がかかるとしたら30,40世紀ぐらいの人が、「21世紀前半、人類は世界とインターネットのあり方について岐路に立っていた」と考察されるような理路をたどっていきたい。

  • 充実

    2010.10.28 雨

    朝から雨。寒い。一日のなかに寒暖の差が ある。金曜日からは気温が平年並みに戻るので周期的な寒暖の差がある。身体は寒暖のネスティングに順応しないからつらい。

    道路に面して植えてある樹を見た。窓から見える樹が短い。短くなっている。以前はマンションの3階建て駐車場の2階天井まで達していたが今見ると剪定したように思う。マンションの樹なので業者の方が剪定したのだろう。剪定したように思う、という程度で正確に何cm短くなったかわからない。気づかない。毎朝眺めている風景の変化に気づかなかった。自分の鈍感をひどく驚く。なぜ気づいたのか尋ねた。枝の尖端が不自然な形をしていたからだという。視力1.5なら見えるのか。僕は0.2,0.3ぐらいなので見えない。でも、見えたとしても気づいてない方に賭け金を置いてよさそうだ。

    前日に続いてサーバートラブルを復旧。ローカル環境でのテストは完了したので本番へ。新しいサーバーを申し込み設定する。設定が完了するまでの間に、本番用の手順書を作成してMECEでチェックしてシミュレーションを繰り返す。結局、13:00すぎにデータの95%程度まで復旧した。なんとかうまくいけそうだ。

    復旧までの作業内容と今後のお願いを書いて先方へメール。すぐに返信してくださったので、次の作業にとりかかった。この分だと金曜日に全作業が完了するだろう。充実感と安堵感。今夜のシングルモルトはとても美味しいはずだ。16:00頃からワクワクしていた。

    新型MacBook Airのレビューを見る。自分の認識は間違えていた。レスポンスがよい。とても充実したラップトップである。バッテリーが心許ない点を妥協できれば、フルサイズのキーボードを必要な人にはとてもよいかもね。

    ただ孫正義社長の極論「ノートPCを持ち歩くのは恥ずかしい、Netbookは隠さなければならない、極論だが、そんな時代が来る」に僕は賛成できる。あくまで前提を明確にした使い方としてだけど。藤井先生のツイートを読んで、「ああ、そうか、そういう認識に変わっていくな」と実感できた。

    だから iPad へ移行するか MacBook AIr か悩む。両方とも買う余裕はない。iPadと MBA を比較するなんてナンセンス。承知しているのに自分はなんだかよくわからないまま比較対象にしてしまった。外出してバリバリ文章を書かないし、外出先でも常時オンラインで YouTube や USTREAMを視聴したりFacebookを更新する、こともない。こんな具合であれこれ悩む間に次の iPad がリリースされるかもしれないな。

    3年前、 iPad を想定できても Netbook を駆逐するような勢いまで思わなかったし棲み分けるだろうと思っていた。でも、日経メディカルの記事を読んで iPad が医療現場で使われるシーンを具体的にイメージできたしすでに開発はさらに進んでいるだろう。そこへ Android 端末が参戦してきたから パッド系のデバイスはカンブリア紀に突入した。それにあわせてプラットフォームが充実してネットのライフスタイルがまた進化する。

    パッド系、MacBook Air系、そしてスマートフォン系、今、これらが分岐している最中だ。進化論的な系図を書いて、プラットフォームがどうなるか考えているだけどとてもおもしろい。ワクワク。

  • 書体

    2010.08.09 曇時々晴れ

    08/06(金)にM先生と食事してから帰宅途中、びわ湖花火大会の宴の後を見ながら帰った。浜大津駅付近はゴミ屋敷の惨状を呈していて00:20頃の街の粘性は高く、躰にまとわりつく空気はひどく人工的で気持ち悪かった。職人が丹精を尽くして造った花火は華美な装飾で天上を彩るけれど地上の面倒までは見てくれない。

    O先生のページ制作。歯周病とインプラントのラフページを終了。このページを見ながら先生と細部をつめてゆく。

    Macでページを制作していているとひとつの事実を忘れてしまう。フォント。スティーブ・ジョブズとMacでは必ず引き合い出されるフォントのエピソード。

    「僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした」とスタンフォード大学卒業式でスピーチしたとおり、ジョブスはフォントに心血をそそいだ。その執着は異常と評され病的なまでにフォントの美しさを設計した。

    その美しいフォント機能が搭載されたMacのブラウザに慣れていると、時折、Windowsのフォントに吃驚する。ページを制作しながらIE6-8の表示を確認する。今更だし改めて感情を露呈する事態でないはずなのに、MacとWindowsのフォント表示の違いに戸惑う。Windowsの可読性は自分が想定した目盛りをずいぶん下げなければならない。

    自分の 表のサイト をIE6で確認したたら想像どおりだったので吃驚しなかったけど代わりにがっかりした。しょうがないとはいえ、想定していたとおりとはいえ、読みづらい。本来ならハックを使ってブラウザごとに仕訳してフォントを調整すれば解決できる。自分のサイトではそこまでしようと思わない。

    Macが優れていてWindowsが劣っているという問題ではなく、両者の指向性の違いだと自分は認識している。

    大学をドロップアウトしてカリグラフィのクラスに寄り道したジョブスが微妙なアートの要素を含んだフォントの世界に出会った。そこで何かを学んだ。それから10年後、Macintoshに何かが搭載された。

    指向性の違いを承知して強く希望すると、MacやWindowsを問わず、そろそろウェブサイトの世界は可読性を追求してもよいと思う。

    HTML5の可能性を肯定すればウェブサイトの動画の道は開かれている(コストの問題を解決しなければならないが)。楽観的な立場をとれば、動画はウェブサイトを進化させる。

    動画の道が開かれて技術が進歩すれば、ウェブサイトはインターネットの外側にあるメディアを統合していく役割を担うと思う。長い年月をかけて統合していく。

    本や雑誌の中で動く映像を見られないけれど、ウェブサイトではそれを実現できる。それがウェブサイトの可能性だと思う。その時、テキストの可読性が改善されなければ、いつまでたっても紙か電子書籍かといった議論が続く。

    PC(あるいは各種デバイス)のローカル環境に保存されたフォントを表示する技術的制限を解決しなければならない。クラウドにフォントがあってそれを読み出すような仕様に変更されたら、各設計者が想定したとおりの可読性を維持できるサイトを実現できる。そうなればWikipediaのヨハネス・グーテンベルクの関連項目にウェブサイトのフォントが記載されてもよいなぁって思う。

  • 検索

    2010.07.27 晴れ

    琵琶湖の水位は-19cm。少しずつ下がっている。毎日、琵琶湖の水位を確認していると変動のcmは日々変わる。水位が1cm下がる日や3cm下がる日もある。

    琵琶湖の水位が1cm変動すると、変化する水量は、約680万㎢(琵琶湖の面積) × 1cm = 約680万㎥ で、琵琶湖の水位1cmが増減すると、大阪ドーム約6個分の水量が変化する。ちなみに京都市の面積(610㎢)と琵琶湖の北湖の面積(614㎢)はほぼ同じ。

    午前中、S社のページを修正してアップ。S社のページ制作も7月で終了。あとは新しい業者さんへ移行するのでその業務を後方支援して完了。5年間。長い間お世話になって深謝。

    午後からWP制作。WordPressが便利になっていく。これからはもうWordPressを中心に制作していたきたいところ。

    Google Japan Blog: Yahoo! JAPAN のより良い検索と広告サービスのために とGoogleが発表した。GoogleがYahoo! JAPANと提携して検索エンジンを提供する。Yahoo!JAPANはGoogleの検索エンジンを再び使う。検索エンジンをアウトソーシングして広告業務やオークション、知恵袋などのサービスへ資源を集中させるのだろう。

    今回の提携によって、日本の検索市場はGoogleとMSのBingに二分されるが、ユーザ数の比率を勘案すれば事実上Googleの独占状態だと思う。広告市場は別問題であって、あくまで検索エンジン(ユーザーが検索してページを表示する部分)の状態だ。

    サービスが提供されてからでないと確認できないが、SEOの負担は少し減るかもと期待している。Yahoo! JAPAN対策の負担が減ってくれると自分はありがたい。Googleは検索エンジンの指標を公開してツールを提供しているので、積極的にアプローチできるし書籍やウェブから情報を収集しやすい。

    Googleに関してであれば、コンテンツの表現, サイト構造の設計, HTMLのマークアップの3つの観点からSEOをアプローチしてトップページから2ページ目以内、絞り込めば1ページ目へ表示できる成果は出せる。もちろん、SEOとSEMを専門的に請け負っている方々の足元にまでは及ばない。言わずもがな、表示されてもクリックされなければだし、クリックされてアクセスしてもらってもアクションがなければ…….であるけれど。

    情報量と意思決定の精度の間には逆U字型の相関関係を示すという研究成果成果がある(参照)。情報過多になるとマリファナよりも集中の妨げになるらしい。

    無秩序で不規則な生活を送っているように見えるが、人は普段の習慣を頼りにする。選ばないことを選ぶという不思議な行為。初めて耳にするブランドよりよく知っているブランドを信頼する。知人の真似をする。

    遊んでいても決定を迫られる。ならば仕事や教育、育児…….いわんやだ。決めなければならない。こちら側からアクセスする情報より流れてくる情報が圧倒的に多い。それを仕訳するときですら”決め”なければならない。

    プルをあきらめてプッシュを甘んじて受け入れる。それが情報の大海から逃れる方法だから。でも、プルしようとする人たちはいる。自ら選択したい欲望を持つ人たちへ針山から針を探す(藁山だとすぐに見つかる)一助となるようなサイトを設計したい。

  • 豊穣

    2010.06.22 曇り

    もし天が存在して天気を決めているなら迷っているかもしれない。今日も迷っているみたいだ。迷いが二日も続くと不意に決断して雨をまとめて降らせないかと心配していまう。日曜日の雲と強雨の繰り返しは、どうしよう? やっぱり降らせよう! いや待てよやっぱりちょっと様子をみよう、いやいや今は梅雨だし思い切り降らせよう、天の遅疑逡巡に振り回される。

    朝はくもり。洗濯をどうしよう。迷う。今日の湿気だとくもりでも乾かないかもしれない。洗濯指数って意味不明なデータがあるけれど、あの%は何を伝えようとしているのだろう。結局、洗濯しなかった(夜、洗濯機のなかを見てちょっと凹)。昼間、天は遅疑逡巡を諦観したかのように光を地上へ届けた。その光がうらめしかった。

    朝からF社のコード修正。SEO、自分の場合はとりわけGoogleだが、どんどん変わってる。数年前に読んだテクニカル記事は古事記になっている。専門家の方々にはとうてい勝てないけれど対応しなきゃいけない部分はコードを黙々と書き換える。

    合間に休憩をかねて自分のサイトを使った実験も終わったので屋号のスペルをもとに戻す。自分のサイトから得られるデータも参照する。その後、M先生のWPの環境整備を終わらせ3.0のアップグレードに備える。

    残りはWPの制作。The 2010 default theme for WordPress が使える。HTML5宣言に驚いた。どうせならコレを使って自分のサイトをリニューアルしよう。

    24日のiPhone 4発売を前にiOS 4がリリースされた。自分のiPhoneは3G。現在の最新は3GS。”S”の一文字だけの違いなのにiOS 4の対応は地球と月ぐらいの距離がある。3GS+iOS 4はマルチタスクをはじめiPhone 4と遜色ない機能を使える。Twitterを検索してみると3GS+iOS 4は充分使えるみたいだ。

    これが3G+iOS 4となると動くのは動くがインストールするメリットはないかもって意見が多い。人によってはガソリンが空っぽで走ろうとする自動車みたいな印象すらある。iTunesに接続してiOS 4をダウンロードしてアップグレードする作業にかかる時間が相当長いらしい。3GはiPhone OS 3.1.3のままにしてiPadをなるべくはやく購入しよう。

    iPadは医療分野で重宝されるのではないかと推測する。身体の数値や投薬、薬の説明など医療データを格納できるようになるはずだから。今、プログラマの方々はソフトウェアを寝食を忘れて制作していると勝手に想像する。

    資金が潤沢な大病院は外部の医薬情報担当者の方々とも連携して健康診断・人間ドック・各種検査・治療などをカルテとリンクさせた統合環境を設計してもおかしくない。

    先頃知り合いの先輩が購入された。Macにまったく無縁だしデバイスを積極的に使わない。その先輩の感想を伺ってますます期待を持てそうだ。

    iPhoneは新しいガジェット好きな人やギークな人たちの早期導入者によってバズされ普及した。自分の記憶をたどると2009年の年初からiPhoneという単語を他人から質問された。周りではガラケーから乗り換えたり買い増しする人が急増した(これらの人はガジェット好きでもギークでもない)。

    iPadは違う。この違いがiPadの魅力。

  • ブログをKindleで、遺言です

    ブログをKindleで、遺言です

    パーソナルデータを世紀単位で保存できるのでしょうか?

    ネットがパーソナルデータを世紀単位で保存できる仕組みを提供できれば、ヒトは情報に対して新しい概念を構築するんじゃないか、実現すればヒトはネット上で進化できるんじゃない? って想像しました。

    まず、話を書くにあって以下の3つを想定していません。

    • 一企業の事業を想定していない
    • 新旧技術の対決を取り上げない(紙か電子書籍か デジタルカメラか銀塩かなど)
    • 専門的知識と技術を知らない

    AppleはiPadを発表して電子書籍のプラットフォームを用意しました。iPadを使う広告写真を見ると、Appleは日常のシーンでもっとインターネットを提案しているように僕は感じました。生活のタスクをもっとオンラインへの提案です。

    (さらに…)

  • 漫言

    2010.02.01 曇りのち雪

    寒い。家の中は寒い。10年前に購入した松下電工のホットカーペットがリコールになったので、01/26、サイトから申し込んだら01/28に到着した。早い対応。週末入れ替えて、古い商品を返送した。新しいホットカーペットが大活躍。説明書によると開封時はすぐに暖かくならないらしい。ならし?!

    午前中、S社のアクセスログリポートを作成。週末の二日間で分析した内容をまとめる。Why, What, Howを区別して書く。細心の注意を払いながら区別。それを怠ったリポートは後から読み返すと意味不明。午後からO先生のサイト制作。

    GoogleがIE6と古いブラウザのサポートを終了すると発表した。段階的に終了させるらしい。まずはGoogleドキュメントとGoogleサイト。ソフトはバージョンアップで安定してユーザは使いやすくなる、という考えがある。正しいかどうかわからない。反論する人はいる。精度の高い安定したソフトを最初から出せばよい、の意見。自分はブラウザに関してはGoogleの姿勢に賛成。とにかくIE6ははやく市場からなくなってほしい。

    「Flashはバグが多い。Macがクラッシュ原因だ」とスティーブ・ジョブスCEOが言及した。iPhoneやiPadはFlashをサポートしていない。CEOの思想が実装に影響を与えているかも。自分もFlashは嫌い(エンジニアやプログラマを否定しない、すばらしい)。高度なスキルで制作されたFlashのサイトを訪問するとため息がでるが、それもわずかだ。大半は重い。「世界はHTML5に動いている」というジョブスの意見に賛成。ベンダー各社が合意してHTML5でブラウザの標準化を推進してほしい。

    各社がブラウザに特徴を持たせてユーザを獲得する行為を阻害してはならない。資本主義の根幹だと思う。ただ、漫言を申せば、ブラウザと電子出版は標準化された規格を設定してほしい。特に電子出版はそう願いたい。独自規格が氾濫して、Amazonのkindleでは読めるけど、iPadでは読めない、Sonyだけ、とか、サムスンオンリーなんて悲劇、否、喜劇。