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  • 習慣はおもしろい現象

    2012.08.14 猛烈な雷雨のち曇

    向日葵

    早朝、雷の連打。ピカッとゴロの間隔から位置を推測したいのに、ピカピカしっぱなしだからどのピカッがあのゴロなのか見当つかない。TwitterのTLとトレンドをおっかけて、京阪沿線や八幡、宇治、北摂地域で「こんなのはじめて」なさえずりを目にした。ソーシャルメディアの反応によると、”あの”京阪電車が全線不通である事態は衝撃のようで、その衝撃のTLを目にした人が「被害の大きさ」を推し量る図式が成立していた。

    今回、僕はソーシャルメディアをずっとおっかけた。特にTwitterのトレンドで表示される「交通情報」が便利だった。京阪電車の列車運行状況のサイトが高負荷状態に耐えられず、サーバーがダウンしたようで接続できなくなっていた。これじゃぁ本来の役割を果たしていない。

    サイトの更新はリアルの進捗より数十分から小一時間程度遅い。SNSだとそこかしこにいるユーザが現在の状況をハッシュタグ付きで送信してくださる。ハッシュタグで検索できるからすぐに状況を把握できる。それらのなかには不正確な情報も含まれているから、一部を自分で確認しなければならない。それでもSNSがもたらす情報のメリットはデメリットを大きく上回っていた。

    災害や不足の事態が発生したときのソーシャルメディアはこれからも威力を発揮する一方で、デマや偽の情報をフィルタリングする技術は進化していない。ダマされる人はいるし、偽の情報で右往左往する人もいる。

    あとは気象庁のウェブサイトがとても充実していてびっくりした。災害情報や雨雲の予想進路などの一次情報が確認しやすい。これからは気象庁のサイトへダイレクトにアクセスして情報を収集しよう。

    第三十八候、寒蝉鳴。今年は蝉の鳴き声がうるさくない。耳に入ってこない。気にしていないせいか、あれ、あんまり鳴いてない? ってぐらい知覚しない。

    ハマチがちらほら。手頃な価格で手に入る。天然が好みだけど数が少ない。脂が少ないのでさっぱりしているし、醤油漬けにしてどんぶりで食べてもうまい。刺身や塩焼きもOK。わずかな血合いが気になるのをのぞけば鮪より好み。

    アルバイトの資料の入力を予定通り2日間で終了。二つ三つの問題が発生。それらの確認事項をテキストにまとめてメールで送信。あとは夏季休暇明けの返信待ち。

    10代を中心にLINEがデフォルトになっているらしい。SNSに分類されるかわからない。使っていない。スマートフォンの必須アプリのひとつで10代はLINEでコミュニケーションしているらしい。らしい、しか書けない。新しい技術とプラットフォームが犬の年齢よりも速いスピードで登場する。そろそろついていけなくなってきた、と自覚している。

    SNSが登場してからウェブサイトの役割についてフレキシブルに考察するようになった。一昔前なら「パンフレット」的なサイトを蛇蝎のごとく嫌っていた。いまはそういうサイトもアリだと意見を改めた。業種によってはウェブサイトの更新を減らしてもSNSを頻繁に更新していれば、より多くのユーザから最終成果を得られるかもしれない。

    反対にSNSに不向きな業種や組織もあるし、SNSといっても更新するプラットフォームをどれにするかを決めるのも一苦労だ。僕の場合、いまの仕事から離れたら、ブログとTwitterとFlickrだけに絞って更新する。Facebookの更新は停止する。Twitterのさえずる内容は変わりそうだし、ブログの形式もこのドメインから離れて別のシステムを採用してもよいかも。

    こうやって整理したら自分の習慣を理解できる。システムやプラットフォームをのりかえても、どこかで書き続けるし、写真をアップして、たまにさえずる、ぐらいの出力はやっていく。

    習慣はおもしろい現象だ。

  • アルバムを曲順に聴かないよ

    2012.07.29 晴れ

    [youtube=http://www.youtube.com/watch?v=opyYusNCC-A]

    今朝は ザ・コレクターズ – 青春ミラー(キミを想う長い午後) でスタート。2Days初日、昨日(07/28)のライブよかったなぁ。今日は後ろではじけよう。さすがに足腰が痛い。首もつっぱっている。ライブ映えする曲ってあるよね。

    昨日、今日の午前中はM先生のサイト制作。コンテンツを見直す時機にさしかかっているかな。数年前のウェブ環境と異なる。スマートフォンの契約台数が増加の一途をたどっている。Android端末は複数のディスプレイサイズがある。それらすべてのサイズに対応できない。「このサイズでウェブにアクセスして」ってコントロールしたころとまったく違う。

    紙媒体の特性は表示範囲の制約だ。この制約のなかで表現のアイデアを練り上げる。ウェブにはほぼない。自由だ。自由がゆえに彷徨う。生活と似ている。自由は行動を戸惑わせる。なにもできなくなる。自由の空白と遊ぶアイデアを持っていなかったら自由は退屈。

    国内の5年後の携帯電話市場では、スマートフォンがほぼ1人1台の水準にまで普及するらしい。調査会社が予測をまとめた。26年度に6,000万台、29年に9,500万件に達するとのこと。

    わずか5年。5年後を想定したウェブの制作は無理。5年後、SNSがどうなっているか予測できない。もしSNSのピークが過ぎていたら、SNSとの連携を狙ったいまのサイトコンテンツは通用しない。ウェブこそ「いま、ここ」だと思うけれど、ウェブは「いま、ここ」にとどまらせない焦燥感を抱かせる。

    昼食をすませて大阪へ。少し早めに出た。結果的によかった。大阪 – 新大阪間の橋桁にトラックが衝突してJRがストップしていた。なんとか京都まで行き、阪急の振替輸送を利用して大阪へ。大阪で見たいモノがあったけど、ろくすっぽ見られず心斎橋へ移動。

    歩道の2カ所に花が供えられていた。写真も置かれていた。すぐにあの事件の場所とわかった。少しだけ立ち止まった、少しだけ。コンビニの前でおやつを食べていたらスマフォを片手にウロウロしていた男女に声をかけられた。女性から「ライブ行かれますよね?」って尋ねられた。道順を教えた。もうそこですよ、と指さし。じつはさっき大丸前で彼らを目撃したとき、ひょっとしてごいっしょかもって思っていた。僕はキョロキョロしながら歩く癖があって、やや異なる動きをする人に視線が向けがち。

    16:30開場。最後尾でよかったのでのんびり。昨日は中央前よりに立って足腰が限界。17:00スタート。19:15に終了。

    GLAYとかぶらないでってお願いしながら御堂筋へ。昨日はかぶったが今日はかぶらず。GLAYのファン層に驚いた。感心した。すごいなぁ。10万人集客するってこういうことなんだって感動した。

    大阪駅へ向かった。なんとJRの遅延が続いていた。60分から100分遅れとの表示。幸い僕は遅れてきた列車で待ち時間なくすいすい帰宅できた。京都駅での接続もスムーズ。遅れている列車が定時発車みたいな感じで遅れていた感覚がなかった。

    iPod Touchや音楽端末はシャッフル機能やプレイリスト作成機能を搭載している。僕もアルバムを全部iPod Touchに入れて専用のプレイリストを作成してシャッフルで聴いている。アルバムの曲順で聴いていない。まさかと思うけれど、アルバムの概念を知らないユーザもいるかしら、と聴きながら考える。興味深い論文も発表されている(参照: ポップ音楽はここ50年で「よりうるさく、単純に」、論文 国際ニュース : AFPBB News)。

    ライブ映えする曲がアルバムでもよい感じとはかぎらないけれど、気に入ったライブのセットリストを入手して、アルバムやシングルから集めてきてライブを再現したプレイリストを作成している人がいるかも。アルバムから個別の曲を購入できるから、自分だけのコンピレーションをつくったり。

    そんな遊び方ができるいまの音楽を聴く環境は、ウェブと似ている。自由。作り手の意志が聴き手を制約できなくなりつつある。

    ファストファッションの洋服や古着を購入して自分でアレンジする人がいるらしい。何かで知った。いちからデザインしなくてよくて、アレンジするプロセスを楽しむ人たち。アレンジしてもらうのを狙った服も売り出されている? ブランド(ファストファッションもブランドだけど)やラグジュアリーではありえないし、作り手もアレンジしてもらうことを狙う発想はないと思う。

    列車のなかの人たちはスマートフォンに夢中だ。操作方法や仕草を観察する。ヒントがある。なにをしているかはわからない。おじさんのようにのぞき込む蛮勇をふるわないし。ウェブの環境は確実に変化している実感。モバイルファストというアイデアが喧伝されるのも納得。

    移動しながらサイトを見ているから長文を読まない、わかりにくい写真を確認しない。次々フリックしている。あのスピード感とスピード感が生成する理解力にあわせたコンテンツを作り手は意識しないと。

  • 己の願望のために何かを自らすすんで差し出す

    2012.07.02 晴れ

    http://www.youtube.com/watch?v=DGD-x9cc0dI

    今朝は Polaris – 季節 でスタート。カテゴライズしづらい。こういう音はかなり好き。

    火急のサイト作成を仮完成させて連絡。M先生のサイト制作とF先生の資料作成の原案を考想。

    Googleが公開している「世界のスマートフォン利用に関する大規模調査」 へアクセス。日本のスマートフォンの利用状況の概要。

    日本に関連する調査結果としては、「スマートフォン普及率が昨年の6%から、約3倍の20%に急増」「スマートフォンからのSNSへのアクセスは、2011年の58% から、63%に増加」「スマートフォンと同時並行して利用するメディアでは、1位『テレビ番組を見る』(53%)、2位『別の端末でインターネットを利用する』(30%)、3位『音楽を聞く』(26%)」「日本のスマートフォン利用者は、平均で40のアプリをインストールしており、調査対象の40ヶ国のなかで最多」といったものがあげられている。

    [http://www.rbbtoday.com/article/2012/05/16/89380.html 調査 : Google、「世界のスマートフォン利用に関する大規模調査」の結果を発表 | RBB TODAY (エンタープライズ、モバイルBIZのニュース)]

    スマートフォンのインターネット利用状況

    2012年の普及率は順調。急増している現下の情勢は推して知るべし。”スマートフォン対応のサイトを作成しましょう” が営業の常套句と想像する。制作会社にとってスマートフォンとタブレットの普及はビジネスチャンス。「ふつう」のサイト制作では高額の制作費を見込めない。車のフルモデルチェンジみたいな。

    制作費をどうやって高値止まりさせるか。業界の苦心がうかがえる。一括請求すると尻込みされるから分割を提供する。典型は「リース形式」。5年で300 – 400万の価格設定とか。サイトの所有権や解約の取り扱いなど詳細な事由を知らない。制作と請求の方法はかわってきた。営業の話法もかわる。

    第12回医療情報の提供のあり方等に関する検討会資料によると「たとえ事実であったとしても、ほかの医療機関と実績を比べて優位を示そうとする事項などを、ホームページに掲載すべきでない」との指針を策定している。「事実であったとしても」とわざわざ記載するぐらいだから、よほど目に余る事態がサイト上で跋扈しているのかしら。

    僕は歯科医院のサイト制作しか知らない。他の医療機関のコンテンツとコンセプトは風の便りに頼る程度。歯科医院に絞れば、本末転倒になっているかもしれない、と思う。ウェブサイトから新規患者を獲得したいがために、「理想」が表現される。

    パメラ・メイヤーの「嘘の見抜き方」の一文が、現在のサイトの状況を指摘していると思う。

    Lying is an attempt to bridge that gap, to connect our wishes and our fantasies about who we wish we were, how we wish we could be, with what we’re really like. And boy are we willing to fill in those gaps in our lives with lies.

    パメラ・メイヤー:嘘の見抜き方

    「理想」を見た人が実際の現場を訪れる。現実の場、理想の仮想空間ではない。言葉ではカバーできない空間。そこへ訪れた人は、気づく人、違和感を覚える人、満足する人などの分岐点に立ち、体験がどの道へ進むか選択させる。

    「理想」がちりばめられたサイトは期待値を上げ、期待値の高さに比例して、見た人の要求する質は高まる。

    ウェブサイトを適切に作成すれば、多数の新規患者がやってくる。制作者としての実感を持っている。他方、紹介でやってきた患者は長い目で見たときに信頼関係を構築しやすい、っていう体感もある。そして、現場での「言葉でカバーできない」双方向のコミュニケーションが的確かつ最適に成立したときの「経験」は、次の患者をつれてくる。

    ウェブサイトのコンセプトを変えてみたらどうだろう。大胆に。新規患者を獲得するためのコンテンツの比率を少しさげてみたら。そして、口コミで知った患者、いま通院している患者、過去に通院していた患者へ発信するコンテンツの比率をあげる。

    そういう取り組みがユニークへつながっていく。

    サイトの見た目は小綺麗だとか、かっこよい、カワイイ、おしゃれとかって各医院はオリジナルを演出したくて苦心する。なのにコンテンツは「同定」だ。だから、差別化しようとすれば、「言葉」に頼らなくちゃいけない。「保証」「格安」「手術数」「快適」などなど。

    言葉がユニークではなく、コンテンツを発信する行動がユニークなんだ。

  • いつかそこに行かなくても

    2012.05.18 晴れ

    今朝は bonobos – 天体のワルツ でスタート。

    10:00前にぶらり家を出る。大阪駅で途中下車してチケットショップへ。ツタンカーメン展の平日鑑賞券を購入。2,500円のチケットを2,400円で購入。駅からの移動距離と移動時間と購入の手間を計算したら100円以上のコストがかかっているはず。安い買い物をするために遠くへ出かけて買うようなものであり、安い買い物をして携帯電話代を払うような構造と似ている。

    はやめのランチ。インデアンカレーに立ち寄りスパゲティ卵入りを注文。相変わらず美味い。

    西梅田から本町で中央線に乗り換えて大阪港駅。10分足らず歩いて大阪天保山特設ギャラリーに到着。12:10ごろ。行列へひとり心中おだやかならぬ状態で近づいていく。なにやら様子がおかしい。チケットを持っている人は「整理券」を受け取って下さい、とのアナウンス。へっ? 整理券?

    誘導に従って整理券を受け取ると集合時間が記載されている。13:40集合。入場制限している。並ぶ必要はないが、整理券を受け取って待て、ということ。いまから約90分待ち。iPadを持ってきてよかった。iPadで読書。公衆無線LANを探して彷徨いネットへログイン。

    5分前に集合場所へ行く。なんでこんなときにも5分前に行くか、と自分の行動にあきれる。13:40の整理券を持った人々がすでに並んでいる。行列から入場するのに30分以上かかった。そして、並びはじめてからずぅっと誘導されて入場。まるでベルトコンベアの上の部品みたいだ。

    入場するときVTRを40〜50人ぐらいの集団で3分ほど観賞。観賞の意図をはかりかねる。どうやら入場制限のうえ、さらに入口で小集団ごとに分けて、VTRを見せることで、見学者が流入する量を調整している(つもり)らしい。

    外国の展覧会に行ったことないので知らないが、日本ってホントに親切だ。親切を通り越して過保護でもある。そして、見方を変えたら人を信用していないのだろうとも感じる。主体者側に責任がないことを連呼したいと穿ってみる。懇切丁寧に「約束事」や「お願い事」を説明するし、写真は撮影しないでください、列を作って順番に観賞してください、などなど絶え間なくアナウンスしている。

    休日を想像しておそろしくなった。

    コンテンツが人を移動させる。移動はエネルギーを消費する。そのコンテンツは期間が限定されていて、かつあそこでしか見られない。ならば、期間が限定されていなくて、あそこでしか見られなく”もない”コンテンツで人を移動させられるか? を並びながら考えていた。

    何度も書いているように、通信回線速度がさらに高速になって、3Dの技術が向上して、着用できるコンピュータが開発されたら、ツタンカーメン展のようなコンテンツを自宅で観賞できるだろう。移動はなくなる。世界中の美術館や博物館へログインして観賞できる、と想像する。

    ただし、いつ実現されるかまで僕は予測できないから、生きている間にそれらの環境が整わなければ、今のように並んで観賞する形式に従わなければならない。

    あそこへ行かなければ体験できないコンテンツをとことん練り上げる。サイトやSNSやツールを使ってコンテンツを発信する。たぶん、いまはサイトやSNSやツールが先行してしまっている。コンテンツを練り上げてコンテンツの質量を増大させるよりも、「発信すること」自体が目的になっている。

  • 30年

    2012.02.17 晴れのち曇

    今朝は畠山美由紀 “わが美しき故郷よ”でスタート。ホントに好きだ、この曲。何度も聴く。故郷といまの住まいに執着しておらず、身勝手ならば鎌倉へ移住しているだろうなぁと思いつつもこの歌に惹かれるのは意固地な自分を認識していないだろうなぁ。

    04:30前に起床してアルバイトの入力を仕上げてデータを送信。出発の準備して兵庫方面へ。母方の祖父母が諸般の事情で引っ越すのでお手伝い。覚悟して臨んだが現場を目の当たりにして万感こもごも至る。ご近所への挨拶まわりにつきそったところ、ある奥様が顔をくしゃくしゃにして別れを惜しんでくださった。いわずもがな今生の別れである。「もう家族だったと思っていたから最期まで四人(ご夫婦と祖父母)でいけると思っていたのに」との涙顔の言葉が素敵だった。30年間の時間が積み重ねた「地域」の肌に触れた瞬間。

    伯父さんと伯父さんの長男、私の両親と私で最後の梱包を手伝う。伯父さんといとこに会うのは久しぶり。お互いの加齢を実感。祖父母と伯父はあいかわらず「まさちゃん」と呼ぶがもうそんな歳ではないですよ、と照れる。でも、時間が経過しても空間の位置はいつまでも孫であり甥なんだ。それがまたこそばゆい。

    祖父母の不安が言動に表れる。伝わってくる。そうだよね。明日は伯父さんの家で目覚めるけれど明後日は新しい場所で目覚める。目覚めた時、最初に何が目につくだろうね。いつも目につくものがない場所。見慣れたものがない風景。

    引っ越しの搬送自体はすんなり終わった。いとこの車に乗って現地へ向かう祖父母と叔父さんを見送る。これから長い時間をかけた「整理」がはじまるんだなぁと宅に残った私は思った。

    大阪まで送ってもらいM先生の近所のスタバで “文藝春秋 2012年 03月号 [雑誌]” 文藝春秋 を読もうと思っていた。37年前の論文「日本の自殺」が再掲載されて話題だと耳目したので読んでみたくなったので購入した。その前に携帯を確認したら着信あり。

    クライアントのスタッフさんからPCの不具合についての電話。PCの状況から自分が行かなければ判定できないと判断したのですぐに移動。時間が限られていたし原因を特定しづらかったので必要最小限の処置を実行して月曜日まで様子をみてもらうことに。

    19:00からM先生のミーティングに参加。今回は小児についての発表。とてもよかった。カンブリア宮殿に出演していた医療法人の理事長がご指摘していらっしゃったように、いまの歯科業界はまだ「啓蒙」していない。していても足りないと感じる。

    ウェブサイトは「宣伝」のメディアになっている。「啓蒙」と「宣伝」は異なる、と私は思う。啓蒙しているつもりでもいつしか宣伝になってしまっていないだろうか? 啓蒙がよい、宣伝はわるい、ではない。両方を正常に運用すべきだ。

    20:00に終了。昼食を食べ過ぎたせいかお腹はあんまり空いていなかった。でも食べたくなる。自分にとってはまずい傾向である。この傾向が続くと太る。調整して抑制しなければ。21:00に京都着。寒い、寒すぎる。まいった。

    キョロキョロしながら偶然が舞い降りてこないか贅沢な願いを祈ってみたりして気持ちをあたためる。帰宅後、スープ一杯だけにしようとしたのにカレーまんを1個、やっちまった。

  • 同じ「ネタ」なのに業界「内」は見抜けても業界「外」は見抜けない

    2012.01.18 晴れ

    今朝は東京事変の”生きる”でスタート。大好き、ってか好きって言いたくない刻み続けたいナンバ。解散が残念。「孤独と自由が首を絞める」って最高だよ。

    Facebook, Twitter, Flickrなどを更新せず。ブログも更新せず。理由はなぜWikipediaは停止するのか――SOPA抗議活動をひもとく - @ITです。よその国の法案に賛否を唱えてもしょうがないけれど、まぁ参加してみようと思って更新停止した。RSSの取得も控えて業務に差し障りのない程度にネットにアクセス。

    依存症。ネットに接続しない時間と比例して不安定感が増幅。不安定といっても誰もやってないことにチャレンジしているやら舗装された道路ではなく獣道を歩く、やらの不安定じゃなくて虚無感に近い。投資の不安定に対して消費の虚脱感。そんな感情がずっと起動していた。二元化すれば、チャレンジがポジティブな不安定ならジャンキーはネガティブな不安定。

    01/15(日)の東京では、22:00すぎから30分程度のネット接続。こだまに乗ってから日中ずっとソワソワしていた。接続できてTLやRSSが流す「記号」を見た瞬間、現と夢の往来の狭間に落ちていって、落下の速度感がもたらすトリップでクラクラ。

    情報の断食が必要かも。

    第六十九候、雉始雊。国鳥。食用にも重宝された(る?)。白い雉は祥瑞として献上品である。鳥の求愛はおもしろい。鳥の純粋な生殖行動はアートに見えて、愛情表現を置換した人の生殖行動はポップに見える。

    ステマが話題になった。厚生労働省は美容整形や脱毛、脂肪吸引などを行う医療機関のホームページを規制するらしい。HPの宣伝を規制する指針を平成24年度中に策定する。方針の内容は、限られた成功例を強調する施術前後の写真や患者の体験談を掲載できなくすると報じている。

    歯科医院はどうか?

    クロ現がインプラントを取り上げた(NHK生活情報ブログ:NHK)。国民生活センターは5年間で2,000件の相談が寄せられていることを公表。一部のメディアは「急増」と表現しはじめた。

    歯科医院のウェブサイトは美容クリニックと似ている。「限られた成功例を強調する施術前後の写真や患者の体験談」を掲載する。どうして掲載する?

    アクセスしてきた人は「写真」を見て決める。文字情報を熟読しない。医学情報や定性情報を読み流す。懇切丁寧に伝達してある内容でも同じ。アクセスログで判明している。自分にあてはまる症例の写真を見る。さらに部位まで同じ写真が掲載されていたら決め手になる。このあたりの話は長くなるので割愛。

    そして歯科・美容外科の口コミサイトでもやらせの書き込みが見つかり、業者を特定しているらしい。クインテットが運営している口コミ広場。報道はひとつしかあげていない。口コミサイトは他にもある。私見だと、歯科医院が関与しているんじゃないかと疑う(IPアドレスやドメイン情報から)サイトもある。実際にクライアントの先生は被害を受けていらっしゃる。以前、依頼を受けて調査したが口コミサイトの恣意的な運用が判明した。調査結果を報告した。

    カフェで内輪で話していると、「あるよね」ってネタがそこら中で話されている。業界「内」だと「仕組み」を見抜ける。内輪でネタを笑い飛ばす。で、時々、業界「外」の人へ「サービス」として提供する。

    だけど業界「内」の人が業界「外」のサイトへアクセスしたとき、同一の構造化された「仕組み」があってもおかしくないのにサイトの記述を真に受ける。こうやって書いている私はステマに騙されている。壮大な釣りに食いついて見事に釣り上げられた。

    ウェブ制作のステマを判別できても他のステマを見抜けない。構造化された手法で仕掛けられた同じ「仕組み」があるはずなのにひっかかる。

    省庁のコミットメントは口コミサイトに「権威」を与える。お墨付き。そっちのほうが危険だと私は思う。

  • 昇進

    2011.09.16 くもりのち雨

    ロウキーが沖縄へ接近している。台風の影響か、湿っぽい。ときおり強い風、昼過ぎから雨が降り出した。午後から頭がぼぉっとして、キンキンしてきた。たぶんカフェインのせい。24時間ちかくカフェインを摂取していない。カフェイン断ちを挑戦したときと同じような症状。たばこをやめるより難しい。

    ウェブサイトのテキストの特異点をひとつあげるとしたら、何が思いつく? やっぱり「検索エンジンにヒットしてもらえるように書く」かな。

    街頭のチラシや店舗で受け取る紙媒体などを読むと、訴求したい要素が多すぎるって感じる。配色やフォントはさておき、文章の分量と訴えたいコンテンツのバランスがおかしい。

    “INDIAN CURRY”と刻印された皿とカレー。もし、”INDIAN CURRY”と刻印されていないとしたら?そのかわり「最初の一口は甘いのに食べていけばいくほど辛くなる不思議なカレーで食べたらやみつきになる」ってテキストがお皿のまわりにぐるりと印字されていたら? 食欲がうせるな。

    ウェブサイトのテキストも写真と似ていて、SEOを意識しだすと、一つのコンテンツに多数の要素を盛り込んでしまって、文章の分量が増える。文章の分量と検索エンジンのヒット率は、一概に比例していないみたいだ。

    写真撮影の本には、「被写体を際立たせること」って書いてある。旅先で写真を撮影するとき、アレもコレも構図の中に入れてしまいがち。結果的に何を撮りたかったのかあやふやになってしまう。記念写真は、足までいれるよりも思い切ったバストショットのほうがよいシーンも。風景を撮影する時も、「何を際立たせたいか」で、構図を決める。

    19:00からM先生のミーティング。大阪駅で途中下車して“つぶやきのクリーム The cream of the notes” 森 博嗣 を購入。スタバで“あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)” 長谷 敏司 を読む。あと少し。ゾクゾク感がとまらない。

    20:00にミーティングは終了。(演じなければならない、演じているはず、演じようとしている)役割は、そろそろ終わりにむかっていると認識する。2009年9月からだから24ヶ月。20%の貢献はできたと自己評価している。高めの評価は30%。どの医院でもどうにもならない要素は20〜30%ぐらいあるから、差し引き40〜60%は貢献しきれなかった。

    正法眼蔵随聞記 四 五 宋土の海門禅師

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.246

    「昇進を望み、物の首となり、長老にならん事をば、古人是レを恥ヂしむ。ただ道ヲ悟らんとのみ思ウて余事有るベカラず」とある。

    道を悟っているといわれる僧であっても、「後堂首座の地位をお許しくださいますように」と海門禅師へ頼みにくる。禅師は涙を流して嘆き悲しんだ。僧は恥じ入り辞退したけど、”あえて任じられた”。後の人のためにこのできごとを記録して自らに恥をかかせて、禅師の言葉を顕彰したかったからだ。

    昇進や出世を望まない。そういうこころは恥である。いまに照らし合わせられるようなテーマじゃない。ひとつ納得できた。「師の言葉を顕彰するために記録して自らに恥をかかせた」という行為。

    自分を捨てよ、という教えなら「恥」も捨てるのかな? 恥はかかえて、そのほかの感情や欲望を捨てよなのかな? いずれによせ、「後の人のために」という気持ちがなければ記録に残せないと思う。これは自利利他なんて行為じゃないと私は解釈している。

    「私は何をしなければならないか」の私をメタ認知した行為ように思えた。それは「誰か」がいなくては認知できない構造なんじゃないかなぁ。

  • 正躰

    2011.08.23 曇時々ほんのわずかの間大雨

    Lake Biwa
    *RICOH GR DIGITAL II *28mm f/2.4

    ども、大学に入学するまでゴウシュと読んでいた”中の人”です。ちなみに号泣です。

    二十四節気、処暑。太陽の黄経が150度。暑さがやみ新涼が近くなる。先週末は朝夕涼しかった。週明けは、蒸し暑い。第四十候、綿柎開。曇天なのに暑い。ときおり涼しい風が居間から仕事部屋をとおりぬける。

    今年はパプリカをよく食べる。マジャール語で胡椒の意味。ハンガリーを代表する野菜。スーパーで見かけるのは本来種ではないらしい。ベル群という品種。ピーマンの肉厚型。赤や黄のパプリカをいっしょに炒めると食欲がわく。不思議。

    マイヘビーローテーションは、“地球の歩き方【初回盤】” ザ・コレクターズ 。iTunesの再生回数のカウントがカチリカチリ。来月の25日は日比谷でライブ。宿も予約して準備万端。

    いっしょに東京国立博物館 – 展示 日本考古・特別展(平成館) 「空海と密教美術」展を見学したい。でもね、最終日なんだよなぁ。混んでいるだろうなぁ。その日は東京駅到着が08:30頃、すでに長蛇の列?! 東寺の国宝8体を普段見られない角度から眺めてみたい。

    合衆国の新しいサイトの22%はWordPressがベースを読んで、WPでの制作がますます増えそう。運営者は、コンテンツづくりに集中できる。これがWPの最大のメリットだと思う。制作者は、プラグインを使えば検索エンジン対策を効率よく実行できる。カスタマイズもやりやすい。さらにPHPを書ける人はWPをハックすれば柔軟に制作できる。C社のリニューアルサイトもWPで制作した。

    見場に拘泥しなかったら、低コストでスピーディーにサイトを立ち上げられる。なによりも小さく産んで大きく育てやすい。

    たとえば、更新を制作者と運営者にわけてもOK。制作者は、医院のサイト(紹介や治療内容、従来のホームページとよばれるサイト部分)を更新して、あとはSEOやコンテンツ編集に注力する。運営者(=院長やスタッフ)はブログブログを更新するって感じで。

    PC, スマートフォン, 携帯電話に対応できるのもありがたい。それぞれに対応するサイトを用意できるけれど制作と管理のコストを勘案したら小規模なサイトには見合わない。それならプラグインを使ってテーマをカスタマイズしたほうが手間も少なくてもすむ。

    これから歯科医院を開業する先生は、医院のサイト(ブログ併設型か分離型), Facebook(あるいはGoogle+), Twitter を使い分けると思う(どれもやらないって選択もあり)。そうなると、それぞれのメディアをリンクさせてコンテンツを編集していかなくちゃいけない。Twitterからブログへ、ブログから医院のサイトへ、医院のサイトからFacebookへとナビゲートするデザイン。最後は来院をうながす。

    正法眼蔵随聞記 三 十八 大宋の禅院に麦米等をそろへて

    正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.215

    むずかしい。正法眼蔵随聞記を読んでいたら、「好きにすればよい」が好きにできなくなる。ややこしい。ほんとに「素直」の意味がずうっと頭の片隅を陣取っている。「今」についても身体の全身へじわじわと浸透してくる。

    外からの影響を受けて「好きにする」とか、外からの影響を考慮しながら「好きにする」のじゃなくて、自分の内側から発せられる「好きにする」ってほんとにあるのかな。さらに好きなようにして外には何も求めないなんてできるかな。

    自分の非を認めつつ自分を美化するレトリックと同じで、外に何も求めないと発するのは、「外に何も求めない」という手段を使って「自分の評価を高めよう」という戦略かもしれない。ダブルバインドのふるまい。

    自分は一切の空、このフレーズが突然頭に浮かんでくるようになって、爾来、空ってどんな状態なんだろうって興味がむくむくわきおこる。

    「坐ハすなはち仏行なり。坐ハ即チ不為なり。是レ即チ自己の正躰なり。こノ外別に仏法の求ムべき無きなり」という。人間的な営みの一切行われない境地が自己の正躰って、まったくつかめない境地。どこにあるんだろうね。

  • 16GB

    2011.05.01 曇時々雨

    第十八候、牡丹華。散歩の道が百花繚乱の春を告げる。花の名前を知らないので、あれはナニ、これはナニと判別できない。数ヶ月前とまったくことなる景色をながめて歩くだけ。百花の王、牡丹。日本では菊と葵。

    04/29, 04/30の2日はそれぞれ6kmほど歩いたので、今日は天気にあわせて家で読書。大津パルコの紀伊國屋書店で『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 を購入。これを手に取るようになったんだ。これを必ず読まなければならないことわりはない。読まなくてよい。これにかぎらず本を読むことわりはない。なのにこれが気になり、ついに手に取ってしまった。なにかしら事情を抱えていると思う。にもかかわらず自分自身の事情でありながら僕の目にはその事情がまだみえてこない。なすがままにまかせている。なぜ手にしたのか、の答えは『正法眼蔵随聞記』の中にないだろう。

    iPad 2をオンラインストアから注文。心斎橋なら在庫があるかもしれないってよぎった。いますぐ使いたいほど欲求は沸騰してない。また刻印したかったし。16GBの白。ポリウレタンの”風呂蓋”は敬遠。アレに3,980円はなぁ。

    近頃は良品計画でデニムとインナを買ってる。無印のオーガニックコットンデニムは3,980円、たしか。さだかでない。まぁいいや。とにかくそれと同じぐらいの価格、がどうもひっかかる。。デニムはとりたてて高品質ではない。ボタンはチープだしポケットの形は美しくない。ただシルエットが好きなので買っている。オーガニックコットンデニム ストレートを我慢したばかりなので、なおさら”風呂蓋”を買う気力がわかず。

    iPad2の出荷予定日は05/18, 手元への到着予定日は05/21。自分のライフスタイルがどうなるのかわからない。楽しみ。ブログ, SNS, Amazon, ブラウジングなどをiPad2 でまかなえそうならMacBook Proを買わずにMac Proでもよいかな。僕の行動パターンにはノートをモバイルするシーンがなくなりつつある。

    昨年に続いて今年もサイトのリニューアルを依頼されたり提案を求められる。5年前に制作したサイトを使えなくなっている。ネットであろうとリアルであろうと「コンテンツ」なのはかわらない。ユーザへユニークなコンテンツを提供する。これが第一。

    コンテンツを第一にして拡充すればルックスに資金を投じなくてよいか? といえば、「わからない」と僕は答える。というのも、そういうサイトはある。たとえば釣り宿。ルックスはお世辞にもよいとはいえない、ひどいといったほうが適切だろう。でも、それで充分でもある。だからわからないと答える。

    ただコンテンツへアクセスしてくる環境は激変している。5年前に制作したウェブサイトはその環境へ適応できなくなりつつある。資金を投入すれば対応できる。やりかたは築50年の家を増改築しつづける方法と似ている。やがて全体の構造をしっかり理解できなくなる。なにがなにやらである。もとより耐震構造の基準を満たさない。かりに満たしても腐食で基礎がボロボロになっている。そんな基礎の上物だけ改修している。それでもよいならそれまでだなぁとも思う。無理強いするまでもない。

    僕の意見は、「わからない」です。優柔不断の答えだと信用されないでしょうけど。絶対は遠ざけたいので。経営している立場からしたらルックスにもお金をかけましょうと営業したら儲かる。小規模な組織へ申し上げるなら、30〜50万円(1本でも2本でもぜんぜんかまいません、あるいは10〜20万もありですね)ぐらいの予算内で資金を投じてみたらどうでしょうぐらい。優先順位は、「写真」「携帯・タブレット・PCからアクセス可能」最後に「ルックス」。ルックスはとにかくシンプルにして、アクションしやすくする、と申し上げる。

    そのために古いウェブサイトをスクラップアンドビルドする。最新からひとつふたつ手前の安定した技術を採用して次の5年を設計する。ただやみくもに技術を導入して「アクセス可能なサイトだけ」を制作してはいけない。「設計」してから制作する。「設計」と「写真・テキスト制作」に時間をかける。

    設計のなかには、「数字」が含まれる。投資と回収。運転資金。分母のユーザ数と分子のアクション数。ほかにもまだまだ。そういった分析は設計に含まれる。

    ブログやSNSが5年後に終わっていても驚かない。不思議でもない。それにひきかえウェブサイトという形態は終わらない。

  • 特異

    2011.04.14 晴れ

    長袖のシャツを着て散歩したらちょっぴりの汗。桜を散らす意地悪な風はからだを冷やしてくれてきもちよい。花見で強い風が吹けばもうってむくれる。なのに散りゆく桜を見惚れる。同じ風が散歩でほてったからだを冷やしてくれたらありがたく思う。異なる空間でその風は桜を散らしているかもしれない。わがままな感じ方。

    4月はCDを3枚買ってしまった。『“D-NO.18”LIVE MASTERPIECE』 怒髪天 , 『ゴールデン☆ベスト』 THE COLLECTORS , 『「OH! MY MOD!」The Collectors best -Sawao Yamanaka Selection』 コレクターズ, 山中さわお 。5月のライブが楽しみ。3月は 『POP LIFE(初回生産限定盤)(DVD付)』 RHYMESTER を購入。アルバムはいいな。好きなシングルを縦横無尽に聴くのもアリだけど、アルバムは収録曲全体でひとつの作品って感じだ、やっぱり。

    iTunesからもDL。Superfly”You & Me” , フィッシュマンズ”あの娘が眠ってる” , フラワーカンパニーズ”深夜高速”などなど。iTunesからお気に入りのシングルをDLしてマイベストのプレイリストを作る。その作業が楽しい。順番と楽曲。似たリズムが続くとつまんない。そんなことをあれこれ思い巡らせながら。そうそう、MISIAの”記憶”を聴いた。ステキな曲、発売はいつだろ。

    Amazonから『「食」の課外授業 (平凡社新書)』 西江 雅之『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)』 見田 宗介 が届く。『考える人』や『現代思想』で西江先生のコラムや連載を読んでいて「食」の本を一度読んでみたかった。やっとこさ手に入れられた。ワクワク感。

    MacBook Airの売れ行きが爆発的。2010年第3四半期(Q3)のMacBook Air出荷台数は9万8000台、第4四半期(Q4)は42万台(前年同期比333%増、前期比326.8%増)。日本でのQ3は1000台、Q4は6万5000台。グラフを一瞥しただけで日本のノート市場が特異だよなってわかる。とにかく小さくて軽いのが好まれるんじゃないかなぁ。

    iPadよりMacBook Airへ流れてる? ふたつを比べたらいけないんだよね。でも iPadとMacBook Airのどっち持ちより、どっちか持ちで悩む人が多そう、案外。日本の環境は通勤(モバイル)と入力(日本語変換)だから物理的なキーボードを備えているほうが好まれやすいかも。

    「TVやパソコンから時間を奪う」タブレット:調査結果 | WIRED VISION のとおり、タブレットの利用時間が他の一般的な電子機器を利用する時間を侵食しはじめている。いまのところタブレットを利用している人はアーリー・アダプター層。メインストリーリム層が利用しはじめたらどうかわっていくか。

    アーリー・アダプター層であっても制作側はすでに悩ましい。タブレットやスマートフォンからのアクセスが増加の一途。それはログから判明している。各デバイスのアクセス環境をととのえなくちゃ。

    東日本大地震が発生してから各公的機関のサイトへよくアクセスした。滋賀県庁のサイトを毎日チェックして福島の方へツイートできそうな情報をTLに流した。震災から1週間ぐらい経て「情報のファイル形式」が気になった。

    ちょうどそんなとき、財団法人地方自治情報センター(LASDEC)が気になっていたことの内容をサイトへ掲載してくれた(国民へ発信する重要情報のファイル形式について – 財団法人 地方自治情報センター(LASDEC))。

    被災地の人たちや関係者は、各地方自治体や公的機関のサイトへアクセスする。ラジオやネットで知った人もいればソーシャルネットワーク経由もあると思う。この場合、アクセスの経由はなんでもよいけど、デバイスには注意を払わないといけない。

    現地からアクセスする端末は「PC」とは限らない。たぶん携帯電話やスマートフォンが多いと思う。もしPCであってもMS OfficeやAcrobat Readerがインストールされていないかもしれない。

    今回の注意喚起は、「国民へ発信する重要情報」に絞っている。このスタイルはビジネスのウェブサイトにもあてはめられる。どの端末からでも情報へアクセスできて、できたら最後のアクションまで完結できる設計がのぞましいんじゃないかな。

    自分のサイトがまだなのに。痛い…..。